表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長続生記  作者: TY1981
109/122

信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その10

また過去最長記録を更新してしまいました。

暇な時の時間つぶしにでもご活用ください。

             信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その10




 上座に座るのは二人の男、前関白・近衛前久と現関白・一条内基である。

 公式にはこの二人の仲立ちにより行われる会談である、という事を知らしめるための措置ではあるが、それがあくまで形式上のものでしかない、というのは公然の秘密である。

 そしてこの二人を証人として、織田信長と本願寺顕如を代表とする二つの勢力が、ここで会談を行う。

 織田方からは織田信長本人と明智光秀、佐々成政と森長可の四名が並ぶ。

 本願寺方からは本願寺顕如本人と坊官筆頭・下間頼廉と同じく坊官・下間仲孝、さらに目付きが鋭く明らかに僧ではない男が並んだ。


 その男は最初から信長に視線を向け、明らかな敵意を込めて睨み付けており、それを瞬時に感じ取った成政と長可から殺気を向けられる、という事態を引き起こしていた。

 互いに名乗っていく中で、その男が現在の雑賀衆を実質率いている男、土橋守重であるという事が分かり、もし何かを仕掛けて来るならこの男だ、と認識した成政と長可は、一瞬たりともその男から目を放そうとはしなくなった。

 上座に最も近い位置に信長と顕如が向かい合って座り、それに倣うように光秀と頼廉以下も向かい合った体勢で腰を下ろしていく。

 土橋守重は自分に殺気が向けられている事に気が付き、成政と長可の視線を受け止めると挑発するように殺気を放ち返した。

 会談の場で、しかも関白の御前という事もあったため互いに一切武装はしていない。


 無論成政や長可はもしもの時のために懐に小刀を忍ばせていたが、いきなりそれをこの場で出す様な真似はしない。

 その代わりに二人は守重に対して、より殺気を漲らせたままで拳を握りしめるという、一触触発の空気を生み出し始めていた。

 上座から最も遠い位置とはいえ、そのような空気を生み出す三人に一条内基が顔を引きつらせたが、それ以外の者たちは顔色一つ変えなかった。

 だがまともに会話も始めぬ内から険悪となってしまった空気の中で、誰がまず口を開くかでの探り合いの様相を呈し始めてしまった。

 仕方なしに前関白という立場を生かして、近衛前久が信長に向けて口を開く。


「ではまずは織田前右府殿から、此度の会談の趣旨を」


「…承った。 まずは我ら織田とそちらの本願寺との過去の全ての戦において、責任の所在、賠償、遺恨の全てを忘れ、今後は互いに協力的な関係を築いていきたい、という事。 ついては――」


「ふざけないでいただきたいッ!」


 信長の声を遮って、声を上げたのは土橋守重の隣に座る下間仲孝であった。


「遺恨の全てを忘れろ、などと! 我ら本願寺の門徒衆が、一体何万人戦の犠牲となったかお忘れか! 伊勢長島・越前・加賀など数え上げればきりがない! それを忘れろだと!?」


「仲孝……織田殿の話の途中です、控えなさい…」


 その声音はあくまで静かで穏やかに、しかし逆らい難い迫力を持って顕如の口から発せられた。

 グッと声を詰まらせ、仲孝はまだ言い足りないという顔をしながらも押し黙る。

 それに対して顕如は信長に「失礼いたしました、どうぞ続きを」と、話の先を促した。

 信長も気にした素振りを見せずに改めて口を開く。


「互いに協力関係を結ぶ上で、我らは本願寺を庇護し、領内において布教の自由を認める。 そちらは我が領内での布教のみを行い、反乱・一揆などの扇動はしないこと、また我らが望む矢銭の要求と兵の供出には応じる事、細かな条件に付いては後日擦り合わせを行うとして、こちらからは概ねそういった所だ」


「…なるほど……」


「ではこちらからも条件を提示させて頂く。 我ら本願寺の協力を得たければ、織田方の誠意を見せて頂きたい」


 信長が言い終え、それに対して顕如が一言だけ呟きを返すと、隣にいた下間頼廉がおおよそ坊主とは思えぬ大声でもって言葉を続けた。

 周囲の視線が頼廉に集まり、光秀が「その条件、誠意とは如何なるものか?」と問うと、


「本願寺にとっての聖地、石山の返還をもって織田家の誠意と受け取らせて頂く。 なおこれが叶わぬ場合は、いかなる厚遇であろうと門徒衆の遺恨は晴らせぬもの、と思って頂きたい!」


 その言葉で信長以外の三人、さらには一条内基や近衛前久までもが眉をひそめ、視線で「正気か?」とでも問いたげに頼廉を見た。

 石山本願寺があった場所は、すでに秀吉によって大坂城が建てられ、しかもその所有者は信長となっている。

 今や安土城に代わる新たな信長の本拠地となっている場所を、いくらかつては本願寺の本拠地があった場所であるとはいえ、明け渡す事など出来る訳がない。

 だがそれが分からぬ顕如ではなく、ましてや顕如の右腕と称される頼廉ではないはずだ。

 つまり彼らの狙いは、と瞬時に考えが及んだ信長はつまらなそうな顔をして顕如と頼廉の二人を同時に見ながら口を開く。


「それが狙いか、顕如よ」


「さて…『それ』だけでは何のことを仰られているのか、分かりかねますな…」


 あくまで表面上は穏やかに、顔色一つ変えず、眉間にしわ一つ寄せず、声音一つ揺らさず応える顕如。

 その振る舞いだけで、思わず長可が小さく舌打ちを漏らした。

 信長を前にして、飄々と「お前の城を寄越せ」などという無礼者は、出来れば即刻その首を刎ねてやりたいほど腹が立ったのだ。

 坊主だの法主だのという部分は関係ない、敬愛する信長に無礼を働く者は、長可の中では等しく攻撃対象と成り得る。

 だがそんな長可の殺気などどこ吹く風とばかりに、顕如は軽く息を吐いて続けた。


「我らは武家とは違い、主君の命令に忠実な家臣などはおりませぬ。 仮に拙僧が無条件で織田殿に臣従を誓ったのなら、それを不服に思う門徒衆は拙僧を生害せしむるやもしれませぬ…そうなればかつての石山退去の折、最後まで抵抗を続けし我が愚息・教如の様な者が、またもいらぬ混乱を起こさぬ、とも限りません…」


 顕如の言葉を、隣で静かに頷いて肯定する頼廉。

 その息の合い方は、先程顕如が言ったように、あらかじめ信長が何を言ってくるかを想定して、それに対する返答の打ち合わせをしておいた、という事なのだろう。

 信長たちが何か口を挟む前に、顕如はあくまで落ち着いた声音で言葉を続ける。


「今だ織田殿に対し恨みを抱く者達への慰撫、命尽きるまで戦い、浄土へと旅立った者たちへの供養、それらを含めての石山返還、というお話にございます…織田殿の御英断一つで、我らは共に歩める道が拓けるものと、拙僧は愚考いたします……如何にございましょう?」


「最初は関白の手前交渉に応じる、これで関白の顔は立てた。 その上であえてこちらが呑めぬ条件を出して、交渉を望んだこちらから交渉を打ち切らせる…それが貴様らの目論む所であろう、顕如よ」


「左様な事は…とは申しませぬ。 ですが先程申し上げた事は事実も多分に含んでおりますよ、織田殿…門徒衆の中には教如に同調する者も相当数いた事はご存じのはず、しかしそれらの者たちも聖地・石山本願寺を織田殿がお返し下さり、またその再興を許したとなればその心の広さに感銘を受け、今後はより良き関係が築けることとなりましょう…」


 天正八年、今より四年前に石山本願寺は信長に降伏、顕如が石山から退去する際に顕如の息子・教如は徹底抗戦を主張し、それに同調する門徒や坊官たちと、引き続き石山本願寺に立て籠もった。

 だが門徒の多くは長年の戦で疲れ切っており、法主の顕如が紀伊へと退去するという事もあって、大半は石山本願寺から退去し、信長もその時に退去した者たちへは一切攻撃を行わなかった。

 しかしそんな中でも強硬派は教如を旗頭に、さらに戦を続けようとした。

 半分以下となった門徒衆はそれまでの様な頑強な抵抗は出来ず、やがて鎮圧されて他でもない近衛前久の仲介によって、教如も退去する事となった。

 その際に顕如は、本能寺の一件で信長が死んだと思われるその時まで、息子である教如と縁を切って本願寺自体が連座して滅ぼされぬように手を打っていた。


 本能寺の一件後には顕如と教如は再び親子の縁を戻したが、今この場においては教如の姿は無い。

 もしこの場に本願寺側の一人として列席した場合、信長からいらぬ詮索や隙を見せる事にもなりかねないため、あえて外させていたのだ。

 しかし未だに信長に遺恨を持つ者は、教如を筆頭にこの機に信長を討たんとしていたため、顕如の命令でこの会談中はさる場所に押し込めておいた。

 それらの者たちも納得させるため、顕如は信長に「石山を返して欲しい」と言ってのけたのである。

 これで信長が呑んでくれれば話はそれでめでたしとなり、呑まなかったとしても本願寺側には何かしらの痛手がある訳では無い。


 かつては並の大名など歯牙にもかけぬほどの権勢を誇り、日ノ本随一の宗教勢力の長として辣腕を振るい、その名を天下に轟かせた男こそ、この本願寺第十一代法主・顕如である。

 四年前に降伏させた相手、ではあるもののこういった交渉事においてはやはり恐ろしい男だと、信長は再認識せざるを得なかった。

 だがだからこそ、この男はここで屈服させねばならない。

 再認識したからこそ、その意思を固めた信長はフン、と鼻を鳴らして反撃に打って出た。


「…貴様は先程『武家の様に主君の命に忠実な家臣などはおらぬ』と言ったな……笑わせるな、『忠誠』に勝る『信仰』を持つ門徒が、一体何万人貴様に従っておる、と? 下手なごまかしは止めろ顕如、不服を唱える門徒など、貴様の器でどうとでも抑え込めるであろうが。 わしは今でも石山退去の折に、貴様が教如を焚き付け、後々面倒になりかねぬ強硬派を教如諸共にわしに始末させた、と見ておるぞ」


 信長の言葉に、目に見えて顔を真っ赤にした仲孝が言い返そうと身を乗り出す。

 しかしそこを頼廉の手によって抑えられ、その間に顕如が言い返す。


「拙僧をそれほど高く見積もって頂き恐悦至極、されどそのような事は一切ございませぬ。 親子の縁を戻したのも帝からの勅命あっての事、でなくば大切な門徒の命を無駄に散らせる様な選択をした愚息を、どうしてまた息子として迎え入れられましょうや。 拙僧はあくまで仏門に帰依する者、本願寺の再興・発展以上に望むものはございませぬ故、ただただ石山の御返却を乞い願うばかりにて…」


 そう言いながらゆっくりと顕如は信長に対して頭を下げた。

 丁寧で、それでいて礼法に則って頭を下げた顕如に合わせて、隣の頼廉も頭を下げた。

 それはまるで、四面楚歌の状況を打開するため形だけとはいえ浅井・朝倉連合軍に頭を下げた、かつての信長と全く同じような姿であった。

 本願寺勢力の蜂起で織田包囲網が敷かれて、窮地に陥った信長は京のすぐ近くで敵対する浅井・朝倉連合軍とそれを匿う比叡山延暦寺に対し、頭を下げて降伏に近い和睦を取り付けた。

 その際に「我、二度と天下を望まず」と、事実上の敗北宣言まで発した信長は、もちろんその後その言葉を反故にして浅井家も朝倉家も滅ぼしたが、信長に頭を下げさせたとして当時の朝倉家は勝ち鬨まで上げたほどであった。


 表面上は本願寺方から信長に頭を下げ、まさに顕如の言う「乞い願う」という形ではあるが、その願う物があまりに法外なものである。

 だが一時頭を下げる事が、後々の勝利に繋げられる布石であることは、誰より信長が一番よく分かっている。

 歯噛みしている事を心の中だけで抑え、表面上は眉間のしわだけで済ませる。

 見ればいつの間にか激高していた仲孝ですら頭を下げているが、一番下座に控える土橋守重のみが頭を下げている顕如たちをつまらなそうに見ていた。

 付け入る隙はこの男だ、と信長は直感した。


「顕如が頭を下げておるというに、貴様は頭を下げぬのだな?」


 信長が突如として末席の男を見やり、話の矛先を振った。

 振られた男は表情一つ変えずに、信長に言い返す。


「わしは一向宗の坊官に非ず、故に法主殿が頭を下げようとわしには関係ござらん、我ら雑賀の荘はあくまで戦時の協力者にて、家臣でも門徒でもない。 わしは雑賀のまとめ役としてこの場におるにすぎぬ、わしら雑賀の者にも協力を願うなら、まずそれ相応の報酬を提示してもらおうか? その報酬次第ではそちらに付いてやらぬでもないが?」


 人を食ったかのようなその態度に、いよいよ成政と長可の沸点が近付いていく。

 土橋守重がどのような考えを持ち、どのように振る舞おうと知った事ではない。

 だが敬愛する主君である信長に対し、敬意の欠片も持ち合わさないその言動に、二人は今すぐにでもこの男の首をへし折ってやりたくなっていた。

 だが信長も負けてはいない、眉一つ動かさないまま淡々と事実だけを言い放つ。


「いらぬ、貴様らはわしの邪魔さえせねば良い。 邪魔となれば根切りにし、臣従を誓うなら勲功によっては褒美をくれてやるだけだ。 他に言いたい事が無ければ失せよ」


 一方的に言われ、絶句する土橋守重に対して溜飲が下がったとばかりに顔を綻ばせる成政と長可。

 信長に対し、嫌悪感もあるが場合によっては高く売り込もうとも目論んでいた守重が、その目論見ごと信長に踏み潰され、もう用は無いとばかりに見向きもされなくなったのだ。

 雑賀の荘には、いわゆる傭兵稼業で生活を営んでいる者も多数存在する。

 そのためにかつては盤石な経済基盤を誇っていた石山本願寺に数多く雇い入れられていたという経緯があったのだが、今の本願寺勢力にはかつての様な財力は無い。

 その本拠地であった石山が、既に大坂城が建てられて信長のお膝元となっているのが第一の理由であったが、だからこそ守重としてもここで織田家に高く売り込もうとしたのだ。


 本願寺勢力が石山を取り戻せたのならそれはそれで良し、石山を抑えた経済力を背景に、かつての様にまた雑賀と強力な関係を築けるからだ。

 だが現在石山は織田家のものであるため、しかも土橋守重は反織田派として雑賀をまとめている関係上、より良い雇用条件を織田家側に引き出させない限り、配下の者たちが付いてこなくなる。

 土橋守重は確かに信長が嫌いだが、だからと言って命を賭けてでも抵抗し続けよう、とまでは考えてはいない。

 むしろそこは傭兵らしい考え方なのか、条件によっては従うという柔軟性も持ち合わせないと、配下の者たちの生活の糧にも事欠く有様となってしまう。

 守重が本当は嫌いな信長と顔を会わせてでもこの場に列席した理由は、偏に傭兵稼業をしている者たちの働き口の世話をしてやるため、という切実な事情があった。


 しかし守重は親織田派である鈴木家を雑賀から追い出し、そのまとめ役に収まった。

 こういった事情があると、自分自身の心情と配下の感情の手前「織田家の方から好条件で俺たちの腕を買いたいと言ってきた」という大義名分が必要だった。

 不本意だが条件に乗せられてやる、という前提があれば自らの誇りも守れる上に、配下の者たちもそれで納得させられ易いのだ。

 だがもし自分から織田家にすり寄る様な真似をしては、それこそ反織田派の配下によって自らの命すら危うい事態となってしまいかねない。

 そのため最初はあえて不遜な態度を取って、いかにもこちらは優れているぞと思わせて高く売り込んでやろう、と目論んでいた守重だったが、そういった者たちの事情や心中の皮算用などは、信長に見抜かれていたのだ。


 雑賀を追い出されていた鈴木重秀などが信長に拝謁し、雑賀の内情を伝えたのも大きいが、傭兵集団という者たちの性質柄、利には聡い者たちだというのも信長はよく知っていた。

 そのため高く売り込もうとした守重に対し、信長は「別に貴様らに頼るほど困ってはいない」と一蹴し、見る価値も無いとばかりに視線すら外したのだ。

 成政と長可はそこまで読んではいなかったが、最初から信長に対して不遜な態度を取り続けた男に対し、信長がアッサリと片付けた事に内心で喝采を送っていた。

 怒りで顔を赤く染めるほどだった成政などは、目に見えて機嫌が良くなって小刻みに頷いている。

 長可に至っては取る言動の選択を誤ったとばかりに歯噛みしている守重を見て、にやにやと笑いながら鼻を鳴らしていた。


 顕如は守重の目論見にも気付いていたが、かつての戦での共闘関係や、現在の自分達が置かれている状況などを鑑み、この場に列席させる事を認めていた。

 だがアッサリとその目論見を見透かされ、挙句不要と断じられて何も言い返せなくなっている守重を横目で見る限り、この男にこれ以上の期待は出来ぬと顕如も内心で判断していた。

 だが自分たちとて信長の言い分に唯々諾々と従う訳にはいかない。

 信長を頭に置いた織田・徳川・毛利・上杉という大同盟勢力は、確かに中国地方から東海北陸に至るまでの、広大な地域を治めている。

 現在の日ノ本に、この勢力に単独で抗し切る勢力などまずいないだろう。


 今の織田家は、かつての織田家ではない。

 かつては織田家に抗し得る存在であった武田は滅び、上杉と毛利は既に織田家に同調する姿勢を見せ始めている。

 さらに旧来の同盟相手であった徳川の躍進、今やその影響力は東海だけでなく甲斐・信濃にまで及んでいるほど強大だ。

 いくら膨大な数の門徒を抱える一向宗と言えど、現在の織田家を相手に正面から事を構えた所で、勝ち目などない事は分かっている。

 それに本願寺は、信長が本能寺の一件を機に一度姿を消す前に、信長に降伏している立場なのだ。


 本来であれば『仏敵』とまで罵った男が、こちらが降伏したからとて『協力』を求めて来るというのは些かおかしい事だと思った。

 信長はその性格からして、降伏した本願寺に対して『強制的な要求』をして来てもおかしくない所を、朝廷まで動かして関白を紀伊国まで連れてくる、という非常に手間のかかる形でもってこの場を設けた。

 顕如の側からすれば、不可思議とさえ思った。

 抵抗する門徒勢を万単位で殺すよう命じた、苛烈な気性を持つ信長が一体どうしてこのような穏便な態度を取るのか、試す必要があると感じた。

 そのため顕如はあえてかなり踏み込んだ要求を出し、その上で下手に出るような言い回しをしつつ、信長の出方を見る様に頼廉や仲孝と謀った。


 仲孝が激高し、頼廉はどっしりと構え、自分はあくまで丁寧に、下手に出つつも信長の反応をつぶさに観察する。

 しかしそれでも、信長の思考の底が見えなかった。

 信長は自分達にはまだ明かしていない考えがある、という事を顕如は見て取った。

 こちらからそこまで踏み込むべきか、信長が自らそれを明かすのを待つべきか、顕如は表面上は穏やかな顔をしつつも、心の内では敵を前にした指揮官の如く、冷静に状況を見極めようとしていた。

 すると、信長は面倒そうな顔をしつつも顕如の眼を正面から見据えて言い放った。


「貴様はそんなに色々と考えなければ気が済まぬか? 坊主というのはなまじ学がある分、余計な事を考えがちだな。 だからいらぬ事を考え、余計な真似をする」


 呆れた、と言わんばかりな信長の言葉に、顕如の表情が一瞬乱れた。

 ピクリ、と頬の肉が動いてしまった顕如は、内心の動揺を必死に押し殺す。

 だがそんなものは信長には通じなかった。

 面倒そうな顔をしたままの信長は、一瞬だけチラリと横を見て口を開く。


「やはりいらぬ御託ばかりの坊主相手は面倒だ、キンカン申せ」


「は……まず顕如殿は、南蛮より伝わりし『デウスの教え』の布教を、いかがお考えでしょうかな?」


 信長から話を振られた光秀は、軽く一礼しながら返事を返し、顕如に向き直って言葉を紡ぐ。

 そして光秀の口から突然出てきた『デウスの教え』という単語に、顕如は真意を探る事は続けながらも、慎重に言葉を返す。


「……九州から徐々に広まり、今や畿内にも大分浸透して来ている様ですね…それが何か?」


「かの『デウスの教え』は、仏とも八百万の神々とも全く異なる神を崇め、またその異なる神こそがこの世における唯一の神である、と説いているとのこと」


「…我らのみならず、叡山や高野山などとも相容れぬ教えにございますな…仏ではなく、『デウス』なる異国の神が正しいなどと言われては、拙僧らがそれを受け入れる事は永劫に在り得ますまい…」


 信長は自らの支配地において、『デウスの教え』の布教の自由を認めている。

 そのため織田家の勢力が畿内で伸長するに従い、『デウスの教え』を説く南蛮寺は急激にその数を増していた。

 実は顕如が信長を嫌う最大の理由は、その点にあったのだ。

 信長は当初本願寺に対し、堺の町と同様に矢銭の要求を行い、本願寺側も信長と争いたくは無かったため、その要求に応じていた。

 だが信長からの矢銭要求は一度では終わらず、幾度も繰り返されついには石山本願寺があった土地を譲れ、という話にまでなった。


 ここに来て顕如はその要求だけは呑む事が出来ぬ、と苦渋の決断を下した。

 無論これまでの矢銭要求で、門徒の中からも不満の声を上げる者が増えていた事もある。

 だが急激にその勢力を伸ばしていく織田家とは、極力争うべきではないという考えが顕如にはあった。

 朝廷への献金も諸大名とは比べ物にならず、内情はどうであれ新たな足利将軍を推し立てて京へと上洛を果たし、畿内で猛威を振るった三好家の勢力をあっという間に駆逐した。

 どれも並の大名では出来ない離れ業と言えた。


 そんな存在とぶつかれば、親鸞聖人が興したこの一向宗とて無事では済まないと容易に予測出来た。

 門徒衆や坊官の中にも、信長を排すべしという意見と、織田家とは事を構えるべきではないという意見で、互いにぶつかり合う様相を呈して来ていた。

 穏便な解決手段を模索しようとしていた顕如であったが、その彼がある一点でどうしても信長を許せなくなってしまった事があった。

 それは、信長は南蛮より伝わった『デウスの教え』を厚遇し、仏を軽んじている、いやむしろ嫌悪しているのではないか、という点。

 本願寺の第十世・証如の嫡男として生を受け、僅か十二歳で父の死により本願寺を受け継ぐ事となった顕如にとって、仏門に生涯を費やす事こそが義務であり、本願寺の発展こそが生涯を通じて成すべき指標であった。


 しかしあの時、仏とは異なるものを信仰する『デウスの教え』、さらにそれを厚遇する織田信長からの聖地・石山を退去せよという要求、いや命令が来た。

 それまでは信長を排すべしという過激な意見を必死に押し留めていた顕如であったが、もはや彼にとっても我慢の限界であり、決して譲れぬものがついに標的となってしまったのだ。

 『デウスの教え』に傾倒する信長などに、仏の道を志す我らが屈して良いはずがない。

 信長によって駆逐され、阿波国へと引き下がった三好家は体勢を立て直し、再び畿内へと上陸を果たした戦では、織田方はこれ見よがしに石山本願寺を包囲した。

 まるで三好家の残党を滅ぼしたら、次はお前達だと言わんばかりに。


 門徒衆の怒りも不満も、もはや抑える気も起きなかった。

 むしろその怒りと不満を、信長にぶつけてやれとさえ思ったのだ。

 後年「野田・福島の戦い」と呼ばれる戦で、織田家と本願寺は初めて戦端を開いた。

 こうなる事を予測していなかったとは言わせない。

 信長にどのような大義・大望があろうと、心の平穏無くして天下安泰、などはあり得ない。


 『デウスの教え』が如何なるものであろうと、仏の道を否定する事だけは断じて許せない。

 千年に及ぶ数多の先人たちと、多くの文化的建造物、そして今この時も救いを求めて生きる門徒たちのためにも、自分は信長と戦わなければならない。

 覚悟を決めて動くとなれば、顕如の行動は早かった。

 もはや畿内において、向かう所敵なしとまで思われた織田家の伸長具合は、本願寺の織田家への戦闘を開始するという行動一つで、瞬く間に停滞を余儀なくされた。

 戦線は拡大の一途から急激に縮小に転じ、この機に乗じて各地で反織田家の勢力が息を吹き返し、あっという間に包囲網が形成される事態となった。


 宗派こそ違えど、同じ寺社勢力である比叡山延暦寺も反信長を掲げた。

 だが比叡山の僧兵たちの多くは、信長を危険視した理由が本願寺とは大分違っていた。

 京の町で金貸しを営む商人の半分近くは比叡山延暦寺の出身の僧であり、織田家と敵対していた朝倉家や浅井家は彼らに借金があった。

 金貸しから見れば、朝倉家や浅井家が織田家に滅ぼされてしまえば、借金を返してもらう当てが無くなってしまうため、自らの財産を守るために織田家と敵対する道を選んでいた。

 自らの「僧」としての立場を利用し、信長を「仏敵」と誹る延暦寺は、信長によって比叡山ごと焼かれる事となった。


 顕如はこの事に表面上は怒りを露わにしながらも、内心ではむしろ成るべくして成った結果だとすら思っていた。

 ある時は「商人」として蓄財に励み、ある時は「僧」としてさも偉そうに振る舞う。

 しかし実態は酒を飲み肉を食らい、女と稚児を囲い欲と色に耽る。

 日頃はさも自分たちは「王城鎮護」の象徴として、世俗とは一線を画す神聖なる存在であると宣う者が、その実世俗よりもなお堕落しているという矛盾。

 そんな者たちが、どの口で自分たちのことを罵れるというのか。


 本願寺の教えにおいては、妻を娶り肉を食らうことを禁止してはいない。

 だがそれについて、他の宗派からは色々と言われてきた過去がある。

 中でも延暦寺からは相当な侮蔑を受け、信長や顕如が生まれるよりも前の時代では「仏敵」とまで貶められたのである。

 時代と生まれた経緯は違えど同じ仏の道を志し、開祖・親鸞聖人の新たな解釈によって生まれた新たな教義は、まるで邪教のように扱われた。

 肉を食らい、酒を飲むことを否定しない教えは、それらを禁止する教えに従う者たちによって、堕落した教えであると謗られた。


 だがその謗りを与えた者たちは、隠れて肉を食らい酒を飲んでおきながら、自分たちは尊き存在として扱われるべきだと言う。

 挙句妻を娶り子を為すことを、淫心を持つ不埒者と蔑む一方で、自分たちは愛人と稚児を囲い、遊興に耽るのだ。

 比叡山延暦寺という、天台宗の総本山にいる僧侶全員がそのような者たちでは無いとは分かっている。

 だがそんな存在を野放しにしておくこと自体が、すでに罪ではないのだろうか。

 仏の教えを世に広めるよりも、民の安寧に心を砕くよりも、蓄財と遊興に重きを置くような者たちが、さらにそれらを止めることすらできぬ者たちが、自らの都合で他者を「仏敵」と非難している。


 民が迷い、疲弊し、何かに縋りたいと思う末法の世で、学を身に付け人を導き、たとえ一時でも心に安らぎを与えるのが、僧として正しい姿ではないのだろうか。

 人は皆誰もが母の胎より生まれる、すなわち子を為して次代へと世の中を続かせるのが、人としてあるべき姿ではないのだろうか。

 それすらも忘れた者はすでに僧ではなく、人としても唾棄すべき存在だと、顕如は思った。

 かねてよりの由緒はあるだろう、積み重ねた歴史もそれに付随しているだろう、だが既に延暦寺に道理はない。

 最澄という存在に胡坐をかいて、本当の意味で堕落した者たちにこそ、「仏罰」という名の焼き討ちが降りかかったのだ。


 だがいかに堕落した僧とはいえ、一度は仏門に帰依した者である。

 それらを容赦なく殺す指示を下した者、さらに南蛮から来た『デウスの教え』をこの日ノ本で広める事に躊躇わぬ者、即ち織田信長をこのまま放置する事は出来ぬ。

 相手が寺社勢力であろうと手心は加えぬ、という事を世に知らしめた信長は、本願寺に対しても一切の容赦なくその刀を振り下ろすだろう。

 負ける訳にはいかぬ、堕落した比叡山延暦寺に代わり、この日ノ本の寺社勢力の一角を担う者として、断じて「仏の敵」たる『デウスの教え』の庇護者、織田信長の専横を許してはならぬ。

 この時の顕如の決意が、先の「野田・福島の戦い」から丸々十年に及ぶ、世に言う『石山合戦』を巻き起こす事となったのだ。


 あの戦において、顕如に後悔が無い、と言えば嘘になる。

 だがその一方であれは起きるべくして起きた、そして起さざるを得ない戦であった、と今でも顕如は思っている。

 あのまま信長を放置しておけば、抵抗もせずに石山を引き渡しては、それこそ本当にこの日ノ本の仏教文化は灰燼に帰してしまうと危惧していたからだ。

 多くの門徒宗を死なせてしまった罪、多くの者たちを迷わせてしまった罪、それは間違いなく自分の決断の結果だとは思うが、それを口に出してしまえば、それこそ本当に一向宗は瓦解してしまう。

 自分の事を「顕如様」と慕って、付いて来てくれる者たちの前で自分は間違っていたなどと言ってしまっては、彼らは今度こそこの世に絶望して、縋るべきよすがを失ってしまう。


 だからこそ、心の内では申し訳ないとは思っても、表面上はあくまで冷静に取り繕わなければいけなかった。

 「進者往生極楽、退者無間地獄」という言葉を掲げ、仏敵たる信長に挑んで死んだ者は、極楽浄土に逝けると惑わし、逃げようとする者は無限の地獄へ落ちるぞと脅した。

 自分に縋って来る者、信じて従う者たちを、惑わし脅して戦わせ続けるという罪。

 日を追うごとに増えていく己の罪を、顕如は「仏の教えを守るための苦難」として受け入れ、信長によって徐々に追い詰められていった十年を歯を食いしばって過ごしてきた。

 だがそれも四年前にようやく終わり、そして二年前にはその信長も炎の中に消えたと思った。


 明智光秀の謀反によって、織田信長は本能寺の炎の中に消えたという一報を聞いた時、顕如はどんな感情より先に「解放された」という気持ちを味わった。

 本願寺の最盛期を築いた、とまで言われた己が信長との戦いを決意し、結果として衰退の道を辿らせたという有様に、顕如自身誰もいない場所で一人涙した事さえあった。

 だがそれらの全ての原因となった男が消えた時、まるで憑き物が落ちたかのように、己の身体を蝕んでいた何かが消え去ったかのような、解放感と言えるものが全身に行き渡った。

 「ついにあの信長に仏罰が降ったのだ!」と、喝采を上げる者たちを、どこか遠い世界の出来事の様に眺めている己がいた。

 ともすれば父よりも深い縁を持ってしまった男が、憎んでも憎み切れないほどその死を望んでいた男が、いざ本当に死んだと聞かされると、これほど何の言葉も出てこないものなのかと、顕如は漠然とそう思っていた。


 しかし信長は生きていた、そして今は目の前に座っている。

 仏の道とは相容れぬ『デウスの教え』の庇護者は、本当に「仏罰」すら撥ね退けるというのか。

 「信長は仏罰で死んだ」と、あの時喝采を上げていた者たちは、皮肉にも「信長は仏罰では死なぬ」と証明するも同然の言葉を発していたのだ。

 『デウスの教え』による「神の守護」というものがあるのなら、それは仏の力に勝るのか。

 仏の力による「仏罰」は、『デウスの教え』による「神の守護」の前に敗れたのか。


 信長が生きてこの場にいる事こそが、『デウスの教え』が真に人に安寧をもたらすものである何よりの証左であると、そう言いたいのか。

 そんな事を認める訳にはいかない、多くの人間の希望を背負っている私が、たとえどのようなものを見せられたとしても、私だけは認める訳にはいかぬ。

 だからこそ断固として拒絶する、仏の道の上に生まれ、その道を歩き続けることを生涯の務めと己に課した私だけは、『デウスの教え』に屈する訳にはいかぬ。

 でなければ、私を信じ付いて来てくれた者たちが、あまりに浮かばれぬのだ。

 顕如はその眼に決意を宿し、信長に正面から宣言する。


「拙僧はあくまで仏の道を歩む者……『デウスの教え』を庇護せし御方とは、たとえその御方がどれほどの権威を得ておられたとしても、共に歩む事はございませぬ」


「貴様は人の話を聞いておらぬな…わしは貴様らを庇護する、と最初に言っておいたはずだ。 貴様らはわしを『デウスの教え』を庇護している者、と思いたいようだが……わしはあれらの者共を庇護した覚えはない、ただ奴らから得る物があったから利用したまでよ、勘違いをするな」


 「これだから余計な事を考えるばかりで、視野の狭い坊主は…」と、ぼやくように言った信長に対し、冷静を装う事すらも忘れた顕如は、ただ驚きで目を見開くばかりだった。

よく「仏敵」と言われる信長ですが、その「仏の敵」とはどういう意味合いで言っているのか、を少し掘り下げてみました。

比叡山延暦寺は「自分たちにとって都合の悪い者、つまりは僧である自分たちの邪魔をするなら仏の敵である」という考え方。

本願寺勢力は「異国から来た『デウスの教え』を広め、仏教勢力を駆逐せんとするなら仏の敵だ」という考え方。

言葉は同じでも、そこに込められた感情や意味合いは違うという書き方をしてみたかったのですが…上手く表現出来なかったかもしれませんので、この場を借りて補足説明とさせて頂きます。


一向宗というのは当時で言うところの宗教テロ組織、みたいな扱いをされますし、実際その部分に関して否定もできません。

ですが為政者からの視点だけでは確かに厄介この上ない存在でしかない一向宗でも、当時の門徒となった民草からすれば心の拠り所であった、という一面も確実に存在しておりますので、一方的な敵対者として描くのを止め、本文中のような扱いとなりました。

一向宗=過激派宗教テロ組織、という印象をお持ちの方は違和感を感じられるかもしれませんが、物語の都合上このような形で進めさせて頂きます、何卒ご了承下さいませ。


追記:5月23日に一部修正を行いました。 宗教関連の表現は難しいですね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ