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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その9

ゴールデンウィークは一日を除いて全て仕事、そして書いている途中で矛盾点に気付きほぼ全て書き直し、という状況に陥り気が付けば二週間以上のご無沙汰となりました。

お待ち下さっている皆様方には大変お待たせいたしました、更新速度の停滞から、話がいつか止まるのでは、と危惧をされてしまいましたら申し訳ありません。

更新速度は落ちても、時間を見つけては少しずつ書き進めてはいきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


今回は光秀の主観による一話となっております。

            信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その9




 傷が、疼いていた。

 二年前から続く脇腹の傷は、もはや手の施しようが無いらしい。

 年齢のせいもあるのだろう、齢六十も見えてきた老骨と呼んで差し支えの無いこの身体は、ともすれば致命傷となっていた刺し傷を、癒せるだけの体力が残っていないのだ。

 後悔をしていないと言えば嘘になる。

 傷を負う事は構わない、むしろ自らの愚行に対する罰だと思えば、甘んじて受ける覚悟はとうに出来ている。


 だがしかし、この傷を負う事になった際に死なせてしまった多くの将兵たちの事を思えば、生き恥を晒している己がどうしようもなく浅ましく思えてしまう。

 痛みは構わない、どれだけの傷を負う事になろうと文句は無い、だがそれでもこの傷が原因で、生き恥を晒し続けた挙句に志半ばで果てる事が、どんなことよりも恐ろしい。

 もはや自分は戦場に立てる身体では無い。

 腰に刀は差していなくとも構わない、そもそも刀を抜いた所で十全に扱う事など、もはや不可能だ。

 傷に自らの手で薬を塗る際に、鏡を使って改めて傷の具合を確かめた。


 医師に見せた時、顔を顰めて言葉を噤んだのも分かる。

 気を失いかけるほどの激痛に苛まれた事も、一度や二度ではないのだ。

 胃の腑や肝などが無事であったから生きていられる、さらに傷を負ってからそう時間を経てずに適切な処置を施したから、なんとかなったのだと医師はそう言っていた。

 あの忍びには心から感謝しなければなるまい。

 窮地を救い、上様の生存を伝え、傷の手当までしてくれたあの「フクロウ」という名の忍びに。


 おそらく自分に残された時間は、上様よりもさらに短いものとなるだろう。

 上様が病を得てしまったと聞いた時、自らの痛みも忘れて愕然となった。

 すぐに死ぬようなものでは無い、とは言うもののやはりその衝撃は凄まじく、一瞬で視界が暗転した。

 己が死ぬのなら良い、今までもこうして動いていられるのが不思議なほどだと、医師からは驚愕の眼差しを向けられて言われたのだ。

 だが上様が亡くなられてしまっては、この日ノ本を本当の意味で護って下さる存在がこの世からいなくなってしまうということだ。


 かつては微力ながら、この光秀が上様に代わり『信長』を務め上げんとした。

 日ノ本のため、民のために天下を護り、戦を鎮めて世を平穏に、そして南蛮の勢力に蹂躙されぬ様な国を作らんと志したものだった。

 だが医師の見立てでも、己自身の感覚でも、恐らくこの身体はあと一年と保たぬと分かる。

 ましてや刀を振るい、鉄砲を撃つ様な真似はもはや出来ぬだろう。

 その様な身体となった今の自分には、上様と天下のために一体何が出来るのであろうか。


 そういえば本能寺の一件の後、新たな『信長』として各将に協力を呼びかけた時、有力な者たちはそのほとんどが拒否・あるいは黙殺して日和見を決め込んでいた。

 その内の一つ、かつての足利幕府第十五代将軍・足利義昭公に従っていた頃からの同僚、細川藤孝殿とその息子であり我が娘を嫁がせた忠興殿は、上様再臨とともに姿を現した自分に、一際驚いた後に取り繕うような笑みを浮かべながら、近寄って来てこう言っていた。

 藤孝殿はあの時私に与しなかった事を悔やみ、剃髪して今は「幽斎」を名乗っていると前置きしてから「息子・忠興は貴殿との縁を切る訳にはいかぬ、と申して離縁せずに貴殿の娘である珠殿を匿っておるぞ」と、分かり易いほど狼狽えながらまくし立ててきた。

 忠興も「義父上殿の御存命祝着の極み、珠にこれ以上ない土産話が出来申した」と、青ざめた顔色を隠しながら愛想笑いを浮かべていた。

 娘の身を案じなかった訳では無いが、天下国家のためにあえて頭の中から締め出していた事だ。


 今更天下を、この日ノ本全土を危機に陥れかけた天下の大罪人が、どのような顔をして嫁に行った娘と顔を会わせれば良いと言うのか。

 だが私が再び上様の側近として仕えていると見て取った細川殿と忠興殿は、急ぎ領国へと舞い戻り、紀州行きの準備をしていた私の所に、急遽娘の球を伴って挨拶にやって来た。

 珠からすれば、あのような真似をして天下の大罪人の娘という、不名誉な誹りを受ける事になった恨み言の一つもあろう、ならば全く会わぬという訳にもいくまい、と思い娘の感情の全てを受け止めるつもりで、私は準備を中断して時間を作り対面の場を作った。

 大坂城の数多ある座敷の一つを借りて、私は上座に座り下座には正面に珠、その左右の少し下がった所に幽斎殿と忠興殿が、まるで珠を挟むように腰を下ろしていた。

 わざわざ娘との対面の場を設えたというのに、親子のみの対面とさせないあたりに細川親子の本心が透けて見えた。


 「娘を離縁しなかった」と二人は言っていたが、ただ珠に惚れ込んでいた忠興が離縁したくなかっただけで、さらに「匿った」とは言うものの、その実態は幽閉に近いものであったのだろう。

 自分達の行動に後ろ暗い事があり、それを隠すための言葉が嘘であったという事を、珠自身の口から暴露される事を恐れるあまり、二人は「久々の親子水入らずの再会」にさせないのだと容易に推測できた。

 だがそれをわざわざ口に出す必要も無い、ただ私は珠に言うべき事を言うのみだろう。

 互いに「久しいな」と言葉を交わして、「すまぬ、至らぬ父のために迷惑をかけた」と私は早々に深々と頭を下げ、珠の反応を待った。

 激高するか、それとも泣くか、いずれにしろ珠も私に対して言いたい事もあるはずだ、父としてせめてそれだけは受け止めねばならない。


「父上には父上の為さりたい事がお有りだったのでしょう…私に詫びる必要はございませぬ」


 そう言った珠の顔は、とても穏やかだった。

 珠のその顔を見て、私は無意識の内に息を吐いたが次の瞬間、目に入った物を見て逆に息を呑んだ。

 穏やかな顔をしていた珠の手に握られていた物は、一つの小さな十字架だった。

 「デウスの教え」を信奉する者にとっての十字架とは、仏教における仏像や数珠などと同価値と見なされるもの、という認識であった私にとって、娘である珠がそれを手にしている事は何よりの驚きだった。

 その十字架を優しげに両手で持ち、珠は穏やかな顔付きのまま口を開いた。


「父上の行いを非難するつもりはございませぬ。 聡明な父上が起こした事ならば、そこにはきっと深い意味があるのだと己に言い聞かせて参りましたので…ですが私は父上の様に強くは在れませんでした……日々を虚しく過ごしていた私の耳に、南蛮よりこの国に渡来したという『デウスの教え』は、とても興味深く届いたのです…その内にそれを知り、学ぶ事だけが虚ろな時を過ごす私の唯一の心の支え、そして慰めとなってくれたのでございます」


 絶句した光秀とは対照的に、顔色を変えて今にも腰を浮かさんばかりに狼狽えている細川親子であったが、それを背中で感じ取りながらも珠はさらに言い募った。


「忠興様、そして義父上様から聞き及んでおります。 南蛮から参った『デウスの教え』というものの危険性を……ですが私をあの日より今日まで支えてくれたのは、父上でもなく忠興様でもない、この『デウスの教え』なのです。 殿方たちが如何に世を変えようと、何を為さろうと女子はそれに付き従うのみのこの世にございますが、信ずるものだけはどうか望むがままに…これを申し上げたくて、本日は罷り越しましてございます……上様と父上の邪魔立てをする気は一切ございませぬ、ですがただ私が勝手に祈りを捧げる日々までをも奪う事だけは、何卒ご容赦下さいますよう、伏してお願い申し上げまする…」


 チラリと視線を向ければ忠興殿は完全に顔色を失い、幽斎殿は頭からびっしりと汗をかいていた。

 珠は言い終わると同時に深々と頭を下げ、私達はそれぞれに言葉を失った。

 珠の言う「虚しく過ごす日々」とは、どのような意味が込められているかが分からぬ私ではない。

 そして私がそれを見抜いている事に、長い付き合いの幽斎殿が気付かぬはずがない。

 さらに我が娘ながら美しく育った珠に惚れ込んではいるものの、本能寺の一件以後はおそらく疎遠になったのであろう忠興殿も、私からどのように言われてしまうかと戦々恐々のようだ。


 私にとっては娘、幽斎殿にとっては息子の嫁、忠興殿にとっては正室と、私たち三人にを結ぶ縁となっている珠は、我が娘ながら頭の回転が速く勘も鋭い。

 先程の言葉の中から、私達が何に気付きどのように思うか、全てを分かった上で発言したのは間違いない。

 危険な「デウスの教え」に傾倒しているとしても、そのそもそもの原因を作ったのは父である私なのだと暗に言っており、今日まで心を病んだりしなかったのも「デウスの教え」のおかげなのだ。

 夫である忠興殿を攻める訳にはいかない、仲睦まじい夫婦を引き裂いてしまったのは、他ならぬ己なのだから。

 そしてそれ故に、珠は己の信仰に関しては手も口も出さないで頂きたい、と言ってきているのだ。


 だが私にとって、こんな事になるのならむしろ恨み言や罵詈雑言をぶつけられた方が、よほど心が痛まなくて済むとすら思える。

 これは取り様によっては、恨みも感謝も越えたある種の決別の言葉だ。

 私は上様の下で、今後は「デウスの教え」を広めてきた南蛮勢力を相手取った戦を始めるかもしれない男なのだから。

 その男の娘が、よりにもよってその「デウスの教え」に傾倒しているというのは、あまりに外聞が悪くまた説得力が無くなる。

 娘を想う父親としての情を見せるか、国全体を憂う上様への忠義に殉ずるか、返答を先送りにする事は許されない、今この場で私の口から告げる事こそ、娘に対する礼義というものだろう。


 細川親子は揃って、私の口からこの後どのような言葉が発せられるかで自らの立場が変わると察しが付いている。

 元々二年前から日和見を決め込むような性根を持っている親子なのだ。

 ならば私の判断を待ち、その上で自らの立場を鮮明にしようという腹積もりなのだという事が、哀れみすら湧くほどにひしひしと感じ取れた。

 固唾を飲んで私の一挙手一投足に注目する細川親子に、私は内心で改めて軽蔑の感情を抱きながらも、視線を珠から外す事が出来ない。

 そしてこの部屋の誰にとっても一刻よりも長く感じられるであろう数秒が過ぎた後、私は口を開いた。


「珠よ、わしが父としてそなたに出来る事はもはや無い。 今のわしは知行も無く、家臣も持たず、ただ上様への贖罪に命を使うのみの老躯に過ぎぬ。 そなたの望みを叶えてやる事も、そなたを護る事すらも出来ぬわしが、そなたに何かを命ずる事など出来るはずも無し。 そなた自身が信じ、望むがままの道を往くが良い、その上で後悔の残らぬ時を過ごすと良い。 宗旨変えをしたくばその時にすれば良い、洗礼とやらを受けたければ受ければ良い、その結果として忠興殿から離縁を言い渡されようと、そなたが良いと思うのならばその結果を受け入れよ。 わしから言えるのはそれだけだ」


 一言一句を聞き漏らすまいとしていた細川親子が、あっけにとられた顔で押し黙っている。

 これは私からの事実上の決別宣言であり、今後の珠の人生に対し、私は何の命令も頼みも言い含める事はしなかった。

 ただ「己の後悔しない道を往け」という、後押しのみに留めた。

 珠は言い終えた私の眼をジッと見返して、その後で「かしこまりました」と深々と頭を下げた。

 親として『信仰を捨てよ!』と娘である珠に命令する事は簡単だ、だがこの娘がそれであっさりと信仰を捨てられるような、そんな軟な性根をしていない事は私が一番よく知っている。


 もし信仰を捨てる事を強要したのなら、私の死後に、あるいは存命の内からより頑なとなった珠がさらに深く信仰の道に傾倒する恐れもある、と私は睨んだ。

 そしてそれは細川親子と珠の、致命的な断絶を招く恐れもあった。

 私が死ねば、私の顔色を窺う必要が無くなった細川親子が、信仰に傾倒してしまった珠をどのように扱うか、それは既に答えが出ているも同然だ。

 夫である忠興殿は珠を遠ざけ、珠は孤独を埋めようとより深く『デウスの教え』にのめり込み、それを危険視した幽斎殿が離縁を言い渡す、容易にその筋書きが想像出来る。

 そうなれば珠は自らの不遇を嘆き、精神の安定を求めて『デウスの教え』を盲信し、やがて不幸な最期を迎えるのではないかと、そんな想像すらもしてしまう。


 娘の心からの言葉を聞き、その決意と覚悟を見てしまった以上、私に出来る事などたかが知れている。

 父親としては情の無い判断と言えるかもしれない、だが娘とはいえ「珠」という名の一人の人間が、すでに私の庇護を必要としないであろう、確固とした「己」を持っている人間であるという事を感じ取ってしまった。

 もはや何も言うまい、この娘はどのような一生を歩もうとも、最期のその瞬間には後悔などを抱かずに生涯を閉じる事が出来るだろう。

 まるで己の意地を貫き通す「傾奇者」の様に、珠は己の信仰を貫いて生きていくだろう。

 娘は、珠は頭を上げずに肩を震わせている、そんな珠にほとんど無意識の内に私は声をかけていた。


「ただ一つ、父として最後に言わせてくれ…」


 おそらくこれが、私が父として娘に言える最後の言葉となる。

 何を言うべきか、ほんの僅かに迷った。

 だが目の前にいる、恐らくは涙を必死に押し留めようとして肩を震わせている娘を見ていると、この言葉しか出てこなかった。


「…息災でな」


 言ってから、他にもっと何かを言えなかったものだろうか、とも思った。

 だがきっと、私のこの言葉だけで珠には十分だったのだろう。

 我が娘ながら、珠は人の心の機微を読む事に長けていた。

 故に忠興殿からの執着を含んだ愛情も、苦々しくは思いながらも未だ離縁まではさせられない幽斎殿の内心も、全てを読んだ上でこの場にいるのだろう。

 この娘は、この後も苦難の多い生涯を歩む事になるかもしれない。


 全ての因果はこの私、明智十兵衛光秀の娘としてこの世に生を受けてしまったがために。

 すまぬ珠よ、我が娘として生まれてしまったが為に、お前には常人には起こり得ぬ苦労を背負わせてしまった。

 その生涯に、せめて僅かなりとも幸福と思える時が多からんことを神仏に、いやお前の敬うデウスとやらに、今この時だけはわしも祈りを捧げよう。

 見れば、頭を下げたままの珠の顔のすぐ下には、畳にいくつかのシミが出来ていた。

 父の意を汲み、涙を流してくれるのか。


 私如きにはもったいない、自慢の娘であった。

 いつの日か『デウスの教え』は、この日ノ本にとって危険なものであると、大々的に広められて禁教令も出される事だろう。

 私が生きている内には不可能でも、その土台となるべき仕事を請け負う可能性はある。

 そうなれば、たとえ親子と言えど互いに相容れぬ、戦国の世に相応しき親子骨肉の争いの日もやってくるかもしれぬ。

 私はもう長くは無いが、私の死後に私が行った仕事が基点となって、珠が苦難を負う事になるやもしれぬ。


 この場こそ恐らくは今生の別れ、そして互いの信ずるものと敬うものの決別の日となろう。

 私自身も老いたのだろう、目に涙を留め置く事が出来なくなった。

 私の涙を、珠の肩の震えを見て、忠興殿はゆっくりと頭を下げていた。

 それを横目で見て、幽斎殿も己の顔色と表情を隠すかのように頭を下げていた。

 私が死ねば、珠の近しい身内はこの二人、そして忠興殿との間に生まれた子供達のみとなる。


 忠興殿の珠への態度は、正室にしては珍しくとても仲睦まじいもの、と聞いている。

 細川家を継ぐべき男児も既に二人ほど産んでいる、と聞いている以上は幽斎殿はともかく、忠興殿は粗略には扱うまい、と信じよう。

 すると忠興殿は頭を上げて、「拙者は珠殿を好いておりまする故、決して邪険には致しませぬ」と、唐突に言い放った。

 気が短いのが玉に疵、と言われる娘婿も、こちらの心情を察してくれたようだ。

 私は黙って静かに頷きを返し、そのまま頭を下げた。


 忠興殿の「好いている」は少々度が過ぎている、という話は聞くが、粗略に扱われる心配が無いだけでも、私の様な父親からすれば文句は言えぬ。

 ただ心配なのは、珠が忠興殿よりも信仰を重んじた時、忠興殿がその愛情を反転させて憎しみに変え、最悪手にかけるような事にまでなってしまった場合だ。

 珠の選んだ道とはいえ、どうかそのような事にはなってくれるなよ、と願う事しか出来ないが。

 既に武士であることも、父であることも半ば以上放棄した私には、何かを命ずることは出来ずに、精々が願う程度しか出来ぬのだから。

 だがそれでも、珠とこうして会い、話し、互いに別れの言葉を交せて良かったと思う。


 最後の会話をする機会を設けてくれただけでも、細川親子には感謝するべき所なのだろう。

 もっとも、忠興殿はともかく幽斎殿はあまり良い顔はしていなかったが。

 もはや憂いは無い、あとどれほど動けるか分からぬこの老躯を、上様への贖罪のために使い潰すのみ。

 内蔵助(斎藤利三)、庄兵衛(溝尾茂朝)、左馬助(明智秀満)、そして私の愚かな判断で死なせてしまった者たちよ、私も近い内にそなたらの元へ行くだろう。

 その時にはまずそなたらに詫びよう、そして出来れば誇ろう、そなたらの働きがあったればこそ、日ノ本の安寧に繋げる働きをする事が出来たと。


 そして奇しくも二年前の今日、山崎の合戦で羽柴秀吉と争った六月十三日、上様は前関白・近衛前久卿、現関白・一条内基卿らを連れて、大坂城を発した。

 供として森長可・成利(蘭丸)の兄弟、さらに北陸から馳せ参じた佐々成政殿、池田家の家督を継いだばかりの若当主・池田輝政殿に私を加え、二万を超える軍勢でもって紀州に向かう。

 これが上様による「紀州征伐」と言われるようなものであったのなら、この三倍の数は用意する所だったが、今回はあくまで本願寺勢力と紀州を本拠とする雑賀・根来らに協力を要請するための行軍である。

 あまりに大軍を引き連れてしまえば、今から七年も前となる天正五年の雑賀攻めの再開と思われてしまい、交渉どころではなくなる恐れもある。

 そのため今回は名目上近衛前久卿と一条内基卿の護衛、という部分を強調して軍勢もあえてかつての半分以下となるように抑えた。


 根来衆は先の雑賀攻めの際には既に織田方に付いていたが、雑賀衆はあの戦の後は降伏、新織田派である鈴木家が主流派となっていたが、本能寺の一件後は反織田派であった土橋家が盛り返し、新織田派を駆逐してしまっていた。

 再び織田家に牙を剥きかねない土橋家の仕切る雑賀衆、そして長きに渡って石山で抵抗を続けていた本願寺勢力の調略は、上様にとっても決して失敗の出来ぬ外交上の戦である。

 そのため今回は上様御自身のみならず、前関白と現関白という二人まで同道させるという、これまでになく念を入れた交渉を行う予定となっている。

 だが常に万が一という事は起こり得る。

 本願寺勢力、その法主である顕如は、朝廷からの使者である近衛前久と一条内基に対して少なくとも礼を尽くさねばならない立場であり、この両者がこちらにいる以上会談を行う事自体はさして難しい事にはならないだろう。


 だが問題は雑賀衆の方である。

 かつては本願寺からの依頼もあって石山で根強く抵抗していた雑賀衆であったが、こちらは朝廷や公家衆への敬いよりも、先の戦闘での恨みなどから凶行に及ぶ可能性も無いとも限らない。

 ただの雇われた兵隊として石山で抵抗していた頃と違い、己の意思やその時の感情でもってこちらに仕掛けて来ないとも限らないのだ。

 そのために上様は京には同行させなかった森長可、佐々成政などの武闘派の者たちを護衛に抜擢し、不測の事態が起きた際には率先して動けるように、二人の指揮する隊には完全武装で同行させていた。

 紀州行きの隊列も先頭を佐々隊、殿を森隊に任せるなど、襲撃を警戒した行軍となった。


 中軍には池田隊、本陣を上様と前関白と現関白、蘭丸殿が詰め、そこに私も侍るという布陣だ。

 行軍は順調で、いよいよ先頭を行く佐々隊が紀伊国へと入ったという所で、京から火急の知らせが届いた。


『黒田官兵衛、造営中の所司代詰所を襲撃。 羽柴秀吉の正室寧々殿、攫われて行き方知れず。 なお黒田官兵衛は『鳶加藤』と名乗りし、手練れの老忍びを連れている模様』


 上様はその報せを聞いて、傍目にも分かるほど怒りを顔に出されていた。

 その憤怒の表情に「ひっ」と声を漏らした使いに「であるか、サルは?」と尋ねられ、訊かれた使いが震えながら「あ、は…や、宿の一室にて、ご沙汰あるまで謹慎致すとの事に…」とだけ答えていた。

 上様の視線の圧力で生きた心地がしないのであろう使いの者は、ガタガタと身体を震わせたままだ。

 そのため上様から「下がれ」と言われた時には、まるで逃げ出すかのように「失礼いたします」とだけ言って足早に御前を辞した。

 その日の内に各隊の将が集められ、緊急の密議が開かれることとなった。


 念のため現関白の一条様は呼ばずに、先に近衛様にのみ報せを伝え、自分達が集まっている所に間違っても来ないように、一条様の相手をしてもらっておくよう頼んでおいた。

 今回の黒田官兵衛襲撃の一報を一条内基の耳に入れた所で、状況は悪くなりこそすれ好転するとは思えない。

 下手をすれば心変わりを起こし、織田家への協力を拒む様になってしまっては朝廷工作はまたやり直しとなる上、より難しくなる恐れすらある。

 現関白が朝廷を代表して、信長と共に紀州にまで足を運ぶ、という演出のためにわざわざ一条内基を引っ張りだし、日ノ本のためにという大義名分でもって本願寺勢力と雑賀衆を味方に引き入れるためである今回の紀州行を、こんな形で失敗させる訳にはいかない。

 これが上手くいったならば、その後で一条様には関白職を退いてもらい、近衛様の猶子となる羽柴秀吉が新たな関白となる、という所まで絵図を書いていたというのに。


 無論関白職を退く際には、相応の見返りを用意するという話にはなっているが、それでもなまじ邪魔が入る事でそれらの予定を狂わされても困るため、一条様には最低限大坂に戻るまで官兵衛襲撃の一件は秘匿する事が決定された。

 そして大坂から京へ戻る所であった京都所司代・堀秀政殿は、今回の一報を聞いて馬を乗り潰す勢いで馬を走らせ、わずかの間で京へと舞い戻ったという。

 いかな『名人』の呼び声高き堀殿でも、今回のような事件の事後処理となれば、相当な手間を擁する事になるだろう。

 警備体制の洗い直し、被害のまとめ、朝廷と公家衆への事情説明と不安の打ち消し、あとの細々した事柄まで全て含めても、膨大な仕事量となる事は必至なはずだ。

 だが上様はこちらの予定は変えずに、このまま紀州入りする事を改めて宣言し、我らは何事も無かったかのように歩を進めた。


 ここで予定を変更しては、一条様にいらぬ疑念を抱かせる事にもなりかねないためだ。

 本人にはあくまで、本願寺顕如との会談の際に同席し、朝廷は信長を支持していると公言さえしてくれれば、あとは物見遊山の体で構わないと伝えてしまっている。

 一条様とて二万を超える軍勢が移動するほぼ中心に駕籠で移動していて、単なる「物見遊山」として済ませられるような考え無しではないが、それでも身の回りの世話役の同行とそれにかかる費用、その一切を織田家に任せられてさらに帰る際には報酬も用意されている、となれば否やは無かった。

 今回の本願寺顕如との会談には、それだけの下準備をしているというだけでも、上様が如何に本願寺との和睦・同盟に力を入れているかが分かる。

 裏を返せばそれだけ過去に本願寺に煮え湯を呑まされていた、という事でもあるのだから。


 上様にとっては武田や上杉の様な武家には無い、いわば『宗教』のみが持つ『信仰』という恐ろしさを実感させるに、本願寺は十分な存在であった、という事の何よりの証明だ。

 そして近い将来「デウスの教え」を相手取る上で、今の内に本願寺を味方につけておく必要がある、というのは確かに妙手ではあった。

 この交渉を成功させるか否かで、今後の織田家の取れる手段は大きく変わる。

 黒田官兵衛如きに、邪魔立てなどさせる訳にはいかない。

 報せが届いて以後、京・大坂を中心に黒田官兵衛一派を捜索させる人数はさらに増やすよう命じた。


 捜索人数を増やす一方で京・大坂とは連絡を密にし、毎日使者を馬で往復させて情報を持って来るよう、それ用の人員も確保した。

 使者は一日にあった事を夜中の内に書状にまとめさせた物を持って、日の出と共に京や大坂を発し、こちらからもそれによって減った人員を補うための人間を京・大坂へ送らせる。

 また京は大坂よりも遠いため、京を発した使者は大坂で馬を変えて、極力速度を維持するように努めよと厳命している。

 気休めかも知れなかったが、やらないよりはマシだろう。

 行軍しながらも矢継ぎ早に指示を出し、紀州行の軍勢はいよいよ目的地へと到達する。


 場所は紀伊国和歌浦弥勒寺山、山とは言っても小高い丘程度の場所である。

 ここに少し前まで本願寺顕如が滞在していたという鷺森別院(さぎのもりべついん)、通称雑賀御坊とも鷺森本願寺とも言われる寺院があった。

 佐々成政率いる先着した部隊は寺院の内外をつぶさに調べ上げ、警護を万全にした上で上様を迎え入れた。

 この辺りの仕事ぶりは元上様馬廻り、母衣衆出身の面目躍如という所であった。

 今日はここで一泊し、改めて明日本願寺顕如との会談に臨む。


 殿を務める森隊が到着すると、佐々隊は警護を引き継がせ休みを取る。

 夜中に佐々隊が警護を改めて引き継ぐまで、森隊はそのまま周辺の警護を続けた。

 ここ紀伊国は、すでに敵地にも等しい場所であるという認識を常に忘れずにいるためだ。

 夜中に急遽報告が入るような事も無く、次の日の朝は静かに明けた。

 梅雨らしい曇天の中、本願寺退去時以来二度と顔を会わせることはないと思った上様と本願寺顕如の二人が、ついに会談の場にその姿を現した。

出そうと思っていたのですがなかなか出せなかった細川ガラシャこと明智珠さんでした、物語の都合上外しちゃいけない人物でしたが、登場のタイミングが掴めずようやく今回登場となりました。

「珠」か「玉」かで悩みましたが、結局「珠」で統一いたしました。

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