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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その1

          信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その1




 徳川家康をはじめとする徳川家の軍勢は、無事に淡路島へと上陸した。

 大坂から淡路島への海域は九鬼嘉隆率いる九鬼水軍によって制海権を得ており、襲撃の可能性が著しく低い海域であったため、徳川軍はその全軍を遅滞無く淡路島へと移動させる事が出来た。

 淡路島の中心地、淡路洲本城の城主は仙石秀久という武将であり、かつては秀吉の命により四国へと渡り、四国を完全に手中に収めんとする長宗我部元親と一戦を交えた。

 だが結果は大敗、戦力を大幅に失い四国での拠点も奪われ、淡路島へと撤退を余儀なくされた。

 未だ四国の完全制覇が成っていないために、長宗我部は淡路島へと軍を向けてこないだけ、そのような状態で長宗我部の動向を指をくわえて見ている事しか出来ない、その状況に陰鬱な気持ちを抱えていた秀久の耳に信長再臨の報が届いた。


 常に敵対勢力に悩まされ、四面楚歌の窮地に何度も陥り、その度にその全ての苦難を突破してきた稀代の英雄を再び主君として仰げる喜びに、秀久は喜びに打ち震えた後、大坂にいる信長の耳に届けとばかりに自慢の大声で以て、淡路島から信長の名を叫び続けたほどだ。

 無論そんな事をすれば周りから気が触れたと勘違いされ、家臣領民から半ば力尽くで取り押さえられるという一幕もあった。

 そんな経緯もあってか、直接会った家康から信長の再臨の真実と、本能寺の後で信長がどのように過ごしていたかを聞かされた秀久は、聞き終わらない内から男泣きを始めた。

 自らの感情を隠す気が欠片も無い、喜怒哀楽のハッキリし過ぎている秀久に、家康は少々複雑な思いを抱いていた。

 自らの幼き頃の境遇は、喜怒哀楽をハッキリ出してはいつ殺されるか分からぬ人質の身分であった。


 それ故に長じた後も、家康は喜怒哀楽を極力己の内に抑え込んでいた。

 それこそが長生きの秘訣と、幼い頃からの教訓と信じて過ごしていたが、三方ヶ原の折にはあまりにも自らの感情を優先させてしまった結果、歴史的な大敗を喫する事となった。

 感情に任せるがままに振る舞い、そして後悔するような結末を迎えたのだ。

 家康はそれ以来、以前にも増して感情に振り回されぬよう己を戒め続けた。

 感情に振り回されて死ぬのが己だけならまだ良い、己の感情を持て余した結果が、命懸けで自分を護ってくれた家臣の犬死にでは、あまりにも不甲斐無く家臣にも申し訳が無いというものだ。


 それ故に家康は、昔からの自分を知る信長や一部の家臣を除き、それ以外の者達の前では表情に「喜」以外の感情を表さぬように努めている。

 そんな家康の前に陣取るは、今もむせび泣き続ける仙石秀久。

 大きな音を立てて鼻を噛み、涙をゴシゴシと拭き取ってようやく落ち着いた秀久に、家康は内心の呆れを欠片も顔に出さず「落ち着かれたかな?」と、優しく問いかけた。

 そんな家康の言葉に「はい、はいぃッ!」とまたも眼の端から涙をこぼしながら、秀久が必要以上に大きな声で返事をした。

 淡路洲本城の城主の間で、上座に家康、その正面に城主である仙石秀久、左右には徳川の重臣がズラリと並ぶこの場所で、秀久は家康に軍議そっちのけで信長再臨のあらましを聞いていた。


「んんッ! 仙石殿、殿からの話を聞かれて万感の想いを抱かれるのは詮無きこと、されどそろそろ軍議に入らせて頂いても、よろしゅうござるかな?」


 見かねた本多正信が声をかけると、秀久は「こ、これは忝い!」と、慌てて居住まいを正した。

 わざわざこれ見よがしな咳払いまでして話を変えさせた正信に、普段から彼をあまり快く思っていない面々も「こういう時は役に立つな」と、内心で感謝していた。

 家康をはじめとする徳川の重臣と、実際に長宗我部と戦い敗北を味わった仙石秀久は、四国の再上陸及び、長宗我部勢力の駆逐のための作戦を練らねばならなかった。

 だが仙石秀久がどうしても、と家康に懇願したため、家康は信長が本能寺で姿を消して以降どう過ごしていたかを、語る羽目になってしまっていた。

 家康は当初、秀久が信長に取り入るための材料を探すために、家康に信長の詳しい動向を聞こうとしているのだと思っていたが、話はそんな陰謀めいたものではなく、純粋に織田信長という主君が生きていた事への喜びから、ただ聞きたいだけなのだと後に分かった。


 ほんの数分で終わるものだと家康も周りの家臣もタカをくくっていたが、家康が話し始めると秀久はこと細かく信長の話を聞きたがり、気が付けば一刻近くもの間家康は喋り通しであった。

 眼を輝かせて家康の話を聞き入り、うんうんと大きく頷いたり眼を見開いて声を挙げる秀久は、まるで大きな子供のようであった。

 家康自身そこまで言い回しに自信がある訳でもなかったため、早々に話を終わらせたかったというのに秀久は質問を重ねて家康にさらに詳しい話をせがんだ。

 さらに信長の再臨により中央の情勢がどのように変化したのか、といった戦国に生きる大名らしい質問も重ねてきたため、家康としても無碍に話を打ち切る事が出来なかったのだ。

 後に分かった事だが、なまじ淡路島を離れて大坂に向かう訳にもいかず、さらに四国に再上陸する兵力も無く、完全に世の中から取り残されているような感覚を持ち始めていた秀久にとって、家康がもたらす情報は全てが新鮮で、刺激に満ちたこの上ない娯楽だったらしい。


「そ、それでは某が知る限りの長宗我部の情報に御座いますが…まず、彼奴等は四国の大半を手中に収め、その総兵力は二万を超えておりまする。 その上我らが後援する三好家の残党、毛利が後援する河野家などを徐々に圧迫し続け、このままでは四国の完全制覇も時間の問題、という有様にて……淡路から指をくわえて見ている事しか出来ませぬ我らは、いずれ叱責を受けて切腹という事になるやも、と戦々恐々として参りました。 しかしクロカン、いや黒田孝高殿が軍勢を率いて淡路に向かうまでは淡路を死守せよという報せを受けまして――」


「待たれよ」


 秀久の口から出た『黒田孝高』の名に、徳川の重臣の顔に一様に緊張が走る。

 そして秀久の言葉を遮る様に家康が片手を挙げ、有無を言わさぬ迫力で声を上げた。


「今、黒田孝高と申されたな? 仙石殿は黒田殿がどちらにおられるか、存じておられるのか?」


 家康が顔だけは柔和に、身体を少しだけ前のめりにして秀久に問いかけた。

 居並ぶ家臣の内、ごく自然に腰の刀に手を置いている者たちもいた。

 この後仙石秀久が口にする言葉によっては、瞬時にそれを抜き放つ為である。

 一瞬にして空気の質が変わった事を察した秀久が、眼をパチパチとさせながらキョロキョロと左右を見回す。

 彼は信長再臨に合わせて黒田官兵衛が姿を消し、また信長が黒田官兵衛を危険人物として見なし、急ぎ見つけ出すように、という命を出している事を知らず、また家康もそこまでは語っていなかった。


「我らは黒田殿と少々お話を致しとうござる、居場所を御存じなら是非ともお聞かせ願いたい」


「え、あ、徳川様もクロカンがどこにおるのか、ご存知ではないので?」


 その一言で、家康の柔和な顔に訝しげなしわが寄る。

 家臣たちも秀久が演技をしているのかと疑ったが、少なくともこの男はその様な腹芸が出来そうな人間ではない、と思い至ったのか殺気を徐々に散らせていった。

 家康も鼻から軽く息を吐いて、前のめりになっていた身体を起こした。


「いや失礼、黒田官兵衛孝高の事に付いては、まだ語っておりませんでしたな。 実はかの黒田孝高は我らと袂を分かった由、今後は敵として相対する事となりましょう」


「えええぇぇぇぇッ!! な、なんでそんな…いや、何故そのような事に?」


 家康が気持ちを落ち着かせながら言い放った言葉に、秀久の大声が重なる。

 秀久以外の者が一斉に顔をしかめながら耳を抑える中、秀久だけがあっけにとられたような顔をしている。

 これはまた説明が必要か、と内心肩を落としていた家康だが、まさか言わぬ訳にもいかぬと覚悟を決めて、家康は信長再臨後に黒田官兵衛が姿を消していると語った。

 さらに信長の三男・信孝を切腹に追い込んだり、織田家の重臣であった柴田勝家と信長の妹・お市の方を秀吉に討たせたりと、官兵衛が密かに暗躍していた事も合わせて語った。

 現在信長陣営に於いて、官兵衛は最重要危険人物として名を挙げられ、見つけ次第捕縛、それが叶わぬ場合討ち果たすように、というのが暗黙の了解となっている。


「あ、あの者はそんな事を……いくら上様に恨みがあるといっても…」


「恨み? 黒田孝高は織田殿に恨みを持っておったと?」


 秀久が忌々しそうに吐き捨てた言葉を拾い、家康は秀久に問いかけた。


「は、はい。 かつて荒木村重の謀反の折、説得に向かった際に捕えられ、音信不通となった為に上様に寝返りを疑われ、質となっていた嫡男を斬るように、と…その一件以来上様に対し、内心恨みを抱えておったと羽柴軍内ではもっぱらの噂に御座いまして…」


「……黒田孝高の嫡男が斬られた、という話は聞いた事がござらぬが?」


 秀久の言葉を聞いてしばし黙考した家康は、官兵衛には確か嫡子がいたと記憶していたため、己の記憶違いかと秀久にさらに質問を重ねた。


「ええ、竹中様のとっさの機転で命を救われておったのです。 それ故にクロカンの奴も、いつかは竹中様へのご恩返しとして竹中様の才を超える、とか何とか息巻いておったというのに…」


 秀久から聞いた言葉に、家康は考えを整理し始めた。

 黒田孝高はかつて自分が囚われている間に、信長に寝返りを疑われ人質である嫡男を失う所だった。

 それを当時はまだ存命だった竹中半兵衛重治にその命を救われ、自らが助け出された後に息子とは再会できたが、その命の恩人である竹中半兵衛には、ついに礼を言う事が出来ずに先立たれた。

 元々羽柴軍の軍師は竹中半兵衛が務めており、黒田官兵衛は副軍師という立ち位置であったという。

 それで二人を並び称して「両兵衛」と呼んだり、さらに黒田官兵衛は竹中半兵衛が亡くなったので、繰り上げで羽柴軍の軍師になった、と見る者も多いと秀久は語った。


「竹中様も某も元々は美濃国出身、羽柴様の旧臣は大半が尾張・美濃の出身で占められておりましたし、長浜の領地を頂いて以降は近江国出身も増えましたが、播磨国出身はクロカンを筆頭にどうしたって新参者でしたから、そりゃあやっぱり皆が渋々従っていた時期はありましたな。 それ故にクロカンは竹中様を超える才を示さねば、羽柴様の元で確固たる居場所が築けぬ、と思ったのでしょう」


 秀久の語った事は、あくまで仙石秀久の個人的な意見だ。

 だが家康はこの男の言葉は信に足る、というよりも的を射ている気もしていた。

 家康は黒田官兵衛孝高、という男と直接の面識はほとんど無い。

 信長再臨直前に、大坂で互いに顔合わせ程度はしておいたが、それでも人となりを知る機会というのは皆無に等しかった。

 だがその黒田官兵衛を知る上で、鍵となる言葉が秀久の言葉の中にはあった。


 『黒田官兵衛は、織田信長を恨んでいる』という点。

 さらに『竹中半兵衛重治』という人物との接点である。

 竹中半兵衛重治、とは家康も面識がある。

 織田家での年賀の挨拶や戦場で、幾度か顔を合わせた事もあり、人となりも多少は分かっている。

 冷静かつ理知的であるが持病を抱えている・槍働きよりも計略を用いる方が、その才を存分に活かせるであろうという、まさに『今孔明』の名に恥じぬ、そういった特徴を持った人物であった。


 信長からとっさの機転で黒田官兵衛の嫡男を救った手際は、並大抵の胆力ではない。

 もし信長に知られれば、背任行為として一族郎党打ち首、さらに羽柴家の屋台骨すら揺らいでいたかもしれぬ一大事件となっていた恐れすらある。

 それだけ信長は苛烈な処分を下しかねない人物であったし、実際に自らの娘をその子に嫁がせている、といった姻戚関係すらない人質を生かしておくなど、当時の感覚では珍しいものであった。

 ましてや主君から「斬れ」と命じられていた子を匿うなど、完全な背任行為のはずであった。

 おそらく黒田官兵衛は、生きていた息子と再会出来た瞬間、竹中半兵衛に対し生涯を通じて返し切れぬほどの恩義を感じた事だろう。


 しかしその竹中半兵衛は既にこの世を去り、礼を言う事も恩を返す機会も、永遠に失われたままとなった。

 そして亡き半兵衛に代わり、羽柴軍軍師としての地位を与えられた官兵衛は、恐らくこう思ったのではないか。

 『今孔明』の名を持ち続けて逝った男を超えるには、自分の主に天下を取らせる以外に道は無い、と。

 そして自分が仕える秀吉の上に立つ存在、信長がこの世を去ったというのならこれ以上の好機は無いだろう。

 どのような手段を使おうとも、それこそ信長の遺児すら殺そうとも、秀吉に天下を取らせ、自らの功績が竹中半兵衛を超える様に、その才を発揮しようとするのではないか。


 ましてや『嫡男の生死』に関わる一件で、官兵衛は半兵衛に恩を感じる一方で、信長に恨みを持った。

 ならば信長の血筋を絶やそう、とする行いは秀吉の天下統一を進める上で必要不可欠な通過儀礼であると同時に、自らの恨みを晴らす絶好の理由に成り得る。

 仙石秀久から聞いた話によって、家康はようやく黒田官兵衛孝高という男の実像に近づけた気がしていた。

 ある種それまで形を成していなかった影が、突然人の形を成してそこに存在するかのような実体感を得た気がしたのだ。

 いずれにしろ黒田官兵衛の動きや目的、その他の情報を得る上で決してはずせぬ存在が『竹中半兵衛』なのではないか、という結論に至った家康であったが、それを口には出さなかった。


 目の前のこの仙石秀久、という男は確かに腹芸が出来るような賢しい男ではない。

 喜怒哀楽をハッキリと表に出し、おおよそ人に隠し事が出来るような人間ではない。

 そういう意味では信用に値するが、別の意味で重要な機密を口を滑らせて漏らしてしまいそうな、そんな危うさも同居している、と家康は見た。

 そのためこの場では先程までに頭の中でまとめた『黒田官兵衛像』を披露せずに、後ほど自分の家臣達のみに明かそうと家康は心に決めた。

 それに何より、まず今やらねばならぬ事は四国の長宗我部対策である。


「少々話がずれ過ぎましたな……本題の四国に戻しますぞ」


「も、申し訳ございませぬ! 今はクロカンよりも長宗我部ですな! あ奴めは今度会った時に一発ぶん殴ってやりましょうぞ!」


 一発殴る、程度の話で済むはずがないんだが、と思いつつも家康は黙っておいた。

 良くも悪くも、仙石秀久という人物が分かってきた家康は、必要な時以外はこの男との関わりは限定的にしよう、と心に決めていたのである。




 相模国・小田原城の一室にて剃髪した姿の滝川一益が、下座から部屋にいる他の者たちに向けてどこか不敵な笑みを浮かべて座っている。

 対して上座、小田原城城主にして北条家五代目当主・北条氏直は隣に座る父、先代当主にして隠居の身でありながら尚、家中の権力を一手に握り続ける北条氏政の顔色を窺っていた。

 その氏政は不愉快・不機嫌という事を隠しもせず、苦々しい顔をしながらその手に持つ書状に目を通している。

 再臨した信長より送られた書状には『北条氏政・氏直親子は即時上洛して信長に対し臣下の礼を取り、先年の無礼を詫びれば相模一国を安堵とし、当主・氏直を含む北条一族の子らを質として大坂へ送れば、それ以上の罪には問わない』とあった。

 本来であれば問答無用で攻め滅ぼす所を、北条氏直の妻・督姫は徳川家康の娘であるため、家康の顔を立ててこの処分で勘弁してやる、という一文までしっかり入っている書状に、氏直は歯噛みしながら書状を握り潰さずに目を通し切った。


 読み終わるなりまるで投げ捨てる様に隣に座る氏直にその書状を渡し、渡された氏直は慌ててそれを受け取って父に倣って書状に目を通し始める。

 上座から殺意の籠もった苦々しい顔で睨み付ける氏政と、下座から不敵で挑発的な笑みを浮かべる一益では、どちらの立場が果たして上なのか。

 その場には氏政の弟である氏照、氏邦、氏規、さらには北条家初代当主、いわゆる『後北条家』の始祖である北条早雲の末子、北条家の長老として名高い北条幻庵などが中座に座している。

 その中でも幻庵以外の三人はあるいは苦々しく、あるいは額に脂汗をかき、あるいは落ち着きなく膝の上で指を動かして氏直が書状を読み終わるのを待っている。

 再臨した織田信長から使者が寄越された、という事で北条家は一族の中心人物たちに非常招集をかけたのである。


 未だ実権を握り続ける先代当主とその弟たち、そして当代の当主・氏直と北条家五代に仕え、その姿を見続けてきた長老という、まさに関東に一大勢力を築く北条家の中枢を担う人物がここに集結していた。

 そんな中で一番上座に近い位置に座る北条幻庵だけが、ただ一人何も言わず、何も見ずに瞑目したまま微動だにしていなかった。

 やがて氏直が書状を読み終わり、軽く息を吐いた。

 それを見て滝川一益は口元の笑みをより一層深くして、対する氏直のこめかみには青筋が浮かんだ。

 既に室内には一触即発の空気すら漂い始めているが、一益とて歴戦の古強者であり、この程度の空気など笑って受け流せるだけの胆力は備えていた。


「その書状にある通り、上様は先年の本能寺の一件直後の北条家の動向について、いたくご立腹の由にござる。 本来であれば志を同じくする徳川様、上杉殿らと力を合わせ、また関東諸勢力に大号令をかけて、この機に北条家を一気に潰してしまおうとお考えにござった。 されど北条家現当主・氏直殿は、上様の無二の御親友、徳川様の娘御を妻に迎えておるとの由。 故に上様は北条家にお情けをかけて下さると申された、このお情けにすがるか……それとも無謀を承知で突っぱねるかのご返答を頂きたい」


 一益はあえて声に情感をたっぷりと染み込ませて語った。

 聞いた者の神経を必要以上に逆撫でするようなその声音は、落ち着きなく視線を彷徨わせていた氏照たちですらも、思わず歯噛みせずにはいられなかった。

 無論初めから不機嫌さを隠そうともしていなかった氏政などは、いつ腰の刀に手が伸びてもおかしくない程に怒りで身体を震わせていた。

 若い氏直も顔をしかめてはいたが、それでも隣の父が激昂直前まで怒りを表しているせいか、かえって氏直自身は冷静になれていた。

 そしてそのような状況になっても、未だ幻庵だけが何の反応も見せずに置物の様にただじっとそこに佇んでいる。


「ではご返答を。 拙者のしわっ首を上様に送り付け、来年の正月を待たずして北条家滅亡の憂き目を見るも良し、大坂へ出向いて上様に頭を垂れてお家存続を乞い願うも良し。 お好きな方を選びなされ」


 下座に居ながらにして、見下す様な眼でそう言い放つ一益に、いよいよ氏政が立ち上がり、その手が腰の刀に伸びようとしていた。

 さすがに隣の氏直は止めようとはしたが、それより早く氏政が上座から降りながらその刀の鯉口を切った。


「父上、お待ち下され!」


「止めよ、新九郎」


 切羽詰まった氏直の声と、重々しく響き渡る幻庵の声が同時にその部屋に響いた。

 一益は覚悟を決めて拳を握ったが、幻庵の声が響いた次の瞬間にはピクリと顔の筋肉を動かした。

 それまで全く何の反応も示さなかった幻庵が、突如氏政を制止する声を放ったため、当の氏政だけでなく、その弟たち三人も同時に幻庵に視線を向けた。

 今まで寝ていたのではないか、とすら思えるほど動かなかった幻庵が眼を見開き、身体ごと一益に向き直ってそのしわだらけの顔を正面から一益に向けた。

 一説には天正十二年当時で、既に齢は九十を超えているとすら言われる幻庵の眼は、老いぼれた年寄りの濁ったそれではなく、未だ聡明な知性と思慮深さを感じさせる爛々としたものだった。


「滝川殿、この件は我が北条の行く末に関する非常に重大な案件にござれば、今この場にて即時返答は致しかねまする。 願わくば今少しばかりのご猶予を頂きたい」


 その眼の奥の輝きからは想像も出来ぬほど、穏やかで静かな声音、さらに流麗な作法に則った所作で頭を下げた幻庵に、一益は内心舌を巻く。

 まさに「老練」「老獪」という言葉が、これほど似合う人物も他にあるまい、と心から思った。

 一益は先年の本能寺の一件直後に、危うく北条の軍勢によって討ち取られかけたという経緯がある。

 そして命からがら清州まで辿り着いた時には、すでに秀吉主導で『清州会議』は結論が出され、さらに柴田勝家らと同盟を組んで羽柴秀吉に対抗して敗北、以降は一挙に落ちぶれ、齢も六十を数えていよいよ哀れな晩年を過ごす事になる所であった。

 そこへ降って湧いた信長の再臨に、一益はこれぞ御仏のご加護か、と喜び勇んで信長に謁見、最初に任された仕事は、北条家へ使者として出向け、というものであった。


 それだけで一益も信長が関東を手中に収めるための最初の一手を、自分に任せてくれたのだと悟った。

 自らの再起を図る上でも、一益にとって関東は決して無視出来ぬ土地である。

 信長の名代として上野国に入り、関東管領を名乗って関東から奥羽までの東国全てにその影響を及ぼす立場であったはずの滝川一益は、本能寺の一件でそれまでの青写真が一気に瓦解したのである。

 さらに秀吉に敗北して以降石高は激減、今では戦力と言えるだけの兵を用意する事もままならない。

 だからこそ、信長から与えられた今回の命令は、一益にとって失地回復の好機であった。


 今回の北条との交渉において、北条が信長に降る事が明らかとなれば、北条から召し上げた領地は基本的に一益に与えられる事になっている。

 武蔵国全土、上野国・下総国なども半国以上は召し上げとなれば、実質関東に二ヵ国を手に入れるに等しい。

 ちなみに伊豆半島の伊豆国は、四国での長宗我部征伐が終わり次第徳川家へ編入される事が信長の中では決まっており、一益もそれに対して異論は唱えなかった。

 そしてもし北条が信長に従う事を良しとせず、敵対となれば北条を潰した後に相模国一国も一益の領国として加増してやる、と信長は伝えた。

 だがもしこの交渉の席で一益が斬られたりなどした場合は、一益の息子たちが滝川家の家督を継いで関東支配を任されるという事になっている。


 一益にとってみれば、己が生きたままで関東に二ヵ国を任されるか、己が死しても滝川家は関東に三ヶ国を手に入れるか、といったものである。

 つまり己の命の価値は一国に値する、と信長は言ってくれたのだ。

 相模国は海にも面しており、かつては世界最初の武家政権『鎌倉幕府』が置かれた地でもある。

 そのような武士にとっては並々ならぬ意味を持つ国に値すると、信長は言ってくれたのだと一益は理解した。

 肌が粟立つほどの興奮を覚えた一益は、信長に「お役目しかと!」と、鼻息を荒くして平伏した。


 そうして一益はかつての溜飲を下げつつ、自らの家の再興のため、北条に対して過剰なほど煽るような言動でもって氏政を挑発した。

 そうして思惑通りに氏政が一益を斬ろうと迫った来たため、あと何年生きれるかも分からぬ自らの命が、国一つに代わるのならばこれほど子孫に誇れる事も無い、と覚悟を決めた。

 だがその覚悟に待ったをかけた人物がいた。

 北条家の長老、北条幻庵であった。

 部屋にいる者たち全員が北条幻庵を注視し、その後で一益を見た。


「少しばかりの猶予、というのはいかほどですかな?」


「なぁに、そこまでお待たせは致しませぬ。 長くて十日、という所にございましょう。 それまでは箱根の湯にでも浸かりながら、ごゆるりと過ごされませ」


「十日は長すぎますな、せめて三日で結論を出して頂きたい」


「であればせめて五日に。 この小田原には箱根の湯もあれば山海の珍味も揃ってござる、この年寄りが責任を以てご歓待申し上げる故、これこの通り」


 一見穏やかなやり取りの中でも、一益も幻庵もその眼にわずかの油断も笑みも無い。

 一益は「時間稼ぎか、それともわしの暗殺が狙いか?」と猜疑の目を向け、幻庵はその眼に感情の欠片も浮かべず、真意を読ませようとはしない。

 幻庵の風体は完全な老人のそれであるというのに、ましてや一益も歴戦の古強者であるにも拘らず、幻庵に底知れぬ恐怖を抱いた。

 弓矢を用いる戦場で相対するのならばともかく、このような場でこの老人とやり合うのは危険だ、と一益の直観が告げている。

 こと政や外交といった場こそ、この北条幻庵が最も得意とする戦場であると、一益は遅ればせながら気付いたのである。


「しからば馳走になりましょう。 わしもかれこれ齢六十となり、些か身体のあちこちが痛むようになりましてな、湯にでも浸かれば幾分楽になるやもしれませぬし、五日まではお待ち致しましょう」


「おお、忝い…それならばわしもよく浸かる湯へ案内致しましょうぞ、腰の痛みによく効く湯でしてな」


「それは重畳、ぜひお願い致そう」


 一益は先程とは違い、にこやかな笑みを浮かべて幻庵の提案に乗った。

 幻庵も穏やかな声音はそのままに、一益を気遣うような言葉を返し、それまでの剣呑な空気を一気に晴らしてゆく。

 立ち上がり刀を抜きかけた氏政を、まるでそこにいないかのように振る舞う二人の態度に、氏政は顔を真っ赤にしながらドスドスと足音を立て、部屋を出て行った。

 残った氏政の三人の弟たちは、兄を追いかける訳にも会話に入る訳にもいかず、その場に居ながらにして身の置き所を失い、沈黙していた。

 無論それは氏直も同じであったが、彼はとりあえず使者をいきなり叩き切った、などという事が目の前で行われずにいた事にホッと胸を撫で下ろしていた。


(このジジイめ、何を企んでおるのかは知らぬが、既に北条は王手で詰みよ。 今更起死回生の一手など打たせぬぞ、たとえこのわしを殺そうともな)


(ふん、わしの真意が読めぬでこちらの意見に乗るフリ、か……こちらとて打てる手は限られておる以上無理はせぬよ…精々悩め左近将監、わしは貴様に目に見える方法で危害等は加えぬで。 盛られもせぬ毒や、送られもせぬ刺客、仕掛けもされておらぬ罠を警戒して、勝手に神経をすり減らすが良い)


 表面上はあくまでにこやかに、腹では互いに思惑を抱えつつ、一益と幻庵を中心とした北条家との交渉の一日目は、こうして幕を閉じた。

 幻庵はこの日の内に北条家の忍び、風魔の一族に滝川一益は監視のみを徹底させ、一切の危害を加えぬよう命令を下した。

 一益とて風魔の忍びによる監視の目がそこかしこから感じられるだけの技量はあったが、監視されるのは敵地にいる以上当然と言えば当然であるため気にも留めないが、いつその「監視」が「暗殺」に変わるか分からぬ、という意味では完全に気を抜ける瞬間というものは決して訪れない。

 いくら殺される覚悟をしている一益といえど、やはり全く気にせず過ごすという事は不可能であり、湯に浸かる時や飯を食う時、さらには厠に行く時や眠る時ですらも、やはり警戒を解く事は出来なかった。


 結局幻庵が言った五日の期限ギリギリになるまで、一益は神経をすり減らす事となった。

 それが一益の行なった過度な挑発に対する、幻庵からの意趣返しであることを、最期まで一益は読み切る事が出来なかったのであった。

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