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信長続生記  作者: TY1981
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信長続生記 巻の一 「本能寺の乱」 その6

         信長続生記 巻の一 「本能寺の乱」 その6




 信長からの命令を受けた弥助は、一路妙覚寺を目指していたつもりだった。

 しかし彼にとって、というより信長にとって最大の誤算は、弥助は夜明け前の暗闇の中では、どちらにどれほど進めば妙覚寺があるのか、ということが分からなかった事である。

 あの場では言われた命令を承服して駆け出したが、そもそも弥助にとっては普段から信長の進む先に追従して行くだけだった所を、いきなり暗闇の中で完全に地理などを把握していない場所に、一刻も早くたどり着けという命令だったのだ。

 道の所々に灯りのある時代でもない、完全な夜の闇の中、その闇に同化するような肌の色をした男は、京の町をさまよい歩くことになった。


「ダレモイナイ、ミチキケナイ」


 不安と焦燥から、弥助は道の真ん中で途方にくれた。

 そんな折、道の向こうに灯りが見えた。

 暗闇の中に見えたその灯りに、引き寄せられるように近づく弥助。

 どうやら松明か何かの明かりらしい、となればそこに人がいるはずだ。

 そしてある程度まで近づいたその時、弥助は自らの軽率さを呪った。


「アァッ!」


 松明を掲げて歩いてくるのは、明智軍の一部隊だった。

 慌てて踵を返すも、向こうも声を上げた弥助に気付き「待て!」と追いかけてきた。

 なまじ彼はその存在を知られていたため、闇と同じ肌をした信長の近習が、こんな所をうろうろしているという状況に、その部隊の足軽たちは彼の捕縛を決めた。

 幸いにして彼の肌の色は闇に同化している。

 必死に足軽たちからの追手を振り切った弥助ではあったが、今度は完全に道に迷ってしまった。


「ドウシマショウ、ウエサマ」


 武器も無く、地理も分からず、命令を仰ぐべき主君もそばにはいない。

 この国に連れてこられ、なぜかすごい偉い人に気に入られて、そのそばで奴隷とは思えない待遇でお世話になっていた人の、危機だというのに何もできない自分。

 妙覚寺もどこにあるのか分からないが、それ以上に自分のいる場所もどこか分からない。

 路地の一角に隠れ潜めば、この闇の中で自分に気付ける者はまずいない。

 だがこの路地を一歩外に出れば、明智軍と鉢合わせをするかもしれない。


 不安と恐怖、焦りと申し訳なさ、それらがないまぜになって呼吸が荒い。

 全力疾走で振り切ったが、その時に乱れた息が、一向に整えられない。

 もはや涙すら浮かべた弥助ではあったが、その脳裏には信長との出会いからの日々が思い起こされた。

 当時の日本人の平均から見れば、圧倒的な巨躯だった弥助。

 それに持って生まれた身体能力もあって、信長は弥助を称賛してくれた。


「膂力もあり、駆ければ馬に近く、図体もある。 つくづく面白い奴よの、弥助」


 その時、上機嫌だった信長は弥助の身体能力を間近で見て、そう褒めてくれたのだ。

 元来争いごとを好まぬ性格で、戦ばかりをしている男のすぐそばに仕える、という事に不安があった弥助ではあったが、予想外に信長自身が戦ったりはせず、ただその側で雑事をこなすだけで良かった。

 食事もしっかりともらい、清潔に過ごせて、奴隷船にいた頃に比べて天国のような生活だった。

 その全てを与えてくれた男が、今まさに部下の一人の反乱によって殺されるかもしれない。

 未だ息は整わない、だがこれ以上隠れ続ける訳にもいかない。


「イクシカ、ナインダ!」


 こうなったら京都の町中にある寺という寺全てを訪ねてみよう。

 暗闇とはいえ、寺の建物の輪郭が見えるくらいには目が慣れてきている。

 もし明智軍に見つかったら、走って逃げれば良い。

 自分はこの国の誰より速い、見つかっても逃げ切れる。

 意を決して路地から出ようとした弥助は、少し先の地域が明るくなっているのが見えた。


 本能寺が、燃えていたのだ。

 弥助のいた路地からは、ちょうど本能寺が見える場所だった。

 その炎の明かりに照らされて、高く掲げられた桔梗紋まで見えた。


「ソンナ、ウエサマ…」


 路地に佇んだまま、弥助は呆然とその光景を見ていた。

 目から自然と涙が溢れ、膝から崩れ落ちて両手を地に付く。

 自分がもたもたしている間に、明智軍によって本能寺は攻め落とされたのだ。

 ふがいなさと申し訳なさが心を締め付ける。

 思わず声を上げて泣く弥助の耳に、予期せぬ声が届いた。


「そんな所で何をしておる、弥助」


 声に驚き顔を上げ、路地の入口には明智軍の兵士と思わしき足軽が6人。

 とっさに敵に見つかったと身構える弥助ではあったが、しかしさっきの声は、と混乱する弥助にその足軽の一人が陣笠を持ち上げて、その顔を露わにする。


「泣く暇があったら動け、我らは急いでおる。置いていくぞ」


 そう言った声の主は、髭も剃り、恰好も足軽の物だが、まぎれもなく信長であった。

 気が付けば周りが少しずつ明るくなっていっている。

 夜が明けて、路地の入口に立つ信長を、まるで救世主か何かのように見えた弥助が思わず「ウエサマッ!」と大声で言いかけて、そばまで来ていた蘭丸に「シッ!」と窘められる。

 慌てて口元を抑える弥助に、信長は周囲を警戒しながら問いかける。


「何故そなたがこのような所におる、妙覚寺へは着けたか?」


「ジ、ジツハテキニミツカリマシタ…ミョウカクジヘハ、マダ、ツケマセヌ」


 涙をそのままに、さらに申し訳無さに泣きそうになる弥助。

 小さく舌打ちした信長だったが、この場にこれ以上留まるのも危険だ。

 甲賀忍者二人とフクロウも周囲を警戒しているが、今の所こちらに明智軍の姿は見えない。

 末端の兵士たちとはいえ、キチンと命令が行き届いている場合、どの命令にも属さない行動をしている兵は、どうしても目立ってしまう。

 ならば今の内にさらに本能寺から離れるべきだろう。


「信忠の事はあやつ自身の才覚に任せる、まずは我らの身を隠すぞ」


 決断した信長の動きは早い。

 織田軍の兵士たちが宿として使う、本能寺からほど近い場所は全て避け、郊外のさびれた宿の二階部屋を全て、といっても3部屋しかなかったが、を貸し切ってまずはそこに腰を落ち着けた。

 格好は未だ明智軍の兵士たちのものであり、宿の者には「本能寺から価値のありそうなお宝をこっそり盗んで来たので、ほとぼりが冷めるまでここに身を隠していたい」という理由をでっち上げ、懐に余裕があるので飯を豪勢にするよう伝え、その分しっかりと鼻薬を嗅がせておくことも忘れない。


 既に京都の町衆には、本能寺を中心に明智軍が各所に兵を配置していることは知られており、その目的までは知らなくとも、とりあえず本能寺で焼き討ちのようなことがあった、という認識のようだ。

 口さがの無い京スズメ、などと言われるだけあって京都の町衆の情報伝達能力は恐ろしいものであった。

 グズグズしていると、自分たちの情報もいつ漏れるか分かったものではない。

 とりあえず見た目からして目立つ弥助は、あえて帰蝶と一番離れた所に立たせて注目をそちらに向けさせて、女である帰蝶が足軽に扮装していることをごまかす。

 その一方で弥助は信長の近習として京の町衆にもその存在を知られていたので、明智軍の足軽と行動を共にしているのは、明智軍に金で釣られて寝返りついでにお宝を拝借した、という口裏を合わせている。


 もちろん弥助は嫌そうな顔で「ワタシ、ソンナコトシナイ」と抗議したが、一旦そういう事にしておけという信長の命令に、落ち込みながら承諾した。

 部屋に腰を落ち着けた後で、帰蝶から早速着替えたいという申し出があった。

 いつまでも男物、しかも薄汚れた足軽の服装に身を包んでいるのは、耐え難いものがあったらしい。

 とりあえずは顔が知られ過ぎている信長は部屋でも覆面を、他にも整いすぎてこれまた目立つ容貌の蘭丸も覆面を、帰蝶に至ってはむしろを纏って寝たふりをするという、なんとも哀しい状態になっている。


「どんな理由があろうとも、光秀を許しはしませぬ」


 むしろの中から、殺気のこもった声が響いて部屋の空気を重くする。

 甲賀忍者の二人はその空気から逃げるように、何食わぬ顔で外に出て衣装その他を調達しに行った。

 半刻ほど後、帰ってきた二人の手には人数分の着替えが用意され、帰蝶がさっさと別の部屋に移動して着替え始め、甲賀組三人と弥助が一部屋、そして信長と蘭丸で一部屋に分かれて着替えた。

 服装はごく一般的な旅装、このままいつ旅に出ても良いような格好だが、今すぐ出発とはいかない。


「まずは情報を集めよ、今日の今日ではさすがに身動きは取れぬ。 明智と信忠、それと京の町中の様子、『隠れ軍監』を総動員して構わぬ、急ぎ集めて報せぃ」


 信長の命令に甲賀忍者の一人とフクロウがすぐさま飛び出していく。

 フクロウの援軍に来た甲賀の二人は傷を負った方が木猿、そうでない方が犬助、という名らしい。

 ちなみに木猿の怪我はすでに止血も済み、治療も終えていたが今日の所は大事を取って、一部屋使って養生に努めることにした。

 そして他の人間は宿に残る、というよりもこの信長一行は目立つ人間が多すぎる。

 言わずと知れた織田信長本人に、その美貌の小姓・森蘭丸、齢を重ねても尚美しい正室・帰蝶に元黒人奴隷の弥助といった、日ノ本のどこに行ってもこれほど目立つ取り合わせは無いだろう。


 そうした結果、信長をはじめとする四人は宿から一歩も出れずに、旅人の格好をして顔に覆面をしたまま、道を歩く者たちを窓から覗き見るくらいしか出来なくなる。

 念のため真ん中の部屋である階段に一番近い部屋に弥助が潜み、階段から上がってくる者を警戒、残った一部屋で蘭丸が外を見張り、疲れ切っていたらしく帰蝶は横になる。

 当の信長は眠る帰蝶の横に静かに座り込んで、これまでの状況の整理に入った。

 まず自分が置かれた状況、本能寺を光秀に強襲されたが、何とか逃げ延び今ここにいる。

 光秀は自分を討ち果たした、と思っているかは不明、また信忠の安否も不明。


 弥助が辿り着けなかったのは、自分にも落ち度があっただろう。

 せめてあの場できちんと道を教えてやっておけば、と思ったがあの状況でその余裕はない。

 とにかくすべては終わった事だ、まずこれからどうするかを考える。

 信忠が生きていると仮定しても、まずは京の町をどう出るか。

 光秀が自分が死んでいると思えば脱出はそう難しくないだろうが、問題は自分が死んでいないと分かってしまった場合だ。


 その場合は非常に厄介なことになる。

 なにせこっちにはあの弥助がいる、目立つことこの上ない弥助が。

 本来目立つことは大好きな信長ではあったが、いくらなんでも時と場合がある。

 最悪弥助をあえて光秀に投降させて、嘘の情報を流させ混乱させる、といった事も考えておく。

 その場合弥助の命は見捨てるも同然になるが、あくまで最悪の場合の一つとして考慮しておく。


 他にも信忠に自分の生存をどうやって伝えるか。

 信忠は若い、下手に血気に逸って弔い合戦などを望めば、返り討ちにされるだろう、

 だが自分が生きていると知れば、弔い合戦とは思わずにまずは状況の立て直しを図るだろう。

 他にも各方面軍、とそれぞれの敵対大名家たちだが、とりあえず明智と懇意にしているのは四国の長宗我部家だけであり、あとの上杉・毛利・北条などはすぐにも連携、とは行かぬはず。

 まずは様子見に転じるか、一気呵成にそれぞれに対する方面軍に攻めかかるか。


 各戦線は後退するか、持ち堪えるか、どちらにしろ厳しい戦いになるだろう。

 信長の死を機に和睦、もあり得るだろうし、その場合を選んだ戦線はいち早く明智へ弔い合戦を行う準備を整えられるだろう。

 そして各方面軍の中でも最も近い位置にいる四国遠征軍。

 大将の信孝は自分の三男であり、副将の丹羽長秀も最古参の武将の一人だ。

 日付を考えればまだ四国渡海前のはずであり、今現在最も友軍として期待できる位置にいる。


 だがそれと同時に四国遠征軍はそのすぐ近くに紀伊、すなわち紀州の雑賀衆や、大阪から立ち退いた旧石山本願寺勢力がくすぶっている土地がある。

 それらが信長の死を知ったらどうなるか、ここぞとばかりに新たな敵対勢力として復活し、四国遠征軍はその役割を紀州鎮圧軍に変更しかねない。

 あらゆる可能性を探る上で、最も恐ろしい可能性が信忠が家督を譲られたにも拘らず、実権を自分が握り続けている現状に不満を抱き、父である自分を葬ろうとした場合。

 可能性は低いだろうが、あり得ないと断言することが出来ないのが戦国の世、というものだ。

 なんにしろ情報が少なすぎるし、そもそも情報収集に出た甲賀がまだ戻ってこない。


 とにかく情報である、戦にしろ政にしろ、情報はそれらを左右する最重要事項である、というのが信長の持論だが、これは実は当時としては浸透している考えではなかった。

 もちろん情報は重要だが、戦はその時と場合によるので、やってみなければわからない、という場当たり的な考えが当時の武将としては、ごく一般的で当たり前の感覚だったのだ。

 無論上に立つ者全てがその感覚ではなく、例えば武田信玄などは「集めた情報によって戦術を考え出し、戦う前に勝敗を決める、戦などはその結果の確認だ」とまで豪語したという。

 信長は運ばれてきた食事をすぐさま平らげ、もたらされた情報がどういうものかによって、どう動くかを頭の中で想定して決めていく作業に入った。

 そして甲賀二人が出てから半刻ほど、フクロウ一人だけが戻ってきた。


「上様、一大事にございます! 妙覚寺から二条御所へ移られた信忠様でしたが、明智軍に攻められ二条御所は陥落、信忠様ご自害のよし!」


 小声の報告でも、外を見張っていた蘭丸にも聞こえたらしい。

 眼を見開き思わず振り向いた蘭丸が見たものは、険しい顔に悲しみと怒りを同時に映した信長の姿であった。

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