グレイス•イーリス
現れた黒い小太刀を慎重に掴む。空中に漂う刀を。
握った感触は特に変わったところのない小太刀だ。ナイフよりはずいぶん大きいが、普通の剣や刀と比べると少し小さい気がする。
軽くひっかくくらいの気持ちで試しに壁に刃先を当ててみる。すると、砂でも斬るかのように何の抵抗を感じる事なく壁に切れ目を入れることができた。
根拠はないが、この刀に切れない物はこの星には存在しないのではないかと思わせられる。
だがあの本に記載されていた情報を信じるなら、異常な切れ味さえも、このイーリスにとってはおまけのような力なのだろう。
あらゆる世界に存在するあらゆる物を作り出すという能力を本当に有しているなら。
仮にその能力が誇張されたものだったとしても、規格外の物を手に入れたことに違いない。俺は胸が高鳴るのを感じた。
と、そこまで考えた所で、
(どうやって作り出すんだ?)
という疑問が浮かんだ。
刀自体はそれらしきギミックを有しているようには見えない。書斎の他の本を物色してみたが、各魔法の専門書や魔術師向けの自己啓発本のような物ばかりで、グレイス・イーリスについて詳しく書かれていそうな本は見あたらなかった。
まあ、実在が疑問視されているような武器なのだから当然かもしれないが。
何か手がかりになりそうな物はないだろうか……。そう思っていると地下室の存在が浮かんだ。
あそこなら、別の手がかりがあるかもしれない。シビル以外は入ることが出来ない秘密の場所。
俺がこの世界に呼び出された場所でもある
書斎を出て地下室へと向かう。
そう言えば俺を呼びだした時、シビルだけではなくもう一人男がいた。あの男はいま何処にいるのだろう? 結局あれ以降一度も姿を見ていない。
そんな事を考えながらたどり着いた地下室は、頑強な扉によりシビル以外の入室を拒んでいた。
イーリスで扉を切り裂き侵入する。
書斎から持ってきたランプを付け地下室への階段を一段一段降りていく。
地下室を訪れたのは正解だった。
6年ぶりに地下室にたどり着いた事で、程度がどうあれイーリスの力が本物である事を俺は確信した。
「懐かしい……」
頼りないランプの光りが照らしだした地下室には、幼き頃の記憶に残る地球の品々がいくつも並んでいた。
「バイクにペットボトルにギター……ベース?」
見覚えのあるそれらに触れると、ずっと帰りたくて、それでも帰れなかった故郷に帰えれた様な感覚に襲われ、少し、涙が出そうになる。
その中で異質な物を見つける。テレビなどでは何度も見たが、本物に触れたことはない物。
「これは、拳銃か……こんな物まであるのか」
手に取ってみる。それは小さい頃遊んでいた子供用のおもちゃの銃とは質感がまるで違った。
(銃があったなら使えばよかったのに。まあくたばってくれて有り難いが)
何か使えない理由があったのだろうか。弾が見あたらないからそのせいだろうか。
それとも非常に精巧に作られているだけで、これもおもちゃの銃なのだろうか?
左手で握っている銃をじっと見つめる。が、銃が本物なのか大人用のおもちゃなのかを見極める目を俺は持っていない。
(とりあえず銃や地球の物の事は一時保留して、イーリスを使いこなす参考になるようなものはないかな)
そう思いながら地下室を物色すると、シビルが書き残したとおぼしき紙の束が見つかった。
そう、こういうのを探していた。
イーリスの使いこなし方などが書き残されている事を期待したが、しかしそこには俺が期待していたような事は書かれていなかった。
大量の紙の束には、ペットボトルや拳銃などが描かれた絵と、それに付随して意味の分からない数字の羅列や文字の羅列ばかりで参考になりそうな事は書かれていなかった。
文字や数字の羅列とは、
らか合ぐマ経すとて辞浅ま杖(中略)688295682944639753452457584729586。
こういった感じの意味不明な文字の羅列が、異世界の言語で書き殴られていた。少し怖い。
唯一文章として成立していたのは、
【本当にあれが始まった。これからは作る頻度を落とさなければ】という紙の隅っこの方に書かれていた一文。他にはそういった文章は見あたらなかった。まあ膨大な量の紙の束なので全てを確認した訳ではないが。
とりあえず、紙の束を机の上に置く。
地下室を見回す。
今のところはあの辞典に書かれていた【空間を斬り、グレイス・イーリスへと向かう】という記述のみが頼りか。それを頼りにこの小太刀の力を掌握していく事になるか。
試しに何もない空間を向けて小太刀で横一文字に斬ってみる。
刀を振ると、驚くほどあっさりと空間に切れ目のような物が出来た。昔やったゲームで、刀の斬撃を敵に飛ばす演出があったがあれに似ているかもしれない。
(普通に出来たな……)
円を描くようにぐるっと斬ると、切れ目はブラックホールのような物になった。そのブラックホールは黒く塗りつぶされていて向こう側が見えない。
このブラックホールに侵入しなければいけないのか……?
【空間を斬り、グレイス・イーリスへと向かう】と言うからには入らないと行けないのだろうが、ブラックホールのような雰囲気に足踏みさせられる。
実験代わりに手近な本をブラックホールに投げ込んでみる。
「ん、駄目か」
本は 壁にでもぶち当たったかのようにブラックホールに弾かれ、床に落ちた。
本だから駄目なのかそれとも根本的に何かが間違っているのか。
別のものを投げ込んでみる。結果は変わらなかった。仕方がないので最後は自分の小指で慎重にブラックホールに触れてみたが、投げ込んだ本同様、壁のようなものに拒まれた。
(この方法では侵入出来ないのだろうか)
多少気落ちする。思いつく案は全て試してしまった。まあいい。案が思いつかないなら情報を集めるまでだ。
そう思い再び地下室を色々と観察し、物色した。そうしていくと暗い地下室内のためそれまで気づかなかったが、床が異様に傷ついている事に気づいた。
それも普通の傷ではない。刃物など跳ね返しそうな素材で作られているこの地下室の床に、刃物が突き刺さった後が数え切れないほどあった。
(これは……イーリスで突き刺した後か)
俺はそう判断する。普通の刀剣でこの材質を貫くのは無理だ。
あの男に刃物で地下室の床を刺す性癖でもないかぎり、これは意味ある行動の結果だろう。屋敷内では他にこんな傷を付けられた床は見たことがない。
俺はイーリスを取り出し床に突き刺してみる。鍔がストッパーとなる所までざっくりと。すると、
「当たりか」
自然と笑みがこぼれる。
突き刺した地点を中心に、光りが発せられる。そして床に扉のような物が作られていく。イーリスを引き抜き離れて見ていると、扉は少しずつ大きくなり、やがてそれは普通の人間が使うような大きさにまでなり、そこで止まった。
試しに手近な物を放り込んでみる。ブラックホールの時とは違い、扉はそれを受け入れた。
恐らくこれがグレイス・イーリスへの扉というやつなのだろう。
小太刀を少しずつ自分の物にしている実感がわき、胸が高鳴った。
この扉をくぐればあらゆる世界のあらゆる物を作り出すことが出来るというグレイス・イーリスの力を掌握する事が出来るのだろうか?
期待と不安を抱えながらイーリスが作ったその扉に侵入した。