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レイギス

 少女に向けて突き出した抗魔石は、彼女の背中を貫こうと無防備な背中に迫る。そして、後ほんの少しという所で空気の壁のような物に阻まれる。それが何かは分かっている。魔力の鎧だ。それを貫くためにわざわざ抗魔石なんて物を持ち出してきたのだ。

 しかし、抗魔石は砕けた。

 突き出した抗魔石は貫くどころかその形状すら保てず、バラバラに砕けた。


 あり得ない。

 呆然とする俺に対し、少女は足を止め、振り返り始める。

 まずい、と思った瞬間には、全てが終わっていた。少女の朱色の腕輪が光を放つと同時に、周囲からいくつもの鎖が槍のように迫ってくる。数瞬前までは鎖など存在していなかった空間から、である。


 抗魔石が砕けてから一秒も立っていないだろうに、彼女はまだ振り返りきってすらいないというのに、俺は身動きすら取れない状況に追い込まれていた。


 思わず自嘲の笑みが漏れた。

 俺は自分の人生が終わったことを察した。

 しかし、さほど後悔はない。むしろ俺の心は妙にすっきりとしていた。彼女を殺すことに抵抗を覚えていたからか、それとも自覚が無かっただけで、生きる事に疲れて死にたがっていたのだろうか。


 まあ、あの男に死ぬまでこき使われた末にあの世に行くよりは、ずいぶんマシな死に方だ。


 そんな事を思っていると、こちらを向いた少女と目が合う。少女の綺麗な目は冷静さを失っていた。

 少女は俺よりも動揺しているように見えた。もう俺には何をする力もないのだから、そんなに警戒しなくてもいいのにと我ながら勝手な事を思う。


 彼女の口が開く。

 何を言われるのだろう。この状況で犯罪者に襲われた少女が口にしそうな言葉がいくつか浮かぶ。

 しかし、予想は全てはずれた。


「お前……何を知っている?」

「…………は?」


 突如発せられた彼女の問いの意味が分からず、思わず間抜けな声で聞き返す。


「どこまで知っている」


 戸惑う俺に対して再度質問が投げかけられる。


「どこまでって……なんの話だ?」


 そう質問を返すが彼女からの返事はない。無言でこちらをじっと見つめている。彼女は既に冷静さを取り戻していた。

 気づけば精神的な優位は逆転していた。


「……もういい。お前の頭に直接聞く」


 そう言い彼女は右手を動かす。鎖により身動きできない俺の頭にその手が乗せられる。

 何をする気だと言う前に、それは始まった。

 目に見えて派手な変化が起こった分けではない。だというのに、何か魔法をかけられているのが分かった。

 妙な感覚だった。

 しかし、それは不快な感覚ではなかった。むしろその逆といえた。

 肩の荷が少し軽くなったような、張りつめて緊張していた糸が緩むような。故郷にでも帰ってきたような……悪くない感覚だった。


「なんだ、ただの金目当てか……というかお前、この世界の人間じゃなかったのか」

「なんでその事を」

「ふん、言ったろう、お前の頭に直接聞くと」


 記憶を読み取ったとでも言うのだろうか。

 俺が異世界から来たことを知っているのは、この町ではあの男だけのはずだ。調べようと思っても簡単に調べられる物ではない。


「お前をこの世界に召喚した者は、他にどんな魔法が使える? 答えろ」


 俺から情報を引き出したいのか、冷たい瞳で彼女は言う。

 記憶を読み取ったんじゃなかったのか? まあ何にしろその質問に答えることは俺には出来なかった。


「言えない」


 そう答えると、彼女は意外そうな顔をした。


「……結構な忠誠心だな」

「違う。結ばされた契約のせいでそういう情報は漏らしたくても漏らせない」

「そうか……ならいい」



 俺を拘束していた鎖が砂のようにその形を崩し、やがて消えた。

 自由になる体。


「どういつもりだ?」

「ただの金目当てだったなら、別に良い。お前には借りがなくはないしな」


 借り? 墓のことか? よくわからないが殺す気はないらしい。

 殺されずに済んだというのは本来なら喜ぶべき事なんだろうが、正直、あまり嬉しくなかった。

 金が手に入らないなら、もうここらでスパッと殺されたかった。今回のようなチャンスはもう巡ってこないだろうし、来たとしてもその頃にはもう俺の寿命はほとんど残されていないだろう。

 明日からまた奴隷生活で石掘りか? 

 とてもじゃないがそんな気にはなれなかった。

 いっそ自殺するか。そんな事を考えていた時だった。


「そんなに気を落とすな。薬をやろう。捕虜に生き残りが居た時渡すために持ってきたものだ。気休めにしかならないが、飲まないよりはマシだ」


よっぽど気落ちした顔でもしていたのか妙な気を使われてしまう。


「いらない」

「……別に毒など入っていないぞ」


 少女は心外そうに俺に差し出していた薬の一部を自分で飲みこんだ。


「そういう問題じゃない。施しを受けるのが気に食わないし、気休めにしかならないなら飲む意味がない。奴隷生活が多少延びるくらいなら早死にした方がマシだ」


 俺がそう言うと彼女は少し、表情を暗くした。


「…………あまり、自暴自棄になるな。しばらくすればお前の人生は良いほうに向かい出すと思うぞ」


 俺はその言葉を鼻で笑った。あまりに使い古された、そして自分に言い聞かせ飽きた言葉だったからだ。

 そうやって何年も奴隷生活に耐えてきたが、良いことは何も無かった。時間を失っただけだった。


「耐えてさえいればそのうち状況が良くなるってか。まっ、そういう事も無いとは言い切れないだろうな」


 無いとは言い切れないがその可能性は限りなく低いだろうな。それに、今はもう、そういう過剰なポジティブさは現実逃避じみていて嫌いだった。金が手に入らなかった以上、奴隷生活は続くし、俺の体が治る事はない。


「皮肉を言うな。根拠のない楽観は私も好きじゃない」


「なら……あんたの話には根拠があるってのか?」


 嫌みを込めてそう言う。彼女は言葉に詰まるだろうと思いながら。

 しかし、少女はまったっく怯まなかった。


「ある。私がお前の世界を変える。だからあまり悲観するな」


 俺の目をまっすぐ見据えながら、銀髪の少女はそんな事を言う。己のためではなく、相手のためを思って物を言う人間の真摯な目だった。

 俺は、皮肉も反論も嫌みも言えなくなってしまい言葉に詰まる。

 そんな風に真剣に目を合わされたのは、この世界に連れてこられてから初めてだった。



 俺の沈黙を同意と取ったのか少女はフッと笑い、

「ん、よろしい」

 と言って、取り出した薬を俺の口に押し込んだ。僅かに顔に触れた彼女の手は冷たく、心地良かった。

 俺が薬を飲んだ事に満足したのか少女は少し微笑む。

 無表情の彼女は綺麗だったが、微笑む少女はとても魅力的だった。

 俺よりも年下だろうに、15くらいだろうに、包容力の様なものを感じる。どうも子ども扱いされている気がするのだが、不快に感じない。



 この世界に来てから人間に好意的な感情を抱く事はほとんどなかったのに、特にこの国の人間なんて滅んでしまえばいいと今も思っているのに、彼女の事は嫌いになれなさそうだった。





「私は、とある計画のためにこの町に来た。私がその計画を実行に移せば自然とお前の世界も変わる」


 薬を飲み終わると、そんな事を言われた。

 状況が違えば笑ってしまいそうな言葉だったが、それがジョークではない事はなんとなく分かった。


「計画? 何をする気だ?」

「それは言えない。だが、だからそれまでに早まったことをするなよ」


 早まったこととは自殺のことだろうか。そんなに死にたそうな雰囲気をしていたのか? 俺は。

 少女は服に付いた落ち葉を払い、用は済んだとばかりに立ち去ろうとする。墓の方へと歩いていく少女。


「ん、そうだ。ついでにこれもやる。美味いぞ」


 彼女はそう言うと袋を投げてよこした。中には食い物が入っていた。

 感謝の言葉を伝えるべきなんだろうか。戸惑っている内に彼女は声が届かない所まで離れていってしまっていた。




 それから俺は一人で来た道を戻っていった。少女にもらった食べ物を食いながら。

 殺そうとした年下の女の子に励まされたうえ、薬と食料を恵まれてしまった。

 なんだか自殺する気は失せていたが、鉱山に向かう気にもなれなかった。確かに美味いなこれと思いながらボケボケ歩いていると、我が寝床である忌々しい屋敷にたどり着いていた。

 立ち止まり、大勢から吸い上げた金で作り上げられた成金趣味の屋敷を見上げる。俺や今は亡き捕虜の人たち、それ以外にも沢山の人間を養分にして栄華を極めるこの町の主。

 それとは対照的にみすぼらしい身なりの自分。普段ならここで嫌な気分になっていたのだが、今日はそうでもなかった。あの女の子のせい、というかおかげだろうか。



 そして、後になって気づいたことだが、この屋敷に俺が帰宅するのは今日が最後となった。あの少女の言った通り、今日を境に俺の世界は一変する。

 それはこの町の人間も同じであった。


 この町は、いや人間はあの子の臣民を殺しすぎた。





 視点は変わる。

 墓参りをすませ、最後の下調べも済ませた少女は町を見下ろせる小高い丘の上にいた。

 たった一人で。

 しかし、人ではない、それどころか生物ですらない存在が彼女の背後で主人が命令を発するのを待っていた。

 あれから十数時間がたち、すっかり日も落ち夜となっていた。空には月が昇り、昼間より冷たくなった風が彼女に触れる。


 少女の目的、この町を無力化するという計画を実行に移す時が来たのだった。

 少女は眼下の町に視線を向ける。

 戦略物資たる抗魔石を生み出すこの町は、同程度の人口の他の町と比べ、桁違いに防衛予算が割かれていた。

 大勢の兵士が警備に当たり、結界が侵入者や魔法から町を守っていた。


 しかし、それらは少女にとって、さほど大きな障害ではなかった。


「行け」


 小さく呟かれた少女の声が夜に浸透する。

それまで呼吸すらする事無く少女の背後で潜んでいた存在が進軍を始める。

 魔力を材料に少女が作り出した獣達が、主人の名に従い丘を下っていく。町を目指して駆けていく。その質その数は、この町を防衛する兵士達にとって悪夢と言える量だった。



 魔力により作り出された獣達の接近に、町を守る結界が反応する。即座戦時体制に移り、魔術的強度を上げていく。薄紫色だった結界は、濃い紫へと変わっていく。

 


 その様子を慌てる風もなく少女は見つめていた。

 彼女の銀の髪が赤く染まる。それとほぼ同時に、一帯から集められた魔力が彼女により編み込まれ、何も存在していなかった空間に何かが作り出されていく。

 そして魔術は完成する。少女が魔力を元に作り出したのは城すら容易に貫きそうな巨大な黒槍。それでいてその先端は凶悪なまでに尖っていた。

 その槍は、主人に使える忠実な犬のように少女の傍らで浮遊する。

 少女は右手を町を守る結界へと向けた。それに同調し、傍らの黒槍もその矛先を標的に向ける。ゆらゆらと揺れ動いていた矛先は徐々にその動きを弱め、やがて先端を標的に合わせて静止した。


「くし刺せ、レイギス」


 巨大な槍はその声に従い、弾丸のように標的へと飛翔する。そして、夜闇を切り裂くように容易く結界を突き破った。


守護者を失った町に獣達は容赦無く近づいて行く。

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