ティーカップ
飛竜に乗って町を脱出してから何時間経っただろうか。俺は未だ飛竜の背に乗り移動を続けていた。
月明かりを背負って飛んでいたのに、今はもう、太陽に変わってしまっている。
当然の事ながら俺は竜の背に乗ることに慣れていない。だから、さすがにそろそろ辛いものがあった。隣にいる銀髪の少女……ミリアが張ってくれた結界により風に晒される事は無かったが。
「見えてきたぞ」
ミリアがそう言う。地平線の彼方にはその街がゆっくりと姿を現し始めていた。いや、その街の外緑部といったところか。
「あれが、帝都か?」
「うん」
その街は、視界に納めきれないほど巨大だった。飛竜により結構な高度を飛んでいるというのに。
噂……というか自慢話はあの鉱山の兵士達などからさんざん聞かされてきたが、確かにそれだけのものはある。
街の膨張を妨げる城壁を持たず、どこまでもどこまでも人の営みが続いていた。都市と言うよりは都市圏と言った方が適切かもしれない。東京とそれを取り巻く周辺部のように。
帝都レグルスレイル。
それがこの街の名前だった。大陸の覇者たる帝国の心臓部。『人間』を中心に様々な人種や種族で構成された街。
小学生的感想になるが、強そうな街だった。まあ親しみのない異文化の大都市というのは、たいてい手強そうに見えるものかもしれないが。
(しかし……彼女がコレやこの国と戦っているととしたら)
勝てているのだろうか?
と、素朴に感じながら隣の少女の顔を見る。少女は感情の読みとれぬ冷たい瞳でその街を見下ろしていた。
「そろそろ降りるぞ」
彼女はそう言う。飛竜は高度を少しずつ下げていった。
「ここが……ミリアの家なのか?」
「ん、私のというよりは、私が所属している部隊が各地に確保している寝床の一つだな。まあこの家は私くらいしか使っていないが」
そう言いながらミリアは鍵を差し込み、その家のドアを開けた。
扉をくぐり家の中へと入っていく少女に続き、俺も家の中へと進んでいく。
その家は少し広めながら一般的な住居だった。7人や8人くらいなら窮屈な思いをせずに暮らせそうだが、人の気配は感じられない。
家具は必要最低限の物を一応そろえてあるといった感じであったが、本棚だけは充実していた。様々な本がぎっしりと詰まっている。
「何か飲むか?」
ローブを脱ぎながら少女はそう言う。俺は頷いた。長旅でだいぶノドが乾いていた。
彼女が何か作り始めたのを後目に、窓へと近寄る。
窓から外を覗くと、当たり前ではあるが見慣れぬ帝都の町並みが広がっていた。楽しそうに歩いていく親子や、露天商、食料を大量に積み込んだ馬車……首都だけあってなかなか活気がある通りだった。せわしなく人が通り過ぎていく。
(ああ、ついにあの鉱山から抜け出すことができたんだな)
窓からぼんやりと外の様子を眺めていると、そんな実感がようやく沸いてきた。奴隷から抜け出せたのだ。それはこの世界に連れて来られてからの悲願が叶った事を意味していた。
奴隷労働で壊れた体は元には戻らないから、寿命は後数年程度だろうが、それでも良い。
自由になれたのだ。
「出来たぞ」
ミリアの声がしたので声のした方を向く。
彼女はお茶に似たこの世界の飲み物をティーカップに入れ、木製のテーブルの上に並べていた。
「ちょっとこっちに来て座れ」
そう言って、少女はテーブルの隣にある木製のイスをぽんぽん叩く。そこに座れと言う事だろう。
特に逆らう理由も無かったので彼女の要求通りそのイスに腰掛ける。その隣のイスに彼女も座る。
「どうかしたか」
「治してやる」
「え?」
「お前の体の事だ。私が治してやる」
そう言って少女は左手を俺の肺の辺りに近づける。
その辺りを中心に暖色の光が生まれる。ストーブや暖炉のような暖かさを彼女の手から感じだ。
治癒系の魔法なのだろう。
しかし、気遣ってくれるのは有り難いし嬉しいのだが、その分申し訳なくもあった。
「気持ちは嬉しいけど、手遅れだからいいよ」
自分の体の事だから多少は調べたし、なけなしの金を出して医者に診てもらったりもしたが無理だった。
切り傷や骨折などではなく、有害物質を吸い込んで内部から終わっているのだ。どうしようもない。
少女は不服なようで、子供っぽく唇を尖らせる。
「普通の医者や治癒魔術師なら無理だろうが、私なら出来る。だからこそ私があの町に派遣されたのだからな」
「そう、なのか?」
「うん。まあ、今日や明日直ぐに治るという訳にはいかないが、少しづつ良くなっていくはずだ」
少女はこくりと頷く。
そして話は済んだとばかりに魔法に集中し始めた。
彼女の話が本当だったら、本当だったら、この子は天使だと思う。そんな、我ながらちょっとどうかと思うような事まで考えてしまう。
俺がそんな事を考えながら戸惑っている事を知って知らずか少女は相変わらず真剣な表情で俺に左手をかざし、治癒魔法を発動し続けていた。
手を伸ばせば届くほどの至近距離で向き合っていると、本当にきれいな子だなと改めて感じる。意志が強く利発そうな瞳。銀の髪は木製の家具が多いこの部屋と相まって神秘的な雰囲気を増していた。
少女は右手を伸ばし、テーブルの上のティーカップを手に取る。それを顔に近づけ、舌を火傷しないようにか慎重にコップに唇を付ける。
「そういえば」
と、ティーカップを置きながら、少女は話を始めた。
「ん?」
「お前の以前の主人。召喚魔術師とは思えぬほど弱かったのだが、何だったのだアレは」
何となく苦笑する。
「俺に聞かれてもな……まあ、俺を呼びだした時にもう一人男が居たから、そいつが召喚魔術師とやらだったのかも」
「ふうむ、予想外に強いよりは弱い方が任務に差し支えがなくて良かったが……」
その任務という言葉でかねてよりの疑問を思い出す。彼女……ミリアの所属というか目的というか、まあその辺りの事を。
「ミリアは、帝国の人間ではないんだろ? 最初は帝国貴族とか名乗っていたけど」
「うん。それは偽の身分だな。私はこの帝国と敵対している隣国、リスラールの人間だ」
「戦争しているのか?」
「微妙な所だが、表向きにはまだ戦争状態ではない。小競り合い中といった所だな。だが遠からず本格的な戦争に発展する事だろう」
少し、視線を落としながらミリアが言う。その『本格的な戦争』という言葉は死を連想させた。
「勝てそうなのか?」
「正直、望み薄と言ったところだな。大陸一を誇る帝国や帝国軍と比べると私の故郷はだいぶ弱い」
「……なあ、あんまり危ない事はしないほうがいいぞ」
そんな事を言える立場ではない上、俺らしくもない気がするがついそんな言葉を口にしてしまう。
彼女は少し驚いた顔をし、微笑んだ。
「ふふふ、ありがとう。気持ちだけもらっておくよ」
優しく微笑む少女。
やっぱり子供扱いされているなと思いつつ、俺の方が年上とはいえ彼女との実力差を考えると仕方ないかとも思う。
そしてそれから二十分後。
「ん、今日はここまでにしよう。治癒とはいえあまり一気にやると逆に体に悪いからな」
彼女はそう言った。
「なんか……悪いな。何から何まで」
「気にするな。面倒を見てやるといっただろう。私は基本的に約束を守る方だ」
そうなのかもしれないけど、彼女には世話になったという言葉では片づけられないほど助けてもらった。
奴隷状態から助けてくれた事といい、この治癒といい……。
(何か彼女の役に立てる事はないだろうか)
そんな事を思う。
俺は、自分の右手を見る。俺が彼女の役に立てる事があるとすれば、イーリス絡みしかないだろう。
何か彼女が欲している物はないだろうか? もしかしたら、それやそれに近い物を作れるかもしれない。
(やはり、銃とか兵器とかそういった物だろうか)
帝国軍と戦っているそうだから、軍事的に役立ちそうな物が無難だろうか。まあ女の子に渡す物としてそれはどうなんだよという気もするが。
明日からその辺りを目標にグレイスイーリスを動かしていこう。俺はそう心に決めた。