飛竜
「とりあえず場所を変えよう。ここでは話がしにくい。落ち着いて話が出来る部屋はないか?」
床に倒れて気絶している使用人の女を見ながら、少女はそう言った。
まあ、第三者が気絶している隣で真面目な話をするというのもシュールで向いていないな。
「案内する。付いてきてくれ」
俺はそう言い、使用人向けのこじんまりとした談話室に案内した。適度に狭いその部屋には、椅子やテーブルが置かれ、トランプに似た娯楽用のカードなども用意されていた。
当然の事ながら彼女はカードには興味を示さず、窓際に立ち外の様子をうかがった後に口を開いた。
「この町の状況は外部にはまだ知られていないはずだが、いつまでもこの町にいると帝国軍の救援部隊がやって来る」
「そうだろうな」
確かにあまり長居出来る状況ではないだろう。
「脱出する必要があるわけだが、お前はどうする? 行きたい場所や落ち合う相手がいるなら、飛竜を貸してやれるが」
そう言って少女は窓の外に視線を向ける。窓の外、上空には飛竜が十数匹飛んでいた。
アレを貸してもらえるなら大抵の場所にいける事だろう。しかし、どこに行けば良いかは見当がつかなかった。
平和的に奴隷から脱したのならともかく、町が半壊し主人が死んだこの状況だと下手を打てば帝国軍に捕まりかねない。そして当然ながら俺の事をかくまってくれるような知り合いもいない。
「正直、俺はこの町の外の事はよく知らない。頼れる人間もいない」
我ながらかなり情けない事を言っている。だがそれが今の俺の現状だった。しかし少女は笑いも哀れみを向ける事もなく、
「それなら」
と言った。そして、
「それなら、私と共に来るか? しばらくの間なら面倒をみてやれるぞ」
「……いい、のか?」
それは有り難い話ではあった。
「いい。ただし条件がある」
「条件?」
「うん。私もこういう事をして帝国と戦っているから、裏切られて帝国に情報を売られると困る。だから、お前がそれをしないという保証が欲しい」
それは、まあ、彼女の立場からすれば当然だろうな。そう考えていると、彼女は紙を取り出しテーブルに置いた。
それは俺がこの世界に来たときにあの男……シビルと結ばされた物と同じだった。
俺にとってはあまり良い思い出のある物ではない。しかし、そうわがままを言える状況でもないか。そう思い、視線を契約書から彼女へと移す。
「契約か……内容は?」
「私や私の組織に関する情報を外部に漏らさないこと」
「……それだけ、か?」
「うん」
少女は頷く。
それはずいぶんとゆるい契約内容だった。少なくとも、あの男に無理矢理結ばされていた契約とは比べものにならない程には。
俺は少しの間、考えた。
(彼女の情報を帝国軍に流す気などないのだから、それを禁止されてもデメリットはない……な)
そう結論を出した。
「良いよ。俺に反対する理由はない」
俺がそう言うと、少女は少し微笑んだ。
「では、決まりだな」
「ちなみに、断っていたら殺される所だったのか?」
契約を結び終えた後、俺はそう聞いた。
「そこまではしない。私の顔くらいしか知られていないし、その情報に価値がなくなるまでの期間……数週間か数ヶ月程の間外部に情報を流せない環境にいてもらう事にはなるが」
「そういうものか」
「うん。まあ、そこまで神経質に隠しているわけでもないのだがな」
「ふぅん……所で、この町からはいつ頃脱出するんだ?」
「私は今すぐにでも構わないが、お前はやり残した事などは無いのか? おそらく、もうここには戻ってこれないぞ」
やり残したことか……。特にはなさそうだった。イーリスに関する資料やらは回収してあるし、別れを惜しむ様な相手も、思いでの場所もない。振り返ってみれば、本当に空虚な六年間だった。
「やり残したことは、ない」
「ふむ……まあいい。それならここを出よう。空で待機させている飛竜を呼ぶから、少し待っていてくれ」
そう言うと少女は右手を廊下の窓へと向ける。そして空に向かって魔法を撃った。おそらく信号弾のような意味を持っているのだろう。
それが済むと少女はこちらを向いた。無事計画を完遂出来たことからくる安堵か達成感からかその表情は少し和らいでいる。
「そう言えば自己紹介がまだだったな。私はミリア、お前は?」
「俺は……」
「……?」
こちらも名乗ろうとしたが、どうにも本名を名乗る気になれなかった。この世界に来てから六年間の間、本名で呼ばれる事が無かったため、今ではあまり自分の名前という気がしない。
かといってシビルに名付けられた奴隷用の名を名乗る気にもなれないし……。
適当に偽名を名乗る事にする。
「サイ……だ」
「ふうん。偽名か?」
「……良くわかったな。それも魔法か?」
「名前を聞いただけなのにあんなに悩まれれば、誰だって偽名と思う」
そりゃそうかと一人納得する。本名を追求されるかなと思ったが、彼女……ミリアは特に気にしていないようだった。
「ん、来たようだな」
見れば窓の外には二匹の飛竜が滞空していた。サイズは馬を少し大きくしたような大きさだ。
ミリアは窓に足をかけ、軽やかに飛竜に飛び乗る。彼女が飛び乗った飛竜とは別の飛竜の背に、俺もまたがる。
飛竜は羽ばたき徐々に高度を上げていく。町が、少しずつ小さくなっていく。いくつかの民家の窓から、自分たちを見上げている人がいることに気が付いた。
「そういえば、民間人は殺さないんだな」
「鉱山さえ潰せばこの町には軍事的な価値はなくなる」
「鉱山、潰したのか?」
その山は外見上はあまり変化していないように見えた。
「ああ」
「……そうか……あっけないものだな」
鉱山を失ったのならじきにこの町は沈む事になるだろう。住民たちが生活水準を維持するのはまず無理だろう。
長年俺を縛り続けた町を冷めた目で見る。数秒ほどで視線をそらし、前を向いた。