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第六話

 彼女は自分のデスクに腰掛けると手にした紙片を眺め「ふう」と熱っぽい溜め息をついた。

 そこには二人の男の似顔絵と簡単な特徴が記されている。

 一人は黒髪の少年だが、こちらは最初の学園襲撃事件の後に行方不明になった少年だと確認が取れている。

「…ーリー?」

 問題はもう一人の男の方だ。

「銀髪に左腕が結晶体の男…ねえ」

 紙には他にも『拳銃所持』とか『格闘技に長ける』等の情報が幾つか載っていた。

「…ッシュ?」

 男は二度目の事件の直後に少年と共に姿をくらましたと言う。

 もう一度溜め息をついた。頬杖を付きながら紙をユラユラと揺らす。

 男の目的は今のところ不明だ。少年との関係も分からない。背後組織があるのか。あるいは…

「ちょっとアーリッシュ!!聞こえてないの!?」

「え?」

 振り向くと彼女と同じ軍警察の制服を着た女性が立っていた。腰に手を当ててちょっと怒ったように頬を膨らましている。どうやらずっと声を掛けられていたらしい。全然気付かなかった。

「ごめんなさいジェシカちょっと考え事してて」

「もう…。アーリー最近変だよ?何かぼ〜っとしちゃってさ」

 ジェシカの言葉にアーリッシュは苦笑した。確かにここ三日程自分の考えに更ける事が多かった。

 ここは王都アインツ軍警察署。

 アインツは治安維持も王軍所轄の警察隊で行っている。

 国家の中枢である首都アルストロメリアに二度も侵入され、あげく重要機関である魔法使学園に甚大な被害を被ったとあれば、軍警察が大忙しになるのは当然だった。ここ数日署内は大騒ぎだ。少し目を移せば捜査資料が宙を舞い、怒声があちこちから響いている。

 心配させてしまったかと少し反省するが「何?これ?」と親指を突出すジェシカの言葉に前言を撤回する。少し静かにしていた間にそんな噂になっていたのか。まったくもう。

 ジェシカはアーリッシュが手にした紙に気が付くと「何見てんの?」とおでこを当てる様に顔を寄せてきた。

「あれ?これ例の事件の資料じゃん」

 ジェシカが眉を寄せる。アーリッシュ達が所属するのは市中警備隊なので実は事件の捜査には直接関係が無い。指名手配よろしく似顔絵が配られた程度だ。だがアーリッシュが似顔絵の男を気にするのには別の理由があった。

「この男の人がどうかしたの?タイプ?」

「馬鹿」

 アーリッシュはジェシカの頭を小突いた。人に男っ気な無いのを良い事に事ある毎にからかってくるのだ。当の本人は悪びれた様子も無く額を押さえて「へへっ」とかわいらしく笑っている。

「そんなんじゃないわ。で、何の用?もう交替の時間?」

 市中警備は指定されたルートを数組の魔法使で交替で周る。アーリッシュは先程帰って来たばかりだと思った。そんなに長く考え事をしていた記憶は無いが。

 ジェシカは首を振った。

「ううん。お客さん」

「お客さん?私に?」

「そう。男の人。レオンさんだって」

 アーリッシュは首を傾げた。聞かない名だ。

「どんな人?」

 途端にジェシカの頬が緩む。

「すっごく背が高くて〜、すっごい格好良い声してるの。顔はフード被ってて良く見えなかったけど」

 うっとりと宙に視線をやるジェシカを見てアーリッシュは額に手を当てた。この子の頭の中は大体こんな感じだ。

「まあいいわ。ちょっと行って来るから」

 アーリッシュは席を立った。

「うん。遅くなるなら連絡してね」

「ならないわよ馬鹿」

 それを聞いていた向かいの席の男が山の様に詰み上がった書類の束から顔を上げた。

「何だー?ミラナート。仕事ほっぽり出してデートか?隅に置けないなぁ」

「うるさいわワーグ!あんたはそれを何とかしなさい!もう手伝ってあげないんだから!」

 ワーグは「おー怖」と首をすくめると書類の山との格闘に戻った。

 それから出口に向かうまでにアーリッシュは何人かに同じ様な言葉を掛けられた。

「自分が皆にどう思われてるかが良く分かったわ…」

 いい加減うんざりする。ぼやきの一つも出ようと言うものだ。

「おーアーリッシュ。お客さんなら外で待っとるよ。なー、どこであんなイイ男を引っ掛けて…何怒ってるんだ?」

 初老の守衛は人好きのする顔を少し曇らせた。

「べ〜つ〜に〜!」

 それには構わずアーリッシュは大股で守衛室の前を抜けた。酷いとばっちりだ。段々腹が立ってくる。それもこれもあの誰だか分からない来訪者のせいだ。

 外に出る。来訪者用の入口は中庭の入口にも近く、普段なら休憩中の警官が何人かがベンチに座って談笑でもしているところだが、緊急警戒中の現在はさすがに人影は無い。

 と言うか本当に誰もいない。客だと言う男の姿も無い。

「何なのよもう」

 アーリッシュは毒づきながら少し中庭に入る。通りは入口からまっすぐ見通せるのでいるとしたら中庭しかない。

「おとなしく待ってなさいよ」

 果たして建物の角を曲がった辺りで問題の男を見つけた。灰色のパーカーのフードを深く被った男が、警察署の建物を見上げていた。アーリッシュの気配に気付いて振り向いた。

「ちょっとあなた一体…」

 フードの奥の顔を見た瞬間言葉が詰まった。心臓が跳ね上がる。恋では無い。その顔に見覚えがあったのだ。

「久し振りだなアーリッシュ。少しも変わらないな、君は。ここもあの頃と変わってない」

 男は穏やかな口調で呟いた。

 アーリッシュは何を言って良いか分からずしばらくパクパクと口だけを動かして、ようやく声を絞り出した。

「カイン!やっぱりあなた…生きてたの!?」

「レオンだ」

「…え?」

「レオンハルト。今はそう名乗っている」

 男の落ち着いた口調に混乱していた頭がようやく落ち着いてきた。

「そう…。レオン。アーキタイプミオルは元気なの?」

「ああ。ジェニファーと言う名前を付けた。今はソレブリアで一緒に暮らしている」

 レオンは静かにうなずいた。

「そう。あの事件の後から随分あなた達を探したのよ?」

「すまない。だが今日は昔話をしに来たんじゃないんだ。アーリッシュ。君に聞きたい事があって来た」

 アーリッシュは諦めた様に深く溜め息をついた。待ち望んだ再会とは現実になってみれば多分こんなものなのだろう。

 空を見上げる。あの時と変わらない深い青だ。

「いいわ。でもここじゃダメ。人に聞かれるわ。場所を変えましょう」

 アーリッシュは瞳を閉じ、それだけ呟いた。




―Crystalline-Cell "SAGA"―

【いつか観た蒼月】



■第六話


『邂逅』




     ◆




 裏通りの一角にフードを深く被った小柄な人影が所在無さげに立っている。人影は決まった範囲をブラブラと行ったり来たりしていたかと思えば、近くを人が通ると大袈裟に驚いたりして何とも落ち着きが無い。ベルだ。

 不審げに眉をひそめる通行人に愛想笑いを振り撒きながら「犯罪者の気分だ」と思った。

 あの日から三日が過ぎた。アインツの大きな動きは、今のところ無い。いや、確かにあの日を境に市内の警備は日を追って厳しくなった。レオンはどうも昔アインツと何かあった様で、警報をかいくぐって首都アルストロメリアに入るのに随分苦労した。(逆を言えば苦労すれば忍び込める程度の警備だとも言えるか)

 だが、未だに事件の詳細や犯人像の公開などは行われていないのだ。

 口には出さないがレオンはイラつき…と言うか、司法局の動きに何か腑に落ちない事がある様だった。

 レオンには付いて来るなと言われたが、事件そのものはベル自身に関わりがある事でむしろレオンの方にこそ関係が無い。自分には詳細を知る義務があると言ったらそれ以上は止められなかった。

 軍警察の裏側に精通している古い友人がいるとの事だったが、いきなり警察署に直行した時はさすがに驚いた。

 肝が座ってると言うか警察など相手にしていないと言うか。ああ言う態度は憧れるが真似はできないと思う。

 元々アルストロメリアの住人であるベルは別に変装する必要は無いんじゃないかと思ったが、レオン曰く能力が発現したベルを狙っている地下組織があるそうだ。

 早速付いて来た事を後悔してしまったが「人に出来ない事ができる人間は人より苦労するようにできてるんだよ」と言われた。レオンはさぞや苦労したんだろう、と思ったら「俺は魔法使としては別に優れてた訳じゃないけどな」とちょっと苦笑していた。

「…人に出来ない事が出来る人間…かぁ」

 ベルは確かに普通の魔法使には無い特性がある。だがベルが優れた魔法使かと言われたら答えはNOだ。能力はベル自身には望むも望まないも無く生まれついて身に宿っていた。そしてベルはその能力を使いこなしてはいない。先の戦闘もレオンが居なかったら間違なく死んでいただろう。

 強くなりたい。もうシルフィーの様な人を作らない為にも。

 そこまで考えて胸の、まだ薄皮が貼っただけの心のかさぶたがジワリと痛んだ。

 シルフィー。薄桃色の養液に浮かぶ姿は生前の美しさそのままに見えた。犯人がどう言う嗜好の持ち主かは知らないが、シルフィーの遺体は必ず取り戻し、そして埋葬しなければならない。だが自分にそれができるか?

「できるさ。レオンと一緒なら」

 とは言えこんな所で待ちぼうけを食らっている様ではお話にならないのだが。

 退屈しのぎに足下の小石を蹴り飛ばしたりしてみる。

「何の話、してるのかな」

 ふと中庭の方に目を向けた時、何やら綺麗な女性と連立って歩く影が見えた。

「レオン?」

 場所を移動してるらしい。ベルはちょっと迷った。レオンにはここを動くなと言われている。だが、せっかくここまで来たのだ何か自分なりに情報を掴まないと意味が無い。

「バレない様にこっそり近付けばいい…かな」

 ベルは慣れない足取りで二人の後を追った。




「聞きたい事ってそれなの?」

 アーリッシュは目の前の男をまじまじと見つめた。レオンは無言でうなずく。

 ここは中庭でも外壁に近く、建物からも離れていて植えられた樹木がうまい具合に死角を作っており、密談には絶好の場所だった。意外に陽当たりもいいのでアーリッシュは良くジェシカと昼食を取ったりするお気に入りの場所でもある。

 レオンは僅かにフードをずらして顔を見せていた。銀色の前髪が日を照り返して鮮かに映える。

 アーリッシュは少し逡巡し、言葉を選びながら話し始めた。

「…あなたの言う通りよ。上は最初の襲撃の時から犯人が分かっていたわ。元レイシア研究所、ジルギア・アランドナウ博士」

「そこまで分かっていて何故…?」

 アーリッシュは目を伏せた。これ以上は最高機密に触れる。既にアーリッシュは彼女の部署では知り得ないはずの情報を知っている。当然バレたらただでは済まない。これ以上の危険は回避すべきだと思う。

 ちらりと顔を上げてフードの奥の瞳を見た。力強くてまっすぐで、そう昔からこの人はこう言う目で人を見る。

 弱いわね私。

「ねえレオン。二度目の事件の時あなたベルトラルって男の子と一緒に居たわよね。あの子は何?何の得があってあなたはこんな危ない橋を渡るの?」

 意外な質問にレオンの目が少し見開かれた。

「…あいつは、俺と同じだ。大切なものを全て奪われて、たった一人で戦っている。だが本当は一人じゃない。運命の全てがあいつを突き放すなら、せめて俺が手を差し延べてやる。あの時の俺の様に」

 少しも考えずに答えるレオンを見てアーリッシュは苦笑した。聞かなくても答えは何となく分かっていた気がする。

 片手で掻き上げた髪を耳に掛けた。

「損な性格ね、お互い」

「何?」

 噛み締める様にぼそりと呟いた言葉に、聞き取れなかったレオンが首を傾げる。

「何でもないわ」

 腰の後ろに手を回してアーリッシュはもう一度だけ微笑んだ。

 その時、暖かい風が彼女の髪を宙に散らした。木々の葉が、ざあっと一斉にさざめく。レオンは思わず顔を覆い、風が収まった時彼女の顔から笑みは消えていた。

「レオン、よく聞いて。二度目の襲撃の後、軍警察のジルギアに対する方針が逮捕から確保に転換されたの」

「転換?どう言う事だ?」

「軍警察は…いえ、アインツはジルギアを裁くつもりが無いって事よ。魔法使は絶対的な戦力だけど、その出生率は圧倒的に低くて、能力に個人差があるのは普通の人間と変わらないわ。だからどうしても実戦レベルの魔法使となると数が足りなくて、結局は普通の人間が主戦力とならざるを得ない。いかに魔法使を活用して効率よく普通の人間を戦わせるか、これが今の戦術の基本よ。事情は世界中どの軍隊でも変わらない」

 レオンはうなずく。そんな事は軍にいたレオンが一番よく知っている事だ。

「学園で犠牲になった魔法使にはいずれ王軍で強力な戦力になると見込まれていた人が多くいたわ。その結果を見て上は考えたの。いつ生まれるかも分からなくて、使える能力になるか保証の無い魔法使を育てるよりも人工的に高い能力の魔法使を生み出す方が効率が良いんじゃないかって。司法局にとっては都合の良い事に襲撃者の能力はその魔法使達が証明してくれた」

 レオンの背中にぞわりと悪寒が走った。

「…それじゃあまさか」

 アーリッシュは確信を込めてうなずいた。

「そうよ。司法局はジルギアを確保して凍結していた次世代魔法使構想を再開しようとしてるの。次世代魔法使構想が実現して魔法使が思うままに作り出せるとしたら今までの戦術は全て、根底からひっくり返されるわ。首都アルストロメリアと十二自治区との不安定な関係も収まりがつくでしょうね。それだけじゃない、アインツだけが魔法使を作り出せるのだとしたら世界はアインツを中心に回り始めるわ。ジルギアの研究はそれだけの力を秘めている。…司法局が欲しいのは優れた"魔法使"じゃない。強力な"兵器"よ」

 アーリッシュの淡々とした言葉遣いがより事態の重さを物語っていた。

 現在のアインツそのものは独裁国家では無い。だがそれはアインツと言う国家が、首都アルストロメリアと十二自治区に分断されている特殊な事情に寄るものに他ならない。十二自治区と言う枠組みがあって始めて現在のアインツの安定があるのだ。特にアインツには十二国の力を得て魔法王国アルストロメリアを侵略した歴史がある。

 アインツが、正確には首都アルストロメリアが従えた世界が民主主義国家になるのか独裁国家になるかどうかは分からない。

 だがレオンにとってそんなのはどうでもいい事だ。国家とか世界の事なんてのは政治家がやればいい。

 分かっているのは、今のジルギアは危険だと言う事だ。次世代魔法使構想は世に出してはいけない悪魔の研究だ。事件に関わった者として、ジルギアの友人として、それは阻止しなくてはならない。何に変えても絶対に…絶対にだ。

「レオン。人は死ぬものよ。失われた命は戻らないわ。あなただけが十字架を背負う必要は無いのよ」

「だがいたずらに失われる必要は無い。ジルギアに、これ以上罪を重ねさせたくないんだ」

 レオンの言葉にアーリッシュは瞳を伏せた。

「…私はジルギアと言う男を知らないわ。上は三度目の襲撃は無いと考えている。あなた達が倒したからよ。だから今をジルギアを確保する絶好の機会だと考えてる。教えてレオン。三度目はあると思う?」

「分からない。ジルギアの目的が自分の力を見せつける為だけならこれ以上の襲撃は無駄だ。だが…何か嫌な予感がするんだ。ジルギアはシルフィーと言う魔法使の遺体を奪って行った。もし三度目があるなら、次の実験体は恐らくシルフィーだ」

 アーリッシュの目が大きく見開かれた。だがその視線はレオンの背後に向けられていた。

「!?」

 慌てて振り向いたその先に、木立ちの隙間に立ち尽くすベルの姿があった。その顔からは完全に血の気が引いていて蒼白と言うより真っ白だ。

「な…何だよそれ…シルフィーがあんな化け物になるって言うのか…?」

 言いながらベルはゆっくり後ずさる。まずい。完全に錯乱している。

「ベル!落ち着け!」

「ぁぁ…ぅ…うぁぁぁ!!」

 差し延べられたレオンの腕を弾いたベルの身体を呪文の光が駆け巡る。

「待てよベル!おい!!」

 次の瞬間、反転したベルの足下の土が爆発的に抉れ、跳ね上がった。思わず顔をかばったレオンが目を向けた時には、ベルは建物の屋根伝いに遠くに去って行ってしまっていた。

「聞いていたのか…くそ!俺とした事が!」

 後を追おうと駆け出したレオンを慌ててアーリッシュは呼び止めた。

「待ってカイン!!」

 レオンの脚が踏み出した形で止まる。

「カイン。生きていて良かった…。また会えて嬉しかったわ」

 レオンは少しだけ振り向いて少しだけ笑って言った。

「俺もだよ。ありがとうアーリッシュ」

「うん」

 レオンは今度は振り向かず走って行った。

 去って行く背中を見つめながら、あの人はまだ戦っているんだなと思った。

 せめて自分にできる事。アーリッシュはそれを考えていた。




     ◆




「完璧だ」

 手術台の上で眠る少女を見つめ、ジルギアは恍惚と呟いた。

 襲撃から三日。一ヵ月近くも遺体が手を付けられずに保存されているかは賭けだったが、同じ研究員。彼女の遺体が保存されているだろう事には確信が合った。

 遺体の状態は予想以上に良かった。損傷や腐敗などは全く無く、まるで先程まで生きていたかの様に艶やかだった。

 白い病人着をから覗く手足には透明な結晶体が無数に埋め込まれていた。

「…完璧だ」

 ジルギアはもう一度呟いた。彼の緻密な計算によって配置された結晶体はもはや芸術的な美しさを持って少女の身体を彩っていた。それは実験体としても、造形としてもまさに完璧だった。

 ちらりと脇の培養槽に目をやる。既に心臓部の結晶体を破壊されていた第十二実験体は、結晶体を取り除かれた事で完全に崩壊し、培養槽の底にゴミの様に醜く沈殿していた。

 だがジルギアはそれには何の感じるものも無かった。

 技術の進歩には多少の犠牲は必要だ。

 ジルギアはもう一度少女を見つめた。その額に四角い小さな結晶体が三つ光っている。

「…くっ…くっ」

 ジルギアは片手で自分の額を覆う様に掴んだ。やはり私は天才だ。自分の才能が怖くて気が狂いそうだ。

「くくっ…くくくっ」

 これでアインツにジルギアの偉大さが十分に伝わったはずだ。国を守る為にジルギアの力が必要だと思い知ったはずだ。そしてジルギアはアインツの救世主として君臨する。この第十三実験と共に。

 その時、ジルギアは始めて自分が笑っている事に気がついた。

 そしてジルギアの中で何かが壊れた。

「くくっ…はっ…ははは!ぎゃーはっはっはっはっは!!」

 気が触れた様に、ジルギアは高らかに笑った。誰もいない研究室で、その笑い声は勝利の福音の様にジルギア自身の耳に響いた。狂った哄笑はいつまでも続いた。



 その後ろで第十三実験体の身体にわずかに光が宿った事に彼は気が付かなかった。




 ―ウルサイ―



 泥の様に粘り気のある、沈んだ意識の中で彼女の神経に触れる音が遠くから聞こえている。



 これは笑い声か?違う。彼女が知ってる笑い声はもっと暖かくて優しい響きを持っていた。



 ―ウルサイ―



 その音は段々近付いて来てはっきりとした音として知覚されていく。



 ―ウルサイ―



 彼女はずっと探していた。何を探していたのか、それを思い出す事を探していた。ずっと彼女の中で響く声がしていた。今聞こえている雑音などでは無く、頼りなくて、大切な…彼女の名を呼ぶその声を探していた。



 ―ウルサイ―



 もう彼女には自分の名前すら思い出せなかったが、何故かそれが自分を呼ぶ声だと分かった。



 嫌な音は近付いて来ていてもう耳のすぐ横で立てられている様にはっきり聞こえる。



 ―ウルサイ―



「ぎゃははは!ひゃーはっはっはっはっは…」


 ウルサイ…ウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイウルサイ…



 ―シルフィー―





「うるさい!!」

「!?」

 突然の怒鳴り声に驚いて振り向いたジルギアの目の前に、信じられない光景が広がっていた。

 手足を固定していた拘束具を引き千切り、第十三実験体は眩い光を全身に湛えながらゆっくりと身を起こしていた。

「馬鹿な…」

 ジルギアは愕然とした。薄暗かった研究室が呪文の光で真っ赤に染まっている。ジルギアの影が濃く壁に映っている。

 完全に身を起こした実験体の身体を、白い光が覆い始めた。 

「そんな馬鹿な!ありえん!!」

 白い光は急速にその範囲を広げ、あらゆる物を消滅させながら徐々にジルギアに迫って来る。

 ジルギアは後ずさり、しかしすぐに後が無くなって壁に背中を押し付けた。

 視界が真っ白に染まる。

 その時ジルギアは始めて自分が作ったものに恐怖した。

「ぅ…うおぉぉぉぉぁぁぁぁ……!!!」






 未明。

 エルセンの町の一角で、一条の光が夜空を貫いた。

 無人の町が一瞬だけ真昼のごとく照らし出される。

 内側から破裂する様に吹き飛んだ建物から火は上がらなかった。

 光は程無く収まり、倒壊した建物の中から一つの人影がゆっくりと浮かび上がって来た。

 人影は支えも無く空中に静止した。宙に散らばった長い髪の一本一本に細い呪文の光が脈打つ様に流れ、その脈動に呼応する様に髪が風も無く揺れている。

 感じる。

 自分の心を乱す何かがこの先にいる。

 人影の全身を呪文の赤い光が流れ一度力を溜める様に身を縮めると、次の瞬間弾かれた様に加速しその場を飛び去った。漆黒の夜空に赤い光の軌跡を引き残しながら。

 その行く先には首都アルストロメリアの街の光が、不夜城のごとく夜を照らしていた。

 待ち受ける運命も知らずに。


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