表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/11

第五話

 王立魔法使学園中等部二年、ウィラ・フォーサイスは戦慄した。

「グルアァァァ!」

 おぞましい雄叫を上げながら男は学園を疾走している。

 迎撃に立ち塞がった魔法使は三人。それぞれ魔杖を構えているがそれには構わずただ一直線に走り込んで行く。

 男が振り回した右腕が一番手前にいた魔法使の頭をむしり取り、ほぼ同時に蹴り出した左脚が二人目の魔法使の魔杖ごとその身体を真っ二つにへし折った。

「がぱぁっ…」

 くの字のまま宙を舞った魔法使は数メートルも先の地面に落下し、二度と動かなかった。

 呆然と立ち尽くしていた三人目の顔面を左の手の平で掴んだ男は突進してきた勢いのままその左手を前方の建物の壁に叩き付けた。

 おぞましい破裂音と共に壁に真っ赤なペンキがぶちまけられ、次の瞬間崩れ落ちた壁の向うに魔法使の姿は消えた。

 男は軽く壁の中に頭を突っ込むとすぐに次の魔法使に襲いかかって行く。

 男が進入して来てから数十分。教官、学生合わせてもう何人の魔法使が殺されたか分からない。

 男は3週間前に強襲して来た時とは大きくその姿を変えていた。胸に穿たれた大穴は醜く肉で塞がれ、全身の筋肉は不気味に肥大化し類人猿の様に奇妙な前傾姿勢で歩いていた。その皮膚は土気色を通り越してもはや死人のそれに近い。そしてその全身を真っ赤な呪文の光が洪水の様に駆け巡っていた。恐ろしい程に。

 魔法力自体は明らかに減退している。野獣の様に走り回り力任せに引き裂くだけ。

 それでも学園の誰も男に対抗できないのだ。

 奥歯を噛み締める。

「…これ以上好きにはやらせないわ」

 ウィラは手にした魔杖を幾重にも旋回させた。先端の結晶体が通過した空間に無数の氷の塊が生み出される。

 新たに一人の犠牲者を生み出した男がその気配に気付きこちらを向いた。

 返す刀で振り上げた杖の先端が全ての氷塊の表面をかすめた瞬間、彼女自身には認識できない速度で氷塊が弾け飛ぶ。

 その時ウィラの表情が凍り付いた。男がほとんど四つん這いの状態のまま信じられない速度で迫って来たのだ。

「つ…突っ込んで来…!?」

 言葉を飲み込んだウィラの身体が突然横から突き飛ばされた。

 地面に倒れ込んだウィラが一瞬前まで立っていた空間を男の拳がなぎ払った。ぶん、と言う音が耳に届きウィラはとっさにその場を飛び退いた。

 反転し四肢を地面に着いて勢いを殺した男がこちらに対峙する。

 その身体には傷一つ無い。ウィラは再び奥歯を噛み締めた。効いていない。フィールドの力が桁違いに強すぎるのだ。

「下がれフォーサイス」

 先程ウィラを突き飛ばした男が言った。その腕には白い機械の塊が握られている。命の恩人だが礼を言っている余裕は無かった。

「それは…教官どうする気です!?」

 教官が肩からベルトで釣り下げた大砲に似たその機械には、しかし引き金に類する物は無く、腕で抱える様に構えたその先端の、本来銃口がある場所には3枚のプレート状の装甲板が三角錐を描く様に配置されていて、それだけなら全体としては辛うじて大砲のシルエットを保っていた。

 魔法使学園併設の王軍研究部の技術の粋を集めて作られた対魔法使用試作兵器。

「魔杖ガングリオン…使用許可が下りたんですか!」

「許可は下りない。担当者が殺されていた。バレたら減俸かもな」

 冗談めかした教官の声に不安を覚える。

「それじゃあ…」

「学園がどうにかなっちまうかどうかだ。処分ならいくらでもうけるさ。助かったらな」

 ガングリオンの先端の装甲板がスライドし爪の様に開いた装甲板の内側を呪文の光りが流れていく。ガングリオンが起動したのだ。

「離れろ。奴を倒す」

 教官の左脚のズボンの裾から赤い光りが漏れそれに呼応してガングリオンにライン状に配された結晶体が、その全体をモノグラムの様に美しく飾る。

 男が動き出した。先程と同じ何の工夫も無く低い姿勢で突っ込んで来る。

 教官は男に銃口を向けた。

 その時ウィラの背筋を悪寒が走った。

 まずい。早すぎる。

 ガングリオンに十分な性能を発揮させるにはまだ…

「ダメです教官!!」

 ウィラが叫んだのとガングリオンから弾体が発射されたのはほとんど同時だった。

 火薬の炸裂音は無い。空気を切り裂く独特の発射音と閃光が目を焼く。至近距離。しかも真正面からの一撃。

 しかし男は無造作に腕を振ると、ガンッと弾体を弾き飛ばしてしまった。

「なっ!?」

 それで終わり。男は何事も無い様に走り込んで来る。

「っ逃げろフォーサイス!!こいつは…」

 そこで教官の言葉は途切れた。男の無慈悲な蹴りが彼の頭部を一撃で粉砕してしまった。

「教官!!」

 ウィラは悲鳴に近い声を上げた。教官の身体はその場で数回転した後地面に落ち、もう動かない。

 悪夢だ。悪い夢だと心中で繰り返す。こんな事があるはず無い。だが全身に降り注いだ教官の血の暖かさこれがまぎれも無い現実だと教えていた。

 逃げなきゃ。だが身体が動かない。

 握られた男の拳が無遠慮に振り上げられた。

 死んだ。頭の芯が痺れた様な恐怖の中で辛うじてその言葉だけが浮かんだ。目も閉じられない。

 拳が叩き付けられる瞬間、だがその時は来なかった。

 男はふと何かに気付いた様にきびすを返す。少し離れた建物の壁の前に立つと少し検分し、おもむろに壁を殴り始めた。

 そう言えば先程から何か目的のある動きをしていた。何かを探している?

 程無く崩れた壁の向こう、薄暗い部屋の中に一つの人影が見えた。

 薄桃色の培養槽に浮かぶ透明な髪を持つ少女。

「…シルフィー?」

 戦いに夢中で気がつかなかったがここはもう研究所の敷地内だったか。遺体が収容されたらしい噂は聞いていたが…

 少女の遺体が目的だったらしい男の唇が笑みの形に歪む。

 いけない。何だか分からないけどシルフィーを渡してはいけない確信がある。だがもうウィラの身体は動かない。

「ぅ…誰か…」

 男は培養槽をつかもうと腕を伸ばした。

 その時、何の前触れも無く突然男の脇腹に小さな穴が三つ穿たれた。

 少し遅れて雷鳴に似た轟音が響き、ほぼ同時に男の脇腹の三つの穴を繋ぐ線分を呪文の光りが三角形の魔方陣に結んだ。

 急激に光りを増した魔方陣が次の瞬間、男の体内に向かってまるで指向性爆薬の様に爆発的な炎を吹き出させた。

「ぐぎゃあ!?」

 身をのけ反らせて後ずさった男に一直線に飛び込んで行く人影があった。速い。

 人影は男に肉薄すると勢いもそのままに一気に右脚を振り上げた。低い位置から鎌首をもたげる様に上段に繰り出された蹴りは男の右肩に突き刺さり、そしてその右肩が爆発する様に吹き飛んだ。

「がっ!?」

 よろめく男。だが人影の攻撃はまだ止まらない。

 振り抜いた右脚を地面に叩き付ける様に打ち下ろし、軸足を入れ替えながら左脚の後ろ回し蹴りに繋げる。

 その人影には見覚えがあった。魔法のあの独特の炸裂音。あの黒髪。

「ベ…ベルトラル君!?」

 素頓狂な声を上げてしまった。

 数週間振りに再会した同級生は何だか随分大きな背中になって帰って来た様な気がした。




―Crystalline-Cell "SAGA"―

【いつか観た蒼月】



■第5話


『崩壊』




     ◆




 学園の惨状は酷いものだった。

 そこかしこに生徒なのか、教官なのか、性別すら定かで無い死体が転がっている。

 レオンの魔法を食らった男は全身から煙を立てながらも動いている。もはや呪文の光で真っ赤に染まったその身体は妙にテラテラした質感で、この距離でもひどい死臭が鼻につく。

「腐ってやがる」

 レオンは顔をしかめた。

 男の、いやジルギアの目的は恐らくあの培養槽に浮かんでいる少女だ。理由は想像できるが考えたくない。とにかくこれ以上最悪の事態を引き起こさない為にも奴を生かして帰してはいけない。

「ここで仕留めるぞベル」

 レオンは手袋を外して肘までの結晶体がむき出しになった左手に握った拳銃を構えた。

 結晶体の中を呪文の光が流れ、流れた呪文は握られた拳銃の中に流れ込んでいく。

 引き金を引く。

 雷鳴のごとき炸裂音。重い手応えを残し弾丸が赤い光の軌跡を空中に引き残して行った。




 目まぐるしく流れる景色の中で地面に倒れ伏す人影を見た。同級生だったはずの生徒。世話になった教官達。もはやどれが誰だか分からない。

 そして崩れた壁の中に培養槽に浮かぶシルフィーの姿を見た。

「…なんだってんだ…」 ベルは振り抜いた右脚を地面に叩き付けた。蹴り脚を入れ替えながら素早く身体を捻る。

「なんだってんだよ!こんちくしょう!!」

 全身を呪文の光が駆け巡り上段に振り上げた蹴り脚に集まる。空間圧縮の衝撃波に後押しされた蹴りが何の前触れも無く加速し、うなりを上げて男の顔面に迫る。

 だが今度は男は咄嗟に身を引きそれをかわした。鼻先を蹴り脚がかすめる。

 蹴りの勢いに引っ張られベルの身体が流れていく。無防備に背中が男の正面に向いてしまった。

 一瞬で頭の芯が冷えた。必死で身体をよじるが視界の片隅で男の拳が握られるのが見えた。

 やられる。

 その時再び重い銃声が響いた。男の腕に穴が開く。

「ぐぁっ!?」

 男の動きが止まった隙に魔法で一気に距離を取る。

「レオン!!」

 レオンは素早く移動しながら左手の拳銃を連射した。赤い軌跡を描く弾は滑り込む様に的確に男に命中するコースを取っていく。しかし男は魔法学フィールドを集中し弾丸を八方に弾く。流れ弾が地面や壁にめり込んだ。

「甘い」

 レオンは呟くと、とどめとばかりに引き金を引く。

 放たれた弾丸は狙い違わず男の身体の真ん中に叩き込まれ、そして魔法学フィールドに止められた。瞬間、弾丸は周囲に穿たれた弾丸と呪文の光の線分で結ばれ大きな魔方陣を描き出す。

 男が異変に気付いて振り向いた時に遅かった。男の立っている空間が赤熱し、腹に響く衝撃と共に破裂した。

 熱い風がベルの頬を焼く。

「す…すごい」

 男はなす術も無く吹き飛ばされ…いや、爆煙の中から飛び出した男は全身を激しく炎に巻かれながらも爆風の勢いに乗り凄まじい勢いでレオンに突っ込んで行く。

「グルアァァァ!!」

 その勢いにレオンの反応が遅れた。咄嗟に放った弾が男の身体を外れる。

「ちっ!」

 覆いかぶさる様な男の一撃が、空を切る。

 わずかに首を傾けギリギリの見切りで男の拳をかわしたレオンの身体が男の懐に滑り込んだ。

「ガっ!!」

 腕を絡め取られた男の身体が、ほとんど自らの攻撃の勢いそのままに宙に跳ね上げられた。

 身をよじろうとした男の身体が、ビクンと痺れた様に途中で動きを止める。

 そのままレオンは容赦無く男を頭から地面に叩き付けた。頸骨が砕ける嫌な音が響いた。

 動きを止めた男の身体が崩れ落ちていく。

 レオンの左腕と引き繋がる様に紫電が男の身体を覆っていた。

 終わった。ベルもウィラもそう思った。

「!?」

 いきなり飛びすさったレオンが、一瞬前まで立っていた空間を男の蹴りがなぎ払う。

「くそっ化け物め!!」

 レオンが毒づく。再び拳銃を向けながら素早く距離を取る。さっきは男が飛び込んで来て接触できたから良かったが、本来レオンの魔法では男のフィールドを突破できないのだ。

 左手で頭を支えて立ち上がった男は忌々しげにレオンとベルを睨んでいる。

 だがレオンはすぐに異変に気付いた。男の唇が歪んでいる。顎が砕けているからか…いや。

 笑っている…?

 その時、レオンとベルのちょうど中間の位置に転がっていた、最初にベルが吹き飛ばした男の右腕が突然跳ね上がった。

 思わずそれを凝視した二人の眼前で、呪文の光で赤く染まった右腕が突然爆発した。大音響と閃光がまき散らされる。視界が白に染まった。

「しまった!」

 意識が一瞬吹っ飛びかける。

 視覚と聴力を奪われた。平衡感覚がなくなり自分が立っているのか地面に伏しているのかも分からない。

 全身を冷や汗が伝う。致命的な隙だ。男の気配が読めない。レオンは歯を食いしばり次の瞬間に訪れるはずの一撃を待った。

 だがその時はいつまで待っても来なかった。

 徐々に視界が開けていく。額に当てた自分の手の平が見える様になってきた。

 頭が割れそうに痛い。どうにか視界を巡らせると同じ様に頭を押さえるベルの姿が見えた。

 良かった無事だ。

 どこを見渡しても男の姿は無かった。

 そしてシルフィーの姿も培養槽ごと消えていた。

「っくそ!」

 それに気付いたベルは腹立ち紛れに拳を壁に叩き付けた。壁に大穴が開く。

 この先どうなるのかは分からない。だが、最悪の蓋が開けられてしまったのだけは分かった。

 遠くから大量の警笛の音が近付いて来る。

 軍警察隊だ。

 レオンは未だぼやける目で死体置き場と化した学園を見回し、そして天を仰いだ。

「今さら…来ても遅えんだよ!!」

 日はようやく西に傾き始め、首都アルストロメリアの街並を何ごともなかったかの様に暖かく照らしていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ