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第三話

 丈の短い草が生い茂る丘に伸びる、獣道の様な細い道をレオンは歩いていた。

 ソレブリアよりもさらに外縁。首都アルストロメリアをぐるりと囲う隔壁に近いこの辺りまで来るとさすがに人影は無い。

 アルストロメリア全体を一望できるこの場所は子供の頃からのお気に入りの場所だ。

 司法局のエントランスを中心に放射状に伸びる大通りが街を貫き、同心円状に配置された道が四角い建物郡を幾重にも取り巻く。その上空を空中鉄道の軌道が十二方位の彼方まで伸びる様は、夕暮れ時の陰影も手伝ってここからは一つの芸術作品の様に美しく見える。

 見渡せば一面を覆う芝生と名も知らない小さな花。

 蝶が気紛れに舞い、その側を、あれはリスか、小さな動物の尻尾か駆け抜けて行く。

 青く茂った樹の幹が力強く空に枝葉を広げ溢れ出るその命を全身で表現している。


 そしてその傍らでうずくまる、鉄の塊。


 主人の居なくなった鋼鉄の鎧。結晶体のもぎ取られた魔杖を虚しく地面に突き立てたまま、その身を薄い苔の膜で緑に染めている。いつか現れる新しい主人を信じてただ静かに朽ち果てる時を待っていた。

 その先には建物の土台だけが取り残され、規模からすれば倉庫か、砕けたその土台が破壊の後を忍ばせる。

 そしてそこかしこに転がる無数の兵器の屍…屍…屍…

 あらゆる物が破壊され、あるいは錆び付き、そして等しく自然に返っていく。

 それらが西日に照らされ墓標の様な長い影を落とすその道をレオンはよどみ無くただ足を進めた。

 じきに丘の頂上に小さな建物が見えて来た。

 軒先に下げられた板には『酒場』そして『営業中』の文字。

 扉まで数メートルの所まで来た時、それまで顔を照らしていた西日が急に陰り足下に深い影を落とした。

 見上げると酒場よりさらに先、隔壁にへばり付く様に広がる広大な敷地と高大な廃墟。

 その尖塔の横から遮られた西日が染み出す様に顔を覗かせる。

 再び顔を照らし始めた光に目を細め、レオンは酒場の扉を押し開けた。



 ここはレイシア。

 旧アルストロメリア戦役の激戦区。


 今は亡き者達が残した哀しき夢の跡。




―Crystalline-Cell "SAGA"―

【いつか観た蒼月】



■第三話


『記憶』




 扉に掛けられたカウベルが軽い音を響かせ、ステーキとバターとソースの焼けた馴染みの匂いに包まれた店内に足を踏み入れたレオンは

「…なんだこりゃ…」

 その惨状に唖然とした。

 割れた食器や酒瓶が散乱し、砕けた丸テーブルの上に乗っていたはずの料理が床に無残にぶちまけられている。

 店に客は一人。カウンター席の隅に座る背中が見える。

 その残骸の山の向こう、カウンターに立ったマスターが

「いらっしゃい」と気のない声を発した。

「どうしたマスター?戦争でもあったか?」

 隅の座る客にさり気無い視線を送りながらレオンはカウンターに歩み寄る。

 意外にも若い女だ。長い黒髪と豊かな胸が目を魅く。

「…あんまり変な客ばっか相手にしてるとこんなボロい店潰れちまうぞ」

 マスターは肯定するでも無く軽く溜め息を付くと

「まぁ座れ」と席を促した。

 レオンは転がったイスを蹴り上げるとその上に腰掛ける。

「何者だ?」

「上客だよ。お前さんと同じでな」

 そう言うとマスターは水の入ったグラスを置いた。少なくとも飲み屋の常連と言う訳では無いようだ。

 当の本人はこちらの話を聞くでも無くブランデーのグラスを握ったまま突っ伏す様に赤い顔を俯けていた。

 マントから裾から僅かに剣の鞘が覗いている。

「ふ〜ん…」

「手ぇ出すなよ」

 軽く笑いながら女から視線を引き離す。

「まさか。カミさんに殺されちまうよ」

 それに多分彼女は強い。相当に。

「で、何にする?」

「ピーコックだな」

 そう言ってレオンは水の入ったグラスにコインを一枚放り入れた。ちゃぽんと小気味良い音を立ててコインが沈む。

 だが酒が出て来る様子は無い。

「…珍しいな?」

「別に。ただの気紛れだよ」

 少しの間。睨む様なマスターの視線を微笑でやり過ごす。

「…お前さん下町で騒ぎを起こしたって話じゃないか」

 何の事だ?と首を傾げながらさらにコインを一枚放る。溢れ出た水がカウンターに丸い染みを作る。

 マスターは軽く嘆息しながらも一杯の酒を注いだ。

 名前はピジョン。契約は成立した。

 マスターとレオンの周囲の空間が切り取られた様に一瞬で空気が変わった。

 レオンの魔法学フィールドが瞬間的に広がり空間が遮断されたのだ。

これで声がフィールドの外に漏れる事は無い。

「何が知りたい」

 マスターはカウンターの下の隠し扉の鍵を取出しながら聞いた。

「三日前の魔法使学園襲撃事件の詳細、かな」

 やっぱりかと言う顔をしながらもマスターはカウンターからは見えない位置に資料を広げた。

「襲撃があったのは深夜未明だ。死亡者八名、重傷三名、行方不明四十三名だ。犯人は…」

「ちょっと待て。何だ行方不明四十人って」

 レオンは思わずマスターの言葉を止めた。聞き捨てならない。

「四十三名だ。現場に駆け付けた教員は八名。全員その場で男に焼き殺された。骨も残さずな」

 盛り合わせのスペアリブに手を伸ばしていたレオンは顔をしかめた。

「その時の流れ魔法弾の煽りを食って学園の寮が倒壊している。中で火災も起きていたらしくてな…。遺体は損傷が酷くて男か女かも判別が付かんらしい。事件後に学園を逃げ出した生徒も何人か居て、名簿に載って無い生徒が全員瓦礫の下敷きになっちまったのかまだ分からんそうだ」

 レオンは溜め息を吐いてから目を伏せた。せめて苦しまずに逝けた事を…

「犯人は男が一人。発表では多数の魔法兵器を装備していたとされているが、これは嘘だな」

 ひどくあっさりとマスターは切り捨てた。

「嘘?」

 うむ、とマスターはうなずく。

「結論から言えば司法局はこの件に関してかなり大規模な情報規制をかけている」

「規制?なぜ」

 その他の発表では男はその場で殺されたとされていて、人相書きも指名手配もされていない。しかしマスターはそれも嘘だと切り捨てた。意味が分らない。

「考えてもみろレオン。魔法使学園は王軍航空師や空中鉄道と並んでアインツの国防の象徴だ。機密もセキュリティも特A級に設定されている。そんな場所に侵入されて、挙げ句壊滅的な損害を受けたなんて表沙汰になってみろ。アインツの面目は丸潰れだ」

 アインツの国力は絶大だ。魔法使学園から輩出される優秀な魔法使や魔法兵器。その戦力は首都防衛部隊だけでも他国の全戦力を圧倒すると言われている。

 しかしその実アインツの国土そのものは二百年前の大戦以降ほとんど拡大していない。その要因になっているのが首都アルストロメリアをぐるりと取り囲む十二自治区の存在だ。

 大戦では同盟国として対等の立場だったそれは今や実質的に首都アルストロメリアとの主従関係になっている。それに不満を持つ自治区は多い。

 しかし魔法使学園を有する首都アルストロメリアはそれらの不満を力で押さえ付けてきた。

 世界人口に対する魔法使特性を持つ人間の割合は決して多くない。数少ない教育機関を首都アルストロメリアが独占し人員流出を抑制していればなおさら魔法使は行き渡りづらい。

 結果十二自治区は通常の兵士で戦力をまかなう事になり、そしてそれは最低ランクの魔法使の小隊にも遠く及ばないのだ。

 十二自治区は国境線に接している。首都アルストロメリアと違い常に侵略の危機にさらされている。当然他国にも魔法使隊は存在している訳で、そして足りない魔法使戦力は必然的に首都アルストロメリアより借用するしかない。

 派遣された魔法使は防衛に従事するかたわら自治区内の叛乱分子の出現に目を光らせている。

 魔法使の持つ魔法学フィールドは、習熟者になれば壁を隔てた向こう側の物を感知する事が出来、服の下に隠した武器を感知する事も容易い。そして不思議とそう言った使い手が派遣されて来るのも事実だ。

 十二自治区に囲まれた首都アルストロメリアは物資の流通を空中鉄道より結ばれた十二自治区に頼るしかない。流通を断たれれば首都は立ち行かないが、派遣部隊がそれを許さない。

 戦力派遣は自治区に対する犬の首輪であり、それには気が付いていても逆らう事ができない。それ程までに首都アルストロメリアの戦力は絶大なのだ。

 首都アルストロメリアは内乱に怯え国土拡大に乗り出せない。本来味方であるはずの自治区に対するけん制にしか戦力を裂けないのだ。

 そうして首都アルストロメリアは各自地区を武力で統治してきた。

 それが破られた。

 たった一人の男に壊滅的な損害を与えられた事は、首都アルストロメリアにとっては懐に入られる隙を敵対国に与え、何より十二自治区に対するそれまでの武力統治に歪みが生じる事になる。

 自治区に囲まれている分首都アルストロメリアには逃げ場が無い。万一敵対国と自治区が共謀して八方から攻められたらひとたまりもない。

 それだけは絶対に裂けなければならなかった。

 ふうん、と頷きながらレオンはグラスを傾けた。一息で空になったグラスにマスターが次の酒を注ぐ。

「犯人の男は他人の身体を次剥ぎした様な歪な身体に多量の結晶体を埋め込まれていたそうだ。教官達は包囲した後、魔法弾の一斉掃射をぶつけたが男には傷一つ与えられなかった」

 魔法は簡単に言えば魔法学フィールドを呪文の力で変化させたものだ。

強力なフィールドを持つ者は強力な魔法を扱える。魔法使学園の教官は元々王軍に所属していた者がほとんどを占める。その教官八人の魔法弾の直撃を退けたとなれば男が熱束砲を放てたのにも一応の道理は通る。もちろん納得など出来ないが。

 レオンは手渡された行方不明者と死亡者のリストを眺めた。ずらずらと生徒の名前が連なる中に一人ずつ気になる名前を見つけた。

「そんな状態でも男に立ち向かった生徒がいた。対抗できた数少ない魔法使の一人が…」

「……シルフィー」

「…知り合いか?」

「いや」

 一瞬怪訝そうに眉をひそめたマスターだがすぐにまあいい、と話を続けた。

「そのシルフィー、シルフィー・ノーマ・サラムディーネは王軍航空師にも内定されていた学園創設以来の天才だった。結晶体の頭髪全てにそれぞれ異なる呪文を流して組み合わせる事で魔杖の補助無しに複数の魔法を扱えたらしい。だが残念ながらそのシルフィーですら男にはかなわなかった。単身男の懐に飛び込んで攻撃を交えた後、学園の生徒に殺された」

 レオンの頬がピクリと動く。

「そいつがまたとんでもない落ちこぼれでな。シルフィーとは対照的に実技試験のワースト記録を作っちまう様な奴だった。どう言うつもりか犯人の前に飛び出したそいつが散々痛ぶられた挙げ句に魔法で焼き殺されようとしていた時に、シルフィーはそいつをかばう為に間に割り込んで来て、そしてそいつの放った魔法弾に貫かれて死んだ。その生徒とは恋人同士だったそうだ」

 マスターは白い無地のコースターを取り出すとペンを滑らせた。

「秘めたる力が目覚めたのか知らんが、そいつの魔法弾は教官の魔法を退けたはずの男のフィールドをも貫いて男に致命傷を与える事に成功した。犯人の逃亡先は不明。背後組織も不明。ついでに逃げ出したその生徒の行方も分からん。そして四十名以上の犠牲者だけ残った。それが事件の顛末だよ」

 目を伏せたレオンはふとカウンターの端に座る女に視線を送った。

こちらの会話に気付く事もなく今は完全に居眠りしている。

 マスターは女の肩に毛布を掛けに行き、突然起上がった女に何杯目かの酒を注がされてから戻って来た。

「大丈夫なのかよ、あれ」

「ああ。いつもあんなもんだよ」

 女はグラスを握りしめるとまた動かなくなってしまった。

「でも分らないな。魔法使学園の管理はソレブリアの管轄のはずだ。責任の所在なんて全部ソレブリアに押し付けて公開捜査なりにすればいい。情報規制して犯人を逃がしちまう程の事とは思えないな」

「それがこの件の難しいところだな」

 言うとマスターは別のつまみの皿を取り出してカウンターに置いた。ここのサラミは酒と実によく合う。

「お前の言う通り責任の半分はソレブリアにある。だが市内に侵入されたのはアインツの責任だからその件に関しては責任の所在は五分五分か、むしろアインツに分が悪い。

普段ならアインツのちょっとした不祥事にも騒ぎ出すソレブリアにしても、下手に追及して事をこれ以上大きくしたくない。利害が一致しているから今はどちらも静かだ。だがこの件、実はアインツが意図的に引き起こしたものじゃないかとソレブリアは疑っている。そこで水面下で調査をしているのがソレブリアの特殊部隊だ」

「I.C.Eか…」

 I.C.E=In-Complete-Errorsは『ソレブリア=旧アルストロメリア王国の国益、治安を侵害する事態』に対し『極秘裏に超法規的対処活動』を行う非合法軍事組織だ。

 大戦の敗戦によりほぼ全ての戦力を奪われた旧アルストロメリア王国にとって、きっかけさえあれば解体の機会を伺っているアインツや、アインツの国家転覆を狙っている列強諸国から生き延びる為に所持せざるを得なかった力と言える。

 ソレブリアの不益になる法案や条令が可決されそうになる度にその中枢となる要人が暗殺される事件が起きている。公には存在そのものもソレブリアから否定された地下組織はその規模も不明なままアインツの中枢に深く食い込んでいた。

「アインツが情報規制をしている本当の理由は絶対にI.C.Eに暴かれたくない秘密があるからだ。一つは学園襲撃の犯人を倒した学生の存在だ。以前I.C.Eの構成員らしき人間が逮捕された事がある。

調べてみたらそいつは十年も前に戦死しているはずだった。恐らくI.C.Eはそうやって何らかの理由で表の世界で生きられなくなった人間を集めて規模を拡大してるんだ。行方不明の学生な、今じゃ落ちぶれちゃいるが初等部の時は絶対兵器とまで言われてた天才だったそうだ。今回の件でアインツはそいつの能力が再び開化したんじゃないかと考えている」

「だからI.C.Eの手に落ちる前に確保しておきたい、か」

 手慰みに揺らしたグラスからロックアイスがカランと軽い音を立てた。

「I.C.Eもその存在には気が付いている。表だった動きは無いが裏では両方共に相当な規模の捜索をかけているらしい。なのに事件から三日も建っているのにその足取りが掴めていない。誰かがかくまってるとしか思えないが…」

 そこで言葉を止めたマスターは少し睨む様にレオンを見つめた。「…なあレオン。悪い事は言わん。この件からは手を引け。デカすぎる。お前さんまだ司法局から追われてるんだろう?ジェニファーちゃんだって…」

「二つ目」

「……なに?」

 突然切り返したレオンの言葉を理解しかねてマスターは言葉を詰まらせた。

「アインツが情報規制をかけてる本当の理由をまだ聞いて無い。いくらその学生が強力な魔法使だからってそれだけでアインツが国を危険にさらすとは思えない」

 人を馬鹿にするなよとレオンの目が言っていた。

 一瞬考えていたマスターは自分の髪をガシガシと引っ掻くと

「ええい!」と諦めた声を上げた。

 レオンのグラスに自棄の様に酒を注ぐ。

「いいかよく聞け。半年前王軍の研究所からある研究者が一人、脱走した。そいつは幾重にも張り巡らされたセキュリティーを突破し警備の魔法使を一人残らず虐殺して行方をくらませた。次世代魔法使構想の研究データを持って…な」

「次世代魔法使構想…。まさかその研究者ってのは…」

「あぁ。ジルギア・アランドナウだ」




    ◆




 魔法使には個体差がある。

 先天的要因に左右される人間にとってそれは避けられない宿命であった。

 しかし、人工的に魔法使を生み出し調整する技術があったら。

 その発想が後に次世代魔法使構想と呼ばれるものの発端であった。

 発案者は当時アインツの軍研究部に所属していた魔法学の権威、ジルギア・アランドナウ博士。

 実戦レベルではいまだ慢性的な魔法使不足に悩んでいた司法局は、軍部主導の元でその研究を認可した。

 だが優生学に裏打ちされた事前の開発計画とは裏腹に研究所内で行われていたのは、非人道的で危険な人体実験だった。

 ジルギアを危険視した司法局は、それまでの研究データとサンプルだけ引き継ぎ、ジルギアを更迭しようとした。

 その矢先に起こったのが件の脱走事件だった。

 幾重ものセキュリティと警備をどうやってか潜り抜けジルギア博士は逃亡に成功する。

 その後極秘に放たれた捜索と言う名の刺客も空しく、その行方を完全にくらませてしまった。

 事を公に出来ない司法局は事件を秘匿とし、次世代魔法使構想は凍結された。


 ―そして今回の学園襲撃事件が起こった―




     ◆




 窓の外からカラスの鳴き声が聞こえる。

「…ジル。やっぱりか」

「…気付いてたのか?」

「俺達は次世代魔法使構想に人生を狂わされた。気付かない訳ないよ」

 レオンは悲しげに微笑んだ。

 良く二人でここに来ては酒を交わしながらアインツの未来について語った。

 『結晶体は魔法を発現する一要素でしかない。全ての人間には魔法使の素質がある』それがジルギアの口癖だった。

 魔法使と一般人との間には見えない壁があった。人ならざる力を使う存在を人々は潜在的に恐怖する。

 では誰でも魔法が使える様になればその垣根は取り払われるのではないか。

 十二自治区との軋轢、内乱の恐怖も元を辿れば魔法使の不足に端を発している。

 真の平和を。そして国を守る力を。

 それが彼が夢見た本来の次世代魔法使構想の姿だった。

 ある時、それまで日陰の研究だった次世代魔法使構想に突然莫大な予算が割り当てられた。

 降って沸いた様な幸運にジルギアは狂喜し、研究に没頭した。

 その日以来全てが狂って行った。

 徐々に道を外して行く友の変化に気付きながら、止められなかった。

 そして…事件が起きた。

 幾重にも連なる培養槽の列。

 実験の為に生み出された少女達。

 こじ開けられた二つの世界の“扉”

 そして、失われた命。




 レオンは一息にグラスを空けると席を立った。

「うまかったぜ。また来るよ」

 紙のコースターをポケットにねじ込む。

「カイン!」

 背を向けたレオンの肩が強張る。

「カイン…お前だけが責任を追う必要はないんだぞ」

「…その名前を知ってるのもあんたくらいになっちまったな」

 脳裏にフラッシュバックの様に蘇る、最後に見た化け物。今思えばあれが狂った次世代魔法使構想のアーキタイプになったのは間違ない。あれを見ていなければ今回の事件がジルギアの起こした物だと気付く事はなかっただろう。

 レオンは黒い手袋に覆われた拳を握り締めた。

「…俺はあの時、ジェニファーを守る事しか出来なかった。ジルギアを…助けてやれなかった。この機会を逃したらもう奴と関れる事は無いかも知れない。これはもう俺の戦いだよ」

 背後でマスターが苦笑する気配が伝わって来たが、レオンはもう振り向かなかった。

 足を踏み出す直前、ふとカウンターの女が気になった。

「飲み過ぎは身体に悪いぜ姉さん」

 女は酒気に潤んだ瞳だけでこちらを睨み

「…余計なお世話だ」と吐き捨てるとまた眠ってしまった。

 レオンは鼻を鳴らす様に軽く笑った。

 女の素姓は知れないが、この店ではこうして幾つもの物語が交叉しているのだろう。

 今度こそ歩き出し、店を出た。

 カウベルの軽い音色が閉じた扉の向うにかき消えていった。

 日はすっかり傾き、空には宵の帳が落ちていた。

 ふと見上げれば真っ赤な夕日の逆光に深く浮かび上がる廃墟の影がある。

 レオンはポケットから取出したコースターを開いた。

 恋人を殺し学園から逃げ出した少年の名前。

―ベルトラル・リシェール―

 そのまま手袋に覆われた左手でコースターを握りつぶす。

 薄闇に紫電が走り次の瞬間引火したコースターが燃え上がり、開いた掌から風に引き裂かれ四散していく。

「戦い方を教えてやらないとな」

 そしてレオンは振り返る事無くその地を後にした。



 ここはレイシア。



 かつて世界の運命が決した場所。


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