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最終話

 気が付けば高かった日はすっかり落ちていた。 窓から差し込む夕焼けの日差しが病室をオレンジ色に染めている。

 水を打った様な静けさに満たされた病室の中を、膝の上で寝てしまったシュミラの寝息の音だけが静かに響く。

 一羽の烏が鳴き声を上げながら飛びさって行く。

 その鳴き声を聞きながらジルはゆっくりと病室に集まった村人を見回した。

 誰も彼もが俯き、自らの中で考えをまとめる様に口を強く結んでいる。

 ジルは軽く息を吐くと、膝の上のシュミラの髪を撫でた。

 少しくすぐったそうに微笑むその寝顔を愛しげに見つめる。

 そのままその小さな身体を抱き上げると、ただ一人顔を上げていた青年に顔を向けた。

「アキラ。すまないがシュミラの事をよろしく頼む」

 そう言ってシュミラを抱いた腕を差し出した。

 アキラは少しだけ逡巡し、結局黙ってシュミラを受け取るしかなかった。

「この子は君の子として育ててやってほしい。殺人鬼の娘などでは無く、普通の子として、当たり前の幸せを見つけられる様に」

「ジル…」

 アキラは少しその顔を見つめてからシュミラの身体を抱き、頷いた。

 ありがとう。ジルはそう言い残すと村人を顧みる事なく病室を後にした。




 ギシギシと軋む廊下を抜け、病院の一番奥にある自室の扉を開いた。

 部屋には簡易なベッドと机が一つずつ。後は服を掛ける為の小さなハンガーがあるだけで他に家具は無い。

 いつでも旅立てる様に用意していたリュックサックを手に取ると、机の上に開いたままだった書きかけの書類や資料、他には本棚から幾つかの本を抜き出してリュックサックに詰め、それで準備は終わりだった。

 机は元々部屋に転がっていた物を、病院に住み込み始めてからすぐ修理した物だった。

 ベッドもそう。廊下や病室の、壊れていたり足りない物は全て自分で作った。

 机の端の、まだ使い方に慣れていなかったノコギリで付けてしまった傷を撫でる。

「…」

 机の正面の壁にはピンで止められた写真が一枚。

 それは先週村に来た行商に撮影して貰ったものだった。ぎこちなく笑うジルと、対照的に満面の笑みを浮かべるシュミラ。二人が寄り添って写真に写っている。

 まるで本当の親子の様に。

 ジルは写真を大切に手帳に挟むと、今度こそ部屋を出て扉を閉めた。

 村人が集まっている部屋の前を抜け、正面玄関から雑草の生い茂る道を通る。

 門扉を出てひび割れた路面に脚を着けた所で、

「ジル!」

 呼び止められた。

 玄関から飛び出して来たアキラは肩で息をしながらシュミラを抱いているのとは反対の手で門扉を押し開いていた。

「ジル、これだけは忘れないでくれ。ここはお前の家だから、何かあったらいつでも帰って来て良いんだぞ。皆、待ってるからさ」

「……ああ。分かってるさ」

 …胸に湧き上がるこの気持ちは何なのか。

「もし機械に何かあったらレイシアの外れにある酒場のマスターに伝えてくれ。世界中のどこにいても必ず駆け付けると約束しよう」

「ああ。ありがとう」

 頷くアキラに軽く手を上げて別れを告げ、今度こそジルは振り向かずに病院を後にした。

 後ろ髪が引かれる。

 心がこの村を離れたくないと言っていた。




 どれくらい歩いたのだろうか。夕焼けだった空はすっかり暗くなっていた。

 しばらく歩いてジルは大きな湖に辿り着いた。

 水を飲もうと湖に手を漬けた時、ふと自分を照らす光に気が付き、何気なく夜空を見上げた。

 そして息を飲んだ。

 ずっと自分の影だけを見て歩いていたジルには気が付かなかった、天を覆い尽くす無数の星のきらめき。

 果てしなく続く星のきらめきは水平線に落ち、波一つ立たない湖面に映り込んでさながらもう一つの星空の様にジルの視界いっぱいを包んでいた。

 闇と光が支配する痛い程の静寂。

 言葉も無くその光景に見入るジルを一際明るい星の光が照らしている。

 月。

 蒼い月。

 あの日と同じ悲しい光を放ちながら、不器用にしか生きられない愚かな人間を見下ろしている。

「…月」

 ジルの頬を雫が伝った。

 雫は後から後から止めど無く溢れ出て頬を濡らしていく。

 あの日以来流した事の無かった涙を拭いもせず、ジルはただ蒼い月を見つめていた。




―Crystalline-Cell "SAGA"―

【いつか観た蒼月】



■最終話


『旅立ちの日に』




     ◆




 ベルは夜空から視線を外すと平野を伸びるなだらかな街道を眺めた。

 月明りに照らされた道は思いの外に明るい。

「さて」

 休憩終わり。警備の薄い旧道とは言え首都アルストロメリアと十二自治区との関係は日増しに悪化している。この道もいつ封鎖されるかも知れない。今晩中に抜けておく必要があった。

 地面に置いていたリュックサックのスリングを掴む。

 必要最低限の荷物とは言え、二人分となるとやはりそれはそれなりの重さになる。

 パンパンに膨れた登山用のリュックサックを背負うと、重さで少しふらついた。

「っと」

 とっさに踏み出した脚から激痛が走り顔をしかめる。まだまだ身体は全快とは程遠い様だった。

 事件から二ヵ月。ベルの姿は首都アルストロメリアと十二自治区の一つ、南方のアルターナとを繋ぐ街道の上にあった。

 瀕死の重傷を負ったベルは直後に意識を失ったシルフィーを抱えて何とかレオンの家まで辿り着いたところで力尽きた。

 昏睡状態に陥ったベルはそれから眠り続け、奇跡的に意識を回復した時には事件から二週間が過ぎていた。

 その二週間でアインツを取り巻く状況は随分変わっていた。

 最終的に首都アルストロメリアはその総面積の四分の一程を焼失したと言う。

 装甲列車一機と空中鉄道の高架橋一本、航空師と軍警察を含めた首都防衛戦力の三割、そして千人以上の一般市民の命が永遠に失われた。

 一時的に首都機能を失ったアルストロメリアが情報統制を行うまでの二日間で、情報は爆発的に全国に流れ出した。

 その内容は虚実入り交じれていたとは言え各国に大きな波紋を広げた。

 そしてそれは十二自治区にしてみれば、首都を壊滅させた化け物が実在するかどうかは別としても防衛戦力の三分の一を失ったと言う事実は彼らが行動を起こすには充分過ぎる理由だった。

 首都アルストロメリアに次ぐアインツ第二の都市、北西のスフィリアと、隣接した北のエリムスが首都防衛として戦力の派遣を提案したが、首都アルストロメリアはこれを拒否した。

 航空師を失い防衛戦力を三分の二近くまで減じた首都アルストロメリアからすれば、スフィリアとエリムスの戦力派遣はそのまま首都を占拠される事を意味した。

 首都アルストロメリアは他の自治区に散らばった戦力をかき集めながら偏った防衛戦力を再編成しているが、航空師を失い十二自治区に対する絶対的な優位を失った今、それに従う自治区がどれくらいあるかは分からない。

 それからさらに二週間、状況は少しづつ悪化しながらもほぼ膠着状態の睨み合いが続いていた。

 同じ部屋でベッドに横たわったレオンはベルの意識が回復すると、動けずに寝たきりだった退屈な二週間の鬱憤を晴らす様にそんな話をしてくれたのだった。

 左腕を失い身体のあちこちに包帯を巻いたその姿は見るからに痛々しかったが、本人曰く「失血はヤバかったけど怪我自体は大した事は無かった」そうだ。腕も結晶体の部分が吹っ飛んだだけなので痛みも無いらしい。化け物め。

 ベルは幸い脳にダメージは無かったが腹部を貫通した傷が重く、心肺停止した時はさすがにダメかと思ったとレオンは述懐した。

 意識が回復してからも日に一度やってくる医者から回復魔法での治療を受けていた。

 回復魔法とは言ってもそれはあくまでも身体の水分の循環を調整して回復を早めるだけのものなので、しばらくはベッドから起きられない生活が続いた。

 その間にベルはレオンから色んな話を聞いた。

 レオンの過去の話。今回の事件の事。

 そして、世界の真実。二つの世界を繋ぐ空間の扉…。

 他愛も無い話から重要な話まで。時にはジェニファーも加わり、三人は日が暮れるまで話し続けた。

 さらに二週間が経ち、ようやくベッドから離れられる様になったベルはおよそ一ヵ月ぶりにシルフィーと対面した。

 死んだ様に眠るシルフィーの顔には最後に見た時にあった大きな傷は無かった。

 いや、顔だけでは無い。ベルが叩き折った左腕や肋骨も、魔杖が付けた無数の裂傷も何もかもがキレイに回復していた。

 それは人間にあるまじき回復力だった。

 もしジルギアに言わせるならば、今のシルフィーは循環も代謝も身体に埋め込まれている結晶体の力で行っているから、魔法の力さえ回復してしまえば身体の修復は人間のそれに寄る必要は無いとか、そんなところなのだろう。

 つまりシルフィーは充分な補給が無くても戦い続ける事が出来たと言う事だ。

 結局、彼女を止める為には『彼女』を消し去る以外に方法は無かったのだ。

 もう肉体的には異常の無いはずのシルフィーの意識は、しかし事件から一ヵ月近くが経った後もただの一度も回復しようとはしなかった。

 そして…。




     ◆




「ひゃっ!」

 地面にしゃがみ込んで先程のベルと同じ様に夜空を夜空を見上げていたシルフィーは、見つめられている事に気が付くと恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。

 耳まで赤く染まった顔を手で覆い、指の間から長い前髪越しにベルの顔をうかがっている。

 幼いその仕草は生前の彼女のものとも、もちろん暴走時の彼女とも別のものだった。

 事件から一ヵ月半が過ぎた頃、ようやく眠りから覚めたシルフィーは全ての記憶を失っていた。

 記憶だけではない。人格、ちょっとした癖や喋り方。そう言ったおよそ『シルフィー』と言う人間を構成していたあらゆるものを彼女は無くしていたのだ。

 子供の様に怯える彼女に『シルフィー』の名を与える事がベルの最初の仕事になった。

「……な、何、かな?」

 消え入る様なシルフィーの声を聞いてベルは少し微笑んだ。

「何でもないよ」

 そう言って軽く頭を撫でる。シルフィーは首を引っ込めるとクスクスとくすぐったそうに笑った。

 シルフィーの精神年齢は七歳から八歳程度にまで低下してしまった。

 原因については推測するしかないが、恐らくジルギアの言っていた額の結晶体の作用によるものだろう。

 魔法を失ったかどうかは定かでは無いが(シルフィーの命を繋いでいるのは魔法の力なので少なくとも完全に消失した訳では無いだろうが)少なくとも今のシルフィーには何の力も無い、無害なただの幼い少女と変わらなかった。

 半月前、意識を回復したシルフィーの怯えた瞳を見た瞬間、ベルの気持ちは決まっていた。

 不穏な動きを続ける北の自治区とはちょうど真逆に位置するアルターナは、今のところ特に事を構える様子は無く首都アルストロメリアとの関係が最も良好な都市の一つと言えた。

 アルターナへ続くこの道は大戦の頃に使われていた旧道で、首都アルストロメリアとの間に横たわる山を迂回するルートを通る。数年前に山を貫く新しい街道が完成して以来放棄されて久しい道だが、今のベル達の様に人目を避けて移動しなければならない人間にとっては都合の良い道だった。

 予定では明け方にはアルターナの市内に到着し、そこで協力者と落ち合う手はずになっている。

 この旧道も協力者も全てレオンの手引きだった。彼の協力が無ければ首都アルストロメリアを出る事も難しかっただろう。

『随分ボられたが、まぁ餞別だ』

 とレオンは苦笑していた。

 目下ベル達の目的は王都アインツを脱出する事だ。首都アルストロメリアの影響が及ばない国外に出さえすればかなり自由に動ける様になる。

 そしてその後の目的は、ただ一つだった。

「ジルギア…どこにいる?」

 ベルはもう一度月を見上げて呟いた。

 事件後のジルギアの足取りは全く不明だった。

 混乱に紛れて国外逃亡したのは間違いないだろう。さすがにレオンもそこまでの情報は掴んでいなかった…と言うより彼はジルギアの事についてはあまり話したくない様子だった。

 それでもベルが旅立つと話した時も、旅の理由を話した時も特に反対もせず、むしろ協力してくれたのは有り難かった。

 人目につかない様に国外に抜けられるルートはそう多くない。その中でもアルターナへ向かうこの旧道はジルギアが使った可能性がかなり高いと思われるものの一本だったが、道には最近誰かが通った形跡は無いので残念ながらその線は外れの様だ。

 首尾良くアインツを脱出した後は各地で情報を集めながらの当てのない旅になる。

 どれ程の時間が掛かるのかは予想も付かないが、どれくらい掛かっても良いだろう。一緒にいられるなら。

 レオンはジルギアについては何も語らなかった。ただ出発間際に一言

「ジルギアのやった事は決して許される事じゃない。ただ、もし奴と出会う事が出来たら少しだけで良い。奴と話をしてくれ」

 とだけ言った。

 ベルはそれに答える事が出来なかった。自分はどうあってもジルギアを許す事は出来そうになかった。今はまだ。

 その時、無邪気に笑っていたシルフィーの身体がビクリと震えた。

 小さく悲鳴を上げてベルの脚にしがみつく。

 シルフィーの視線を追うまでも無く、ベルの背後から草を踏み締める音が聞こえた。

 獣の類いでは無い。人間のものが二人分。

 その服装はありふれた市民のもので物腰も特別身構えたものでは無かったが、只の人間では有り得ない。

 只の人間が今この瞬間までベルに気が付かれずに接近する事など有り得ない。

「ベルトラル・リシェール君だね?」

 人影の一人が声を発した。

 月明りの位置を計算に入れているのか顔だけが影になって良く見えない。

「我々はI.C.E.だ。君を迎えに来た」

「…迎え?」 

 訝しるベルに頷きかけ、男が続ける。

「我々は君の様に人の道を外れかけた、表の世界では生きられなくなった人間で構成されている。君の精神力は入隊に値するものだ。我々と来たまえ」

「…戦争が好きなら勝手にやってくれ。俺を巻き込むな」

 下らねぇと掃き捨て踵を返したベルの背中に「全部知ってるぞ」と男の声が被せられた。ベルの背中がビクリと震える。

「君の旅の理由も、首都アルストロメリアを壊滅させた犯人も、シルフィー・ノーマ・サラムディーネが人の道どころか人そのものを外れている事も、全てだ」

 ベルは踏み出しかけた脚を戻し、男を睨んだ。

「…脅す気か」

「そう思ってもらっても結構。君が素直に従えばその子の身の安全も保証しよう。君が探そうとしているジルギア・アランドナウも我々が見つけ出す。彼は我々が勝つ為に必要な人間だ。君に殺されては困る」

 ベルの顔が見る間に殺気を帯びたものに変わっていく。

「断ったら?」

「……その時は我々の存在を知った君達を生かしておく訳にはいかない」

「はっ!」

 ベルは嘲笑う様に歯を剥いた。そしてその目が射殺さんばかりに男達を睨む。

「やってみろよ」

 ベルの身体を呪文の光が流れ始める。

「……」

 男は僅かに思案した様だったが、「仕方無い」と呟くと

「我々に組みするなら良し。さもなくば他の組織の手に渡るくらいなら…君達には消えてもらうしかない」

 その瞬間、場の雰囲気が一変した。

 男達が抜き払った魔杖の光が薄闇に浮かび上がる。

 氷の様な殺気が噴き出し、ベルと男達との間を締め付ける様な緊張感が包んだ。

 二対一で、しかも二人が極めて鍛え抜かれた魔法使である事を差し引いても、まだベルは負ける気はしなかった。

 いや、負ける訳にはいかない。

 相手がI.C.E.だろうが何だろうが、自分の行く手を遮るものは全て排除する。誰にも邪魔はさせない。

 両者の呪文が臨界に達し、今まさに魔法が放たれようとした瞬間。

「ふっ」

 男は軽く笑うと魔杖を下ろした。

「やめておこう。どうせ私達二人だけでは君に勝てない」

 信じられないと言った様子で自分を見る連れを片手で制して、男はベル見つめた。

「大した度胸だ。…本当に惜しいな。良いだろう。今回は君の度胸に免じて見逃そうじゃないか。だがこれだけは覚えていたまえ。私の部下は首都アルストロメリアでその子に殺された。叶うなら…私は今すぐその子をこの手で殺してしまいたい。私だけではない。今回の事件で首都アルストロメリアでは千人以上の人間が犠牲になった。理由はどうあれその子はそれだけの人間の恨みを背負っていると言う事を」

「……」

 無言で踵を返したベルを再び男の声が引き止めた。

「ベルトラル君!私はリカルド・マイスネル少佐だ!君の能力とその子の存在はいずれ大きなトラブルを生む事になる!もしこの先何か先行きならない事態に陥ったその時は、我々を訪ねて来たまえ。歓迎しよう」

 その瞬間、サッと風が吹いた様な気配がして、ベルが振り向いた時にはもう男達の姿は無かった。

「……」

 男達が消えた静寂と闇を見つめながら、ベルは男の言葉を反芻した。

 I.C.E.だけでは無い。これからベルとシルフィーは、自分達の力を狙う組織から狙われ続ける事になる。

 それならば、当ての無い旅をするよりもI.C.E.と言う組織に身を置いた方が良かったのだろう。

 それでも…。

「…ベル、どうしたの?…すごく、怖い顔になってる…」

 ズボンの裾を引っ張りながら、不安と怯えを含んだ顔でシルフィーがベルを見上げていた。

「ごめんね。何でも無いんだ」

 そう言って微笑むとようやくシルフィーの顔に笑みが戻る。

 安心して胸を撫で下ろす姿に小さな心の痛みを感じながら、ベルはしゃがんだままのシルフィーに手を差し出した。

 一瞬きょとんとそれを見つめていたシルフィーは、その意味する事に気が付くと恥ずかしそうに目線を伏せ、その白い手をそっとベルの手に乗せた。

 力は使う為にある。僕は君の為にこの力を使おう。

 ベルはシルフィーの手をギュッと握り締めた。

「さあ行こうシルフィー」

 君の記憶を取り戻す旅に。






Crystalline-Cell ゛A girl having the feather of the variant゛ Closed.







outroduction






 夜半から降り始めた雨はこの時間になってさらに勢いを増していた。

 この分なら首都アルストロメリアの火災も思っていたよりは早く収まるだろう。

 カウンターの中でグラスを磨きながら窓の外を眺めていたマスターは、扉に付けられたカウベルが乾いた音を立てるのを聞いて視線を戻した。

 扉が開いた瞬間、雨音がザッと大きく聞こえた。

 横殴りの雨の中、そこには白衣の男が傘も差さずに立っていた。吹き込んだ風と雨が店の床を濡らす。

「いらっしゃい。遅かったじゃないか」

 男は無言のまま店に入った。後ろ手に閉めた扉がパタンと音を立て、雨音が遠くなる。

 ずぶ濡れの白衣から水を滴らせながら男はカウンターに向かい歩みを進めた。

「奴さん奥の部屋で待ってるよ。早く行ってやれ、ジル」

 ジルギアは俯けていた顔を上げた。額にへばり付いた髪から水滴が落ちる。

「…マスター…俺は」

 だがマスターの顔を見た瞬間言葉が止まった。

 何も言うな、とその顔に書いてあった。

「何か必要な物はあるか?」

「…この子の身体を拭いてやりたい。このままだと風邪をひいてしまう」

「分かった。今タオルを持って来よう」

 ジルギアの抱いていた赤ん坊を見ても特に驚く様子も無く、短く言うとマスターは奥に引っ込んだ。

 余計な事は聞かない。余計な詮索はしない。必要な事しか言わない。

 それがこの世界で生き残る術なのだろうか。

 ジルギアはマスターが入ったものとは別の部屋へ続く扉を押し開けた。

 消毒薬の匂いが充満した部屋の中には一台のベッドが据えられている。

「カイン…」

 ベッドに横たわった男は死んだように眠っていたが、その顔色は街で見た時よりも良いようだった。

「…腕が」

 タオルケットに覆われた身体のラインは、左腕の中程から無くなりペッタリとシーツとくっついている。

「…ちょっと間抜けな戦い方をしただけだ…。気にするな…」

 呟く様な声に顔を上げると、レオンはいつの間にか目を覚ましていた。

 まだ意識がはっきりしないのかうつろな表情で天井を見つめている。

「すまない、カイン」

「…なら…お前が治してくれよ…」

 ジルギアは無くなってしまった左腕の部分のタオルケットを握り締めた。

「ああ。必ずだ。約束しよう」

「…信じてるぜ」

 レオンは少しだけ頬を緩め、ジルギアを見た。

「…お前、これからどうするんだ…」

「…お前が言った通りだ。俺の罪は死んで償えるものじゃない。俺は俺のやり方で罪を償う。一生を…俺の命は…人々の為に使うと誓おう」

「ダメだ」

 タオルケットを握るジルギアの腕をレオンの右手が掴んだ。弱々しいが、精一杯の力で。

「…死ぬな。軽々しく命を捨てる様な事をするな。…お前自身が生き残る為に最大限の努力をすると、約束しろ」

 自分を真っ直ぐ見つめる目に、ジルギアは頷いた。

 安心した様に微笑み力を抜いてベッドに沈んだレオンは、その時になって始めてジルギアの腕の中にいる赤ん坊の存在に気が付いた。

「…その子は?」

「…俺の娘だ」

 ジルギアは顔を覆っていた布を開いた。 

「へぇ…娘がいたとは知らなかったな」

「俺も二時間前までは知らなかった」

 レオンの指が赤ん坊の頬に優しく触れる。

「名前は何て言うんだ?」

「名前?そうだな…」

 少し困って赤ん坊の顔を見たジルギアは、その小さな手の中に何かが握り締められている事に気が付いた。

 取り出してみるとそれは長さ二センチ程の金属片。良く見ると小さく文字が彫られているのが分かる。

 それは軍警察の認識票だった。金属の板の両端に紐を通して首から下げる。

 赤ん坊が握っていた認識票はその両端が千切れていて、刻印してある名前も真ん中しか残っていなかった。

『…ッシュ・ミラナ…』

 ジルギアは認識票を握り締め、赤ん坊の顔を見た。 

「…そうだな。シュミラ、なんてどうかな」

 ジルギアの問いに答える様に、赤ん坊はたおやかに笑った。






 ―そして物語は十三年後に続く―


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