初めて観た仮面ライダーが「仮面ライダークウガ」だった場合に起きるいくつかの困ったこと(2)
「クウガ」が放つ本物感に魅了された結果、続く作品にも同様の熱量を求めてしまうようになる。これが困ったことの正体である。ついつい「クウガ」の影を目で追ってしまうのだ。
ただ、これは「クウガ」と同じような作品を求めるということではない。似たようなストーリー、設定、キャラクターで作品を作ってほしいという要望ではない。「クウガ」のような作品は「クウガ」で十分に堪能している。好きになった作品があったとして、同じようなものを作ってほしいと言うのは理不尽な要求だろうとさえ思う。
では、「クウガ」の影と何か。それは作品の底に流れる本気度、信念のようなものである。お約束に甘えることなく、真正面から作品を世に問う姿勢といっても良い。どんな内容を打ち出すかはそれほど大きな問題ではない。大事なのはその姿勢である。
改めて視聴してみると「クウガ」は決して完壁な作品ではない。どうしても強引な展開は出てくるし、持て余している登場人物もいる。
だが、限りなく現実的な画を作り出そう、玩具の販促だけではない社会性を持った本格的なドラマ作品にしようと言う気概は紛れもなく本物だと感じるのだ。内容以上にその熱量が迫力を持ってこちらに向かってくるのである。
「クウガ」以降、仮面ライダーシリーズは途切れることなく続いており、毎年斬新なアイディアを盛り込んだ意欲的な作品が生まれているのは間違いない。
しかし、「クウガ」が放っていた熱量を超える特撮作品にはまだ出会えていないと言うのが正直な感想なのだ。チャレンジ精神に溢れた作品、ユニークな設定、印象的なデザインのヒーローがこれまでに数多く誕生しているが、どこか特撮作品とはこういうものだと言う線引きを意識的にせよ無意識的にせよ受け入れてしまっている印象がある。ある種の甘えと言えるものかもしれない。
シリーズが長く続くと、ファンは多様化することもあれば固定化することもある。その歴史の中でお約束ごとがドンドン増えていく場合だってある。
作り手と受け手がある種の共犯関係を作り出し、内輪的なノリが出てくるのは避けられない。その輪が大きくなっていくこともあるが、どれだけ大きなものであろうと輪は閉じていることに変わりはない。外に広がっていく方向性とはどこか違っている。
「クウガ」の放つ熱量は特撮作品を輪の中に閉じ込めるのではなく、外に向かって広げていこうという指向性を宿していたように思う。特撮ヒーローというジャンルのお約束に囚われず、言い方は適切ではないかもしれないが、より普遍性を持ったドラマを目指していたのではないだろうか。
その方向性については好みが別れるところだろうが、作り手が揺るぎない信念を持っている作品はそれだけで大きな魅力を放つことになると信じている。もちろん、独りよがりになってはいけないし、一定のクオリティを保つことが前提になるけれど。終わり




