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からすヶ丘小史  作者: 煙亭しっぽ


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3/8

第二章:飛ぶための形

愛する母さまへ


お元気ですか母さん。

私の方は何事もなく、かつての生家に到着しました。


まず最初に、残念なお知らせです。

父さんはまだしばらくは元気そうです。

毎朝早くから丘に通い、大工さんたちと一緒に図面を眺めたり、材料の山を前に腕組みをしたりしています。

でも実際に何か動くものができるまでには、まだしばらく時間がかかりそうです。

今のところは爆発も墜落もしようがありません。

母さん、じれったいかもしれないけど計画は慎重に進めますから、もう少し待っていてください。

なんとかします。


肝心の飛行機作りはまだ準備段階で、父さんは「翼の形をどうするか」とか「布の張り方がどうの」とか、そんな話ばかりしています。

実際に飛ぶのはいつになるやら。

ともすると設計図を引くだけで、破産するまで長生きされてしまうかもしれません。

急がせます。


それから一つ、母さんに謝らなければならないことがあります。

髪を少し切ってしまいました。

屋敷は相変わらず入り組んだ機械の類が多く、父さんの近くに張り付いてチャンスを伺うにも、邪魔になることが多そうなんです。

母さんが大切にしてくださっていたのに、ごめんなさい。

でも随分軽くなって動きやすくなりました。

また伸ばします。


今のわたしは主に父さんの手伝いで、工具を用意したり図面を引いたりしています。

小さな部品の組み立てもなんかもやらせてもらっていますけど、本当にちょっとしたことばかりですね。

母さんが心配するような危ないことは何もしていません。

安心してください。


町の人たちは優しくて、「お嬢さん、あのお父さんをちゃんと見張っててあげてね」なんて声をかけてくれます。

皆さんは父さんが無茶しないか、心配してくださっているみたいです。

でもわたしが、しっかりと無茶をさせてみせますから。

大丈夫です。


婦人援助協会の活動はいかがですか。

読書会の新しい本も楽しみですね。

またお手紙で、面白かった本の感想などを聞かせてください。

こちらからもまたお手紙します。


お母さまを想って

娘より



***** A Short History of Crow Hill /



1904年4月末。

屋敷の裏庭に、時期外れなクラッカーの破裂音が“ぽん”と響いた。

出力を向上させるために発火タイミングを調整した中古発動機が破裂したのだ。

発動機の隙間という隙間から火が噴き出して、父さんと私の目の前に小さな花火が現れた。


「.....やはり手持ちの機材でなんとかするのは難しいかな。いや、ガソリン発動機というのは想像以上に繊細だぞ。」


「蒸気式じゃお話にならないし、やっぱり一番大事な部分は特注するのがいいんじゃないかしら?」


「そうだな。明日にでも都へ行って、いくつか工場をかけ合ってこよう。」


丘の上の研究所の設計は簡素なもので、難なく完成しつつあった。

周辺の整地にはまだ暫くの時間が必要だけれど、建物自体はすでに最後の仕上げに入っている。

それが済むまで父さんと私は、屋敷で飛行機の設計を考えながら、ときおり「鉄の心臓」の改造手術を行っていた。

でもやっぱり、素人仕事には限界があるらしい。

今朝から二つの中古発動機とマグネト箱を使って実験しているが、今、そのすべてが天に召された。


父さんは歳をとっているだけあって色々な機械に詳しいが、詳しいからと言って仕事ぶりまで玄人並みというわけにはいかない。

どちらかと言えば不器用というか、加減のわからない人と言えばいいのか──なんでそこで、そんな力の加え方をするの? と言いたくなる時がたくさんある。

考えることは得意な人のはずなのに、意識して考えずに行動している節さえある。

実のところ自分が飛びたいというだけでなく、私がここに来た理由の半分ぐらいは()()なのだ。

飛行制御なんていう繊細な行為は、あの父さんには絶対無理だ。

父さんは考えることに専念してね。

体を使って繊細にバランスをとるのは私の役目にしてもらおう。


裏庭を片付けた後、屋敷に戻って身綺麗にした私たちは昼食をいただいた。

食堂に行くとすでに“ばあや”が支度を済ませ、さぁ早くと手招きしていた。

元名家らしい豪華なテーブルの上に並んでいるのは、素朴な普通の家庭料理だ。

レモンとポテトの添えられた揚げカレイ、にんじんと緑豆のバター炒めに玉ねぎ多めのブロス。

ばあやの料理はいつでも美味しいのだが、やることを全てやってからの食事というのはいつも以上に美味しく感じる。


ばあやは使用人というのとは少し違う。

まず父さんに対する敬意がない。

それもそのはず、もともと彼女は父さんの叔父──つまり亡き祖父の弟嫁であった人なのだ。

当時は近所に住んでいて、父さんが鼻垂れの悪ガキだった頃から面倒を見てくれてきた人である。

祖父世代が相次いで亡くなってからは町を離れていたが、母さんが私を連れて屋敷を去ったのを機に、請われてこの屋敷に戻ってきている。

家のことが何一つできない父さんに代わって全てを差配してきたことで、近所でも“あの屋敷の真の主は彼女である”と評判だ。


父さんはぶつぶつと考え事をしながら食事をし、ばあやはそれを行儀が悪いやらナイフの使い方がどうやらと嗜めている。

父さんの口から出るぐにゃぐにゃとした機械用の言葉は、私がわかりやすく翻訳してばあやに聞かせて一緒に笑った。

食後の甘いお茶は、裏庭で煤を浴びた体に染み込むようだった。

でも甘さの中にほんの少しだけ顔をのぞかせる渋みについ、母さんと父さんもあんな関係でいてくれたらなと、詮無いことを考えてしまう。


食事をしながら考え続けていた父さんは気が逸ったのか、お茶も一口だけで済ませると早速準備に奔走し───ていたと思ったら、明日を待たずに出掛けて行った。

大きなカバンにたくさん資料を詰め込んで飛び出していき、帰ってくるのは週末ごろだろうか。


...さて、父さんが都に出かけている間にいよいよ髪を切ってしまおう。

思い切り短くしたいと言うと、ばあやはすんなり賛成してくれた。


「この家の血を引くもんはみんな好き勝手だからね。言ったって聞きゃしないのはわかってるから反対もしないよ。それに世の中が変わり続けてるんだ。あたしら女もどんどん変わっていかなきゃね。」


流石は父さん相手に何年もそばで暮らせる才能の持ち主だ。

懐が広い。

断髪式は私の希望で簡素かつ派手目に行うことにした。

ハサミを使って丁寧に切っていく、なんてお淑やかな作法に用はないのだ。

まず手始めに、ばあや自慢のよく研がれた包丁で、うなじの辺りから一気にばさりと刎ねてもらった。

私にもばあやにもためらいはなく、頭と髪の切り離しは10秒もかからずに完了した。


まだ他の部分を細かく整える必要があるけれど、いったん姿見の前に立って自分の頭部を確認してみよう。

...うん、なんと言うかもしかして──これは、()()()()()()()()んじゃないか?

うなじも露わに切り立って跳ねる毛先は、さながらミソサザイの尾のようだ。

人間の頭であるはずなのに、飛ぶための形をしているように見える。

ばあやが後ろから覗き込んで満足げに頷いた。


「いいじゃないか。あんたこっちの方が似合ってるかもね。」


「でしょう? ねえ、このまま町へ買い物に行きましょうよ。」


「面白そうだね。ちょうど夕飯の材料も買い足したかったところだ。支度しておいで。」


私は軽やかに階段を駆け上がり、外出用の服に着替えた。

すいすいと前に運ばれる私の体は、切った髪の重さ分以上に軽くなったように感じられる。

屋敷中の鏡の前を通るたびに、何度も首を傾げて新しい自分の姿を確認する。

短い髪が、動くたびに軽く揺れた。

母さんには悪いけどこれは本当に良い決断だった。



*****



からすヶ丘の町は午後の穏やかな日差しに包まれていた。

石畳の市場通りには、一年ぶりの懐かしい人々が行き交っている。

青物屋の主人が店先で野菜を並べ、向かいのパン屋からは香ばしい匂いが漂ってくる。

教会の鐘が三時を告げると、近所の子供たちが学校から帰ってくる時間だ。


私とばあやが差し掛かると、最初にこちらに気づいたのは青物屋のご主人だった。

彼は積み上げていたキャベツの山を崩し、転がったキャベツを追いかけることも忘れて私の頭を凝視した。


「お、お嬢さんですか? 随分お久しぶりですけど、その髪は.....。」


「切ったわ。かっこいいでしょう?」


私は笑顔で答えたが、ご主人は固まったまま無言だった。

ばあやが肩をすくめて、転がったキャベツを拾い上げてやる。


「時代が変わるよ。あんたも変わりな。」


次にパン屋の前を通りかかると、店の中から若い娘が飛び出してきた。

彼女は私の髪を見て目を丸くしている。


「久しぶりじゃないあなた! その髪...!」


「久しぶり! これ、可愛いでしょう?」


「可愛い...かどうかはまだ、よくわからないけど.....でも、勇気あるわねぇ!」


娘さんは興奮した様子で、店の奥に向かって叫んだ。


「ちょっと母さん! 見て! お嬢さんが戻ってきてるわよ!」


店の奥からパン屋の女将が、小麦粉まみれの手を拭きながら出てきた。

彼女は私を一目見ると驚きで言葉を失った。


「.....わぁ。」


それだけ言って、また奥に引っ込んでしまった。

娘は申し訳なさそうに笑った。


「ごめん、うちのお母さん保守的だからさ...でもやっぱり素敵だよそれ。」


「ありがと! また今度ゆっくりね!」


私たちが通りを進むにつれて町の中がざわめいていく。

窓から顔を出す人、店先で立ち止まる人、子供たちが指を差して囁き合う。

まるで珍しい鳥でも飛んできたかのような雰囲気だ。

肉屋の前では、太ったご主人が包丁を持ったまま飛び出してきた。


「お嬢さん!? 髪をどうしたの! しばらくこっちに来てなかったけど、なにか病気でもやらかしていたのかい!?」


「治療とかじゃないわ。()()切っただけよ。」


「ただ切ったって.....何で──?」


「飛びたくって。」


私がにっこり笑って答えると、ご主人は困惑した表情で首を傾げた。

ばあやが横から口を挟んだ。


「あんたの心配する必要はないよ。それより今日は良い肉あるかい?」


「え? うん、あるよ、あるけども...」


ご主人は戸惑いながらも店の中に戻っていった。

雑貨屋の近くでは、老婦人たちが井戸端会議をしていた。

彼女たちは私を見ると一斉に会話を止め、そしてそれまでの倍速でひそひそと囁き始めた。


「あれ、あの屋敷の娘さんじゃないかい」

「まあまあ、髪を...なんてことをだい」

「やっぱりあの父親の娘だね」

「可哀想に、母親がいないから...」

「いや母親はいるんだよ、隣町で一緒に暮らしてて」

「なら一体なんであんなことに」


私は彼女たちに向かって、わざと大きく手を振った。


「こんにちは! 良い天気ですね!」


老婦人たちは慌てて目を逸らした。

ばあやが小声で言った。


「あんた、楽しんでるだろ。」


「もちろん。」


私たちは雑貨屋に入り、必要なものを買い揃えた。

店主も私の髪を見て何か言いたそうだったが、ばあやの鋭い視線に黙り込んだ。


帰り道もおよそ行きと似たようなものだった。

私たちが屋敷に戻る頃には、通りの外にも噂は広がっていることだろう。

「父親だけでなく娘まで」と。

明日にはもっと大げさな話になっているかもしれない。

でもそれで良い。

私たちはこれから、もっと大きな驚きを町の人々に与えることになるんだから。

髪を切ったぐらいで驚いていては、この先の“お楽しみ”にはついていけないことだろう。

吉報を携えて帰ってくるに違いない父さんを、軽くなった姿で出迎えるのが楽しみだ。


屋敷に戻ると私は窓辺に座り、丘の上の研究所を眺めた。

ばあやが淹れてくれたお茶を味わいながら、私は短くなった髪を丁寧に触ってみる。

本当に軽い。

すでに少しだけ空に近づいた気がする。



***** 続く *****

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