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ラブ ストーリー 彼女の中の私の時間  作者: 穏世青藍


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プロローグ

 あれは5月の時だった。

 彼女を初めて見た時は。

 あれは、天気のいい日だった。

 彼女を初めて見た日は。

 あれは、挨拶をした場所だった。

 彼女を始めて見た場所は。


 始まった。

 始まった。

 彼女の中の私の時間。


 もう、恋はしないと思っていた。

 前の恋が、苦しかったから。

 もう、愛してはもらえないと思っていた。

 前の恋が、整理できていなかったから。

 もう、結ばれる事はないと思っていた。

 前の恋が、辛かったから。


 彼女が、彼女が、私を見つけてくれた。

 彼女が、彼女が、私を欲してくれた。

 彼女が、彼女が、私を満たしてくれた。

 

 ただ、ひたむきに、私に愛を注いでくれた。

 ただ、いじらしく、私を困らせてくれた。

 ただ、無邪気に、私へボールを投げてくれた。


 私が、段々、変わっていく。

 私が、段々、重みを増していく。

 私が、段々、男になっていく。


 それは、とても、大切な時間。

 私は、彼女を、深く、愛した。

 彼女は、私を、深く、愛した。


 忘れない。

 忘れない。

 その全てを忘れない。


 彼女が、私の世界を、磨き上げた。

 彼女が、私の存在を、昇華させた。

 彼女が、私の精神を、不動にした。

 

 彼女の世界が、私を、動かした。

 彼女の存在が、私を、深くした。

 彼女の精神が、私を、戻した。


 私は、私に、なれたのだ。

 時間が、とても、かかったけれども。

 振り帰ると、その時間が、今の私には、もどかしい。

 暗闇の中で縮籠っていた私を、彼女が丁寧に丁寧に光を照らして、この世界で生きていく事に、意味を見出してくれた。

 何故、もっと、早く、素直に向かい合ってあげられなかったのだろう。

 何故、もっと、早く、我儘を聞いてあげられなかったのだろう。

 何故、もっと、早く、愛を注いであげられなかったのだろう。

 こんなにも、こんなにも、大切な人なのに。

 

 生涯の、全てを、その恋に注いだ。

 言葉の、全てを、その思いに注いだ。

 心の底の、全てを、その愛に注いだ。


 愛している。

 愛している。

 ずっと彼女を愛している。


 私は、見つけられたのだ。

 生涯、愛を注げる人を。

 どの様な形になっても、彼女は私の全てだ。

 

 生きてみよう。

 生きてみよう。

 彼女が望む世界を。

 そして、いつか、笑って褒めてほしい。

 私の愛したその笑顔で、褒めてほしい。

 この世界を終える最後に、笑って、私の手を取って、褒めてほしい。

 それが、私の切なる願いだ。

 彼女が私の為に、全てを捨てて、送り出してくれた様に、私は彼女の為に、全てを掛けて、幸せになってみせる。

 出来るだろうか。

 出来るだろうか。

 私の隣に彼女がいない。

 私は踏ん張れるだろうか。

 2人の間に流れた愛を噛みしめながら、私は、やり遂げてみせる。

 私は、男だ。

 彼女に、そう、認めてもらいたい。

 そして、夢の中では、私の妻でいて欲しい。

 彼女の夢の中では、誰が夫なのだろう。

 私であって欲しい。 

 私以外、あり得ない。

 私達の思いは、永遠だから。

 そうでなければ、私の心の底が悲鳴をあげるだろう。

 夢の中くらいは、自由にして欲しい。

 そうでなければ、虚しいだろう。

 彼女との時間を思い出すのが、これまでの私を癒す方法だ。

 彼女との思い出が、私を癒す。

 私は、何時でも、彼女の側いる。

 何時でも、心の底は、側にいる。

 さぁ、今日も、彼女と夢の中。



 私は53歳になる。

 性別は男だ。

 家族と一緒に、東北地方に暮らしている。

 おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、私の5人家族だ。

 独身だ。

 仕事は、中小企業の支店の営業部だ。

 学生時代の就職課の担当者は、今の会社を大企業だと説明した。

 入社してある日、配属された先の副部長が、仕事帰りに飲みに連れて行ってくれた。

 そこで、うちの様な中小企業は…、と言った。

 そうか、うちは、中小企業なんだと思った。

 それから、私は、それを肝に命じている。

 機械製造販売メーカーだ。

 副参事だ。

 主に、公共事業向けの製品を担当している。

 来週から、関東地方の工場の調達部に栄転する事になった。

 担当課長になる。

 鋳造品を担当する。

 楽しみだ。

 実家は、農家だ。

 専業農家だ。

 野菜や林檎を育てている。

 休日には、畑の手伝いをしている。

 子供の頃から、ずっとそうしてきた。

 仕事を抱えながらは大変だけれども、それなりに楽しんでいる。

 おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんを、とても尊敬している。

 沢山の農業の専門書を読み漁っては、品種改良をしている。

 朝から晩まで、昼夜問わず、働き詰めだ。

 その為、身体をとても心配している。

 家の家事や食事の支度を、物心ついた時には、手伝っていた。

 お陰で、一人暮らしは、余り、心配していない。

 お菓子は、家族だけでなく、ご近所さん、野菜や林檎のパートさんやB型就労支援施設の方々にも振る舞って、好評だ。

 勿論、職場にも持って行っている。

 私は、こういう、アットホームな事が、大好きだ。

 今度の職場にも、たまには、持っていきたいと思っている。

 今は、引っ越しの準備で、忙しい。

 性格は、堅苦しい。

 頑固だ。

 そして、よく、頭でっかちだと言われる。

 小心者だ。

 その為、石橋を沢山叩いて、割ってしまった上を要心深くそろそろと歩く。

 出来るだけ、人の気持ちに寄り添おうとはしている。

 でも、周囲の人との距離をとりたがる。

 一人の時間がとても大切だ。

 何かに没頭が出来るものをする事が、日々に潤いを与えてくれる。

 私は、この事が、少し、心のの余裕を生み出してくれていると思っている。  

 それに、何となく、孤高みたいで、格好いいかもしれないと思っている。

 だからといって、別に、演技をしている訳では無い。

 ごく、自然体だ。

 ちなみに、私は、顔は、可でもなく不可でもないと思う。  

 年齢を重ねた、そこそこいい味だ。

 後は、男は、中身で勝負すればいいと思っている。  

 まぁ…、イケメンは、羨ましいけれども。

 イケメンは、ただ存在するだけで、愛されていて、とても人生を謳歌していそうだ。

 本当に、羨ましい限りだ。

 私の様な、凡顔には無い世界が広がって見えるのだろうなぁ。

 私も一度でいいから、イケメンみたいに、女性からちやほやされてみたい。

 折角、関東地方に行くのだから、とびきりの舞台でめくるめく恋愛にはまりたい…、所だが、心の底に引っかかっている事がある。

 前の彼女だ。

 私を何も告げずに離れていった彼女との思い出が、私を次の恋の邪魔をする。

 まだ、彼女の事を、それでも愛している。

 彼女とは、別れてから6年間も会っていない。

 音信不通だ。

 まぁ…、仕方がないか…。

 噂によると、都会で働いている男性に精神を洗脳されてしまい、結婚して子供までいるそうだ。

 生活は、高給取りの男性だから、経済的には安定しているらしい。

 …、籠の鳥だそうだ。

 自由が無いらしい。

 でも、寵愛を受けているわけでは無さそうだ。

 彼女をそんな目に遭わせて…、と、毎日、会った事もない男性に憤慨している。

 不憫な彼女を、いつか助け出してあげたいと、何処にいるのかも分からないのに、毎日、そう思って生きてきた。

 だけれども、もう、そんな自分に、終わりを告げようと思いだした。

 栄転を機に、私は、羽ばたこうと思いだした。

 彼女より、いい女性を見つけてやると、息巻いている。

 何か、楽しみだ。

 関東地方の女性だ。

 きっと、都会的な愛の語らいをするのだろうなぁ。

 かと言って、女性に牧歌的な愛の語らいを求めてしまう私がいる。

 どちらにしても、素敵な恋愛を楽しみたい。

 もう、彼女から、卒業しよう…。

 出来るだろうか…。

 本当は、とても、苦しい。

 彼女を忘れる事も。

 彼女を愛した私の心の底を忘れる事も。

 女々しいのは分かっている。

 でも、出来ないのは、出来ないんだ。

 それが、現実だ。


 今日、私は、中途半端な5月から、関東地方の工場勤務になった。

 4月の下旬に、アパートに着き、一人暮らしの生活用品を用意する為に、あちらこちら調べ上げた。

 そのアパートは、主に私の会社の独身が利用しているらしい。

 男性寮の様なものだ。

 そして、先に、役所・銀行・ライフラインを手続きをし、買い物を大量に積んで、車で移動した。

 私は、小回りの利く軽自動車が大好きだ。

 車中から見えた関東地方は、東北地方とは違って、もう、春の花が散っていた。

 私は、花が大好きだ。

 なので、葉桜になっていたので、少し、残念だった。

 まぁ…、葉桜の緑色の爽やかな感じも、好きだけれども。

 毎日を忙しくしていた為に、実家に電話をするのを忘れていた。

 お母さんから、心配をする電話が携帯の留守電に沢山入っていた。

 最後は、小言になっていた。

 気付いてからは、とりあえず、誰とも会話しなくて寂しいせいもあって、毎日、電話をした。

 私は、一人暮らしデビューをしたばかりだったので、買い忘れが多くて、しょっちゅう、買い物に出掛けた。

 その帰りには、近くのこれから働く事になる工場をぐるっと一周してから帰った。

 アパートから、車で5分の所だ。

 出社する時には、徒歩で通うことになった。

 予想はしていたけれども、私の住む事になった関東地方の地域の夜は、電灯が煌々としていて、主要道路は夜道が暗くない事に、驚いた。

 しかも、夜中までお店を開いているのが、コンビニエンスストアだけではなくて、飲食店等が、沢山あった。

 あぁ、これが、関東地方だと思った。

 関東地方ライフを満喫する楽しい事を、思い浮かべていた。

 でも、私は、一人では飲食店には恥ずかしくて入れないので、テイクアウトにしてもらって、アパートで黙々と食べていた。

 いつか新しい彼女と行きたいと、胸が高まるのを感じつつ、夢を膨らませていた。

 そして、今日、その運命的な彼女が…、出来るはずだった。

 私は、初めに、本社へ出向いた。

 朝は、8時からの始業だった。

 私は、7時半には到着していたが、近くのコンビニエンスストアで、缶珈琲と飴を買って、時間を潰してから、10分前に動き出した。

 門をくぐり、守衛さん達に挨拶をして、暫く歩くと、入社して研修が終わった時以来のとても大きな建物の中に入った。

 受付を済ませ、ロビーで待った。

 ふかふかのソファーに嬉しくなった。

 きょろきょろと、年甲斐もなく、辺りを見回した。

 誰か同期の人が通り過ぎないかと、期待をした。

 まぁ…、もう、顔も覚えてはいないけれども。

 名札を首から下げている男性が、受付の女性と話して私の方を見た。

 そして、こちらの方へにこやかに向かって来られたので、鞄を持ち、立ち上がった。

 お互いに挨拶をした後、廊下を世間話をして歩き、総務部に寄り、色々と手続きをした。

 そして、応接室に通された。

 そこには、これからお世話になる調達部の部長が待っていた。

 挨拶をすると、即に、これから勤務する工場へ行くと告げられた。 

 各々の車で、向かった。

 そして、車を停め、守衛さん達に挨拶をして、工場の総務部のある事務棟へ行き、手続きをした。

 そして、やっと、調達部のある棟へ着いた。

 先に、総務部で渡されたタイムカードを通した。

 調達部のある事務所に入った。

 私は、淡々としていて、余り、緊張はしていなかった。

 部長が、私の席へと案内してくれた。

 管理職と横並びの席になっていた。

 とても、嬉しかった。

 今迄は、副参事だったので、皆と席を向かい合わせていたから、いつかは、その横並びになりたいと思っていた。

 私は、全く、野心がある方ではなかったが、これは、憧れだった。

 じ~んとした余韻に浸る事もなく、即に、紹介があり、挨拶と軽い自己紹介をした。

 沢山の人がいた。

 皆がこちらを見た。

 とても、恥ずかしくなった。

 そして、昼食になった。

 食堂と売店があるという事だったので、部長に連れて行って頂いた。

 食堂のメニューをさらっと一瞥し、売店でおにぎりと唐揚げとカップラーメンと野菜ジュースを買った。

 席に戻り、持ってきたマグカップに紅茶のティーパックを入れて、カップラーメンの蓋を半分空けて、電気ポットのお湯を注いだ。

 そして、椅子に座ろうとした…。

 椅子が、肘掛け椅子になっていた。

 今迄は、普通の椅子だった。

 余りの嬉しさに、椅子に深く座って、両腕を肘掛けに乗せてカップラーメンが出来上がるのを待っていた。

 担当課長になれたんだと、じわじわと、認識した。

 にこにこしながら、昼食を摂った。

 そして、食後の珈琲を淹れると、鞄から、何のためらいもなく、刺し子セットを取り出した。

 刺し子とは、刺繍の様なものです。

 そして、ちくちく、縫い始めた。

 一目一目、丁寧に、仕上げていった。

 周囲は、こちらをちらちら見始めた。

 そして、課長が横の席からこちらを向いて、刺し子へと目線を落とした。

 

 凄いじゃないか。


 そう、言って褒めてくれた。

 課長の言葉につられて、私の席には、沢山の人達が来てくれた。

 そして、皆、褒めてくれた。

 私は、首から顔に熱さが上がってくるのを感じた。

 私は、珈琲をゆっくり飲んで、また、ちくちく始めた。

 午後の仕事は、部長と各部署へと挨拶回りに行った。

 設計部、生産部、品質保証部、物流管理部、総合研究所…等、あちらこちら慌ただしく回った。

 そして、挨拶をした。

 堅苦しい挨拶にはならない様に気を付けた。

 沢山の名刺を頂いた。

 名刺入れが一気に膨らんだ。

 そして、事務所へ戻った。

 緑茶を淹れて、ひじ掛け椅子に深く座り、飲みながら、頂いた名刺を机に置いた。

 

 気になるな…。


 そう思った。

 ある女性が記憶に残っていた。

 その女性は、多分、10歳位は…歳下に見えた。

 少しふくよかな女性だった。

 この中に…と、頂いた名刺の中から、生産部の担当課長だったと思い出しながら、探した。

 あった。

 名前を知った。

 

 ふ~ん…。


 こういう名前なんだ…。


 名前を知ってしまうと、余計に、気になりだした。

 私は調達部だから、生産部との連携は強いだろうからら、会う機会があるだろうと、期待した。

 ぬるくなった緑茶を飲み終えると、机の上を片付け始めた。 

 課長がこれから担当する仕事を教えると、言った。 

 会議室で引き継ぎをすると言われたので、そちらへ行ってみた。

 すると、部長、副部長、課長、担当課長がいらっしゃった。

 マイルドな珈琲の香りが、部屋中を覆っていた。

 

 モカマタリかなぁ…。


 ドリップしてくれたんだ…。


 何時もは、インスタントの珈琲なので、嬉しくなった。

 …、かと言って、私は珈琲にそこまで詳しくはないし、インスタント珈琲で、充分満たさせている。

 前の彼女が、喫茶店で働いていたから、何となく、珈琲豆の名前くらいは、覚えている。


 彼女の事を、また思い出してしまった…。


 まだ、未練たらたらな私に、笑ってしまった。

 珈琲カップとソーサーがとても素敵だ。

 青色のグラデーションになっている。

 席について、勧められるままに、珈琲をそっと一口飲んだ。

 ほっとする味がした。

 そして、年配の担当課長から引き継ぎが始まった。

 部長、副部長、課長が、補足をしだした。

 終業時間まで、メモを取り続けた。

 そして、今日は、簡単な歓迎会をしたいから、都合はどうかと聞かれた。

 きちんとした歓迎会は、今月に定年退職される年配の担当課長の送別会と一緒にすると告げられた。

 喜んで行くことにした。

 一度、車をアパートに併設されている駐車場へ置きに行った。

 地図を見ながら、歩いて、駅前の焼き鳥屋まで行った。

 このお店が、調達部のお気に入りらしい。

 心置きなく沢山食べて沢山飲んでと言われたので、有難くたらふく食べてたらふく飲んだ。

 久々に人の温もりに包まれた。

 人とは距離を取りたがるタイプだけれども、かなり、寂しかったらしい。

 それを口にしたら、いい大人が…、と思うだろうなぁ。

 いい感じに酔って、ご機嫌のままタクシーで帰った。

 そして、お風呂にも入らず、歯磨きだけして眠った。

 本当は、潔癖症ではないけれども、お風呂は毎日欠かさず入るほうだ。

 でも、その夜は、へべれけだったので、お風呂に入らない私を許してあげた。

 …、次の朝、大変だった。

 遅刻する訳にもいかないので、お風呂をシャワーでさっと済ませ、朝食は、事務所に着いてから食べた。

 …、工場内を走る送迎バスから、生産部の担当課長の女性が降りていたのを、何となく目の端で見つけた。

 それを、思い浮かべながら、黙々と始業時間までに食べ続けた。

 毎日、毎日、仕事に没頭した。

 私は、就職する迄、工学・物理・環境等工業関係を学んだ事は無かった。

 私は専門学校を卒業した。

 情報処理は得意だ。

 でも、入社して営業部に配属されると、必死に工学・物理・環境等工業関係を勉強した。

 負けず嫌いではなかったが、働く以上は、しっかりと責任を持ちたかった。

 上司や先輩方々から、沢山教えて頂いた。

 お客様から、教えて頂く事も度々あった。

 今では、何とか、製品の性能を自信を持って紹介出来る様になった。

 支店の営業一筋だったが、会社の意向で、色々な部署を経験させて、人材育成したいという事で、異動になった。

 前々から、その話はあるにはあったが、それとなく逃げてきた。

 でも、とうとう、この年になって、行かなければならなくなった。

 栄転だが、私にとって、本当は、難しい話だった。

 でも、これも、何かの縁だろうと思って、楽しんでみようと気持ちを切り替えた。

 私は鋳造品の担当になったので、工場内の検査場や溶接場へと足繁く通った。

 鋳造品は、納入して頂くのに、とても時間がかかる。

 折角、早く納入して頂いても、加工の最中に、巣が出てしまう事もある。

 こればっかりは、仕方の無い事だと、年配の担当課長は教えてくれた。

 巣不良の為の次の替えの鋳造品を納入業者へ連絡して、その納期を生産部の担当者へ連絡する。

 まぁ…、生産部が鋳造品の機械加工をする為に、本体の組立や、お客様に納入済みの修理用としての出荷間に合わないと言って、大騒ぎして先に私へ納期の問い合わせをしてくるが…。

 そもそも、切羽詰まった納期管理なんかしないで、余裕を持たせた納期管理をすればいいのに。

 その事を年配の担当課長に愚痴をこぼしたら、笑って、そうだなぁと、言った。

 でも、何処もかしこも不景気だから、切羽詰まった必要な時にしか発注は無いんだよと、教えてくれた。

 そう言えば、営業部にいた頃は、それで苦労したなぁ…と、思い出した。

 お客様から、突然、納期の短い発注が来る事がしばしばあった。

 その度に、生産部へ、お願いし倒していた。

 地元の、銘菓を贈ったりもした。

 点と線が結びついた。

 今度は、営業部を支える縁の下の力持ちになった。

 よぉ〜し、営業部の為に、頑張るぞぉ…。

 そう思いながら、毎日、出来る所から、仕事を淡々とこなしていった。

 気になる生産部の担当課長の女性とも、度々、電話や工場内の現場で、話をする様になった。

 月に1回は、生産部、調達部、設計部で会議があった。

 担当課長以上の管理職が集まって、其々の進捗状況や意見を交換し合った。

 その会議のセッティングは、其々の担当課長が何時もしていた様だった。

 話す機会が出来た。

 取り立てて、話題はなかったが、話していて楽しかった。

 暫くすると、総合研究所で試験的に製作していた製品が商品化される事になった。

 すると、大型発注が舞い込んだ。

 その為、生産部と調達部と設計部合同のプロジェクトチームが発足した。

 毎日、毎日、忙しかった。

 生産部の担当課長の女性と、自然に話す機会が増えていった。

 色々な話をした。

 彼女は、とても、興味を持って、話を聴いてくれた。

 とても、心の底が穏やかになった。

 だけれども、彼女は、身体が弱くて、週に一度、水曜日に通院をしていた為に、会えない日もあった。

 工場には、産業医もいたが、昔からの掛かり付けの病院へ通っていた。

 私は、寂しかった。

 席が隣同士にだったので、お昼ご飯も一緒に食べた。

 彼女は、お弁当に入っている卵焼きや唐揚げを見て、美味しそうだと言ってくれた。

 手作りだと言ったら、驚いていた。

 試しにお裾分けをしたら、とても美味しいと褒めてくれた。

 だから、私は、多めに持って行っては、彼女にあげた。

 彼女は、何時も、工場内が休憩を取る10時、昼食後、工場内が休憩を取る3時に、飴を一つずつくれた。

 私は、近所のスーパーやコンビニエンスストアでお菓子を買って、お礼をした。

 そして、偶に、手作りしたお菓子を持って行った。

 とても、喜んでくれた。

 私は、とても、嬉しかった。

 彼女は、杏仁豆腐が好きな様だった。

 美味しそうに、沢山食べてくれた。

 私は、彼女の笑顔が好きになった。

 彼女の笑顔を知ってしまった。

 商品が軌道に乗った。

 プロジェクトチームが解散になった。

 彼女と毎日話す機会がなくなってしまった。

 鋳造品の納期遅延や巣不良の時に、職場で見かけるか電話で話すくらいで、繋がりが薄れてしまった。

 朝、工場内を走る送迎バスの中から彼女が降りてくるのを見ようと、その時間帯に合わせて出社した。

 

 話す事はなかったけれども、それでも満足していた。

 その内に、何だかんだといって、調達部で飲み会が頻繁に行われるようになった。

 何故か、生産部にも声を掛けていた様だった。

 彼女が来る様になった。

 何故か…、避けられているように感じた。

 気付けば彼女はいつも、私から遠くの席に座っていた。

 1次会、2次会…と進むにつれて、皆、思い思いの席に座った。

 だけれども、私は、恥ずかしくて、彼女の側には行けなかった。

 何故か、彼女が、周りから私の側へ追いやられる様に、段々と、席を近づいてきた。

 そして、よく、隣同士になった。

 沢山、話した。

 彼女は、とても熱心に耳を傾けてくれた。

 何だか、とても嬉しそうだった。

 私は、心の底が暖まった。

 彼女は、お酒は余り強くない様だった。

 私も、お酒は嗜む程度で良かったので、深酒はやめた。

 そうして、少しずつ、仲を深めていった。

 後で、部長から教えてもらった事だが、私の気持ちに、周りが気付いていたらしかった。

 早く、くっつけと、思っていたらしい。

 皆、気を使ってくれていた様だった。

 暖かい部署だ。

 更に、仕事に、やる気が湧いてきた。

 月に1回の会議を楽しみにしていた。

 また、月に1回の会議がやって来た。

 彼女と会議のセッティングをした。

 会議は昼食を挟んで行われた。

 昼食後、いつもの様に、刺し子をしていた。

 ちくちく縫っては、次は何色にしようか、迷っていた。

 すると、左手側に、人の気配がした。


 ここ、座ってもいい?


 彼女だった。


 あっ、良いよ。


 私は、頷いた。

 動揺して目を反らしてしまったが、顔は彼女の方を向いていた。

 

 嫌だと思っていると思われたかな…。


 心配になった。

 急いで、机の上の荷物を横にずらした。

 顔が、ほころんでしまった。

 ここで、にこにこしていたら、にやにやしていると思われて、嫌われてしまうかもしれないから、必死にスマートな顔を作った。

 彼女が、刺し子を覗き込んで、褒めてくれた。

 どうしようかと迷ったけれども、勇気を出して、差し上げますと言ってみた。

 思いの外に、好感触だった。

 なので、刺し子を一緒にしないかと誘ってみた。

 彼女は、驚いた顔をしてこちらをじっと見た。

 私は、しまった…と思い、慌てて目を反らした。

 そして、何事もなかった事にしてしまいたいと思いながら、ちくちくと刺し子を縫い始めた。

 すると、彼女が、教えて欲しいと言ってくれた。

 私は、嬉しくて、微笑んだ。

 それからは、いつも、お昼ご飯の時には、彼女が調達部の、事務所へ迎えに来てくれた。

 空いている会議室を使って、一緒にお昼ご飯を食べて、そのまま刺し子をした。

 くだらない話や世間話や小難しい話もした。

 穏やかな時間が流れた。

 暫くしたある日、彼女は、突然、歌い出した。

 リラックスすると、鼻歌が出てしまうらしい。

 私は、面白いと、笑った。

 彼女も、おおらかに、ふふふ、と笑った。

 やっぱり、私は、彼女の笑顔が好きだ。

 側にいたいと思った。

 後で、彼女から聞いた話だが、本当は、調達部の事務所へ迎えに来る事が、恥ずかしかったらしい。

 女がアプローチしていると、周りから思われるのが、耐えられなかったと聞いた。

 別に、恥ずかしくないと、何て考え方が古風な人なんだと思って笑った。

 でも、それなら、私が、生産部の事務所へ行ってあげれば良かったのかと思うが、何となく、面倒臭くなって、一緒に刺し子をしなくなっていたかもしれないと、思っている。

 ある日、彼女が、誕生日プレゼントだと言って、農作業用の手掛をくれた。

 ビニール袋に入っていた。

 よく聞くホームセンターの名前が印刷してあった。

 何故、手掛けなのか、よく分からなかった。

 私の家は、農家なので、手掛けだと即に分かった。

 赤と白と黒のチェック柄と、青緑と白のチェック柄の2つが入っていた。

 彼女が、ワイシャツの袖口が鉛筆で汚れていたのが気になったと言った。

 嗚呼、そういう事か…と、思いながら、赤と白と黒のチェック柄の手掛けを早速はめてみた。

 嬉しくて、これからはら毎回、刺し子をする時には、手掛けをはめようと思った。

 お礼に…と思って、何かプレゼントしようと思った。

 歌が好きな彼女の為に、CDを贈ることにした。

 これまで一緒に仕事をしてきてお世話になっているから、感謝の気持ちを表した歌にしようと思った。

 アルバムだったので、聴いて欲しい番号を書いたメモを袋の中に入れた。

 彼女はとても喜んでくれた。

 次の日、彼女はCDをプレゼントしてくれた。

 お勧めの番号を書いたメモが入っていた。

 私は、それを、家に帰ってから、夜ご飯の支度をしながら聴いた。

 爽やかなラブソングだった。

 後から、彼女から、こっぴどく怒られた。

 私の贈ったCDは、ラブソングだから、勘違いすると。

 私は、バラードを贈ったつもりだった。

 でも、彼女は、その曲がきっかけで、私への舵を切ったと言った。

 とっても怒っていたから、驚いて心が固まってしまった。

 だから、もう、いいやと思って、彼女の事は諦める事にした。

 私は、ただ単に、お礼をしたかっただけなんだ。

 彼女が勝手に勘違いをしたんだ。

 私は、私の殻に閉じ籠もった。

 謝らなかった。

 私は、悪くないからだ。

 …、でも、後々彼女と付き合う様になってから考えてみると、その贈った曲に、彼女の面影を見ていた様だった事に気が付いた。

 恋心だった。

 驚いた。

 正直に彼女に言った。

 涙ぐんで、喜んで、笑ってくれた。

 彼女の誕生日プレゼントを渡そうと思った。

 まだ、付き合ってはいない、微妙な関係だったので、重くならない様に、コンビニエンスストアでスイーツを沢山買って贈った。

 それに、私は、生活がぎりぎりだった。

 一人暮らしの家賃や光熱費や食費、車のローンや車検費用や保険代やガソリン代や駐車場代、実家への仕送り等…、余裕がなかった。

 だから、生活は、非常に質素だった。

 でも、パズルと籠作りとゲームにはお金は割いた。

 酒や煙草や賭け事には、興味がなかった。

 給料日に仕事を定時に終えると、工場内にあるATMでお金を下ろして、即に工場の側にあるコンビニエンスストアへと走った。

 そこで、美味しそうなスイーツを沢山買ってあげた。

 そして、急いで、工場内へ戻って、彼女が生産部の事務所のある棟から出てくるのを待とうとした。

 走っていたら、もう彼女が棟の中から出てきたのが見えたので、慌てて道路を渡って、ビニール袋を突き出した。

 とても、驚いていた。

 中を見て、とても、喜んでいた。

 そして、いつもの様に、笑ってくれた。

 嗚呼、良かったなと、思った。

 1週間位経ったある日、部長から、海外にある会社の工場へ出張を命じられた。

 私にとっては、初の海外だった。

 パスポートは、入社して即に作っておいた。

 でも、まだ、一度も使った事がなかった。

 通訳さんが付くという。

 英語は日常会話が出来れば良いと伝えられた。

 少し、ほっとした。

 日本ほどでは無いけれども、治安はそんなに悪くはないと。

 出来るだけ早く現地へ向かって欲しいとの事だった。

 赴任していた方が、体調不良の為に、一時帰国するらしかった。

 代役が見つかるまでの、繋ぎを任されたようだった。

 いつになったら、帰国できるのか、分からなかった。

 彼女の事が、頭をよぎった。

 でも、仕方が無い。

 これが、サラリーマンだ。

 楽しんでこよう…、そう気持ちを切り替えた。

 彼女には、その日に、お昼ご飯を一緒に食べながら、この事を伝えた。

 顔が一気に曇った。

 悲しそうにした。

 次の日、メールアドレスと電話番号を教えて欲しいと言われた。

 海外にも繋がる様に契約してきたと言った。

 彼女は機械オンチだった。

 契約し直さなくても、多分、繋がると教えた。

 …、私は、これまで、身内以外には、余り、他人には個人のメールアドレスも電話番号も教えたことがなかった。

 これまでの付き合ってきた彼女達にもだ。

 別に、会おうとすれば、即に会えたからだった。

 何の不自由もなかった。

 でも、今回は、さすがに違う。

 考えた結果、教える事にした。

 でも、何となく、気が乗らなかった。

 彼女は、私の気持ちを察したのか、私の顔をちらちら見ては、気まずそうにした。

 何か、今にでも、ため息をつきそうだった。

 3日間、練習をした。

 そして、私は、出張した。

 初めての夜は、朝だった。

 これが時差かと思った。

 眠くって眠くって仕方がなかった。

 でも、軽く朝ご飯を終え、ホテルのロビーで迎えの車を待った。

 通訳さんも一緒にいた。 

 私は、とても安心した。

 その日の仕事を終え、くたくたになりながら、ホテルへと戻った。

 何気なくスマートフォンを覗いて、慌てた。


 しまった…。


 彼女から、メールが届いていた。

 最後に、おやすみなさいと書いてあった。

 慌てて、即に、簡単な文章を書いたメールを返信した。

 勿論、おやすみなさいと書いた。

 そして、夜ご飯は食べずに、お風呂にだけ入って、闇の中に入り込む様に、音を立てずに静かに眠った。

 そして、毎日、欠かさずメールをする様になった。

 忙しい時には、おやすみなさいメールだけはした。

 その日一日安全だったかどうかを、確認をして安心したいそうだった。

 まぁ…、初海外だから、こんなもんかなぁ…と、思った。

 その内、書くことが無くなってきたので、私なりの考察を書いてみた。

 彼女は、それを、とても喜んでくれた様だった。

 よく喧嘩をした。

 その度に、メールはやめた。

 彼女は、私が出張から戻ってきたら、お茶でもしたいと言った。

 でも、私は、彼女とこれ以上近づく事を、悩んでいた。

 私の心の底に、まだ、前の彼女が大半を占めていた。

 忘れた方が楽になるかもしれないのに、まだ、心の整理が出来てはいなかった。

 私は、それで良いと思っていた。

 別に悪い事ではない。

 自然な事だ。

 私は、彼女に、徐々に段階を踏んでいく事を提案した。

 普通の人、友達、恋人と、これで、ばっちりだ。

 彼女は呆れていた。

 私は、前の彼女達にも、同じ事を提案して、最期には恋人としてお付き合いしてきた。

 何故か、途中でドロップアウトする人達もいた。

 その人達とは、縁がなかったのだと思って、気にはしなかった。

 彼女は、かなりごねだ。

 相当な、困ったちゃんだった。

 2週間に1回は、喧嘩をした。  

 私と彼女の熱量が違うと、いつも泣いているメールが送られてきた。

 すると、いつも、彼女が、私から、離れたがった。

 お別れの挨拶のメールが沢山来た。

 私は、悪くないと。

 彼女が悪いんだと。

 そして、今迄のお礼とか色々と書いてあった。 

 私は、きちんと向き合うつもりだったので、感情的にならないメールを、普通に送った。

 すると、彼女が、落ち着いた。

 そうやって、同じ事を、くるくるとして思い出を作っていった。

 彼女は、私の人生の大事な1ページを作ってくれている人だから、私なりに、大切に扱った。

 9月が近づくと、彼女は短歌を詠もうと言い出した。

 9月は詠月│(えいづき)│と言って、歌を詠むそうだ。

 何となく、恋愛の楽しい香りがしてきた。

 急接近は心に負担がかかるけれども、こういうイベントみたいなのをこつこつと積み上げて、恋人になっていく事を、私は好んだ。

 満月の夜に、歌詠みをする事になった。

 それまでは、メールで、お互いに練習の短歌を詠んだ。

 楽しかった。

 でも、後もう少しで満月になる頃に、彼女と大喧嘩をした。

 余りにも、私のペースではなく、関係が近づいてきたので、彼女に私の心の底に、まだ前の彼女が大半を占めている事を、言って、もう少し、距離を取りたいと言った。

 すると、とても、怒った。

 前にラブソングを贈ってくれたのは、何だったのかと聞かれた。

 だから、それは、一緒にお仕事をしてお世話になったからお礼をした感謝の曲だと言う事を伝えた。

 あれは、勘違いしてしまうと、更に怒った。

 前の彼女の事が、よほどこたえたらしい。

 関係が深まらないのは、そういう事だったのかと、泣いていた。

 メールが2週間来なかった。

 そして、2週間を経った頃に、彼女から、メールが届いた。

 前の彼女の事を思っていても良いと書いてあった。

 当たり前だ。

 私の感情だ。

 他の人に、干渉されたくはない。

 やっと分かってくれた…、そう思った。

 そもそも、彼女が勝手に勘違いして、勝手に怒って、勝手にメールを断った。

 彼女が、全部悪い。

 そして、彼女が、少し、私から、心地よい距離感まで離れてくれた。

 私は、私のペースを確保できた。

 …、今、こうやって振り返ってみると、私は私の事を、結構滑稽だなと思う。

 笑ってしまう。

 その後、彼女は、何故か、前の彼女達を、褒めるようになった。

 私は、悪い気はしなかった。

 彼女も、前の彼女達を認めてくれている気がして、安心した。

 いつの間にかに、付き合う様になった。

 彼女は、私のペースをクリアした…。

 なかなか、いない。

 …、見上げたものだ。

 私は、付き合うまでは、険しいらしい。 

 でも、付き合う様になると、とても長い方だ。

 大事に、大事に、愛を注ぐ。

 男は、大体、そんなもんじゃないか。

 真剣にお付き合いを考えるなら、簡単に、はいそうですか、それでは今日からホテルに行きましょう…、とはならない。

 その人の全てを受け止める覚悟が出来ていないのならば、友達のままでいる方が、紳士的だと思う。

 そこら辺、今迄の彼女達も付き合わなかった人達も、全く分かってくれなかった。

 そして、また、彼女とのこのやりとりだ。

 私は、疲れてしまった。

 だから、追い詰められると、一人の時間が欲しかった。 

 次の年になった。

 私達は、相変わらずに喧嘩をした。

 そして…、私達は、別れることにした。


          つづく

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