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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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婚約破棄されたので慰謝料代わりに「顔が怖いモブ衛兵」もらっていきます。〜調子に乗ってる元婚約者に「ヴィオたん、あーんちて」の黒歴史をバラすぞと脅して黙らせ、辺境で最推しと溺愛スローライフを楽しみます~

作者: 文月ナオ

 

「ヴィオレッタ・エル・アシュリー! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する! 今すぐこの場から消え失せろ!」


 うるさい。


 本当に、耳障りな声だ。


 王立学園の卒業パーティー会場。


 その壇上で、喚いているのは、この国の王太子エドワードだ。


 顔はいい。


 悔しいけれど、顔だけはいい。


 輝くようなブロンドに、澄んだ碧眼。


 王族特有の煌びやかなオーラを纏っている。


 だが、残念なことに中身が空っぽだった。


 頭の中がお花畑満開の、正真正銘の馬鹿だ。


 周囲の貴族たちは、扇で口元を隠しながら、驚愕と蔑みの視線をこちらに向けている。


「あらあら、まあまあ」


「公爵令嬢ともあろう方が」


 そんなヒソヒソ話が、さざ波のように広がっていく中、私にはある変化が起きていた。


 殿下のヒステリックな絶叫が鼓膜を震わせたその瞬間、私の脳内で何かがパチンと弾け、前世の記憶が濁流のように流れ込んできたのだ。


(これ、スチルで見たぞ……ッ!)


 思い出した。


 ここは乙女ゲーム『美しき戦乙女と紅蓮の薔薇の騎士』の世界。


 そして今は、エンディング直前に発生する「断罪イベント」の真っ只中だ。


 目の前で顔を真っ赤にして青筋を立てているのは、メイン攻略対象にして、プレイヤーから『顔面宝具の産業廃棄物』という不名誉なあだ名で呼ばれていた地雷物件、王太子エドワードその人である。


(なるほど。これが噂の異世界転生ですか)


 状況を理解するのに、一秒もいらなかった。


 そして、私の興味はすでに王太子にはない。


 私の視線は、王太子など素通りし、その背後──会場の隅にある柱の陰に、吸い寄せられるように固定されていた。


(……いた)


 華やかなパーティー会場には似つかわしくない、異質な存在。


 煌びやかな白銀の鎧を纏った近衛騎士たちとは明らかに違う。


 使い込まれて黒ずんだ革鎧。


 手入れはされているが、無数の傷が刻まれた無骨な剣。


 そして何より、その顔だ。


 頬に走る、大きな古傷。


 整ってはいるが、常に不機嫌そうに眉間に刻まれた深い皺。


 そして、周囲の貴族たちを「肉の塊」としか見ていないような、凶悪なまでの三白眼。


(あれは、私の『彼』だ……ッ!)


 間違いない。


 ゲーム内での名称『衛兵C(臨時雇用)』。


 またの名を『顔が怖いモブおじさん』。


 前世の私が、キラキラしたイケメン騎士団長や魔術師団長といったメインヒーローたちを全スルーし、画面の端に見切れる彼を追いかけ回してスクショを連写していた、最推しである。


 彼は王子様でもなければ、隠された英雄でもない。


 ただの、強くて渋くて、人生に疲れた元傭兵のおっさんだ。


 そこがいい。


 そこが最高にいいのだ。


 見て、あの太い首。


 分厚い胸板。


 そして右足に重心を乗せた、あの独特の「いつでも抜ける」立ち姿。


(実在した……! 4K画質の三白眼、尊すぎて吐きそう。あの目つきだけで白飯が三杯いける)


 感動で視界が滲む。


 心臓が早鐘を打っているのがわかる。


 今すぐ駆け寄って、その革鎧の匂いを嗅ぎたい。


「おいヴィオレッタ! 聞いているのか貴様!」


 産業廃棄物が、苛立ったように演台をバンバンと叩いた。


 うるさいな、今こっちは尊い成分を摂取中なんだよ。


 静かにしてくれないかな。


「貴様には、この王都に留まる資格などないと言っているのだ! 爵位を剥奪し、辺境追放とする! 北の最果てにある不毛の地へ消え失せろ! 二度と私の前に姿を見せるな!」


 会場がどよめく。


 まあどうせ、あるあるの冤罪をご丁寧に、長ったらしく説明してくれていたんだろう。


 しかし、辺境追放とは。


 それはつまり、この堅苦しい王都から出られるということ。


 そして、か弱い乙女(という設定)の一人旅には、危険がつきものだ。


 当然、護衛が必要になる。


(……待てよ。これは、千載一遇のチャンスなのでは?)


 私は扇をパチンと閉じた。


 推しに触れてはいけない。


 それはオタクの絶対の真理だ。


 だが、雇用関係ならどうだ?


『主従』という公式設定を、この手で作れるとしたら?


 正規ルートでは絶対に攻略できないモブキャラを、バグ技(財力)で強引に仲間にできるとしたら?


(王太子との婚約破棄? 上等だ。そんなゴミのような権利より、推しとの雇用契約の方が一億倍価値がある!)


 私は覚悟を決めた。


 スッと背筋を伸ばし、王太子に向かって優雅にカーテシーをする。


「承知いたしました、殿下。謹んでお受けいたします」


「なっ……!?」


 私のあまりに清々しい即答に、殿下が目を丸くして絶句している。


 私が泣いて縋るとでも思っていたのだろうか。


 自意識過剰もそこまでいくと才能だ。


「ですが殿下、一つだけお願いがございます」


 私はゆっくりと顔を上げ、王太子を見据えた。


「爵位を剥奪され、北の辺境へ追放ともなれば、か弱い乙女の一人旅には危険が伴います。護衛の一人くらい、つけてくださってもよろしいのではないでしょうか?」


 会場がざわめく。


 罪人の分際で厚かましい、という空気だ。


 案の定、王太子は鼻で笑った。


「はっ、何を言うかと思えば! 甘ったれるなヴィオレッタ! 貴様は罪人なのだぞ? 高潔な近衛騎士が、貴様のような毒婦を守るわけがないだろう!」


「ええ、存じております。ですから、近衛騎士などという高貴な方々は望みません」


 私は扇で口元を隠し、視線をスッと動かした。


 あくびを噛み殺している彼の方へ。


「あの方を。あの、むさい衛兵を所望いたします」


 会場中の視線が、柱の陰に突き刺さる。


 そこには、突然指名されて「あ?」みたいな顔をしている、凶悪面のおっさん衛兵がいた。


 王太子は目を丸くし、次いで腹を抱えて爆笑した。


「ぶっ、はははは! あいつか!? あの、人相の悪い傭兵上がりか!」


 王太子は涙を流して笑っている。


「今日のパーティーを豪華にしすぎて、警備の予算が足りなくなったからな! 数合わせに裏通りから拾ってきた、日雇いの安駒だぞ!? 品性のかけらもない、ただの肉壁だ! お似合いだな、落ちぶれた貴様のような女には!」


 肉壁だと?


 この節穴め。


 あの筋肉の、実戦で鍛え上げられた機能美が見えないのか。


 あの古傷のセクシーさが理解できないのか。


「ええ、お似合いですとも。……では、連れて行ってもよろしいのですね?」


「ああ、いいぞ! くれてやる! 手切れ金代わりだ、その薄汚い野良犬と仲良く暮らすがいいさ! 野垂れ死ね!」


 ……あ?


 今、なんつった?


 野良犬?


 私の推しを? この尊い国宝級の渋おじを?


 私の中で、何かがプツリと切れた。


 言質は取った。


 だが、このボケの態度は看過できない。


 私の推しを侮辱した罪は、万死に値する。


 少しばかり、お灸を据えておく必要があるだろう。


 私は優雅な微笑みを崩さず、王太子へとにじり寄った。


「……おや。冤罪を素直に認めて差し上げているのですから、それくらいの慈悲はいただきたいものですわ」


「な、なに……? 近寄るな、気安く……」


 私は彼の耳元に顔を寄せ、周囲には聞こえない声量で、けれどはっきりと、毒を含んで囁いた。


「――ねえ、『エドきゅん』?」


 ビクリ、と。


 王太子の身体が、雷に打たれたように跳ねた。


「な、貴様、今なん……」


「付き合いたての頃、貴方が私に何と言って擦り寄ってきたか、まさかお忘れではありませんよね? 誰もいない温室で、私の膝に顔を埋めて……」


 私は記憶の引き出しから、とっておきの黒歴史を引っ張り出した。


「『ヴィオたん、あーんちて?』『エドきゅん、さみちくて泣いちゃうぅん』……でしたっけ?」


「ひっ、あ、あ……!」


 王太子の顔から急速に血の気が引いていく。


 白を通り越して土気色だ。


 瞳孔が開いている。


 私はさらに、逃がさないように彼の腕を掴み、追い打ちをかける。


「あと、交換日記のポエムも暗唱しましょうか? ええと、確か昨日のページは……『君の瞳は銀河の流星、僕はその重力に引かれる迷子の宇宙船。ブラックホールに飲み込まれても、君という光を探し続ける……』」


「や、やめろぉぉぉッ!!!」


 王太子は裏返った声で絶叫した。


 ガタガタと震え、滝のような冷や汗を流している。


 次期国王としての威厳?


 そんなものは今の彼にはない。


 あるのは、中二病全開の黒歴史を掘り返された、哀れな思春期男子の絶望だけだ。


 私は扇の下で、嗜虐的な笑みを浮かべた。


「私がこの場で、貴方のその可愛らしい秘密をすべて暴露してもよろしいのですか? 音読しますわよ? この『拡声の魔道具』を使って、大声で」


「わ、わかった……! わかったから!」


 王太子は泣きそうな顔で、縋るように叫んだ。


「なんでもいい! 好きにしろ! 護衛でも何でも、好きに連れて行くがいい! だから、その口を閉じろ! 二度と喋るな!」


「あら、よろしいのですか? ありがとうございます」


 交渉成立。


 チョロいもんだ。


 私はパッと手を離し、くるりと踵を返した。


 背後で王太子がへなへなと座り込んでいる気配がしたが、知ったことではない。


 会場は、先ほどまでの「断罪ムード」から一転、異様な空気に包まれていた。


 貴族たちが、汚いものを見るような目で王太子を見ている。


「……殿下、なぜあのように絶叫を……?」


「あの、ご立派な演説をなさっていた方が……」


「まるで何かに怯えているような……」


「みっともない……」


 内容は聞こえずとも、王太子の取り乱しようは明白だった。


 令嬢たちは扇で顔を覆いながら後ずさりし、騎士たちは憐れみの目で彼を見ている。


 もうダメだ。


 彼の威厳は、チリ紙よりも軽く吹き飛んでしまった。


 だが、そんなことは今の私にはどうでもいいことだ。


 私は一直線に、会場の隅へ向かった。


 カツ、カツ、カツ。


 私のヒールの音だけが響く。


 近づくにつれて、彼のディテールが鮮明になっていく。


 近くで見ると、その迫力は凄まじかった。


 190センチはあろうかという巨体。


 手入れ不足で伸びた無精髭。


 革鎧に染み付いた、鉄と汗と煙草の匂い。


 最高だ。


 推しが尊すぎて、直視すると網膜が焼けそうだ。


「そこの貴方」


 私が声をかけると、彼は「あ?」と眉間の皺を深くした。


 普通の令嬢なら悲鳴を上げて逃げ出すレベルのガン飛ばしだ。


 完全に殺し屋の目である。


 だが私にはご褒美でしかない。


 ASMRとして録音したい。


「俺か? なんだよ、嬢ちゃん。俺はただの臨時雇いだぞ。貴族様のお守りは管轄外だ」


 声が低い!


 地を這うような重低音!


 内臓に響く!


「ええ、貴方です。名前は?」


「……カイムだ」


「カイム。いい名前ね」


 私は懐から、布袋を取り出した。


 断罪イベントが始まると察知した瞬間に、ドレスの装飾品──最高級のダイヤモンドやサファイアをむしり取って詰め込んでおいたものだ。


 これを、彼の硬い胸板にグイッと押し付けた。


「貴方を雇います。報酬は弾みます。貴方の今の給料の百倍、いえ、言い値で払いましょう」


(ふふ、驚くのも無理はない。だが、これだけではないのだ)


 実はこの一年、自分に割り当てられた王太子妃教育の予算を、私の才覚で投資に回して倍以上に増やし、その利益分だけを、国の権限が及ばない『大陸商業ギルド』の共通口座にプールしておいたのだ。


 記憶が戻る前の私が、「将来、王家から放り出された時のために」とせっせと貯め込んでいたものだが……。


 でかした、過去の私!


 その危機管理能力に感謝だ!


 これなら、たとえ爵位を剥奪されようと口座は凍結されない。


 正当な『手切れ金および慰謝料』代わりだ。


 それに、『エドきゅん』の態度からして、今日婚約破棄されることは見越していた。


 実家の公爵家には、今朝一番で『絶縁状』を送っておいた。


 あのお父様のことだ。


 最近は「あの馬鹿王子に国を任せるのは不安だ」とこぼしていたし、泥舟から逃げ出した娘を、「よくやった、これからは自由に生きろ」と笑って許してくれるだろう。


 資金は潤沢。


 あとはこの最強の用心棒さえいれば、世界のどこへ行っても生きていける。


 カイムは袋の口を開け、中身をチラリと見た。


 そして、ギョッとしたように目を見開き、私をまじまじと見た。


「……本気か? 俺は騎士じゃねぇ。ただのゴロツキだぞ」


「ええ。そこがいいのです」


「変わったお姫様だ」


 彼は袋を懐にしまうと、ニヤリと口の端を吊り上げた。


 その顔は、凶悪そのものだった。


 路地裏で子供が見たら泣いて謝るレベルだ。


 でも私には分かる。


 これは、依頼を受けたプロの顔だ。


「いいぜ。金払いと度胸のいい雇いボスは嫌いじゃねぇ」


 彼はニヤリと笑った。


「俺も、貴族の顔色を窺うだけのこの窮屈な都にはうんざりしてたんだ。ちょうど潮時だと思ってたところだ。……地獄の底までエスコートしてやるよ」


 背後で、王太子が「あ、あぅ……」と何かを呟いていたが、もはや言葉になっていない。完全に再起不能。どっちが野良犬なんだか?


 私は今日、国一番の『推し』を手に入れたのだから、敗者のうめき声などどうでもいい。


 ……とは言ったものの、北への旅路は過酷だった。


 ガタガタと揺れる安馬車に、硬い干し肉と固形スープだけの食事。


 野宿になる夜もあった。


「悪いな、お姫様。こんな野営、公爵家のベッドとは比べものにならねぇだろう」


 焚き火の前で、カイムが申し訳無さそうに眉を下げた。


 彼は自分の革鎧を脱ぐと、それを私の肩にかけてくれた。


「風邪引くといけねぇ。少し汗臭いが、ないよりはマシだろ」


 マシ?


 何を言っているの?


(推しの体温と匂いが染み込んだジャケット……! これは、聖遺物級の防寒具……!)


 私は喜びで昇天しそうなのを必死に堪え、その重みと匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。


「いいえ、とっても温かいわ。……カイム、貴方こそ寒くない?」


「俺は平気だ。慣れてる」


 そう言って笑う彼の横顔は、焚き火に照らされて大人の色気が漂っていた。


 粗野な言葉遣いの中に滲む、不器用な優しさ。


 私が文句一つ言わず(むしろ内心興奮しながら)ついてくることに、彼もまた、少しずつ警戒心を解いてくれているようだった。




 ◇◆◇




 そんな旅を経て──半年が過ぎた。


 私たちは北の辺境、人里離れた森の奥にある、小さな屋敷で暮らしていた。


 不毛の地?


 それは役人が地図の上で決めたこと。


 実際には、静かで、水が綺麗で、何より誰にも邪魔されない楽園だ。


 家事だって、『生活魔法』があればボタン一つ(指パッチンひとつ)だ。推しに美味しいご飯を食べさせるためなら、スキルレベル上げだって苦にならない。


 暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音だけが、静寂を満たしている。


 私はソファに座り、窓の外を眺めていた。


 庭では、カイムが薪割りをしている。


 上着を脱ぎ、薄汚れたシャツ一枚になった彼の背中は、芸術品のように美しかった。


 斧を振り上げるたびに、隆起する広背筋。


 汗に濡れて張り付いたシャツから透ける、歴戦の古傷。


 荒々しい呼吸に合わせて上下する、分厚い胸板。


(はぁ……尊い……)


 私は紅茶を飲むふりをして、カップで口元の緩みを隠した。


 この半年、私は至福の時を過ごしていた。


 朝起きれば、推しがいる。


 ご飯を食べていると、向かいに推しがいる。


 寝る前には、推しが「戸締まりはいいか」と確認に来てくれる。


 VRでも夢でもない。


 4K画質の実物が、そこに息づいているのだ。


 だが、幸せと同時に、私はある重大な問題に直面していた。


 それは、『推しとの距離感』だ。


 カツン、と薪が割れる音が響く。


 カイムが額の汗を手の甲で拭い、ふとこちらを振り返った。


 目が合う。


 私は反射的にサッと視線を逸らし、読んでいた本に顔を埋めた。


(危ない、目が合ってしまった! 失明するところだった!)


 そう、これだ。


 私はあくまで『ファン』であり、『雇い主』なのだ。


 推しは、眺めるもの。


 崇めるもの。


 決して、触れてはいけない『聖遺物』なのだ。


 それなのに、最近のカイムは距離が近い。


 無自覚なのか、わざとなのか。


 私の髪についた葉っぱを取ろうとしたり、段差で手を差し伸べてきたりする。


 そのたびに私は、「ひっ」と短い悲鳴を上げて飛び退いてしまうのだ。


 だって無理だ。


 神に触れたら罰が当たる。


 推しの聖域を、私の手垢で汚すわけにはいかない。


 ガチャリ、と扉が開いた。


 薪を抱えたカイムが入ってくる。


 冷たい風と共に、彼特有の鉄と土の匂いが漂ってくる。


 私の大好きな匂いだ。


「……ボス。薪、置いとくぞ」


「あ、ありがとう。……そこに置いておいて」


 私は本から目を離さずに答えた。


 直視できない。


 今の汗ばんだ彼はフェロモンの塊だ。


 見たら理性が蒸発する。


 カイムは薪を暖炉の脇に置くと、ドカッと向かいのソファに腰を下ろした。


 沈黙が流れる。


 気まずい。


 最近、いつもこうだ。


「……なぁ、ボス」


 低い声が、静寂を破った。


「な、なに?」


「あんた、俺のことが嫌いか?」


「ぶふっ!?」


 私は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。


 咳き込みながら、慌てて彼を見る。


 カイムは、捨てられた大型犬のような、何とも言えない切ない表情をしていた。


 あの凶悪な三白眼が、今は不安げに揺れている。


「な、何を言っているの!? 嫌いなわけないじゃない! むしろ好……ごほん! 優秀な護衛として、とても信頼しているわ!」


「信頼、ねぇ」


 カイムは自嘲気味に笑い、ポケットから煙草を取り出して弄んだ。


「言葉じゃそう言うが、態度は逆だぜ。昨日だって、俺が獲ってきた兎を見せようとしたら、『ひぃっ!』って悲鳴上げて腰抜かしただろ。俺が近づくと、いつもビクッて逃げるじゃねぇか。何か汚いもんでも見るみたいに」


「そ、それは……!」


 違う。


 誤解だ。


 汚いなんてとんでもない。


 貴方が眩しすぎて、直視できないだけなのだ。


「俺は、しがない傭兵上がりだ。育ちも悪いし、口も悪い。元公爵令嬢のあんたにとっちゃ、薄汚い野良犬に見えるのは仕方ねぇとは思うが……」


 彼はポキリ、と煙草を折った。


「……これでも、結構傷つくんだぜ」


 ズキン、と胸が痛んだ。


 私の『推し活』のルールが、彼を傷つけていた?


 神聖視しすぎるあまり、彼を拒絶しているように見せてしまっていた?


 私は本を閉じた。


 これ以上、彼にそんな顔をさせてはいけない。


 ファン失格だ。


 いや、それ以前に──。


「……カイム」


 私は意を決して立ち上がり、彼の前まで歩み寄った。


 心臓が破裂しそうだ。


 彼の膝が、すぐ目の前にある。


「誤解よ。大間違いだわ」


「何がだ?」


「貴方は汚くなんてない。野良犬なんかじゃないわ」


 私は震える手を伸ばし、彼の頬に触れた。


 ザラリとした髭の感触。


 熱い体温。


 ああ、本物だ。


 彼は画面の中のキャラクターじゃない。


 血の通った、一人の男性なのだ。


「貴方は、私にとって……世界で一番、素敵な男性よ」


 カイムが目を見開いた。


 私は真っ赤になりながらも、言葉を紡いだ。


「逃げていたのは……貴方が好きすぎて、どうにかなってしまいそうだったからよ。貴方のその目も、傷も、声も、全部が大好きなの」


 言ってしまった。


 もう『雇い主』には戻れない。


 カイムは呆気に取られたように私を見つめていたが、やがてその顔が、みるみるうちに赤く染まっていった。


 あの強面のカイムが、耳まで真っ赤にして照れている。


 破壊力が凄まじい。


「……あんた、変わった女だとは思ってたが……そこまでかよ」


 そして。


「……参ったな。俺の勘違いか」


 彼は大きな手で顔を覆い、深い溜息をついた。


 そして、覆っていた手を下ろすと、どこか切羽詰まったような、熱っぽい瞳で私を射抜いた。


「なぁ、ヴィオレッタ」


 初めて、名前を呼ばれた。


 その低音の響きだけで、背筋がゾクゾクと震える。


「俺は、年食ったおっさんだぞ。傷だらけだし、優しくもねぇ」


「……うん」


「一度捕まえたら、もう逃がしてはやれねぇぞ。……それでも、いいのか?」


 彼が差し出してきた指先が、わずかに震えているのが見えた。


 ああ、この人は。


 強面で、強くて、こんなに大きいのに──なんて臆病で、愛おしいんだろう。


 私は彼の手を両手で包み込み、頬ずりをした。


「貴方がいいの。……カイムじゃなきゃ、嫌」


 その言葉が、引き金だった。


「────くそ、もう知らねぇ」


 彼は私の手首を掴むと、グイッと自分の方へ引き寄せた。


「きゃっ!?」


 世界が反転する。


 気づけば、私はカイムの膝の上に抱き上げられていた。


 目の前に、彼の顔がある。


 近すぎる。


 毛穴まで見える。


「か、カイム!? これ、どういう……」


「逃げるなよ、ボス」


 彼の声が、甘く、低く、鼓膜を溶かす。


「あんたが俺を男として見てくれてるなら、俺も遠慮はしねぇぞ」


 その目は、もう『雇われ護衛』の目ではなかった。


 獲物を狙う、雄の目だ。


「俺だって、我慢の限界だったんだ。こんな辺境の小屋で、世間知らずの可愛いお姫様と二人きりだぞ? 手を出さねぇ方が嘘だろ」


「え……か、可愛い……?」


「あんた、俺を避けるくせに、俺が寒い思いをしてねぇかとか、飯は足りてるかとか……いつも裏でこっそり気遣ってくれてただろ? そんなことされて、惚れねぇ男がいるかよ」


 思考が停止した。


 推しが。


 私の推しが、私の行動を全部見ていてくれた。


 そして「惚れた」と言った。


 これは、夢か?


 もし夢なら、二度と目覚めなくていい。


「……嫌か?」


 彼が不安そうに尋ねる。


 私は首を横に振った。


 ブンブンと、取れそうなくらい振った。


「い、嫌なわけない……! 嬉しい……死ぬほど嬉しい……!」


「そりゃよかった」


 カイムはニヤリと笑った。


 その笑顔は、かつてないほど優しく、そして色気に満ちていた。


「覚悟しろよ、ヴィオレッタ。もう逃がさねぇからな」


 彼が顔を近づけてくる。


 私は目を閉じた。


 唇に触れた感触は、想像していたよりもずっと荒々しく、けれど溶けるように甘かった。




 ◇◆◇




 翌朝。


 私は小鳥のさえずりで目を覚ました。


 隣には、幸せそうな寝顔で眠るカイムがいる。


 あの強靭な腕が、私をしっかりと抱きしめている。


 現実だ。


 私は推しのファンを卒業し、推しの『妻』になったのだ。


 これ以上のハッピーエンドが、この世にあるだろうか。


 ふと、サイドテーブルに置かれた手紙が目に入った。


 昨日、都から行商人が届けてくれたものだ。


 私はカイムを起こさないように、そっと手紙を開いた。


 差出人は、かつての友人からだった。



 ◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇


 親愛なるヴィオレッタへ。

 王都は今、大変な騒ぎになっています。


 例の元王太子エドワード殿下ですが……廃嫡された後、なんと「自分には詩人の才能がある」と言い出して、ポエム喫茶を開いたのです。


 看板メニューは『漆黒の堕天使ただのブラックコーヒー』と『涙の味(塩水入りクッキー)』だったとか。


 ですが、あまりに内容が気持ち悪いと客から苦情が殺到し、開店三日でお店は潰れました。


 今は多額の借金を背負って、地下の炭鉱で強制労働に従事しているそうです。


 貴女が去ってから、この国は少し静かになりすぎましたわ──。


 ◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇



 私は手紙を読み終え、くすりと笑った。


 ポエム喫茶。


 あの『エドきゅん』らしい末路だ。


 自業自得とはこのことだろう。


 私は手紙を暖炉にくべた。


 紙が炎に包まれ、灰になっていく。


 過去との決別だ。


「……ん……何してるんだ、ヴィオ」


 隣でカイムが目を覚ました。


 寝ぼけ眼で私を見上げ、愛おしそうに目を細める。


「なんでもないわ。……ただの、つまらない昔話よ」


 私は彼に微笑みかけ、その逞しい胸に顔を埋めた。


「それより、二度寝しましょう? 外はまだ寒いもの」


「……ったく。誘ってんのか?」


「ふふ、どうかしら」


 カイムの腕に力がこもる。


 私は幸せなため息をついた。


 ざまぁみろ、エドワード。


 私は今、世界で一番幸せだ。


 あー! 転生できて、ほんと良かった!

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