第四話(完結)
(四)
我が寝台特急「山手線」は、何事もなかったかのように快走している。
4時21分、四周目の渋谷駅を発車。
ホームにちらほらと人の姿が見えた。後続の、今朝の始発電車を待っているのだろう。
4時25分、新宿駅に到着。
やはり、ホームにちらほらと人の姿が見える。
右ストレートの女が、またハシゴを下ってきた。
余計なお世話だが、あの男ならいないよ。
と思ったが、もちろん口には出さない。
しかし、女はホームに誰かを見つけると、慌てて荷物をまとめ始めた。すでに発車ベルが鳴っている。そして、バッグを抱えて降りていった。
女が走って向かった先には、一人の男が立っていた。
あっ、あの男だ。
ビシッとスーツで決め、無精ひげもない、見違えてしまったので分からなかったが、確かに右ストレートでダウンを食らったあの男だ。
男が、この新宿駅でダウンを食らったのは、1時25分のことであった。
それから三時間、その間に何があったのだ?
男と女の間に、どんな心の会話があったのか?
発車ベルは鳴り終わり、列車は動き始めた。
男と女は、熱い抱擁を交わしている。
列車のスピードが上がり、彼らの姿は遥か後方へと消えていった。
よって、抱擁の続きは確認しようがない。彼らの愛が永遠なのか、私には分からない。
4時51分、上野駅に到着。
4時52分、上野駅を発車。ここから五周目に入る。残り二周だ。ここからは各駅に停車していく。
外はまだ真っ暗だ。
だが、確実に朝を迎えている。
すでに始発電車も動きだしている。各駅のホームに、人の姿を見かけることが多くなってきた。
5時0分、東京駅に到着。
大きな荷物を抱えた、旅行者風の男女が降りていった。
進行方向左側には東海道本線のホームがあり、5時18分発の静岡行きが停車している。あの列車が、東海道本線の今朝の始発列車だ。
その先には新幹線のホームもある。新幹線の始発列車は、6時0分発の「ひかり21号」博多行きである。
あの旅行者風の男女も、新幹線に乗り換えどこかへ出かけるのだろうか?
3番下段のおっさん、つまり、一周目の有楽町駅で乗ってきたサラリーマン風のおっさんが、いつの間にか起きて身支度を整えている。
あのおっさんが有楽町駅で乗ってきたのは、23時47分のことであった。
乗ってきたときにはフラフラしていたが、今はシャキッとしている。よく眠れたのだろう。
そのおっさんが、乗ってきたのと同じ有楽町駅で降りていった。
随分早い時間だが、またこれから仕事なのだろうか?
その後も、田町、品川、目黒で、一人ずつ下車していった。
引き締まった顔をしている人もいれば、大あくびをしながら降りていく人もいる。
この列車は、まだあともう一周することになっている。つまり、もう一時間、寝ていてもよいのだ。
だが、あえてこの時間に降りていくということは、人それぞれの理由があるのだろう。
5時25分、渋谷駅に到着。二人下車。
5時31分、新宿駅に到着。
昨夜、缶ビールやつまみを持って乗車し、乾杯していた二人連れも降りていった。
寝台特急の朝は早い。
まだ、5時30分をまわったばかりだというのに、空いたベッドが目立つようになってきた。
昨夜、一周目の新橋駅で乗ってきた9番下段のおっさんは、5時40分着の池袋駅で下車していった。
今日は仕事が休みで、これからマイホームへ帰るのだろうか?
もしそうなら、東武鉄道か、もしくは西武鉄道に乗り換えるのかもしれない。
5時45分、天井の照明の明るさが基に戻り、車内が明るくなった。
そして、5時50分、今朝最初の車内放送が始まった。
『みなさま、おはようございます。寝台特急「山手線」にご乗車いただき、ありがとうございます。今日は12月25日土曜日です。ただ今の時刻は5時50分です。現在、時刻表通りに運転しています。・・・』
それを合図に、起きだす人々。
洗面所へ向かう人、カーテンを開けてボーっとする人・・。
上野駅から乗っている7番上段の、あの少年もハシゴを下りてきた。通路側の窓から外の様子を確認しようとしている。だが、まだ外は暗い。
5時57分、上野駅に到着。
5時58分、上野駅を発車。いよいよ最後の一周である。
最後に、もう一度、食堂車へ行ってこようと思う。
深夜にハンバーグを食べたが、少しばかりまたお腹がすいてきた。せっかくなので、朝食もいただいておこう。
食堂車の扉を開けると、そこはもぬけの殻であった。
あの酒飲みのおっさんたちはもういない。スタッフの兄ちゃんが、手持無沙汰にしている。
どこでも好きなところに座れる。考えることもなく、窓側の席に座る。
メニューには和定食と洋定食があるが、そこまで腹が減ったわけでもない。
結局、サンドイッチと、眠気覚ましにコーヒーを注文した。
東京、有楽町、新橋と通り過ぎていく。
まだ通勤には早い時間だ。だが、早く出勤しなければならない人もいるのだろう。
コートを着込んだ人々が、電車を降りて改札口へと向かっている。
内回りの黄緑色の電車と、京浜東北線北行の青い電車とすれ違う。
あのおっさんたち、もう降りたかな?
サンドイッチを食べながら、夜中にここで出会った酒飲みのおっさんたちのことを思い出す。
コーヒーをゆっくり飲む。
目黒、恵比寿、渋谷と通り過ぎていく。
少しずつだが、東の方から空が明るくなってきている。
コーヒーを飲み終わってしまった。
結局、誰にも出会わなかった。寂しい朝食であった。
3号車に戻る。
ちょうど新宿駅に到着した。一気に五人下車していった。
6時36分、新宿駅を発車。新宿駅ともこれでお別れだ。
今、この3号車には、私とあの7番上段の少年、そして、10番下段に一人、1番2番のところの補助椅子に座っている人が一人、その四人しかいない。
そのうち、10番下段の人は、6時44分着の池袋駅で降りていった。
空も随分と明るくなった。
どうやら、今朝は快晴のようだ。もうそろそろ日の出の時刻だろう。
大塚、巣鴨、駒込と停車していく。
6時52分、田端駅を発車。
ビルの谷間から、昇ってきたばかりの朝日が差し込む。
日暮里駅で、1番2番の補助椅子に座っていた人が下車していった。
3号車の乗客は、とうとう私とあの少年の二人だけになった。
今日のこの旅は、彼の記憶の中にどんな思い出として残るのだろうか?
これから月日が流れ、彼が大人になり今の私と同じくらいの歳になるころ、私はおじいさんに・・、いや、もしかするとそのころにはもういないかもしれない。
もしそうだとしても、大人になった彼や、彼の子ども、そしてさらにその子どもたちが、またこの列車に乗ることもあるだろう。
それでいいじゃないか。そうやって時代は進んでいく。
時代は変わっても、列車は走り続けるのだ。
6時58分、鴬谷駅を発車。
次は終点の上野駅である。
『長らくのご乗車おつかれさまでした。まもなく終点の上野駅に到着します。3番線到着、お出口は左側です。どなたさまもお忘れ物・落し物なさいませんようご注意ください。』
7時0分、終点の上野駅に到着した。
23時36分にこの上野駅を出発してから、7時間24分の旅であった。
この列車はこの駅が終着駅であるから、停車時間をとって旅の余韻に浸らせてもらいたいと思うのだが、この列車の後ろには通勤電車が続いている。よって、すぐに発車しなければならない。
7時1分、我が寝台特急「山手線」は、回送列車となって走り去っていった。
その姿を見送ったのは、私と少年の二人だけであった。
- 完 -
<寝台特急「山手線」時刻表>
上野 23:36
御徒町 23:38
秋葉原 23:40
神田 23:42
東京 23:45
有楽町 23:47
新橋 23:49
浜松町 23:51
田町 23:53
品川 23:56
大崎 0:00
五反田 0:02
目黒 0:04
恵比寿 0:06
渋谷 0:09
原宿 0:11
代々木 0:13
新宿 0:16
新大久保 0:18
高田馬場 0:20
目白 0:22
池袋 0:25
大塚 0:27
巣鴨 0:29
駒込 0:31
田端 0:33
西日暮里 0:35
日暮里 0:37
鶯谷 0:39
上野 0:43
御徒町 0:45
秋葉原 0:47
神田 0:49
東京 0:53
有楽町 0:55
新橋 0:57
浜松町 0:59
田町 1:01
品川 1:05
大崎 1:09
五反田 1:11
目黒 1:13
恵比寿 1:15
渋谷 1:18
原宿 1:20
代々木 1:22
新宿 1:25
新大久保 1:27
高田馬場 1:29
目白 1:31
池袋 1:34
大塚 1:36
巣鴨 1:38
駒込 1:40
田端 1:42
西日暮里 1:44
日暮里 1:46
鶯谷 1:48
上野 1:52
御徒町 1:54
秋葉原 1:56
神田 1:58
東京 2:02
有楽町 2:04
新橋 2:06
浜松町 2:08
田町 2:10
品川 2:14
大崎 レ
五反田 レ
目黒 レ
恵比寿 レ
渋谷 2:26
原宿 レ
代々木 レ
新宿 2:32
新大久保 レ
高田馬場 レ
目白 レ
池袋 レ
大塚 レ
巣鴨 レ
駒込 レ
田端 レ
西日暮里 レ
日暮里 レ
鶯谷 レ
上野 レ
御徒町 レ
秋葉原 レ
神田 レ
東京 レ
有楽町 レ
新橋 レ
浜松町 レ
田町 レ
品川 レ
大崎 レ
五反田 レ
目黒 レ
恵比寿 レ
渋谷 レ
原宿 レ
代々木 レ
新宿 レ
新大久保 レ
高田馬場 レ
目白 レ
池袋 レ
大塚 レ
巣鴨 レ
駒込 レ
田端 レ
西日暮里 レ
日暮里 レ
鶯谷 レ
上野 レ
御徒町 レ
秋葉原 レ
神田 レ
東京 レ
有楽町 レ
新橋 レ
浜松町 レ
田町 レ
品川 4:09
大崎 レ
五反田 レ
目黒 レ
恵比寿 レ
渋谷 4:21
原宿 レ
代々木 レ
新宿 4:27
新大久保 レ
高田馬場 レ
目白 レ
池袋 4:37
大塚 レ
巣鴨 レ
駒込 レ
田端 レ
西日暮里 レ
日暮里 レ
鶯谷 レ
上野 4:52
御徒町 4:54
秋葉原 4:56
神田 4:58
東京 5:01
有楽町 5:03
新橋 5:05
浜松町 5:07
田町 5:09
品川 5:13
大崎 5:17
五反田 5:19
目黒 5:21
恵比寿 5:23
渋谷 5:26
原宿 5:28
代々木 5:30
新宿 5:32
新大久保 5:34
高田馬場 5:36
目白 5:38
池袋 5:41
大塚 5:43
巣鴨 5:45
駒込 5:47
田端 5:49
西日暮里 5:51
日暮里 5:53
鶯谷 5:55
上野 5:58
御徒町 6:00
秋葉原 6:02
神田 6:04
東京 6:07
有楽町 6:09
新橋 6:11
浜松町 6:13
田町 6:15
品川 6:18
大崎 6:22
五反田 6:24
目黒 6:26
恵比寿 6:28
渋谷 6:30
原宿 6:32
代々木 6:34
新宿 6:36
新大久保 6:38
高田馬場 6:40
目白 6:42
池袋 6:44
大塚 6:46
巣鴨 6:48
駒込 6:50
田端 6:52
西日暮里 6:54
日暮里 6:56
鶯谷 6:58
上野 7:00
この物語はフィクションです。
寝台特急「山手線」は、現在・過去・未来のいずれにも実在しません。
途中に出てくる、東海道本線と東海道新幹線の時刻は、手元にある昭和57年11月の時刻表をもとにしています。
あとがき
大人とは不便なものです。
私が鉄道に興味を持つようになったのは、小学一年生ぐらいのころのことでした。
ですが、その当時、実際に鉄道に乗るというのは、今と比べればそれほど多くはありませんでした。
むろん、それは当然のことです。学校だって歩いて通うわけですし、週末だって、そんなに頻繁に鉄道に乗る用事があるわけではありません。
しかし、それでも充分に鉄道というもので遊びました。
地図に線路を書きくわえ新しい鉄道を作ってみたり、架空の鉄道を考えその時刻表をノートに書いてみたり、そんなことばかりしていました。駅の名前も自分で考え、勝手に特急や急行を走らせたりするわけです。
何年生のときだったか、通っていた小学校の敷地の周りの掃除当番になったときがありました。歩道に溜まった落ち葉などを集め、リアカーで校内のゴミ捨て場まで運ぶのです。
私は、そのリアカーを列車に見立て、その時刻表を作りました。
『特急「ごみ1号」 校門経由 ゴミ捨て場行き』 といった具合です。
厚紙を適切なサイズに切って色鉛筆で色を塗り、「特急券」と記入し切符も作りました。
そんな感じで、楽しいことばかりでした。
高校からは鉄道に乗って通うようになりました。
そして、大人になると鉄道に乗って通勤するようになりました。むろん、少しは旅行にも出かけるようになりました。乗ったことがなかった路線や列車にも、いくつも乗りました。
ですが、子どものころにしていた遊びは、いつの間にかしなくなってしまいました。
圧倒的大多数の人たちにとって、鉄道とは、どこかへ出かけるために乗るものです。それが正しい鉄道の乗り方というものです。
にも関わらず、寝台特急「山手線」はどこへも行きません。
よって、私のような人が走らせなければ、走ることはないのです。
この『寝台特急「山手線」』という物語は、多くの人にとってきっと面白くないものでしょう。それは一重に、私の能力の無さによるものです。それは十分に承知しております。
ですが、私はそれでもよいのです。
今回、私は、やっと寝台特急「山手線」を走らせることができました。
そして、その列車に乗車することができました。
心の中でつかえていたものが一つとれました。私は今、とても満足しています。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
大人とは不便なものです。
私が鉄道に興味を持つようになったのは、小学一年生ぐらいのころのことでした。
ですが、その当時、実際に鉄道に乗るというのは、今と比べればそれほど多くはありませんでした。
むろん、それは当然のことです。学校だって歩いて通うわけですし、週末だって、そんなに頻繁に鉄道に乗る用事があるわけではありません。
しかし、それでも充分に鉄道というもので遊びました。
地図に線路を書きくわえ新しい鉄道を作ってみたり、架空の鉄道を考えその時刻表をノートに書いてみたり、そんなことばかりしていました。駅の名前も自分で考え、勝手に特急や急行を走らせたりするわけです。
何年生のときだったか、通っていた小学校の敷地の周りの掃除当番になったときがありました。歩道に溜まった落ち葉などを集め、リアカーで校内のゴミ捨て場まで運ぶのです。
私は、そのリアカーを列車に見立て、その時刻表を作りました。
『特急「ごみ1号」 校門経由 ゴミ捨て場行き』 といった具合です。
厚紙を適切なサイズに切って色鉛筆で色を塗り、「特急券」と記入し切符も作りました。
そんな感じで、楽しいことばかりでした。
高校からは鉄道に乗って通うようになりました。
そして、大人になると鉄道に乗って通勤するようになりました。むろん、少しは旅行にも出かけるようになりました。乗ったことがなかった路線や列車にも、いくつも乗りました。
ですが、子どものころにしていた遊びは、いつの間にかしなくなってしまいました。
圧倒的大多数の人たちにとって、鉄道とは、どこかへ出かけるために乗るものです。それが正しい鉄道の乗り方というものです。
にも関わらず、寝台特急「山手線」はどこへも行きません。
よって、私のような人が走らせなければ、走ることはないのです。
この『寝台特急「山手線」』という物語は、多くの人にとってきっと面白くないものでしょう。それは一重に、私の能力の無さによるものです。それは十分に承知しております。
ですが、私はそれでもよいのです。
今回、私は、やっと寝台特急「山手線」を走らせることができました。
そして、その列車に乗車することができました。
心の中でつかえていたものが一つとれました。私は今、とても満足しています。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




