第三話
(三)
食堂車を退散して3号車に戻る。
すると、あれだけ空いていたベッドが、随分と埋まっているではないか。8割方は埋まっているだろう。これは、食堂車から戻ってくる際に通り過ぎた5号車と4号車でも同じだ。私が食堂車に行っている間に、乗ってきた人たちがそれだけいたのだ。
品川、大崎、五反田、目黒、恵比寿、渋谷と停車していくうちに、さらに乗ってくる人たちがいる。おっさんばかりではない、若い人たちもいる。どこかで遊んで帰る電車が無くなったのだろうか。
この3号車に限って言えば、空いているベッドはあと三つになった。上野駅を出発したころの、あの閑散とした感じが嘘のようだ。
1時23分、二周目の新宿駅に到着。
ホームに、若い男女が二人、佇んでいる。何か話しているようだが、その声は車内にいる私には聞こえない。
女の方は、綺麗におめかししてデートにでも行くような格好をしている。それに比べ、男の方はカジュアルと言えば聞こえはいいが、よれよれと言った方が的確かもしれない。無精ひげが伸び、髪の毛もボサボサだ。
発車ベルが鳴った。
発車ベルが鳴り終わったその瞬間、突然、女の右ストレートが男の左頬に炸裂した!
男はよろめき、女だけが列車に乗り込んだ。そして、ドアが閉まった。
1時25分、我が寝台特急「山手線」は、右ストレートを食らってダウンした男を置き去りにし、二周目の新宿駅を発車した。
女はデッキに佇んだままである。客室の中には入ってこない。もしかすると、この列車の切符を持っていないのかもしれない。
幸いなことに、少しして車掌さんが通りかかった。女と車掌さんが話をしている。
車掌さんに案内され、女が客室に入ってきた。どうやら、空いているベッドの切符を買うことができたようだ。女が案内されたのは9番上段である。
切符を買えたのは良かったと思うが、女は補助椅子に座り外を見ている。というか、ぼうっとしているという方が正しいかもしれない。
今、この車両の中で、起きているのは私と女の二人だけである。他の乗客は、みな自分のベッドに納まっている。上野駅から乗っていたあの少年も、もう補助椅子にはいない。
しばらくして、女はハシゴを上り自分のベッドへと潜り込んだ。そのまま眠りについたのかは、私には分からない。
新宿駅で女が乗ってきたことで、3号車で空いているベッドはあと二つになった。
我が寝台特急「山手線」は、相変わらず、少し走っては停車し、また少し走っては停車しを繰り返している。
1時52分、上野駅を発車。ここからは三周目である。
一周目、二周目と同じように各駅に停車しているが、どの駅でも人の姿を見かけることはほとんどなくなった。
車内もいたって静かである。
2時6分、三周目の新橋駅に到着した。
すると、久しぶりにホームに人の姿が見えた。しかも二人だ。仲良さそうに肩を組んでいる。
あっ!
さっき、食堂車で喧嘩を始めたおっさんたちじゃないか。
そう、喧嘩を始めたおっさんが、「表に出ろ!」と言って降りていったのは、確かにこの新橋駅であり、それは0時57分のことであった。
降りたときには殴り合っていたおっさんたちが、仲良さそうに肩を組み、笑いながら大声で何か言っている。
しかも、二人してこの3号車に乗り込んできた。5番下段、6番下段、空いていた二つのベッドは、このおっさんたちのベッドだったのだ。
ホームでは楽しそうに騒いでいたおっさんたちだったが、車内に入ると、固い握手を交わした後、大人しくそれぞれのベッドに納まってしまった。
この一時間の間にどんなことがあったのか、二人の間にどんなやりとりがあったのか、私には分からない。
おっさんたちが無事に帰還したことにより、3号車はめでたく満席となった。
2時14分、三周目の品川駅を発車した。最初に上野駅を出発してからここまで各駅に停車してきたが、深夜帯のため次は渋谷まで通過する。
2時26分、渋谷駅を発車。同じく、次は新宿まで通過する。特急列車らしくなってきた。
2時30分、新宿駅に到着。
一時間前、ここで男に右ストレートをお見舞いした女が、9番上段のベッドからハシゴを下ってきた。通路側の窓から、ホームの様子を窺っている。
あの男を探しているのだろうか?
だが、ホームには誰もいない。
女は、またハシゴを上って、自分のベッドへ戻っていった。
2時32分、新宿駅を発車。
この列車は、ここからいよいよ寝台特急の本領を発揮する。
次の停車駅は、4時8分着の品川駅である。それまですべての駅を通過する。時刻表によれば、上野駅から四周目に入り、さらにノンストップで一周する。そして、五周目の品川駅でやっと停車するのだ。
やっと、特急らしい走りを楽しめるぞ。
と思ったが、思いのほかのんびり走っている。その挙句、池袋駅で停車した。もとからの停車駅ではないので、ドアは開かない。
結局、2分停車して2時46分に発車した。
いやいや、まだまだこれから。これから、特急らしくなる。
と思ってはみたものの、やはりなかなかスピードが上がらない。
そして、3時5分、上野駅に停車。同じくドアは開かない。
どこかで事故でもあったのか、とも思うが特にアナウンスはない。というか、そもそも、通勤電車なんてとっくに終わっている時間だ。この列車以外で、事故が起きるとも思えない。
3時10分、上野駅を発車。
なんてこった・・・。ここからもう一周してさらに品川駅へ行くまで、あと58分しかない。もはや取り戻せるレベルの遅れではなくなった。
しかも、この遅れに対して何のアナウンスもない。だんだん腹が立ってきた。
だが、文句を言う人は誰もいない。静かだ。
3時17分、東京駅に停車。やはりドアは開かない。
ホームには誰もいない。こんな閑散としている東京駅は初めてだ。
3時20分、東京駅を発車。
もうどうにでもなれ。
3時33分、品川駅に停車。
今度はドアが開いた。すぐに発車する気配はない。
ははーん、そういうことか。
そして、本来の到着時刻である4時8分を迎えた。
我が寝台特急「山手線」は、何らかの理由により一周分遅れている。時間にすれば、およそ一時間である。
だが・・・
4時9分、我が寝台特急「山手線」は、《定刻》で品川駅を発車した。
やられた。一周端折りやがった。
何たる怠慢!何たる手抜き!これだから国鉄はサービスが悪いと叩かれるのだ!
・・・静かだ。私以外に、文句を言う人はどこにもいない。みんな眠っている・・・。
(4)へ続く




