第1話 闇の中の光
僕は、闇の中にいた。
ここはどこだろう。いつからここにいるのだろう。
呼吸の音もしない。心臓の鼓動も聞こえない。ただ、ただ、静寂だけがそこにあった。生きているのか、死んでいるのかも分からない。それすらもどうでもいいと思えるほどの虚しさだけが、僕のすべてだった。
そんな虚無の中に、断片的な記憶が蘇ってくる。誰かの叫び声。血の匂い。燃え盛る炎。それは鮮明で、とても辛い記憶だった。でも、それと同時に、記憶の映像は砂のようにぼろぼろと崩れ、すぐに消えていく。まるで、最初から存在しなかったかのように。この感覚はもう何百年、いや、何千年続いているのだろう。
その時だった。
ギギ、ガガ……。
遠くから、何かを叩くような音が聞こえた。それは、この静寂を打ち破る、唯一の音だった。やがてその音は大きくなり、僕を閉じ込めている何かがひび割れていくような、鈍い音に変わった。
現実に戻る。
止まっていた血液と呼吸が急激に動き出し、全身を激痛が襲う。鎖が体に食い込み、身体中が千切れそうだ。
「う、うぅ……!」
僕は呻き、暴れた。その痛みは、僕の意識を無理やりこの世界に引き戻そうとしているようだった。
「大丈夫…!もうすぐ終わるから!」
優しい女性の声が聞こえた。誰だ?誰の声だ?
その声が聞こえた途端、温かい光が全身を包み込み、僕の全身を包んでいた激痛が、わずかに和らいだ。ぼんやりと目を開ける。
僕の目の前には、見慣れないランタン型の魔装具を構えた、銀髪の女性がいた。彼女の薄い緑色の目が僕をまっすぐに見つめている。その横には、引き締まった体躯をした男性が、剣を片手に警戒するように立っている。
二人の後ろには、倒壊した建物の廃墟が広がっていた。そして僕は、ずらりと並んだ立方体の金属フレームの、その一つにいた。高さ2メートルはあるそのフレームから伸びる、青く光る紋様が刻まれた鎖が僕の手足と胴体をがんじがらめにし、まるで磔にされたかのように僕の身体を吊り上げている。
これが、僕を閉じ込めていた檻。
次の瞬間、鎖が完全に砕け散った。僕は自由になり、重力に従って地面に倒れ込む。
そのとき、だ。
心の底から、真っ黒な感情が湧き上がってくるのを感じた。それは怒りでも、憎しみでもない。ただただ、目の前の存在を破壊したいという、本能的な衝動だった。僕の右腕の皮膚の下が、ぞわぞわと音を立てるようにざわつき、みるみるうちに黒い異形の手へと変異していく。血管に沿って赤い紋様が浮かび上がり、僕の目も赤く染まる。
僕は獣のような叫び声をあげ、何も考えず、男に襲い掛かった。男は僕の動きを読んで、僕の右手を剣で突き刺した。だが、僕の体は痛みをほとんど感じなかった。それどころか、僕の右腕に触れた剣が、砂のようにぼろぼろと崩れていく。右手の甲から、真っ赤な血がにじみ出る。
「ちっ……!」
男は舌打ちをし、剣を捨てた。
僕は止められなかった。手の甲からボタボタと血が滴るのを無視して、心の底から湧き上がる衝動に身を任せ、男にさらに襲い掛かろうとした。
その瞬間、全身の力が抜けて、そのまま地面に倒れ込んだ。
薄れゆく意識の中、女性は僕のそばにそっと膝をついた。その目は、僕を哀れんでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。
「大丈夫……まだ完全に異形化はしていない」
彼女はそう呟き、僕の額にそっと手を置いた。その手は温かく、優しかった。
僕は再び、意識を失った。