九、勇者再臨、七神将の驚愕
母さんが――地面に崩れ落ちた。
乾いた音。血の匂いが土に広がる。
雪みたいな白肌が、みるみる赤に染みていく。
「母さん……!」
致命傷かもしれない。
震える膝は土を掴むだけで、前へ出ない。
喉が焼け、声が掠れる。
拳を握ったまま膝を落とし、僕はただ母さんを見つめた。
⸻
ヴォルグの氷の瞳が、僕を捉える。
「ずっと見ていたが……貴様の怪力と再生能力――常軌を逸している。利用する価値がある」
一瞬だけ哀れむような影を瞳に落とし、口元が歪む。
「母親も腕が立つ。帝国に服従するなら、命を助けてやらんこともない」
肩が、勝手にビクリと跳ねた。
(……奴隷の国が? そんな餌、信じられるか。母さんと奴隷になるくらいなら――!)
怖いのは事実だ。
格が違う。ジークと同じ、“強者”の匂い。一歩読み違えれば、殺される。
それでも僕は睨み返した。
「……僕は――理不尽には、立ち向かう」
掠れた声。震える膝。
それでも、絞り出す。
「技も魔法もなくても、知恵で戦う。努力して、考えて、導いて――正しい未来を選ぶ。それが、僕の戦い方だ!」
⸻
「ハァーハッハッハ! その通りだ!」
雷みたいな声が、空から落ちてきた。
「この世界の不条理を正す! それが俺たち兄弟の誓いだ! 待たせたな、カミナ!」
見上げれば、夕焼けを背に屋根の上。
黒髪をたなびかせるジーク。
「ジーク! 母さんが……母さんが!」
「任せろ!」
風のように駆け降り、ジークは母さんの傍らに膝をつく。
掌をかざし、静かに真言を紡いだ。黒髪がかすかに逆立ち、こめかみに一本だけ銀が差した
「聖き印よ、傷を閉ざせ――《聖痕サンクティ》!」
空気がふるえ、淡い光が母さんを包む。
血が止まり、裂け目が閉じ、荒い息が落ち着いていく。さっきまで死の色だった肌に、あたたかい血色が戻る。
(……助かった……よかった……!)
涙が滲む。
同時に思う。
(やっぱり、ジークはすごい)
⸻
背後から、殺気。
「……!」
ジークが反射で母さんの剣を抜き、振る。
刃と刃が噛み合った瞬間――火花と霜華が同時に散った。
キィィン! シュウゥ……
土煙を裂いて現れる、青鋼鎧の巨躯。
淡い黄金光を帯びる聖剣に白い冷気をまとわせる――帝国七神将、ヴォルグ・フォン・ゼルファス。
次の一撃が閃く。
雷と氷がぶつかり、轟音。大気が凍り、蒸気が爆ぜる。
バチィィン! パキィィン!
「ジーク! 気をつけろ! 帝国の七神将とかいう奴だ!」
「へぇ……そりゃまた大層なお肩書きで」
ジークは口の端を上げ、雷を纏った刃で押し返す。
肩書きでビビるタイプじゃないのは、よく知ってる。
紫電と氷結がせめぎ合い、戦場が白と青に染まった。
(嘘だろ……?)
雷が氷を弾き、氷が雷を封じる。
打ち合うたび、空気が震える。
まるで遠い星々の戦争映画で聞いたことがあるような――光刃がぶつかり合う音に近かった。
睨み合いの最中、ヴォルグの視線がジークを穿つ。
「……その技、その魔法――見たことがない……法国の系譜か?」
“本物”を見極める目。静かな狂気。
ジークは飄々と笑う。
「さぁな。王国生まれなのは確かだが、あんたに教える義理はねぇ」
――その瞬間。
バチィィィィィンッ!
黒い髪と瞳――その色が一瞬で銀へ反転し、稲光に撫でられたみたいに髪が逆立つ。
大気が裂け、紫電が剣から――そしてジーク自身から奔り、戦場一帯を覆った。
耳を刺す轟音。光で視界が焼け、焦げた匂いと鉄の味が舌に滲む。
雷――空からじゃない。ジーク自身からだ。
「なっ……!?」
はじめて、ヴォルグの瞳が揺れた。
「……馬鹿な。雷鳴だと? その力、勇者の血にしか宿らぬはず――」
ゴロゴロゴロ……。大地が太鼓みたいに鳴り、揺れが腹の底へ届く。鼓膜じゃない、臓腑が震える。体毛が針のように逆立つ。
銀髪が稲光を浴び、ジークの瞳が雷を映す。
――天空そのものを見据える目だ。
(……変わった。色も、気配も。ジーク――お前、もう人の域じゃないだろ?)
息が詰まる。理屈なんて飛んだ。
ただ、圧倒された。
ヴォルグは聖剣を構え直し、氷の鎧を厚く纏う。
「勇者以外に雷はありえん! 何者だ、貴様!」
ジークは薄く笑う。
「――言ったろ。不条理を正す者。俺は修羅場でこそ本領発揮すんだよ」
ドォォォン!
紫電と白氷がぶつかり、音も景色も塗り潰される。
帝国兵も、退避していた村人も、誰一人動かない。
ただ、見ている――あの背中を。
父さんが低く唸る。
「……我が息子ながら、とんでもねぇやつとは思ってたが……魔法……まだ隠してやがったか」
リリスとゼクス――さっきまで暴れていた二人も、ぽかんと口を開け、中央の二人を見つめている。
「……な、なんですの、あれ……本当に人間?」
「……父上が……押されている……?」
剣を下ろす兵。ざわめきすら消え、残るのは雷と氷の衝突音だけ。
⸻
ヴォルグが低く詠唱する。
「凍てつく聖域よ――その牙で罪を穿て!《氷牙聖断》!」
世界が白銀に塗り替わった。
地が裂け、氷柱が突き上がり、村ごと氷牢になろうとする。
ジークが吠える。
「天よ轟け、我が刃にて万雷を束ねよ!《雷帝轟閃刃》!」
空が割れ、剣先から稲妻が奔る。
光と音の塊が衝突――
ドォォン!
ぶつかり合い、削り合い、爆ぜ散る。
氷片と火花の雨。ヴォルグの目が見開かれる。
「……相殺、だと? 聖剣で増幅した一撃を……!」
ジークは笑う。
「どうした? もう終わりか? “七神将”は、弱い者いじめしかできねぇのかな?」
刹那、ヴォルグの剣筋がわずかに乱れた。挑発、効いてる。
距離が開き、互いに呼吸を整える。
ヴァルグが呟く。
「……名はジークとかいったか……」
ジークは肩をすくめる。
「名乗るほどのもんじゃねぇけど……実は七神将ってのも知らねぇんだよな」
(情報を引き出そうとしてるのか……?)
ヴォルグは低く息を吐いた。
「七神将とは――大陸統一を目指す女帝に選ばれた七人の将。その一人が俺だ」
「へぇ。お前クラスが七人も」
「私は団長。女帝を抜かせば他の五人を束ねる立場でもある」
再び剣と剣がぶつかる。
雷光と氷結が爆ぜ、戦場を覆う。
ジークは吹き出すように笑った。
「そんな偉いヤツが、こんな田舎に出張かよ。やることなさすぎだろ」
「女帝の命だ。国境の城塞都市を攻める前に、周辺の村を潰せと――」
一瞬だけ、ヴォルグの目が揺れる。
「……それと息子と娘の初陣。どうしても心配でな……」
「なんだよ、良い父ちゃんじゃねぇか。――親バカかよ」
余裕の声音に、僕の胸が熱くなる。
(すごいよ、ジーク。あの怪物に対等だ)
ヴォルグが問いを戻す。
「私は答えた。何者だ、貴様」
ジークの目が一瞬だけ鋭く光る。
「説明は面倒だが――“勇者”の生まれ変わり、ってとこだ」
銀髪が立ち上がる。空が急に暗む。雷雲が渦巻き、雷の腹鼓が鳴り始める。
「それとな――お前がいじめてたこいつも、俺の双子の弟で“勇者”の生まれ変わりみたいなもんだ。
下手に手を出せば、ただじゃおかねぇ」
ジークの身体の雷光と天空の光雷が吠え、絡み合い、詠唱とともに刃へ収束する。
「──天を裂き、雷霆を我が刃に。万象を貫き、悪しき魂を灰燼と帰せ!
《雷帝聖裁》!」
閃光が大地を裂き、轟音が村を抉る。
石壁が粉砕され、建具が弾け飛ぶ。
(……これが、ジークの本当の力……!)
ヴォルグは紙一重で躱し、聖剣がかすかに揺れた。
その目に、驚愕と――ほんの少しの興奮。
「……輪廻を越え、勇者が蘇ったか。面白い」
ジークが追撃に移ろうとした刹那――
刀身に走っていた細いヒビが、一気に砕け散る。金属片が火花と舞い、足元にカラン、と落ちた。
ジークは壊れた剣を見下ろし、肩をすくめる。
「ありゃ、壊れちまったか……だが七神将、もういいだろ。村は十分被害を受けた。兵を引け」
白銀の瞳がヴォルグを射抜く。
次の瞬間、空の雷雲がうねり、警告の稲光がヴォルグの横手の枯木へ一直線――
ゴロゴロ……ビシャーン!!
大地ごと押し潰されるような圧が広がった。
「――そして、村人には指一本触れるな」
ヴォルグは聖剣を下ろし、短く頷く。
「よかろう。勇者の復活――早急に報告せねばならん。兵は撤収させる。今日はこれまでだ」
静寂。帝国兵も村人も、ただ呆然と立ち尽くす。
⸻
僕は立ち尽くしたまま、熱に焼かれていた。
恐怖じゃない。絶望でもない。
ただ、熱かった。
(……これが、ジーク)
前世で“勇者”だったという、おかしな肩書のAIアプリ。
転生した今は、僕の双子の兄。雷を纏い、帝国の怪物と渡り合う、ほんものの英雄。
――いつしか、僕の憧れに……
(追いつく。ジークの背中を、僕は絶対に見失わない)




