表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/46

六、迫り来る危機と決断の時

――皆を集めた、その日の午後。

村の空気は、朝とはまるで別物だった。


遠くに漂っていた黒煙は、もう濃い影になって尾根を塗りつぶし、焦げと鉄の匂いが風に乗って鼻腔を刺す――舌の奥で“味”になる類いの匂いだ。

そこへ、偵察に出ていたダルクが土埃を巻き上げて駆け戻る。鞍から転がるように降り、声を荒げた。


「――赤黒い旗、確認! ゼルファス帝国! 隣村は焼かれて兵が常駐、次はこっちだ!」


「……帝国、だ」


誰かのかすれ声が合図みたいに広がる。畑から戻った男たち、竈の火を落とした女たち、子どもを抱き寄せる母親。

目がぶつかっては、すぐに足もとへ落ちる。視線が地面に集まり、逃げ腰がみるみる伝染した。喉が、ひどく乾く。


村長が額に汗をにじませ、叫ぶ。

「もうダメだ……! みんな、逃げるんだ! 勝てるわけがねぇ!」


その一言が火種になり、不安が走る。


「見つかったら終わりだ……」

「男は殺されるか奴隷、女も子どもも連れていかれて――戻ってこない……」


“帝国に目をつけられた村は、何も残らない”。子どもだって知っている噂が、現実の顔でこちらへ歩いてくる。胸の奥を冷たい手がなで、足が勝手に後ろを向きたがる。――でも。


父さん――ガイが、一歩、前へ出た。踏みしめた土が低く鳴る。

「まだ諦めるな! 道場の連中は最低限、戦い方を叩き込んである。

それに――カミナと皆で作った《玉鋼》の武器がある。罠も張った。守る手は、まだ残ってる!」


ざわめきに杭が打たれた。だが村長は食い下がる。

「ガイ、お前……相手は帝国だぞ。村の人間だけでどうにかできるはずが――」


その横で、母さん――リーナが一歩。

「私も、この村を守りたい。みんなで力を合わせれば、きっとできるわ」


柔らかな声なのに、芯は真っ直ぐ。張りつめた空気が、わずかにほどける。――けれど、まだ足は後ろへ動こうとしていた。


僕は前へ出た。視線が集まる。喉はからからだ。でも言葉は自然に出た。

「――逃げてるだけじゃ、何も守れない!

この村で生まれて、この村で育った僕たちだからこそ、やれることがある。

だから僕は――絶対に、この場所を守り抜く!」


声が屋根に当たって跳ね返り、胸の内側を熱が走る。怖さは消えない。けれど、言葉にした瞬間、腹の底に“決意”が座った。


俯いていた顔が次々に上がり、場の温度が一段、上がる。

「カミナなら、なんとかしてくれるかもしれん」

「玉鋼を広めてくれたし、罠も用意してただろ?」


最初はぽつぽつだった声が、連鎖していく。


ジークが一歩前に出て、広場をぐるりと見渡した。

低い声が、静かに――それでいて遠くまで届く。


「怖ぇよな。俺も怖い。……けど聞け。大事なのは三つだけだ」


人差し指を立てる。

「一つ。守るのは“人”だ。家でも畑でも家畜でもない。女、子ども、年寄り――命が最優先だ。自分の命も大事だ。だが、恥じない選択をしろ。置いていくな。絶対に」


中指を立てる。

「二つ。持ち場を離れるな、声を絶やすな。勝手に飛び出すな。自分の場所を守り、そばの仲間の名前を呼べ。倒れても声を出せ。隣で一緒に戦う仲間は“声”で強くなる」


薬指が添えられる。

「三つ。恐怖は飼いならせ。震えていい。震えながら手を動かせ。動けば震えが止まる。前を見るのがきつい時は、俺や父さん、カミナの背中だけ見ろ。俺たちが壁になる。誰一人、置いていかねぇ」


ジークは拳を胸に当て、短く言い切った。

「王国の騎士は当てにならねぇ。だから――俺たちの村は、俺たちで守る」


一拍置いて、顎を上げて吠える。

「やってやろうぜ。――全員で、生きて帰る!」


『何言ってんだ、この若造が』――そう思う顔は、ひとつもなかった。

一拍、二拍の静けさ。つぎの瞬間、地面の下から熱が湧くみたいに声が広がった。


ジークは“間”の置き方も“目線”の配り方も知っている。言葉を切る位置、拾い上げる視線――場を掴む術だ。きっと、勇者だった頃に何度も人前に立って、勝たせてきたのだろう。


「天才児の二人がやれるって言ってる!」

「玉鋼がなきゃ、とっくに税で潰れてた!」

「カミナとジークがやるなら、俺もやる!」


村長はしばらく唇を噛み、やがて大きく頷いた。

「……分かった。やるだけやってみよう」


父さん、母さん、ジーク、そして僕は目を合わせ、ひとつうなずいた。合図はそれで足りる。言葉はいらない――次にやるべきことは、もう決まっていた。

そこからは早かった。父さんが指揮、母さんが治療班を編成、道場組は武器配布と持ち場の割り振り。僕とジークは地図を広げ、要所に指を置く。


「丸太で列を崩す。ここ――東の道、合図で落とせ」

「混乱して突っ込んだやつは、こっちの落とし穴。麻縄で口を覆って土と藁、踏めば落ちる」

「火攻めは風上だけ。今日は北東風だ、使える」


頷く顔、支える手。――伝わってる。


僕は続けて張る。

「スリングと油は用意済み。合図で一斉に投げる。距離はここから二十歩――練習通り」


「おう!」「任せろ!」


玉鋼の剣は二本――父さんと僕が持つ。一本起こすのに季節をまたぎ、折り返しては叩き、また折って叩いた。今の僕が込められる限りを詰めた二本だ。

槍は六本。門前・路地口・畦道に二本ずつ、手の早い道場組へ。灰色の穂先は光を飲み、術を拒む――こちらの“盾”であり“楔”になる。


母さんは治療班の前で端的に告げる。

「まず止血。押さえるか縛る。刺さり物は抜かない。骨折は板で固定。火傷は井戸水で流す。無理はしないで、声をかけ続けるの」


子どもにも役目。

「合図は聞き漏らさない。順番は年下から。転ぶな、焦るな。戻ったら数を数えろ」

「うん!」「任せて!」


逃がす道順も確認。年寄りと乳飲み子、妊婦は西の畦道へ。荷車は二台、先頭と殿に赤布。曲がり角は灰印。見つかったら笛を短く二つ――散開して小川沿いの“二の道”へ。

年寄りの足はすぐ止まる。横について歩幅を合わせ、場を見られる頭、そして途中で襲われても絶対に守り切れる力が要る。


……胸の奥に、適任の名が浮かんだが、今は呑み込む。まず全員を動かす。


準備は、儀式だ。手が動けば、心がついてくる。



やがて夕刻。森の向こうが低く唸り始めた。軍靴が大地を叩き、地鳴りみたいに腹に響く。木立の間から赤黒い旗と鉄の列。夕陽に鎧が鈍く光り、“数”が息を詰まらせる。


誰かが息を呑む。――でも、もう誰も背を向けなかった。


僕の隣に、ジークが立つ。

「……いよいよだな」


うん、と答えようとして喉が固まる。手のひらは冷たく、膝裏が笑っている。自分の手を見て、ゆっくり握り、開く。――震えてる。分かってる。でも、立て。


ジークが肩を掴んで笑う。

「ここまで来たら、やるだけだ。お前一人じゃねぇ。みんなで守るんだ」


胸の底で、何かがカチリと噛み合う。

「……ああ」


僕はもう、中学生のヒカルじゃない。

怪力と回復力のチート、父さんに叩き込まれた破剣式、そして皆を守るために鍛えた玉鋼の剣で――前に立つ。

漫画の主人公みたいに、弱い人を守る。

絶対に負けない“英雄”を、胸の奥にはっきりと思い浮かべた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ