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雷の勇者と鋼の英雄 〜世界を変えると誓った兄弟は、やがて敵対する〜  作者: ちぇ!
法国編 ーー勇者の誓いと黒雷の器

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五十三、青龍の舞台(前編)

 セレノスを発ったその日は、街道沿いの小さな宿場村で夜を明かした。

 王都アークまではまだ距離がある。馬を潰すわけにもいかず、強行軍は避けた形だ。


 そして翌朝。


 街道は、昼に近づくにつれて白く乾いていった。

 朝露の名残はすでに消え、緩やかな起伏の続く平原を、三頭の馬が一定の速さで駆けている。


 背後には、一泊したばかりの小さな村がもう見えなくなっていた。

 前には、王国の首都アークへ続く長い街道だけが伸びている。


 先頭は俺。右後ろにエリシア、左後ろにグラトス。

 いかにも“急ぎの小隊”という隊列だった。


 風は悪くない。太陽も出てる。道も素直で、馬の足取りも軽い。

 今のところ、旅は拍子抜けするくらい順調だった。


 ――だからこそ、嫌な予感がした。


 こういう時の嫌な予感ってやつは、大体当たる。

 理不尽だが、そういうものだ。


 俺が手綱をほんの少し緩めたところで、横からエリシアが静かに言った。


「考え事ですか。少し速度が落ちています」


「ああ……分かるか?」


「はい。ジーク様が何か考えておられる時は、馬への力のかけ方が僅かに鈍りますので」


「観察眼が鋭いな」


「この大陸で最も重要とも言える“勇者”の補佐を任された身ですので」


 さらっと返す。そこまで見られてるのは怖い。

 しかも本人は、その言葉の重さを重圧として口にしているわけじゃない顔だった。なお怖い。


 後方では、グラトスが妙に楽しそうに馬を走らせていた。

 こいつはこいつで、久しぶりに故郷である王都アークへ戻るからか、どうにも遠乗り気分が抜けていない。


「勇者殿! このまま順調に行けば、日が落ちる前には中継地、フェリシアまで届くでありますぞ!」


 順調に進んでも届くわけがない。

 今の距離感でそれを言うのは、だいぶ希望的観測だ。だが、ここで現実を突きつけるのも野暮だろう。


 俺は適当に返した。


「届くといいな」


「何でありますか、その濁した言い方は!」


「こういう時に限って、面倒が起きる気がするんだよ」


 するとグラトスは、なぜかますます楽しそうに笑った。


「ハッハッハ! 勇者殿なら、そのような面倒もすぐに解決できましょう!」


 こいつの俺に対する評価は、どうにも高すぎる。

 俺も一応、人間なんだが。


 ――その時だった。


 街道の先、低い丘の向こうから、人影がふらつきながら現れた。


 俺たちはほぼ同時に馬を止める。

 向こうもこちらに気づいたらしく、よろめくように足を速めた。


 鎧姿の男だ。

 騎士――いや、少なくとも装備だけ見ればそう見える。だが肩当ては片方が砕け、胸甲には泥と乾いた血がこびりついていた。歩き方もおかしい。まともな状態じゃない。


 その後ろには、農民らしい男と女が二人。さらに、女の腰に小さな子どもがしがみついている。


「た、助けてください……!」


 男は街道の真ん中まで来ると、その場に膝をついた。

 息は荒く、声は掠れ、喉の奥から無理やり絞り出しているみたいだった。


「この先の村が……魔物に襲われて……まだ生き残りが……子どもたちが……!」


 グラトスが即座に馬を寄せる。


「何があったでありますか!?」


 男は顔を上げ、藁にもすがるような目で俺たちを見た。


「街道沿いのオルディ村です……! 夜明け前に、魔物と、狂った村人が……! 我々では抑えきれず……まだ中に取り残された者がいます……!」


 ――狂った村人。


 その言葉に、エリシアの眉がほんの僅かに動いた。

 俺も同じことを思う。


 デュランの報告と似ている。

 魔物だけならまだしも、“狂った村人”が混ざる時点で、魔族か暗影魔法の匂いが濃い。青龍フェルディナンの趣味にも、妙に合っていた。


 俺は馬上から少し身を寄せ、エリシアだけに聞こえる声で問う。


「街道を避けて進めるか?」


 エリシアは視線を前方へやったまま、小さく首を振った。


「北の街道を避けるなら、東へ大きく迂回するしかありません。ですが、デュラン様から東側の橋が崩落していると聞いています」


「遠回りになるな」


「はい。王都到着はかなり遅れます」


 そのやり取りの横で、グラトスはもう半ば答えを決めている顔で男へ詰め寄っていた。


「我らに任されよ! 中に取り残された者は何人でありますか!?」


「正確には……分かりません……ですが、子どもも……何人も……!」


 それを聞いた瞬間、グラトスが完全に“助けに行く”顔つきになった。

 いや、顔つきだけじゃない。息の吸い方からして、もう行く気満々だ。分かりやすすぎる。


 俺はエリシアを見る。


 エリシアは騎士の男ではなく、その後ろの農民たちを見ていた。

 子どもの足元。女の袖。男の靴。泥の付き方。呼吸。震え方。そういう細かいところを、舐めるように観察している。


「……不自然ではあります」


 小さく言う。


「ですが、全部が偽装とも言い切れません」


「切れない、か」


「はい。少なくとも、あの子どもの震え方は本物に見えます」


 くそ。


 こういう“本物が混ざっているかもしれない”状況が、一番厄介だ。

 嘘だけなら切り捨てられる。全部が敵なら斬れる。だが、本当に助けを求めている人間が混じっている可能性がある以上、無視はできない。


 俺はさりげなく手綱を持つ手に聖光を薄く巡らせた。

 光は外へ漏らさない。ごく浅く、視るためだけに。


 騎士の男へ意識を向ける。


 ……やはりか。


 男の身体の奥に、異物がいる。

 人の魂の座に、ぬめりつくような黒いものが食い込んでいる。魔族の憑依だ。しかも、かなり馴染んでいる。


 だが――後ろの農民たちは違う。

 怯えているだけの、生きた人間だ。


 グラトスが真っ直ぐ俺を見る。


「勇者殿」


「ああ、分かってる」


 見捨てられない。

 エリシアもそれを分かっているから、“怪しいので切り捨てましょう”とは言わない。


 結局、最初から答えは一つだった。


「行くぞ。だが、全員気を抜くな」


 騎士の男の顔に、露骨な安堵が浮かんだ。


「ありがとうございます……!」


「礼は、生き残りを助けてからにしろ」


 そう言って馬首を巡らせる。


 オルディ村は街道から少し外れた先にあるらしい。案内役の騎士を先頭に、俺たちは土の細道へ入った。


 道幅は徐々に狭くなり、草の丈が高くなる。

 風が少し、淀み始めた。


 村が見えたのは、それから十分ほど後だった。


 低い木柵。畑。納屋。戸数の少ない、小さな農村。

 見た目だけなら、どこにでもある村だ。


 だが、そこへ入る直前。

 俺は馬を止め、さも何でもないことのように声をかけた。


「悪い。少しこっちへ来てくれるか」


 騎士の男が振り向く。


「……私、ですか?」


「ああ。中の状況を、もう少し詳しく聞きたい」


 それから、グラトスとエリシア、それに後ろの農民たちへ向けて言う。


「お前たちは少し待機しててくれ。入る前に作戦を詰める」


 グラトスは不満そうに眉を寄せたが、エリシアは何も言わなかった。

 俺の顔を見て、何かを察したのかもしれない。


 騎士の男だけを連れて、街道脇の茂みへ入る。


 森の匂い。湿った土の匂い。

 さっきまでのか弱い足取りが、茂みに入った途端、ほんの少しだけ軽くなった。警戒している。


 やっぱり、そういうことだ。


「この辺でいい」


 俺が立ち止まると、男は一歩遅れて止まった。


「中の様子を話す気はあるか?」


 男は一瞬だけ黙った。

 それから、表情のどこかが剥がれたみたいに笑う。


「……どこで気づきました?」


 もう、掠れ声じゃなかった。

 喉の奥に湿った何かを貼りつけたような、不快な声だった。


「最初から怪しかった。決め手は、お前の中身だ」


 男の笑みが深くなる。


「さすが勇者様。困りますねえ、そういうの」


「青龍の差し金か?」


「答える義理は――」


 最後まで言わせなかった。


 踏み込む。

 音もなく、短く。


 抜いたカムナギに雷はまとわせない。派手にやる必要はない。

 聖光を刃の一点へだけ込めて、男の胸を貫いた。


「――がっ」


 肉を裂く感触より先に、黒いものが悲鳴を上げる。

 人の身体に潜んでいた魔族が、聖光に焼かれて輪郭を崩した。


 男の身体が糸の切れたように崩れ落ちる。

 もう、人としては助からない。憑依が深すぎた。


 俺は短く息を吐き、血を払った。


「悪く思うな。お前をそのまま通すわけにもいかない」


 返事はない。


 俺は何食わぬ顔で茂みを出る。


 グラトスが首を傾げた。


「騎士殿は?」


「先に村の裏手へ回ってもらった。生き残りの位置を確かめに行ってる」


 半分嘘で、半分本当だ。

 もう二度と戻っては来ないが、“先に行った”という意味では間違っていない。


 エリシアの視線が一瞬だけ俺の剣へ落ちた。

 だが、何も言わない。


 俺はここまでついてきた村人たちに短く告げた。


「中へは入るな。入口脇の森へ下がれ。俺たちが戻るまで、何が聞こえても出てくるな」


 農民たちは怯えたまま頷き、子どもを抱えて森の影へ駆け込んだ。


 エリシアが小さく手を上げる。

 淡い翠嵐が木立の間に広がり、揺れる枝葉と一緒に三人の気配を呑み込んでいく。


「簡易的ですが、隠蔽にはなります」


「十分だ」


 それだけ言って、俺たちはオルディ村へ足を踏み入れた。



 最初の違和感――いや、真っ先に鼻についたのは、匂いだった。


 湿った泥の臭気。

 腐臭。

 その奥に、甘ったるい花の香みたいなものが絡みついている。


 不自然だ。


 生き物の匂いと、死体の匂いと、魔の匂いが、区別もつかぬまま一つに溶け合っている。

 村ひとつの空気そのものが、もうまともじゃない。


 俺たちは村の入口で馬を降りた。


 見た目だけなら、普通の農村だった。

 低い石垣、木造の家屋、小さな畑、井戸、納屋。どこにでもある、平和な村の形をしている。


 ――だが、空気が違う。


「……静かすぎる」


 俺が低く言うと、エリシアが小さく頷いた。


「はい。それに、風の流れも妙です」


 こういう時、翠嵐の術師は本当に頼りになる。


「どんな具合だ?」


「村の中央へ向かうほど、空気が重いです。霧か、それに類するものを意図的に流している可能性があります」


 エリシアは周囲を見回しながら、もう半分は“読んで”いた。

 風の流れ、匂いの濃淡、湿り気の偏り。目に見えないはずの異常を、こいつはきちんと拾う。


 グラトスは槍を構えたまま、辺りを油断なく見回していた。


「しかし、人の気配はありますぞ」


「ああ」


 いる。

 確かにいる。


 軒先に立ち尽くす男。

 戸口の影からこちらを見ている女。

 井戸の縁に腰掛けた老人。


 だが、全員の様子がおかしい。


 目の焦点が合っていない。

 口元だけが薄く笑っている。

 立っているだけなのに、まるで命令待ちの人形みたいだった。


 エリシアが眉を寄せる。


「暗影魔法でしょうか」


「精神干渉系だな。しかも浅くなさそうだ……」


 浅い支配なら、もっと揺らぎがある。

 こいつらは違う。身体の芯まで“使われる側”に落とされている感じがした。


 その瞬間だった。


 どこかで、子どもの泣き声が上がる。


 甲高く、短く、必死な声。


「っ、あっちであります!」


 グラトスが迷わず駆け出した。

 俺とエリシアもすぐに続く。


 曲がり角を抜けた先に、半壊した家屋があった。


 梁は折れ、屋根は斜めに沈み、壁は今にも内側へ崩れそうになっている。

 その隙間から、小さな声が聞こえた。


「た、すけ……」


 本物だ。


「子どもがいる!」


 グラトスが一歩前へ出た。

 槍を捨て、両手を突き出す。


「炎壁――」


 そこまで言って、止まった。


 家屋の梁は乾いている。

 藁束も積んである。

 ここで炎壁を出せば、建物を吹き飛ばし、崩落は止められても火が回る。


 グラトスの顔が、はっきりと迷った。


 たぶん今、一瞬で全部考えたんだろう。

 炎壁なら止められる。だが、燃える。

 燃やさずに止めるなら、火ではく自分でやるしかない。


 次の瞬間、グラトスは叫んだ。


「某が支えます!」


 そのまま家屋の下へ飛び込んだ。


「おい、グラトス!」


 止める間もない。

 体を滑り込ませるように潜り込み、崩れかけた梁を両肩と両腕で受け止める。


 みしっ、と嫌な音が鳴った。


「ぐっ――ぬおおおお!」


 グラトスの足が地面に沈む。

 だが、止まった。傾きかけていた屋根が、そこでわずかに持ちこたえる。


「今であります! 子どもを!」


「任せろ!」


 俺は家の脇へ回り込み、割れた壁板を蹴り破った。


 中は暗い。土埃がひどい。

 梁の隙間に、小さな男の子がうずくまっていた。泣いてはいるが、まだ動ける。


「来い!」


 腕を掴んで引き寄せる。軽い。骨みたいに軽い。

 その子を抱えて外へ跳ぶ。


 背後で、また梁が軋む音がした。


「グラトス!」


「まだであります! 中に、もう一人――」


 言い終わる前に、家の奥の暗がりから黒い影が飛び出した。


 屍人だ。


 人の形はしている。だが、肌には血の気がなく、口は耳まで裂け、濁った唾液を垂らしている。

 そいつが、梁を支えるグラトスへ真っ直ぐ飛びかかった。


「させません!」


 俺が雷を走らせるより早く、エリシアの風刃が屍人の胴を横から薙いだ。


 だが浅い。

 肉ではなく、古びた木を断ったみたいな硬さがある。


 屍人は軌道をずらされ、それでもなおグラトスの肩口へ食らいついた。


 ぐしゃ、と嫌な音がした。


「殿下!」


「問題……ないでありますッ!」


 問題ない音じゃなかった。

 だがグラトスは踏みとどまり、歯を食いしばったまま屍人と揉み合う。


 エリシアが風で土埃を払いつつ、鋭く叫ぶ。


「殿下! その屍人、毒を持っている可能性があります!」


 見れば、グラトスの肩口を裂いた傷の周囲が、じわりと黒く変色し始めていた。


 くそ。

 やっぱりただの村じゃない。最初から全部、仕組まれてる。


 その時だった。


 屋根の向こう、風上のどこかから、柔らかな笑い声が落ちてきた。


「いいですねえ。素晴らしいですねえ」


 ぞわり、と背筋が冷える。


「やっぱり勇者一行は、ちゃんと助けに来てくれる」


 この声は――


 俺は子どもを抱えたまま、ゆっくりと顔を上げた。


 屋根の上。

 半壊した鐘楼の影。

 そのどこかに、誰かがいる。


 見えない。

 だが、見られている。


「……青龍フェルディナン」


 俺が低く呟くと、声の主は嬉しそうに笑った。


「正解です」


 風が、ひどく甘い匂いを運んできた。


「さあ、舞台は整いました。ここからが本番ですよ、勇者様」


 その瞬間、村のあちこちで、今まで棒立ちだった村人たちが一斉に顔を上げた。


 同時に、家々の影、納屋の裏、崩れた壁の隙間から、潜んでいた屍人たちがゆっくりと起き上がってくる。


 村そのものが、俺たちを呑み込むために目を覚ましたみたいだった。



 ぞわり、とした。


 さっきまで焦点の合っていなかった目が、一斉にこちらを向く。

 笑っている。

 口元だけが、糸で吊られたみたいに揃って笑っていた。


「……っ、来るであります!」


 屍人を蹴り飛ばし、肩口を押さえながらグラトスが叫ぶ。


 次の瞬間、広場側の路地から男が一人、女が二人、老人が一人――農具とも呼べぬ棒切れや石を手に、ふらつくような足取りで、それでも一直線にこちらへ走ってきた。


 その後ろからは、さらに屍人が混ざる。


 遅い。

 だが、躊躇がない。


 操られた人間と屍人が入り混じり、誰がまだ生きていて、誰がもう死んでいるのか、一目では判別がつかない。

 最悪の形だった。


「殺すな!」


 俺は子どもを抱えたまま叫ぶ。


「グラトス、足を止めろ! エリシア、一旦引く! 退路の確保を頼む!」


「応!」

「承知しました!」


 グラトスが槍を振り払う。


 紅蓮が低く薙いだ。

 だが、ただの炎壁じゃない。広く焼くための火じゃなく、生きている人間の足元だけを狙った、薄く細い炎の線だ。


 炎を嫌がり、先頭の男が足を取られて転ぶ。

 その上に、後ろの女がもつれ込む。


 だが、屍人は止まらない。

 燃えながら、そのままこちらへ突っ込んでくる。


 炎をまとった死体がふらつくように両腕を伸ばしてくる光景は、地獄絵図としか言いようがなかった。


 俺は抱えている子どもの耳元で低く言った。


「目をつぶってろ」


 返事はない。震えているだけだ。


 そのまま片腕で子どもを抱え込み、接近してきた屍人へ刃を落とす。

 首。肩。脚。


 死んでいる人間が動かなくなる角度だけを選んで斬る。

 動く死体を倒す時は、魔物を相手にするよりよほど神経を使う。


「っ……数が多い!」


 エリシアが短く言った。


 見れば、まだ出てくる。

 今の一団で終わりじゃない。五人、六人、七人――棒立ちだった村人や屍人が、誰かの合図を受けたみたいに、ゆっくり、だが確実にこちらへ向かってきていた。


 その間にも、グラトスは何度も炎の線を走らせ、追っ手の足を止めていく。

 だが、肩の毒は確実に回り始めていた。顔色が悪い。息も少し荒い。


 早く治療してやりたい。

 だが、今はそんな余裕がない。


 エリシアが周囲を一瞥し、鋭く叫んだ。


「ジーク様、一度、足止めをします!」


 そして、ちらりとグラトスを見る。


「殿下。辛いのは分かりますが――最後に大きいのをお願いします!」


 グラトスが、肩の傷を押さえたまま歯を剥いた。


「注文が雑でありますな……! だが、了解であります!」


 次の瞬間、エリシアの翠嵐魔法が唸りを上げた。


 巻き上がる風じゃない。

 低く、鋭く、面で押し飛ばす暴風だ。


 路地を埋めるように迫ってきた村人たちと屍人が、まとめて横殴りに弾き飛ばされる。

 人間は石畳の上を転がり、屍人は家壁や荷車へ叩きつけられ、それでもなお起き上がろうともがいた。


「今です!」


 エリシアが叫ぶ。


 グラトスが一歩前へ出た。

 肩の毒で顔色は悪い。だが、その目だけはまだ死んでいない。


「紅蓮よ、立ち塞がれ――《炎壁》ッ!!」


 轟、と紅蓮が立ち上がった。


 今までみたいな細い牽制じゃない。

 道幅いっぱいを塞ぐ、全力の炎壁。


 熱が爆ぜ、空気が軋む。

 吹き飛ばされて体勢を崩した村人たちと屍人が、そのまま壁の向こうで押し留められる。屍人は焼かれながらなお前へ出ようとし、生きている人間たちは熱に怯んで足を止めた。


 完璧な防御じゃない。

 長くは持たない。だが――今この一瞬、追っ手を止めるには十分だった。


「あの大きい建物へ! 一度、体制を立て直します!」


「分かった!」


 俺たちは追っ手をかわしながら、広場脇の大きな建物へ駆け込んだ。


 中へ入るなり、俺とグラトスで入口脇に倒れていた大机を引きずる。

 重い木机が床を削り、嫌な音を立てながら扉の前へ滑った。


「押せ!」


「応!」


 二人がかりで机を扉へ叩きつける。

 直後、向こう側から何かがぶつかってきて、扉板がどん、と鈍く鳴った。


 ひとまず、これで簡単には入ってこれない。


 集会場か、あるいは村の寄り合い所だろう。

 だが、中はすでにひどい有様だった。


 梁は斜めに落ち、土壁はひび割れ、床には食器や木片が散乱している。

 人が逃げ惑い、何かがそれを追い回した――そんな痕跡が、まだ生々しく残っていた。


 その奥で、かすかな動きがある。


 人の気配――。


 目を凝らすと、棚と床の隙間に、小さな女の子が身体を縮めて泣いていた。


「こんな所にもいたのか……! 今出してやる!」


 手を伸ばした、その時だった。


 背後から、ぞっとするような冷気が這い上がる。


 咄嗟に振り向く。

 床板の隙間から、黒い針めいたものが何本も突き出していた。


「――っ!」


 飛び退く。


 針は木を貫き、壁にまで突き立って止まった。

 毒だ。見ただけで分かる。嫌な光沢を帯びている。


「ジーク様!」


 外からエリシアの声が飛ぶ。


「床下にも罠があります! この建物だけではありません――おそらく村全体が!」


 その声を遮るように、建物のどこからともなく、あの柔らかな声が降ってきた。


「そうそう。そこです、そこです」


 青龍――フェルディナンの声だ。

 笑っている。心底、楽しそうに。


「全部まとめて、村そのものが罠なんですよ。気づいていただけて嬉しいです」


 その言葉と同時に、地面が鈍く震えた。


「くそっ、上に出るぞ!」


 俺は女の子も抱え上げる。両腕が塞がる。

 エリシアが先に跳び、グラトスが毒に顔をしかめながらも最後尾を抑える。俺たちは半壊した梁と壁を足場にして、一気に屋根へ抜けた。


 だが――姿はない。


 翠嵐と暗影魔法で声だけを飛ばしているのか、フェルディナン本人はどこにも見えなかった。


 屋根の上から村を一望した、その時だった。


 ごご、と低い音。


 背後――俺たちが入ってきた路地の向こうで、何か大きなものがせり上がる気配がある。


 エリシアの顔色が変わった。


「村の入口が……!」


 見れば、村の入口側の道を、分厚い岩壁が塞いでいた。

 いや、入口側だけじゃない。左右の細道もだ。村の外へ抜けられそうな道が、次々と石の壁で閉じられていく。


 凄まじい精度の剛岩魔法。


 ――もう一人いる。


「青龍だけじゃないのか……!」


 俺が吐き捨てると、風に乗った声がくすくすと笑う。


「さすがに、そこまで舐めてはいませんよ。こちらも白虎を倒した“勇者”を相手にしているんですから」


 その時、グラトスの身体ががくりと沈んだ。


「ぐ……っ」


「殿下!」


 エリシアが駆け寄ろうとする。

 だが、その前を、今度は屋根の下から飛び上がってきた魔物が塞いだ。


 犬のような輪郭。

 だが脚は異様に長く、口は裂け、舌だけがやけに赤い。


 俺は子ども二人をエリシアの方へ押しやった。


「任せる!」


「はい!」


 次の瞬間、俺の刃が走る。


 魔物の首を一太刀で払う。

 飛び散った血は黒く、屋根板に落ちた瞬間、じゅっと嫌な音を立てて焼けた。


「気をつけろ、毒持ちだ!」


 叫びながらグラトスのもとへ滑り込む。

 肩口の傷は黒ずみ、毒が首元へ這い上がり始めていた。


「勇者殿、力不足ですみません。いつも守られてばかりで、不甲斐ない……」


「馬鹿言うな」


 俺は外套を裂いて傷口を押さえ、そこへ聖光を流し込む。


 白い光が、ゆっくりと黒ずみを押し返していく。


「お前の士気と炎の術には、いつも助けられてる。今だってそうだ」


 グラトスが苦しげに息を吐いた。


「かたじけない……」


 その横で、エリシアは屋根の縁へ身を乗り出し、眼下の石畳を睨んでいた。

 その目が、獲物を見つけた鷹みたいに鋭くなる。


「導魔鉄杭が埋めてあります」


 そこで俺も気づいた。


 石の継ぎ目。

 わずかに覗く金属の縁。

 湿った土。

 井戸から延びる細い水の流れ。


「……雷を逃がす気か」


「はい。広く撃てば地面へ散ります。加えてこの湿り気では、家屋や人質に流れる危険もあります」


 ちっ、と舌打ちした。


 俺を封じるための村だ。

 青龍の陽動で人間を混ぜ、別の魔族が地形で殺す。嫌になるほどよく出来ている。


 その時、グラトスが低く唸った。


「……子ども二人を抱えて、一度離脱しますか。これは……長くは支えきれんでありますな」


 見ると、肩口の黒ずみは聖光で少しずつ薄れていた。

 毒が、ようやく治まり始めている。


 あと少し遅れていたら危なかった。

 胸の奥で、ようやくひとつ息がつけた。


 だが、その安堵を嘲るように、村の中央から今度は鐘の音が鳴った。


 ごぉん、と鈍く。


 祝福の鐘じゃない。

 死体が棺の中で拳を振るったみたいな、不吉な音だった。


 それを合図にするように、村人たちが一斉に走り出す。


 今度はさっきより速い。

 暗影魔法で操られていた連中に、さらに何かを上乗せしたんだ。


 その間を縫って、魔物も来る。

 屋根の上。納屋の陰。井戸の縁。最初からいた連中だけじゃない。まだ潜んでいた。


「ちっ……!」


 俺はカムナギを構え直した。


 青龍の声が、今度はもっと近くで聞こえた。


「素敵ですねえ。守ってますねえ、皆さん」


 見上げる。


 半壊した見張り台の上。

 ようやく姿が現れた。


 金髪。白く派手な服装。楽しそうな笑み。

 青龍フェルディナン=ル=マルシャンが、扇を片手にこちらを見下ろしていた。


「勇者様は強い。強いんですけど――」


 扇が、楽しそうに開く。


「守るものがあると、急に壊しやすくなるんですよねえ」


「……降りてこいよ、青龍」


「嫌ですよ。研究のデータが欲しいと息巻いていた玄武に怒られます」


 その名が出た瞬間、村の中央の井戸の縁に、いつの間にか長身の男が立っていた。


 痩せた長身。眼鏡。白衣めいた法衣。

 表情は薄い。だが、こちらを測る目だけが異様に冷たい。


 玄武――オスヴァルド=バスティエ。


 ……四天王が、二枚。


 さすがに笑えない。

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