表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雷の勇者と鋼の英雄 〜世界を変えると誓った兄弟は、やがて敵対する〜  作者: ちぇ!
法国編 ーー勇者の誓いと黒雷の器

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/60

五十二、補うものたち

宴会の翌朝。

 俺たちは、セレノスの外れにある訓練場へ来ていた。


 石を均しただけの広い地面に、木製の人形、槍立て、弓場、模擬戦用の柵。

 朝の空気は冷えていたが、すでに兵たちの熱気が薄く立ちこめている。

北聖騎士団の連中は整然と並び、東聖騎士団の連中はその周囲で柔らかく散っていた。

守りの北と、動く東。立っているだけで性格が出るのが少し面白い。術皇騎士団も馴染んだ様で違和感なく隊列が組めている。


 その訓練場の中央に――小さな影がひとつ。


 灰銀の髪を揺らしながら、リゼリアが腕を組んで立っていた。

 見た目だけなら、訓練場に迷い込んだエルフの少女だ。けれど実際は、六百年を生きた大賢者である。神様はたまに変な配剤をする。


「さて」


 リゼリアが、いかにも退屈そうに言った。


「昨日は話を聞いただけじゃったからの。今日は実際に、お主らの強さを見せてもらう」


 カタリナが、少しだけ顎を上げる。


「望むところよ。昨日あれだけボロクソ言われたんだもの。少しは見返さないと気が済まないわ」


「その意気は買う」


 リゼリアは即答した。


「じゃが現実は、意気だけではどうにもならん。魔王の前ではなおさらじゃ」


 その言い方が、妙に軽い。

 軽いのに――そこに冗談が一滴も混じっていないのが分かる。


 グラトスが肩を回しながら前へ出た。


「では某から――」


「全員まとめて来い」


 リゼリアが遮った。


「は?」


 グラトスだけじゃない。

 その場にいた全員の顔が、同じ角度で止まった。


 リゼリアは、心底不思議そうに首を傾げる。


「何じゃ。魔王軍は順番待ちでもしてくれるのか?」


 ……その通りすぎて何も言えない。


 エリシアが、すっと眼鏡を押し上げた。


「つまり、連携も含めて見たいと?」


「うむ。単体の力量など後でいくらでも見られる。まずは“勇者の仲間たち”として、どの程度まともに噛み合うかじゃ」


 そう言われると、反論はできない。

 俺は息を吐いて、皆を見た。


「やるぞ」


 その一言で、空気が戦闘用に切り替わる。


 エリシアの目が冷えた。

 カタリナが低く腰を落とす。

 グラトスの槍先が、朝の光を鋭く弾いた。


 合図は、いらなかった。


 最初に動いたのはエリシアだ。

 翠嵐の補助魔法が足元に絡みつき、身体が一段軽くなる。空気の抵抗が消えたみたいに、踏み込みが滑らかになる。


 次にカタリナが前へ出た。

 剛岩の壁が、リゼリアを囲うように半円状にせり上がる。完全な遮蔽じゃない。わざと隙間を残した、突撃のための壁だ。


 その裂け目から、加速したグラトスが飛び出した。


 真正面から圧をかける紅蓮を帯びた槍。

 その後ろを、俺が追う。


 悪くない。

 寄せ集めにしては、ちゃんと形になっている。


 ――が。


「遅いのう」


 リゼリアが、ただ一歩だけ浮いた。


 ふわり、と。

 たったそれだけで、グラトスの突進は空を切る。


「ぬっ!?」


「真っすぐ来るのは元気があってよいが、真っすぐすぎるわ」


 細い杖が、グラトスの槍の腹をこつんと叩く。


 その瞬間、槍にまとっていた炎も、エリシアの補助も、ばちんと弾けた。

 芯を外されたみたいに、グラトスの体勢がぐらりと泳ぐ。


「殿下、下がって!」


 エリシアが叫ぶより早く、リゼリアの足元から炎の球が咲いた。


 いや、燃やしているわけじゃない。

 押し返すためだけに温度を整えた炎。丸みすらあるのに、嫌になるほど正確で、だからこそ恐ろしい。


 カタリナが即座に前へ出る。


「金剛鏡!」


 鏡面みたいな岩壁が立ち上がり、グラトスを庇うように炎を受け、角度を変えて弾く。


そこへ俺が雷を走らせた。

真正面じゃない。わざとカタリナの鏡面へ当てる。反射角を読み、死角へ回す。


普通なら、直撃しなくとも、それで一瞬の隙は奪える。


「……ほう」


 リゼリアの口元が、少しだけ上がった。


 だが刺さる寸前、リゼリアの姿がぶれた。


 残像でも転移でもない。

 最小限の翠嵐魔法で、雷線の外へ抜けたのだ。


 次の瞬間、背後に炎球がいた。


「っ!」


 カタリナが反射した炎球が、今度は俺へ回されていた。

 ラジコン式かっつーの。


 振り向きざまにカムナギを抜く。


 火花。

 雷。

 炎。


短い衝突音。

 圧縮された炎球が爆ぜる。


 その爆炎に紛れるように、リゼリアが杖を振りかぶって踏み込んできた。


(近接だと?)


 今では大賢者と呼ばれているらしいが、根は魔術師だ。

 そのリゼリアが、剣士でもある俺に真正面から殴り合いを挑んでくる。


 ――舐められたもんだ。


 そう思った時には、もう体が動いていた。

 カムナギを振るう。


 だが、受け止められた。


 信じられないことに、リゼリアは杖に凝縮した魔力をまとわせたまま、俺の一撃を真正面から受け切っていた。


 硬い。


 ……いや、違う。

 ただ硬いんじゃない。


 こっちの力の流れを読み切り、ぶつかるその瞬間だけ、必要な厚みで魔力を差し込んでいる。

 受けているようで、実際には斬撃の芯をずらされていた。


 技量の塊だ。


 昔のリゼリアは、こんな真似はできなかった。

 この五百年、こいつもずっと戦ってきたのだろう。


(なら、こっちも少しは本気を出した方がいいか)


 そう思った瞬間、リゼリアの目がほんの少しだけ細くなる。


「……なるほどの。やはり魔力だけではない」


 その声には、さっきまでの軽さが少しだけなかった。


「ジークだけは、最低限戦えるの」


 楽しそうでもあり、厳しくもある声だった。


「じゃが――」


 一瞬だけ、言葉が途切れる。


 視線が、俺の足運びから剣の返し、呼吸の間へと流れた。

 何かを思い出しかけたような、ほんのわずかな沈黙。


「……手加減されてるのはワシか」


 その呟きは小さすぎて、たぶん俺にしか聞こえなかった。


 その隙をついて、エリシアたち三人が攻める。


 最初に動いたのはカタリナだ。

 前方に、剛岩の塊弾を三つ、間をずらして展開する。


 そこへグラトスが炎を重ねた。

 三つの岩塊弾が一瞬で赤熱し、表面に紅蓮を纏う。


 さらにエリシアの翠嵐が吹き抜ける。


 風はただ押し出すだけじゃない。

 弾速を引き上げ、炎の勢いを煽り、三つの弾道そのものを殺意のある軌道へ整えていく。


 岩。炎。風。


 三人の連携魔法は、さっきよりも明らかに速かった。

 威力も、密度も、覚悟も違う。


(……本気だ)


 俺は息を詰めた。

 これだけの一撃なら、並の相手なら致命傷になってもおかしくない。

 それでも三人が撃ったのは、相手がリゼリアだからだ。大賢者なら、この程度で死なないと読んでいる。

 逆に言えば、それくらい信用しなければ放てない一撃だった。


 灼熱を帯びた三条の砲弾が、唸りを上げてリゼリアへ殺到する。


 だが――そんな渾身の一撃を前にしても、リゼリアは次の瞬間にはもう、いつもの調子へ戻っていた。


「まだ甘い」


 迫る連携魔法に、動揺は一切ない。


 リゼリアは杖を軽く三度、払った。


 一打目で風の流れを裂き、

 二打目で炎の芯を散らし、

 三打目で岩塊そのものの軌道を逸らす。


 たったそれだけで、三人の渾身は“脅威”から“未完成な一撃”へと落とされた。


 即興にしては上出来だった。

 だが、その上出来を――リゼリアは、あまりに簡単に崩してみせた。


 訓練場の空気が、ずしんと沈む。


 真言はない。

 詠唱もない。

 結界を張った気配すらない。


 あるのは、ただ圧倒的な魔力操作だけだった。


 見えない壁に正面から叩きつけられたみたいに、砕けた風と炎と岩塊がその場で押し返される。

 余波だけで、エリシアたちは数歩分、後ろへ弾かれた。


 グラトスが地面を削って踏みとどまり、カタリナが歯を食いしばる。

 エリシアの外套の裾が、大きく煽られた。


 俺はその様子を見て、ひとつ息を整えた。


 笑う場面じゃない。

 ないんだが――妙に口元が上がりそうになる。

(ちゃんと食らいついてるじゃねえか)


 グラトスは踏みとどまった。

 カタリナの岩塊も、割れずにまだ形を残している。

 エリシアも、体勢を崩しながら次の補助に入ろうとしていた。


 十分だ。

 ここからは、こっちの番だ。


 俺はカムナギを握り直し、雷鳴魔法を展開した。


 ばちり、と青白い雷が走る。

 腕から肩へ、肩から背へ。

 稲妻は鎧の隙間を這い、筋肉の芯に熱を通していく。


 身体が軽い。

 視界が澄む。

 世界の輪郭が、少しだけはっきりする。


「皆、俺につづけ!」


 三人の目が、同時にこっちを向いた。


 俺は迷わず指示を飛ばす。


「グラトス! 炎壁で正面を切れ、リゼリアの魔法を一瞬でもいい!止めろ!」


「応!」


「エリシアは翠嵐で全員の速度を底上げしろ! 俺とカタリナに寄せろ!」


「承知しました!」


「カタリナ、お前は俺の隣だ! 前で援護しろ、リゼリアの視線を散らす!」


「言われなくてもやるわよ!」


 考えるより先に口が動いていた。

 いや、違う。こういう時は昔から、考える前に“形”が見えていた。


 誰をどこに置けばいいか。

 誰に何を任せれば、一番噛み合うか。


 身体が覚えているみたいに、言葉が出る。


「――やるぞ!」


 三人の目に、もう一度力が宿った。


 その瞬間だった。


 リゼリアの目が、また少しだけ細くなった。


 驚きとも、確信ともつかない色が、一瞬だけそこを過ぎる。

 杖を構えたまま――止まった。


「…………」


 ぴたり、と。


 ほんの一瞬。

 だが、戦いの最中には致命的なくらい長い空白だった。


 俺は思わず声をかける。


「あれ? やらないのか?」


 だが、リゼリアは何も言わない。


 訓練場の端で見ていた兵たちが、誰一人として声を出せずにいた。

 朝の冷気の中で、張り詰めた沈黙だけが広がっていく。


 やがて、リゼリアは小さく肩を竦めた。


「うむ。もうよい……よく分かった」


「これからですぞ! 何がでありますか……!」


 膝をつきそうになりながら、グラトスが叫ぶ。


  リゼリアは、驚くほどあっさり告げた。


「ジーク以外、全然駄目じゃ」


 容赦がない。

 ないどころか、ためらいもない。


「今のまま魔王と相対したら即死じゃな。お主らは“強い人間”ではある。じゃが、魔王軍と戦うには話にならん」


 カタリナが奥歯を噛んだ。

 悔しさで顔が歪んでいる。だが、反論はしなかった。さっきの差を見せられて、なお言い返せるほど馬鹿じゃない。


 エリシアが、静かに問う。


「……ジーク様は?」


 リゼリアの視線が、まっすぐ俺へ向いた。

 さっきまでとは違う。値踏みではない。確かめる目だ。


「ジークだけは、別じゃ」


 一拍。


「最低限どころではない。今の踏み込み、剣の返し、雷の通し方――少なくともこの場では頭ひとつ抜けておる。いや、頭ひとつどころではないの。格が違う」


 訓練場の空気が、わずかに揺れた。

 兵たちが息を呑む気配がある。デュランまで目を丸くしていた。


 だが、リゼリアはそこで終わらなかった。


「しかも、お主……かなり抑えておるな」


「……いや、そんなことは……」


「嘘をつくな」


 ぴしゃり、と切る。


「出力じゃ。仲間を巻き込まぬよう、訓練場を壊さぬよう、殺気まで薄めておる。それであの動きは、正直気味が悪い」


 さらっと言うが、内容はまるで褒めていない。

 いや、こいつなりに最大級の賛辞なんだろうけど。


「本気でやれば、今の連携ごとこの場を吹き飛ばせた。じゃが、お主はそれをせん。勝つためではなく、“壊さぬため”に力を削っておる。……その若さで、ようそんな戦い方が身についておるの」


 そこで、リゼリアの言葉がほんの少しだけ止まった。


 俺の足元から腰。

 剣を握る手元。

 呼吸の間。


 そこを順に見て――そのまま、目を細める。


「…………」


 一瞬だけ。ほんの一瞬だけだが、こいつの顔から余裕が抜けた。

 また何かを言いかけて、飲み込んだ顔だった。


「……どうかしたか?」


 俺が問うと、リゼリアはすぐにいつもの調子へ戻る。


「いや。何でもない」


 軽く鼻を鳴らして、視線を外す。


「じゃが、恐ろしいのう。今の歳でそこまで出来る者など、そうはおらん」


 そして改めて、全員を見回した。


「ただし――それでも魔王に勝てるとは言うておらん」


 空気が、また張り詰める。


「ジークは戦場に立てる。いや、もう“立てる”などという段階ではない。神話の側に片足を突っ込んどる。……じゃが、魔王はその先じゃ」


 俺自身、分かっていた。

 白虎を倒した。だが、だからといってもう十分だなんて一度も思っていない。むしろ逆だ。魔王と一度でも相対したことがあるからこそ、まだ足りない部分が嫌でも見える。


 リゼリアは続ける。


「鍛え直すのに最低でも半年。できれば一年は欲しいのう」


 そこで今度は、俺ではなく全員へ向けて言い切った。


「今のお主らでは、魔王や四天王とやらの前に立つ資格すらない」


 訓練場に、朝の風が吹き抜けた。

 冷たい風だったが、不思議と頭を冷やすにはちょうどよかった。


 デュランが腕を組む。


「なら、その時間をどう作るかだな。敵は待ってくれん」


「今行っても無駄死にじゃ。待たせればよい」


 リゼリアが当然みたいに言った。


「勝つのではなく、好きにさせぬ。主要都市を守り、被害を抑え、四天王の動きを遅らせる。戦線は保てる」


 ランベールが短く頷く。


「ならば、北聖騎士団が壁になる」


「東聖騎士団も、リゼリア殿の教えで今なら魔族の動きが少しは読める」


 デュランも続けた。

 声はもう折れていない。むしろ、一度折れたあとで組み直した人間の硬さがあった。


 そしてリゼリアは、今度は俺たち三人を見る。

 俺、エリシア、グラトス。


「お主らは王国へ戻れ」


 やっぱり、そこに行き着くか。


「アマテリアを確保せねば話にならん。それに、話に聞いたが、弟のカミナの件もあるのじゃろう?」


 その名を出されて、胸の奥が小さく痛んだ。

 ずっと引っかかっている。カミナたちがどう動いたのか。何を見たのか。何を選ぶのか。


 エリシアが、もう答えを持っていたみたいに口を開く。


「王国との交渉役は私が務めます。アマテリアは“宝”ですが、今は王国だけの問題ではありません。理屈は通します」


 グラトスも拳を握った。


「某も戻るであります! 王族として、話を通すでありますぞ!」


 リゼリアが頷く。


「うむ。ジークがいれば問題ないじゃろ。エリシア、グラトス。この三人の少人数で動くのが最も早い」


 そして残る方へ視線を移した。


「カタリナ、お主は残れ。聖導剣シラヌイの扱いを叩き込む」


「……ええ。力不足を再度認識した。よろしく頼むわ」


 カタリナは即答した。

 少し悔しそうな顔ではあったが、そこに迷いはない。


「残った連中も、修行しながら防衛じゃ。

デュランは北聖騎士団と合わせて軍を組み直せ。

ランベールは東聖騎士団と兵の連携を鍛え直せ。

術皇は魔力量が良い。後衛と穴埋めに回せば働く。

バルド、ローレン、マルセルは二人に習い、隊長としての立ち方を叩き込め。

魔族に勝つ必要はない。好きにさせぬことだけ考えよ」


 訓練場のあちこちで返事が上がる。

 それはもう、昨日までの“ただの援軍”の声ではなかった。


 方針が決まったからだ。

 進むべき方向が見えた人間は、強い。


 その日のうちに準備は進んだ。


 王国へ戻るのは、俺、エリシア、グラトス。

 セレノスに残るのは、カタリナ、ランベール、デュラン、そして各小隊長たち。


 別れとしては短い。

 だが、今はそれでいい。しんみりしている時間はない。



 昼過ぎ。

 セレノスの門前に、俺たちは立っていた。


荷は軽い。

 時間を食う旅じゃない。行って、取り、確かめて、戻る。そういう旅になる。


 カタリナが腕を組んだまま、俺の前に立つ。


「いい? アマテリアを取って、弟のことも確かめたら、さっさと戻ってくるのよ」


「命令口調だな」


「当然でしょ」


 そう言って、少しだけ笑う。


「こっちは任せなさい。……あんたは、あんたのやることをやってきなさいよ」


 その一言に、胸の奥が少しだけ軽くなる。

 任せろ、とか、死ぬな、とか、待ってる、とか。そういう言葉を全部まとめると、たぶん今の台詞になる。


 エリシアが一歩前へ出た。


「こちらも急ぎます。王国との交渉は私がまとめますので」


 短い。

 でも、こいつらしい。


 グラトスは空気を読んだのか読んでないのか、いつも通り元気よく手を振った。


「では行ってくるであります! 帰ってきた頃には、某もさらに頼れる男になっている予定でありますぞ!」


「予定形なのが不安だな」


「成長には余白が必要であります!」


 やっぱりこいつはこいつだった。

 緊張感をぶち壊す才能だけは本物である。


 その後ろで、リゼリアが小さく鼻を鳴らす。


「気を抜くなよ、ジーク。魔王軍も馬鹿ではない。王国へ戻る道中、狙われることは想定しておけ」


「分かってる」


「ほんとかのう」


「なるようになるさ」


 リゼリアは、少しだけ目を細めた。

 疑っている顔というより、見届ける顔にみえた。


 門の向こうには、王国へ続く街道が伸びている。

 白金の聖灯が昼でも淡く残り、その先で道は緩やかに霞んでいた。


 俺は一度だけ振り返る。


 セレノス。

 灯りの都。温泉の都。束の間に休ませてくれた街。

 そしてこれからしばらく、仲間たちを預ける街だ。


 カタリナが顎をしゃくった。


「ほら。行くんでしょ?」


「ああ」


 俺は頷いて、エリシアとグラトスを見る。


「……さあ、行こう」


「はい」


「承知であります!」


 俺たちは踵を返した。


 門前に繋いであった馬へ向かう。

 エリシアは慣れた手つきで手綱を取り、グラトスは気合い十分に鐙へ足をかけた。俺も鞍に手を添え、一息で跨る。


 革のきしむ音。

 馬の鼻息。

 蹄が石畳を軽く打つ乾いた音。


 王国の首都アークへ。

 神器を取りに。

 暁の牙の行方を確かめに。

 そして――戻ってくるために。


 背中には、セレノスの灯りがあった。

 前には、まだ見えていない厄介ごとが山ほどある。


 俺は手綱を軽く引き、前を向く。


「行くぞ」


「はい」

「承知であります!」


 次の瞬間、三頭が一斉に地を蹴った。


 最初は石畳。

 やがて土の街道へ変わり、蹄の音も硬さを失っていく。

 朝の風が頬を叩く。マントが後ろへ流れ、セレノスの白金の灯りが少しずつ遠ざかっていった。


 それでも、足は止まらない。


 今はまだ足りない。

 だから進む。

 足りるところまで、何度でも。



セレノス近くの、とある村。


 かつては畑の土と家畜の匂いがしていたはずのその場所に、今は湿った泥の臭気と腐臭、それから甘ったるい花の香みたいなものが、区別もつかぬまま混じり合っていた。


 不自然な匂いだった。

 生き物の匂いと、死体の匂いと、魔の匂いが、一つの村の空気として溶け合っている。


 村人は、まだ“いる”。


 だが、もう普通の人間ではなかった。


 目の焦点が合わず、口元だけが薄く笑っている者。

 暗影魔法に精神を侵され、命じられるまま棒立ちになっている者。

 すでに死んでいるのに、ぎこちなく歩き回るゾンビ。

 人の皮を被ったまま、その内側に魔族を飼っている者すらいた。


 家々の影には、魔物も潜んでいる。

 鶏小屋の奥で爪を鳴らすもの。

 井戸の縁に逆さに張りついているもの。

 納屋の梁の上で、じっと獲物を待つもの。


 にもかかわらず、村は妙に静かだった。


 広場だけが、異様なほど整えられていたからだ。


 壊れた荷車も、倒れた柵も、転がる死体も――まるで舞台の端へ掃き寄せられたみたいに、そこだけ綺麗に避けられている。


 その中央に、白い“玉座”のようなものが置かれていた。


 石にも見える。

 骨にも見える。

 磨き上げられた木にも見える。


 だが、近づいて素材を確かめようなどと思った者は、たぶん二度と眠れなくなる。そういう類の“何か”でできていた。


 その上に当然のように脚を組み、青龍――フェルディナン=ル=マルシャンは退屈そうに腰かけていた。


 長い指先で扇の骨を弄びながら、村そのものを舞台みたいに眺めている。

 よく整った顔立ちに、やわらかな笑み。

 遠目に見れば、上等な芝居を見物に来た貴族の遊び人にしか見えない。


 だが、その目だけが笑っていなかった。

 澄んでいて、冷たくて、役者の失敗を楽しみに待つ観客の目だった。


 フェルディナンはこの村に、自分の魔族をあまり表に出していない。

 大賢者リゼリアに気取られぬよう、あえて“普通の人間”を使ってセレノスの様子を探らせていたのだ。


 そのうちの一人――鎧を着た騎士の男が、震えながら広場へ進み出て、玉座の前に跪く。


「ほ、報告します……」


 声が上ずっている。

 当然だ。目の前にいるのは、美しい顔をした怪物なのだから。


「勇者は……皇子と、その付き人と共に、三人の少人数で一度王国へ戻るようです」


 フェルディナンの目が、すっと細まった。


 次の瞬間、彼は楽しそうに笑った。


「ああ、それはいい〜」


 語尾が妙にやわらかい。

 だからこそ、余計に気味が悪い。


「白虎を倒した勇者と、大賢者リゼリアが合流した時には、どうしようかと思ったんですが……これはチャンス到来ですねえ。ご苦労様です」


 跪いた男は、安堵したように肩を落とした。

 褒められた。許された。そう思ったのだろう。


 愚かだ。


 男は、おそるおそる顔を上げた。


「そ、それでは……約束通り、妻と子供を助けてくれますか……?」


 フェルディナンは、にこやかに頷いた。


「あ〜もちろんです」


 そう言って、ひらひらと手を振る。


 広場の奥。

 倒れた荷車の影から現れたのは、女と小さな子供だった。


 いや――“だったもの”だ。


 皮膚は青黒く変色し、目は濁り、口元には乾いた血がこびりついている。

 動いてはいる。だが、そこに生者の温度はない。


「あ……ああ……」


 男の喉から、壊れたような声が漏れた。

 青ざめる、という表現では足りない。顔から人生そのものが抜け落ちたみたいだった。


 フェルディナンは、その反応を眺めて、くつくつと笑った。


「残念でしたねえ」


 扇を閉じる。

 ぱちん、と乾いた音が広場に響く。


「でも安心してください。あなたもすぐ、楽にしてあげますから」


 男が何か言うより早く、翠嵐の刃が走った。


 風は見えない。

 見えないまま、首だけを正確に掻っ切った。


 血が噴き、胴が崩れ、頭が石畳に転がる。

 フェルディナンは一歩も引かず、その飛沫を避けることすらしなかった。


 ただ、ほんの少しだけ首を傾げる。


「うん。今の絶望の悲鳴は、なかなか良かった」


 その足元に、黒い影がにじんだ。


 暗影魔法だ。

 切り離された死体へ、それが蛇みたいに這い入り、ぴくり、と指先が動く。


 首を失った胴が、不自然に立ち上がった。


 フェルディナンは満足そうに微笑む。


「ほら。これでご家族三人、また一緒ですよ。よかったですねえ」


 その光景を見ていた騎士の姿をする魔族の一体が、低く問う。


「では、フェルディナン様。動きますか」


 フェルディナンは扇を肩に乗せ、くるりと踵を返す。


「そうですねえ。勇者一行が通る村々に、先に罠を張りましょう。いや、この村が丁度よいか……」


 その笑みは、ぞっとするほど美しかった。

 美しいまま、底だけが腐っている。


「三人、でしたよねえ。人質を混ぜつつ、物量で押し潰すのがよさそうです」


 そこで少し考えるように扇の先を唇へ当て、それから楽しげに言い足す。


「万全を期すため、麒麟にも相談しましょうか。玄武が近くにいた筈です。二人で連携すれば、なお良い」


 広場の周囲で、屍人たちが一斉に顔を上げた。

 焦点のない目が、同じ方向を向く。

 まるで次の演目を待つ観客みたいに。


 フェルディナンは、その中心で愉快そうに告げた。


「せっかくです。王国へ戻る道を――勇者にとって最悪の舞台にしてあげましょう」


 遠くでは、聖灯の都セレノスの光がまだかすかに揺れている。


 だが、その手前に広がる闇は、もう静かに牙を研いでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ