五十一、雷と光の物語
宴会は、思っていた以上にちゃんと宴会になった。
北と東と術皇の騎士たちは最初こそ遠慮がちだったが、酒樽が二つ空く頃には肩を並べて笑っていた。
グラトスは中央で声を張り上げ、乾杯を三回やり直し、バルドはそのたびに「だから殿下、音頭は一回でいいんです」と頭を抱え、マルセルは“まだ序の口です”とか言いながら十杯目に入っていた。ローレンはというと、料理より果物皿の前から動かない。果物に関してだけは、あいつは騎士じゃなくて小動物だ。
カタリナは肉を三本目まで平らげ、エリシアは呆れた顔でそれを見ながらも、なんだかんだで食後のお茶をおかわりしていた。
リゼリアはそんな連中を眺めながら、時々くくっと笑う。昔と同じだ。こいつは自分が輪の真ん中で騒ぐより、周りが騒ぐのを眺めて、そこへ毒を一滴落とすのが好きだった。
ランベールは相変わらず口数が少なかったが、杯だけはちゃんと進んでいた。風呂と酒、この二つに関しては国境の熊も案外人間臭い。
笑える時に笑っておく。
たぶん、それは正しい。
だが、笑い声が大きくなるほど、俺の胸の奥では別の音が大きくなっていた。
レイ=魔王=封印。
カミナ=暁の牙=ミルテ村。
そして――これから起きるであろう魔族との戦闘。
俺は木杯を置き、少し火照った頬を夜気で冷ますために席を立った。
「何処かにいくの?」
カタリナが肉を咥えたまま聞いてくる。
「少し酔いを覚ますだけだ。すぐ戻る」
「逃げるなよ、勇者殿! 次は歌で勝負だぞ!」
「それは全力で逃げる」
デュランの馬鹿みたいに明るい声とグラトスの歌声を背に、俺は広間を抜けた。
⸻
宿舎の外廊下は、聖灯の白金の光で静かに照らされていた。
硫黄の匂いが、まだかすかに残っている。広間の喧噪も、壁一枚隔てただけでずいぶん遠い。
セレノスの夜は明るい。
なのに、不思議とちゃんと夜だった。
灯りに押し返されながらも、闇が闇のまま残っている。
中庭へ出る。
石畳は昼の熱を少しだけ抱いていて、その向こうでは温泉の湯気が白く流れていた。
ふう、と息を吐いたところで、背後から小さな足音がした。
「勇者と今後について、少しばかり二人で話そうと思うての」
振り返るまでもない。
声で分かる。
リゼリアが、暗がりの向こうから歩いてきた。
相変わらず外見だけは年端もいかない少女で、そのくせ夜気よりずっと古い雰囲気をまとっている。
「やっぱり来たか」
「来るじゃろ。お主、あからさまに“考え事をしに行く顔”をしとった」
「便利な目してるな」
「生まれてこの方、六百年分じゃ。伊達ではない」
そのまま二人きりになるかと思ったが、そうはならなかった。
足音が、続けて三つ。
「……なんだ、ぞろぞろと」
俺が呟くと、リゼリアが肩をすくめた。
「まあええ。お主らも聞きたいことがあるようじゃしな」
現れたのは、エリシア、カタリナ、グラトス。
案の定というか何というか、主力が丸ごとついてきていた。グラトスだけやたら堂々としているが、エリシアとカタリナは“偶然です”みたいな顔をしている。無理がある。
「偶然です。外に出て、明日の天気でも読もうかと思いましたので」
エリシアが、湯気を立てるカップを持ち上げながら言う。
「偶然って便利な言葉ね」
カタリナが鼻で笑う。
「某は偶然ではないであります! 勇者殿が外へ出るなら護衛が必要でありますぞ!」
「さっきまで宴会場で楽しく歌っていた奴の台詞じゃないな」
「それとこれとは別であります!」
……まあいい。
どうせ、こいつらは後で聞くだろうと思っていた。
エリシアが一歩前へ出た。
広間の中では少し柔らかかった目つきが、ここではまた政務官のそれに戻っている。
「リゼリア様。先ほど会議で仰っていましたね」
静かな声だった。
「五百年前、勇者が封じた魔王の祭壇を発見した。そして、ご自身もその上から封印術を重ねがけした、と。――つまり、五百年前の戦いで魔王は討ち滅ぼされたのではなく、封印されていた。そして今回の件も“復活”というより、封印が破られた。そういう理解でよろしいのですか?」
「その通りじゃ」
リゼリアは、エリシアの持つ紅茶の湯気をしばらく眺めていた。
それから、少しだけ目を細める。
「さて」
小さく笑う。
「お主らには、話しておかねばなるまいの。五百年前、魔王と相まみえた我ら勇者たちのことを」
空気が変わった。
さっきまで宴会の余熱が残っていた中庭が、一瞬で静まる。
誰もが言葉を飲み込んで、リゼリアを見た。聖灯の光の中で、こいつの灰銀の髪だけが妙に夜と馴染んでいる。
「……当時、魔王軍は各地の国々を蹂躙し、滅びの予兆を世界にばらまいておった。立ち上がったのは四人――勇者と呼ばれた者は、二人おった」
エリシアが思わず目を見開く。
「勇者が……二人?」
リゼリアは指を一本ずつ折った。
「雷鳴の勇者、レイ。雷鳴と翠嵐の魔法、そして類まれなる剣技で神滅聖剣カムナギを自在に操った女じゃ」
「その兄、雷光の勇者ロウ。剣技も魔法もこなし、雷の血筋でありながら“聖光”にも選ばれた、変わり種の男じゃった」
「そしてわらわ。神宝聖珠ヤツミタマを用い、補助と支援を担う炎の魔女リゼリア」
「最後に、神護聖盾アマテリアを手に戦った、王国最強の騎士レオニス」
グラトスが思わず声を漏らす。
「……四人、いたのでありますか? ですが王国では“勇者と二人の仲間”としか……」
「ふむ」
リゼリアは少しだけ寂しそうに笑った。
「三種の神器が三人を象徴しておったがゆえ、記録の中で一人分が抜け落ちたのかもしれんな」
そこで、悲しそうな顔のまま一拍置く。
「……それはちと、残念なことじゃの」
その言い方に、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
こいつは昔のことを話している。だが、昔話としてではない。まだ現在形で抱えている人間の声だ。
少し間を置いて、リゼリアは続けた。
「では、まずは神器を持っておらなんだ勇者の話からしようかの」
その声は、さっきまでの毒舌とは別人みたいに柔らかかった。
「ロウという男は、十にもならぬ頃に両親を失い、それから二つ下の妹レイを守って各地を転々としておった。雷の血筋は魔族に狙われやすかったからの。まともに村や街に留まれぬ時期も長かった」
リゼリアの目が、少し遠くを見る。
「剣も魔法も“まあまあ”――と本人は言うておったが、実際は何でも器用にこなす男じゃった。女神に選ばれし者だけが扱える聖光魔法の才を持っておって、攻撃も回復も、結界も、索敵も、合図も、ぜんぶ一級品じゃ」
「攻めるより、足りない所を補う。仲間を支える。前へ出るより、全体を勝たせる」
リゼリアはそこで、少しだけ笑った。
「表に立つ勇者はレイ。じゃが、その後ろで盤面を整え、道を示し、皆を生かし続けていたのはロウじゃった。影の参謀、とでも言うべきかの」
エリシアが、わずかに息を呑んだのが分かった。
たぶん、理想の補佐役の話として聞いている。目が妙に真面目だ。
リゼリアは次に、手のひらを軽く握った。
「……そして、光の盾を持つ男――レオニスじゃ」
「でかかった。とにかくでかい。身体も、盾も、気配もな。顔つきも厳つくて、初見では大抵の者が怯える。じゃが、本人はそれを気にしておっての。いつも無理に笑っとった。不器用なくせに、周りを安心させたかったんじゃろう」
そこでリゼリアは、少しだけ肩を揺らした。
「……笑うと余計に怖かったがの」
カタリナが思わず吹き出した。
張り詰めていた空気が、そこで少しだけ緩む。
「じゃが、ひとたび戦闘となれば、その笑顔は消える。アマテリアを構えたあやつは、まさしく要塞じゃった。暗影魔法を吸い、暗黒闘気を受け、巨大な盾と結界で仲間を守り抜く。どれほど苛烈な攻撃でも、レオニスが前に立つだけで“まだやれる”と思えた」
カタリナとグラトスは、盾役もこなすせいか二人とも注意深く聞いていた。
壁になる戦士の話は、壁になる戦士にしか分からない重さがある。
「そして、わらわじゃ」
リゼリアは自分の胸元の勾玉を軽く指で叩いた。
「わらわは後衛で援護じゃった。当時から本当は攻撃魔法が得意じゃったんだがの。火で焼くのは今も好きじゃし」
「自分で言うのね」
カタリナが呆れた顔をする。
「事実じゃからな」
リゼリアは当然みたいに返した。
「じゃが、当時はレイが前で斬り、レオニスが守り、ロウが全体を回しておった。ならばわらわの役目は、そこをさらに下から支えることじゃった。ヤツミタマで魔力切れを防ぎ、補助をかけ、身体能力を底上げし、戦場全体の流れを保つ。表には出にくいが、必要な仕事じゃった」
そう言って、少しだけ目を伏せる。
「仲間の背を守る。……それもまた、戦いじゃ」
そこに嘘はなかった。
この小さな体の奥にある五百年分の実感が、その一言に全部滲んでいる気がした。
そして最後に、リゼリアは夜空を見上げた。
「……雷鳴の勇者レイじゃ」
声が、少しだけ変わった。
誇らしさと、懐かしさと、喪失が混ざる。
「レイはの、勇者といっても、豪胆で眩しいような娘ではなかった。優しくて、少し気弱で、放っておくとロウの後ろに隠れそうなところもある少女じゃった」
そこで、リゼリアは目を細めた。
「じゃが、ひとたび戦場に立てば――別人になる」
その一言に、誰も口を挟めなかった。
「雷を呼べば、轟音とともに無数の稲光と風刃が敵陣を駆け巡る。視界を奪い、感覚を焼き、動きを止める。そこへカムナギの剣が振るわれる。雷の速さと風の鋭さ、その二つを同時に乗せた斬撃は、相手にとっては雷鳴の嵐そのものじゃ」
「激しく、容赦なく、確実に仕留める。あやつはそういう勇者じゃった。誰よりも優しくて、誰よりも戦場で冷たくなれた」
リゼリアの声が、ほんの少しだけ震える。
「……あの頃は、わらわも“負ける”という言葉を忘れかけておったよ」
夜気が、一瞬冷えた気がした。
しばらく誰も何も言わなかった。
だが、話はまだ終わっていない。むしろここからが本題だ。
リゼリアは静かに続けた。
「王国軍が正面から魔王軍へ進軍する中、我らはロウの導きで側面から魔王城へ潜入し、玉座の間を目指した。……じゃが、魔王城はもぬけの空、それに肝心の魔王も姿を見せなかった」
「ロウは“何かがおかしい”と判断してな。魔王城の最上階にある部屋を調べてくる、と言って単独で離れた。わらわらは、あまり目立たぬ一室で休息を取っておった」
そこで、リゼリアの目がすっと細くなる。
「一息ついた矢先じゃ。魔王の奇襲を受けた」
空気が張り詰める。
湯気の向こうの宴会の笑い声が、急に遠く聞こえた。
「ロウが不在のまま、レオニスはアマテリアを構え、わらわはヤツミタマで支援し、レイはカムナギで斬り込んだ。……まさに死闘じゃった」
リゼリアの声は静かだ。
静かなほど、その中にある光景が凄惨になる。
「あと一歩。ほんのあと一歩で届く――そう思ったところで、レオニスが魔王の闇に呑まれた」
カタリナが、息を呑む。
「わらわも魔王に吹き飛ばされ、深手を負い、意識を失った。最後に見たのは、レイが魔王へ突撃する姿……それだけじゃ」
その先を、誰もすぐには聞けなかった。
「……目を覚ました時、魔王城を探し回って、あったのは神威三聖具だけ。レイの姿はなかった。レオニスも当然、もうおらんかった」
リゼリアの声が、静かに落ちる。
「魔王の気配も消えておった。……あの時のわらわは、レイが命を懸けて魔王を討ったのだと、そう思うしかなかった」
エリシアが、そっと口を開いた。
「では……最初に消えたロウは?」
「分からんかった」
リゼリアは正直に言った。
「じゃが、その後じゃ。魔王城の地下深くで、異様な封印の棺の痕跡が見つかった。雷と光が絡み合った、前例のない五芒星の術式の痕跡じゃ」
「雷と……光……?」
カタリナが思わず呟く。
リゼリアが頷いた。
「そう。レイの雷だけでもない。ロウの聖光だけでもない。……二つが噛み合っておった」
そこで、こいつは一度目を閉じる。
「わらわの推測にすぎん。じゃが――ロウが封じたのじゃろう。命と引き換えに」
胸の奥が、ずしりと重くなった。
「封印の痕跡を解析しようとしたが、魔法に詳しいエルフのわらわですら、仕組みが分からなんだ。雷と光が絡み合った、前例のない術式じゃった。だからわらわは、その上からさらに封印術を重ねた。異変に気づけるよう、目印も兼ねてな」
「その後、その城は手厚く保護され、法と秩序に詳しい者が治めるようになった。さらに三百年ほど前、王国から切り離されて、いつの間にか“イシュ=バルト法国”と呼ばれる別の国になり……今では大神殿が建つ場所となっておる」
つまり。
魔王は、討たれていなかった。
レイが届かなかったか、届いてなお足りなかったか。
そしてロウが、命を削って封じた。
……その結果が、今の法国。今の大神殿。今の“魔王復活”だと、リゼリアは言った。
(レイが“魔王”として復活すると知ったら、リゼリアは取り乱すだろうな……)
決戦前には、俺はこいつに事の顛末を話さなければならないだろう。
沈黙が落ちた。
誰もすぐには口を開かなかった。
どこかで宴会の笑い声が弾けている。それが逆に、この場の静けさを際立たせていた。
最初に動いたのは、カタリナだった。
椅子からすっと立ち上がり、リゼリアをまっすぐ見た。
「リゼリア様」
「うむ?」
「私は、シラヌイを受け継いだ者として。ジークはカムナギを受け継いだ者として、この因縁を終わらせたい」
カタリナの声は、少し震えていた。
でも、目は揺れていない。
「レイが倒しきれなかったものならもちろん、ロウが封じたものでも――私たちが決着をつける」
そこで、俺に向き直る。
「……そうよね? ジーク」
俺は、少しだけ息を吐いた。
「ああ。もちろんだ」
エリシアも、グラトスも、静かに頷く。
この場にランベールやデュランはいないが、たぶんあいつらも同じ顔をするだろう。
リゼリアは、しばらく黙って俺たちを見ていた。
やがて、ほんの少しだけ目を細める。
「……ならば、そなたらに託そう」
風が吹いた。
聖灯の光が、揺れないまま俺たちを照らす。
「“雷”と“光”の物語の続きをな」
その言葉に、誰もが深く頷いた。
静かな夜だった。
だが、その静けさの中に、確かに火が灯った気がした。
セレノスの夜は明るい。
灯りがあるからだけじゃない。
こうして、誰かが意志を口にするからだ。
そういうものが、夜を少しだけ短くするのだと――その時、俺は思った。




