五十、灰銀の少女の正体
通された会議室は、いかにも「軍議用です」と言わんばかりの部屋だった。
長い卓。壁際の地図台。墨壺と木札。椅子は硬そうで、空気も硬い。
――なのに、卓の中央だけは別だった。
並べられた料理から、湯気が立っている。
(豪華な飯があるだけで、人間はだいぶ理性を取り戻す)
俺、エリシア、グラトス、カタリナ。
向かいに、北聖騎士団団長ランベール・クロイツ。
東聖騎士団団長デュラン・ガスパール。
その隣に、例のフードの少女が静かに座っていた。
――そして、まずは食う。
黙ってがっつく。戦場帰りの胃袋に、熱い汁はそれだけで勝利だ。
ちゃんとした飯は、やっぱりうまい。舌より先に、心がほどける。
箸が落ち着いた頃、世間話がぽつぽつ混ざる。
名前。出身。名産。得意な魔法。武器の癖。
軍議の前の“呼吸合わせ”みたいな時間だった。
食べ終えると、エリシアが背筋を正した。
「……そろそろ、話を進めましょうか」
「ああ」
デュランが頷き、席を立つ。
椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きく聞こえた。
「まずは私から報告する。東聖騎士団は――魔族の軍勢に、半分近く削られた」
一気に空気が締まる。
料理を食べ終えてからで良かった、と本気で思った。空腹のまま聞いたら胃がひっくり返っていた。
「相手は青龍――フェルディナン=ル=マルシャン。セレスティアからセレノスへ向かう道中で遭遇した」
デュランは淡々と続けた。淡々としているのに、言葉が重い。
“抑えている”というより、“抑えなければ崩れる”声だった。
「翠嵐と暗影の合わせ技。あれは“枢機卿”なんて肩書きで呼べる代物じゃない。……戦闘そのものを娯楽にしてる化け物だ」
そこで一拍置いて、続ける。
「それに、配下の部隊運用がいやらしい。前で暴れさせて釣って、崩れた背中を刈る。こっちは“戦ってるつもり”のまま、手足から落としてくる」
俺の脳裏に、霧の中で隊列がほどけていく光景が勝手に浮かんだ。
戦いじゃない。解体だ。
「軍は大まかに二つ。囮と、本命」
デュランが指を二本立てる。指先が、ほんの少しだけ震えていた。
「囮は雑多だ。操られた騎士、異端狩りの残党、飢えた盗賊……死体すら混ぜる。使えるものは何でも使う。そいつらがあちこちで暴れ、逃げ、噛みつく。こっちは放っておけないから“対処”する。追う、守る、止める――そのたびに隊列が薄くなる」
「気づけば、部隊はどんどんバラバラに散らされている」
さらに声を落とした。
「散らされた小隊を、合流する前に精鋭が回り込んで“順番に潰す”。伝令が帰ってこない。隊長が返事をしない。合図も届かない。――恐怖だけが先に走る。各小隊は『守れ』『追え』『退け』をそれぞれ正しく選んでるのに、合流点が全部塞がれてる。気づいた時には全体として負けている。そういう崩し方だ」
ランベールが低く唸った。
「……東の柔軟さを、逆に折りに来たか」
デュランは、ほんの一瞬だけ視線を落とした。
そこに何が見えたのか、誰も聞かなかった。
「……俺たちの動きは、妙に噛み合いすぎていた。誰かが流したのか、暗影魔法で“覗かれて”いたのか――どっちにせよ、筒抜けだったと考えた方がいい」
デュランは一度、ゆっくり息を吐いた。
吐いた分だけ、感情を喉の奥へ押し戻すみたいに。
「元々、東聖騎士団の任務は、魔物討伐や要人護衛みたいな“少数で組む戦い”が多い。固まって動くとなると、どうしても現場の判断が先に出る。――それが、青龍の餌になったのかもしれない」
ここまで言って、デュランは言葉を止めた。
ほんの一拍。だが、その間がやけに長い。たぶん――落ちた仲間の名前の分だ。
「……だが、分断され、壊滅する寸前で――ある方に助けられた」
「そこから先は、その方の指示のもとで動いた。追い方、見抜き方、潰し方……全部だ」
「おかげでセレノスまで生きて辿り着けたし、街に潜んでいた魔族も、きれいに炙り出せた」
デュランはそこで言葉を切る。
視線が、隣のフードの少女へ向いた。
「――なにを隠そう。この方が」
フードの少女が、すっと立ち上がる。
「……」
空気が張った。
デュランの声が止まり、部屋の視線が一斉にそこへ集まる。
少女は両手でフードの縁をつまみ――ぱさり、と外した。
長い耳。灰銀の髪。白磁みたいな肌。
エルフだ。外見は、どう見ても少女。
少女はくるりと回って、にこっと笑う。
そして場違いなくらい軽く、指でピースを作って目元に添えた。
「リゼリアと申します。よろしくお願いしますっ。きゃはっ」
……きゃは?
(今、きゃはって言った?)
カタリナが、間髪入れずに切り捨てる。
「……嘘でしょ。エルフなのは分かるけど。こんなガキに救われたって、どういう冗談?」
その瞬間、デュランの口元が――ほんの僅かに引きつった。
胃のあたりを殴られた人間の顔、ってやつだ。声にならない「やめろ」が、表情だけで出ている。
少女の笑みが、すっと消えた。
「……こんなガキとはなんじゃ」
声が低い。可愛い顔から出る音じゃない。年輪の入った怒鳴りだった。
「それと――お主」
少女の視線が、カタリナを足元から肩までなぞり――胸元で止まる。
値踏みじゃない。測定だ。
一拍置いて、斬る。
「普段から胸の谷間をさらけ出しとる奴はな、頭まで浮つく。脳に行くはずの栄養が、全部そっちに吸われるからじゃ。――覚えとけ、この“脳無し喋りの胸でしゃばり女”が!」
「誰が脳無し喋りの胸でしゃばり女よ!!」
カタリナが椅子をひっくり返して立ち上がる。
ガタン、と会議室の椅子が悲鳴を上げた。
「どうどう。落ち着いてください」
エリシアが、いつもの落ち着いた声で言いながら、淡々と胸に手を添えてカタリナを抑える。
……“どうどう”って、普段のエリシアの辞書にない。馬か牛をなだめる時のやつだ。
俺は一瞬、思った。
(今の、要するに牛扱いしてるってことだろ? 嫉妬混じってない?)
もちろん、口には出さない。命が惜しい。
同時にグラトスが、倒れた椅子を起こしながら割って入る。
「まあまあまあ! ここで殴り合いになったら、椅子が可哀想でありますぞ!」
「椅子の心配すんな!」
俺がツッコミを入れたところで、デュランが真顔のまま――胃の奥が痛いみたいな声で言った。
「……すまない。最初に言っておくべきだった。リゼリア様に“ガキ”と“胸が小さい”は禁句だ。よろしく頼む」
(禁句の方向性が、やけに現実的すぎる……)
少女が「ごほん」と咳払いした。
さっきの“きゃは”はどこへ消えたのか、目つきが一気に偉そうになる。
「やめじゃやめじゃ。おふざけはもうやめじゃ」
そして、まっすぐ俺を見る。
その視線が、刺さる。――笑ってない。
「……お主が、王国に出現したという勇者じゃな?」
「そうだ。ミルテ村出身のジークだ」
名乗った瞬間、少女――いや、大賢者の目が、ほんの少しだけ細くなった。
(……見てる。俺の顔じゃない。俺の“中身”を量ってる)
リゼリアは顎に指を当て、ぶつぶつと独り言みたいに言い出す。
「……半年ほど前じゃ。王国の北での、“戦友と同じ匂い”を持つ男に会うた」
冗談みたいな顔のまま、声だけは妙に真剣だった。
「年は違う。じゃが顔も骨格も似とる。――それに、気配が同じじゃ。背中の癖、呼吸の間、立ち位置の取り方……全部、あの男と重なる」
淡々としてるのに、内容が怖い。観察の精度が高すぎる。
「子孫じゃろうな。血が濃いんじゃろう」
(……やっぱダリウス、レオニスの子孫で確定っぽいな)
俺が内心で確信を固めたところで、リゼリアが視線を戻した。俺に。
「……が、ジーク。お主は以前の勇者とは容姿がまるで似とらん」
「俺は勇者なんて大それたもんじゃない。ただ雷の魔法が使えるだけだ」
言い訳みたいに聞こえた自覚がある。
でも、口が勝手にそう言った。
リゼリアは鼻で笑う。
「ふん。隠そうとしても分かるわ……その無尽蔵な魔力量。確かに“勇者”じゃろう」
そして、追い打ちのように言葉を足す。
「容姿は違えど、喋り方、立ち振る舞い……今の言い分。どこか、以前の勇者の雰囲気と噛み合う。……これも、さだめかの」
……たった数分。
それだけで、ここまで見抜く。
胸の奥が、妙にざわついた。
感心――より先に、警戒が立つ。
(……俺がロウ・ボルトの転生者だと知ったら、リゼリアはどう思うんだろう)
その空気を切り裂くように、エリシアが一歩前へ出た。
背筋が伸びる。声も、目も、完全に“政務官”のそれだ。
雑談の温度が、会議の温度に塗り替えられる。
「リゼリア様。お尋ねします」
言葉は丁寧。けれど、逃げ道は用意しない言い方。
「北方のエルフの大賢者ともいわれる方が、なぜ人の国の中心部まで? ――目的は、魔王ですか」
リゼリアが、面白そうに目を細めた。
「お主、鋭いのう。そうじゃ」
部屋の温度が、一段下がった気がした。
湯気が冷たく見える。
「魔王が復活しおった」
「五百年前、勇者が封じた魔王の祭壇を発見した。そしてワシも封印術を“上から”重ねがけしてな。それが解けたのを感じて、様子を見に来た。……で、この有様じゃ」
デュランが、重く続ける。
「恐らく――法王に憑依している」
しん、と音が落ちた。
誰もすぐには言葉が出ない。
その沈黙を切るように、リゼリアの視線が俺の腰へ落ちた。
「……懐かしいのう」
指先が、剣の位置を“当てる”みたいに止まる。
神滅聖剣カムナギ。
「出会い頭に気づいとったが、カムナギはもう持ち合わせておるようじゃな。……それは正しく、勇者が握るべき聖剣じゃ」
カタリナが眉を跳ねる。いつもの強気が、一瞬だけ薄まった。
「……え。カムナギのこと、知ってるの?」
リゼリアは当然みたいに頷く。
「当たり前じゃ。世に災いをもたらすものを倒すため、女神が作ったとされる――神威三聖具じゃ」
そう言って、指を三本立てた。
一本ずつ、昔話みたいに落とす。
「神滅聖剣カムナギ。災いの闇を“切る”」
「神護聖盾アマテリア。災いの闇を“断つ”」
「神宝聖珠ヤツミタマ。命と魔力を“上げる”」
言い終えると、リゼリアは胸元のペンダントを持ち上げた。
勾玉が淡く光る。……やっぱり、ヤツミタマだ。
カタリナが、目を見開く。
「……やっぱり、重大な剣だったのね」
――そうだぞ。そんな剣を俺に放り投げたんだ。
言いかけて、喉の奥で引っかかった。
カタリナの顔が、珍しく冗談抜きで――どこか悲しげだった。
(……ああ。そうか)
あの剣は、カタリナにとって“ただの武器”じゃない。
父から託されたものだ。法王の名と一緒に、重さごと。
俺の腰のあたりが、急に重く感じた。
さっきまで馴染んでいたはずの柄が、ひどく冷たい。
……軽口で揺らしていい立場じゃない。
レイが握って、法王が守って、カタリナの父が託して――最後にカタリナが俺に委ねた。
たくさんの意志が、一本に束ねられて俺の腰にぶら下がっている。
柄が、冷たい。
冷たいのに、逃げられない重さがある。
――俺は言葉を飲み込んだ。
エリシアが、思い出したように淡々と言う。
「アマテリアは……王国の玉座の裏に飾られています」
リゼリアが、ほう、と小さく頷いた。
「ほう。魔王を倒すつもりなら――確実に手元に置いておくべき代物じゃな」
エリシアは即座に現実へ引き戻す。
「しかし……王国の宝を貸し出すかは不確定です。政治的な混乱も――」
リゼリアが鼻で笑った。
「隣国が滅びかねん状況で貸し出さない王がおるなら、愚王じゃ。どのみち長うは続かん。奪い取ってしまえ」
(物騒すぎるだろ、こののじゃロリ)
――と言いそうになって、飲み込む。
俺の脳裏に、アルトリウスの顔が浮かんだ。
馬鹿じゃない。むしろ話せば分かってくれる。……たぶん。
(問題は“王国へ戻る時間”と、“今ここで崩せない戦線”だ)
卓の上の地図が、急に重く見えた。
白虎は倒した。だが四天王はあと三人。
青龍はもう動いている。朱雀と玄武だって、今どこで何をしていてもおかしくない。
法王も大神殿も――時間が経つほど、被害は増える。
そして、ここにいるのは五百年前の大賢者。
もし“戦友と同じ匂いの男”が本当にダリウスなら――魔王討伐に引っ張り込みたい。いや、引っ張り込まなきゃ勝率が下がる。
(……駒は揃い始めた。けど、並べ方を間違えたら全滅だ)
俺は息を吐いて、皆の顔を見回した。
「まずは……まとめる。魔王復活。法王に憑依。枢機卿たちが四天王として暗躍。西聖騎士団は団長レオンに操られている」
「そして――魔王を倒すには、カムナギとヤツミタマだけじゃ足りない。アマテリアが必要だ。王国へ戻って、それを持ち出す必要がある」
「そういうことじゃ」
リゼリアが頷く。
そして、次の瞬間には当然みたいな顔で言った。
「あと、勇者の仲間として並ぶなら、お主らはまだ力不足じゃな。鍛えてやろう」
ずばり、言い切る。
まずグラトスを見る。
「そこの丸い子。内に抱えとる魔力量は悪くない。お主にはアマテリアを使わせる」
「丸い子とはなんでありますか! ……いや、神器を預かるのは光栄でありますぞ!」
次にエリシアへ視線が向く。
「そこの聡い子には、このヤツミタマを貸す」
「……よろしいのですか? それはリゼリア様の――」
「よい。今回は後ろで見ておるつもりはない。ワシも勇者と並んで、前で戦う」
リゼリアの声が、そこで少しだけ沈んだ。
「前回は、それができる実力がなかった。唯一の後悔じゃ」
部屋の空気が、ほんの少しだけ変わる。
冗談みたいな姿の奥にある“重さ”が、そこでようやく見えた気がした。
そして最後に、カタリナへ向き直る。
「脳無し乳有り娘には、これかの」
「脳無し乳有り娘ってなによ! カタリナって名前がちゃんとあるわ!」
リゼリアは気にせず、異空間から一本の剣を引き抜いた。
俺の息が、止まりかける。
(……あれは)
古い。だが、気配が死んでいない。
五百年前、俺が魔王と戦うために握っていた剣――。
「これは五百年前の勇者が使用していた聖導剣シラヌイじゃ。使いこなしてみせよ」
カタリナの反応は一変した。
「ゆ、勇者の剣!? え、ちょ、え、つまりそれって……期待されてるってことよね? ありがとうございます!」
現金なやつだ。
そう思って、少しだけ笑いそうになる。
デュランも、やや誇らしげに立派な槍を持ち上げた。
「私も以前、一本いただいている」
リゼリアはそのままランベールを見る。
「そこのデカいのには……」
ランベールは視線を受けると、静かに自分の剣へ手を置いた。
「俺はこれでいい。代々伝わる物だ。替える気はない」
短いが、妙に重い言い方だった。
ランベールらしい。
グラトスが羨ましそうに皆を見回す。
「某もアマテリアを早く手にしたいであります!」
そして最後に、みんなの視線が俺へ向いた。
「最後にお主には……そうじゃのう」
リゼリアが、わざとらしく首を傾げる。
お、俺にも何かくれるのかと期待したその瞬間――
「まあ、お主にはカムナギがあるから、別によかろう」
こいつ、絶対わざとやってる。
ガクッと分かりやすく項垂れると、皆が笑った。
「ほれ。お主が勇者なら、これからの方向性を決めよ。斜に構えているのが格好いいと思ったら大間違いじゃぞ」
(こいつ……相変わらずだな。五百年前から)
俺は、笑いそうになるのを堪えて真面目な顔を作った。
「いいだろう。まずは、これだけは絶対にやらないといけないことがある。そして、これが魔王を倒すための足がかりになる。かなり重大な試練になるだろう」
ごくり、と皆が息を呑む。
覚悟はできたようだな。
俺は、ゆっくりと言った。
「――それは、宴会だ」
「……は?」
一瞬、会議室の空気が止まる。
俺はそのまま、堂々と続けた。
「約束だったからな。士気を上げるためにも、今日は酒と料理で大いに盛り上がる。北と東と術皇の親交会も兼ねる。今日はなにもかも忘れて騒ごう」
「賛成!」
真っ先にカタリナが手を挙げる。
「よい試練ですね」
エリシアが微笑んだ。
「盛り上げますぞ!」
グラトスが即座に拳を突き上げた。
ランベールは短く頷く。
「……皆に伝えてくる」
それだけ言って、もう席を立っていた。早い。こういう時だけ動きが俊敏だ。
デュランも口元を緩める。
「いいだろう。我ら東聖騎士団の酒の強さを見せてやろう」
リゼリアは面白そうに笑った。
「ホッホッホ。では勇者ジークが、酒にどの程度耐えるか見せてもらうかの」
――会議は、いつの間にか宴会の準備会議に変わっていた。
魔族との争いがまた始まれば、次こそ地獄になるだろう。
なら今夜くらいは、生きてる連中でちゃんと笑っておくべきだ。
こういう夜があるから、人はまた戦える。




