四十四、竜渦を断ち、鷹爪を読む
――控え室は、汗と油と鉄のにおいが混ざって、喉の奥が少し熱くなる“戦い前”の空気で満ちていた。
「ルールを説明します」
係のドワーフが木札を持って、機械みたいに読み上げる。
「帝国は“力”を集める。敗北を認めさせるのも実力のうち。勝敗は――武具破壊・場外・戦闘不能。降参は有効、格上に対する適切な降は評価対象。殺しは御法度、違反は即失格。報酬は没収。以上。」
……“殺し無し”。胸の奥で、張りつめた糸が一本だけふっと緩んだ。
「本日は三試合、組まれています」
ま、マジかよ、と目で訴えると、ゼクスが淡々と続ける。
「組んだのは父上です」
「当たり前みたいに三戦は盛りすぎだろ……」ぼそっと言えば、すかさず二人。
「期待されてるってことです」ゼクスは羨ましそうにいい放つ。
「わたくしも負けていられませんわ!」リリスは胸を張って、きらり。
ガイアブレードは今日も機嫌がいい。刃も柄も問題なし。玉鋼の鎧も異常なし。――整えるのは、オレの頭だけだ。
オレの課題は煉獄闘気の扱い。
纏う・流すを、細く、速く。必要なぶんだけ。
余計な力は捨てる。やることは単純。
「初戦の相手は?」とオレ。ゼクスが紙片を一枚、指で揃えて差し出す。
「翠嵐騎士団のマルシン=ダリル。鏡盾式《上級》の魔導騎士です。鞭剣と翠風の刃で遠間から削り、小型盾で“受け流す”のが型。斬り合いに乗れば力を逸らされるだけ。リーチは長い――なので隙を見て一気に詰めて、鏡盾を死に札にするのが肝ですね」
リリスが床の砂に弧を描くようになぞって、ぱんっと手を鳴らす。
「撹乱して、削って、受け流す――三拍子の相手ですわ。正面から真っ向勝負はナシ。勝ったら赤い外套をばさっと翻して、客席にアピール! ファン作りもお仕事ですわよ!」
アピールなんてできるだろうか……。
とりあえず返事をする。
「お、おう」
角笛がひと声。空気が、ぴんと張った。
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第一戦:マルシン=ダリル(翠嵐/鏡盾式 上級)
朝の陽が斜めに砂床をなで、ざわめきが波みたいに押し寄せる。
オレの纏う赤い外套が風を掴んだ。視線が刺さるのが分かる――いい、旗印になれ。
向かいは軽鎧に小盾。対戦相手は翠のマントが切っ先みたいに揺れる。半身の構え、足は小刻み。足もとで風が鳴った。
「始めっ!」
角笛の余韻が消える前に、マルシンが詠唱。
「風よ、鞭と化し、刃を纏え――渦巻け、竜のごとく!
《鞭刃竜渦》!」
小盾を斜めに立て、右手の“鞭剣”をしならせる。翠嵐の魔力が籠った細身の刃が、手首の返し一つで蛇みたいにのび――
ビュンッ、ビュルルッ、ビュオォン!
空気が悲鳴を上げるたび、カマイタチが絡みつき、シャッ、シャララッと薄い刃の音が重なって、目の前に“細い竜巻”が立った。
一撃目は探り。二撃目で絡め、三撃目で裂く。小盾は常に斜角、鏡盾式の受け流しが水みたいに続く。死角がないように見える。
(いや、手数は派手だが……噛みが甘い)
オレはガイアブレードを“立てて”一歩も引かない。カマイタチは玉鋼に触れた途端、腹の奥へ“呑まれて”鈍る。ただし鞭剣は腹で受けると巻き取られる。だから刃の縁だけでなで落とす。しなる刃に、重い直剣の角をふっと触れさせるたび、翠嵐が一枚ずつ脱げていく。
(鞭剣は“戻り”が命。起点を一度鈍らせれば、連撃は落ちる)
マルシンが玉鋼の効果、カマイタチの効きが悪い事に気づいたのか、鞭剣の返しの回数を増やして斬線を三本、四本と重ね、“幕”を張ってくる。
ビュンッ! ビュルルッ! ビュオォン!
刃風がゴウッと押し寄せ、砂がザザッと舞い、観客がどよめく。
でも焦らない。オレは“幕の継ぎ目”だけを斬る。
キィン、キィン――継ぎ目に角を置くたび火花が跳ね、幕が勝手にほつれていく。
「ッ……!」
間合いが詰まっていく。マルシンの肩がわずかに上がり、小盾の角度が変わる。
(鏡盾式は肘からじゃない。肩→肘→手首の順で角をつくる……母さんの方が、仕草は綺麗だったな)
小盾が“送り角”を作る前に――左から一閃。砂を裂く踏み込みで”距離を丸ごと潰す”。
上段を“ちょい見せ”。小盾が反射で上がり、重心が”左”に流れた。
(いまだ)
闘気は細く、速く。点で刺す。
柄頭でマルシンの胸をコツンと小突いて上体を立たせ、左前腕で小盾側の肩を手繰る。
同時に右足を相手の左脚の内側へ差し入れ、踵で膝裏からくるぶしへ“一線”で刈る――大内。
支えが抜ける。体がスコンと浮いて、
キィン、と上で小盾が空を切り、鞭剣の“戻り”は間に合わない。
ドサッ――背から砂の地面に倒れる。
倒れた喉元に、切先をそっと置く。切らない。闘技場のルールだ。敗北を認めさせるのも実力のうち。切る必要はない。
「……まだ、やるか?」
一拍。小盾が落ちる音。鞭剣のしなりが力を失う。
「……こ、降参だ」
レフェリーの手が上がり、遅れて歓声が波になる。
オレは刃を引き、背を向け退場路へ。
通路で耳に入る観客の声。
「誰だあいつ、マジでヤバい!」
「竜渦のマルシンが一合もらえなかったぞ」「ゼルファス家の推しだってよ、要チェックや」
――いい感じだな。次もこの調子でいく。
⸻
控え室。ゼクスがいつも通り、要点だけを置く。
「初勝利、おめでとうございます。……足狙い、正解です」
リリスは外套の裾についた砂をぱんぱん払って、にやり。
「赤の外套、ばっちり映えてましたわ。次は勝ったあと、もう少し大きく翻して“かっこよさ”を見せつけるんですの!」
アピール、ね……。強さだけじゃ足りないのは分かってる。地球の格闘技だって、結局は“キャラ”も武器のうち――観客の記憶に残った奴が、次の舞台を引き寄せる。
「分かった。次は上手くやるよ。……で、相手は?」
ゼクスが紙片を指で整え、短く答える。
「白闘騎士団・フウカ。魔法は無し。闘気の“飛ぶ”打撃と、迅玉式《特級》。瞬発と距離感に注意です」
「迅玉式、苦手なんだよな……」
「火力はそこまでですわ」リリスが肩を竦める。「カミナは打たれ強いですし、セリーヌ様のお言葉どおり――『細く、速く、必要なぶんだけ』を忠実にすれば勝てる相手です。二つ名もある実力者ですがカミナに対しては相性が悪すぎですわ」
角笛が二度、甲高く鳴った。二試合目が始まったのだろう。昼前の陽がじわっと強くなる。
オレは外套の前を軽く握り、息を一つだけ細く吐いた。
――よし。次も“細く、速く”。観客の目にも、勝ち筋にも、きっちり通す。
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第二戦:フウカ(白闘/迅玉式 特級)
細身の女拳闘士。帯刀なし。両腕には翠の鉤爪(鷹爪)――三つ爪が花みたいに開くやつ。構えは……ない。いや、“構えない”のが構え。視線がふわっと流れて、どこにも止まらない。
「始めっ!」
景色がズレた。セリーヌ並みに速い。
一歩で輪郭が薄れ、二歩で背へ回る。
避けたつもりの鉤爪が、肋の隙間をドンと撫で――鎧の下に“圧”だけ潜り込んで、内臓がズンと鳴った。
(爪=斬撃、じゃない。空気を叩いて“圧”を飛ばす――迅玉式の打撃だ)
痛みは、締めて潰す。煉獄闘気を細い帯にして、内側の波を巻き込み、静かに押し殺す。
フウカが拳を見て、次にオレを見る。半歩、砂を蹴って下がる。
「は……? 今ので立つの? 普通なら膝ついて血を吐くよ。――聖光魔法の使い手か?」
「違う。魔法は使えない。頑丈なだけだ」
――溜めすぎるな。必要な分だけ通せ。
(セリーヌの声が頭の後ろをコツンと叩く)
相手は“点”で削るタイプ。こっちは“線”で受けて捨てる。
次の連撃。迎え打たない。肘を斜めに立て、肘の角だけ触って、力の向きをずらす。
更なる連携も、角度をつけ、肩→頭・腹→脚→踵へと“重さ”を落とし、最後は頭から空へ、足裏から砂へ逃がす。
ザリ、と砂が沈み、手応えだけ体からスッと抜けた。
(当ては遠くて薄い。けど芯でまともに食えば、鷹の爪で皮が裂けて、内側の圧で臓器が死ぬやつだ。
……近付かずに遠くから薄く当てるのは、オレの破剣式と怪力を警戒して、内側に入れないからだな)
読めた。フウカは“一歩手前で触っては離れる”。点の連打で削り勝ち狙い。
しかし、オレは並外れた攻撃じゃなければ
”削りきれない”。耐久戦でも勝てるだろう。
――でも、それじゃオレは育たない。
あえて、踏み込む。
目に闘気を細く通す。呼吸一拍、肩のわずかな上がりがスローに見える。
(右は見せ、狙いは左の踵。次に跳ぶのは――ここ)
跳び先の“線”に先回り。地を蹴る瞬間、半身のタックルで横からフウカをぶっ飛ばした。
「っ……!」
空中でひねって受け身を取りにいく――上手い。けど、着地の拍をひとつ外した。
膝でザザザッと滑り、砂がふわっと舞い上がる――その一瞬。
煉獄闘気を腹で練る。全身に纏う。腕に流す。刃先に乗せる。
玉鋼が低く唸り、黒い斬線の上を赤い奔流が走る。空気が震えて、耳の奥でキィンと鳴った。
「――轟鋼断」
縦一文字。フウカの横を半寸だけ、狙いを外す。
刃はフウカの頬を“斬撃”だけ撫で、次の瞬間――
ドゴォン!
闘技場の砂床が、彼女の横スレスレで真っ二つ。砂柱が塔みたいに立ち、衝撃風が帯になって客席までドンと叩く。
一直線の割れ目が、フウカの影を半分だけ抉って止まった。
烈風が頬を撫で、前髪が跳ねる。翠の鉤爪の先端が一枚、シャリンと削げて転がった。
静寂。砂煙が引く。
フウカは膝に手をついて息を整え、苦笑して、両腕を上げた。
「……参った。完全に読まれた。それに、その回復と怪力――私の勝ち筋、見えないわ……」
レフェリーの腕が上がる。「そこまで!」
オレは刃を引き、赤い外套をわざと大きくはためかせて砂を払う。
足元からまっすぐ伸びる割れ目の線が、“ド派手に外した”ってサインみたいで、ちょっと笑えた。
「お前の速さ、いい勉強になった。ありがとう」
最初は様子見だった観客が――爆ぜた。
悲鳴みたいなどよめきが、歓声にひっくり返る。立ち上がる音、足踏み、笛、口笛。
(……あー、前世のアイドルライブ思い出すわ。“新しい推し”が来た、って空気だな)
一戦目は“まぐれか?”って顔もあった。二戦目で、疑いが歓喜に変わるのが分かった。
砂の上で、生まれたばかりの名前が、波みたいに広がっていく。オレは観客に手を振り、頭を下げ、控え室へ。
⸻
昼。控え室の隅で、ゼクスが用意してくれた弁当の蓋を外し、リリスが水差しからコップになみなみ注ぐ。
オレは――食った。食って、食って、食った。
パンに肉、芋に肉、スープにも肉。塩気が腹に落ちるたび、さっきの戦いで削れた体が内側から埋まっていくのが分かる。
「さっきの働きで相当エネルギー使いましたね……それにしても、そんな入ります?」とゼクスが苦笑。
リリスは頬に手を当ててケラケラ。「もう帝都に“カミナ”の名が広まってますわ。見てるこっちまでお腹いっぱいになる食べっぷりですこと!」
「まだいける」
オレはパンでもう一切れ肉を挟み、がぶり。喉をコップの水で流し込む。
腹が満ちると、頭が回る。午前の二戦を反芻。
“細く、速く”――まだ手元が荒い箇所がある。次で整える。
午後は観客席で、ほかの試合を眺めた。
冒険者、獣人、ドワーフや奴隷上がり、大工なんてのもいた。――肩書きは色々でも、砂の上では等しくフラット。
(……やっぱ王国よりずっといい。立場や血筋じゃなく、強さで物が言える)
汗と歓声が渦を作る。砂の匂い。実力主義の帝都――嫌いじゃない。
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角笛が十何回目だ?十四度目……いや、もう何度目かは数えない。ただ、影が長く伸び、昼の熱がすっと引いた。
ゼクスが紙片を一枚、オレの手に滑らせる。顔つきが、いつもより硬い。
「――予定の相手が棄権。代打は蒼氷騎士団、ジルベスタ=バラジー。僕の父のヴォルグは蒼氷騎士団長ですが、騎士団歴はジルベスタ様の方が長い。……歴戦の騎士です。
蒼氷《特級》、破剣式《特級》。霧氷で視界を奪い、氷鏡で幻惑、氷脈で関節を凍らせてから破剣で切り崩す……“オリジナル”の蒼氷術を使う強敵です。見極めと体温低下に注意を」
紙が指先でカサっと鳴る。読むまでもなく、息が少しだけ冷えた気がした。
リリスが外套の襟をきゅっと上げる。
「蒼幻のジルベスタ様ですのね……。でもカミナの突破力ならきっと勝てますわ。玉鋼は氷も“呑み”ますの?」
「魔力は呑む。けど、冷たさそのものは残る」
オレは胸板の玉鋼をコン、と叩いた。
「だが、大丈夫だ。動いて、闘気を巡らせる。止まったら負けのつもりでな」
赤い外套の端を握る。向こうは蒼、こっちは赤。わかりやすい。
「カミナの煉獄の闘気と、わたくしが選んだ赤の外套が氷を溶かしますわよ!」とリリスが自信満々にいう。
ゼクスは短く頷く。「目は闘気で澄ませてください。破剣式の力ではカミナに分があります。惑わされなければいけます」
霧で目を奪い、鏡で判断を鈍らせ、氷で体を止め、破剣で芯を折る――そういう相手だ。
なら、目を澄まし、鏡を割り、血と闘気を走らせ続け、破剣で真を斬る。やることはそう変わらない。
砂の温度が一段、落ちた。試合が又一つ終わったのだろう。遠くで観客がざわめく。夕風が外套の裏までするりと入ってくる。
(いい。理屈より先に、結果を置く)
オレは紙片を折って、破り捨てた。
角笛の余韻が消える。――蒼幻のジルベスタ? 上等だ。正面から、その歴史ごと勝利をいただく。




