四十三、黒鉄の名を掲げて
マークの新しい工房は、笑っちまうくらい広い――のに、笑えないくらい空っぽだった。
天井は高く、古い滑車の残骸が梁からぶら下がってる。壁際だけ煤で黒く、隅にはくたびれた炉と、ひびの入った金床。歯の欠けたハンマーが三本、ぽつん。
むかしはここで車輪や荷車の骨を打ってたんだろう。鉄と油の匂いが、まだ床板に染みてる。
「金、あるんじゃねぇの?」思わず口が動いた。
マークは後頭部をかいて、苦笑い。
「ぼく、若いからって侮られたんだと思います。ほんとは下見してから契約すべきでしたけど、地所仲介の衆に“掘り出し物”だって唆されて……。これから色々必要な物を集める予定です。ただ、炉口が狭くて火が均せないし、煙の抜けも悪い」
「確かに、火が暴れてる」
ゼクスはもう炉に屈み込んで、煤の色を指でなぞっていた。紅蓮の魔法を、流し、炉の炎を吸って吐くみたいに呼吸させてから、淡々と診断する。
「煙道が途中で折れてます。角に煤が溜まって引きが落ちてる。火床の土は良い。上に軽石層を足して断熱すれば、温度ムラは七割は消えます」
反対側ではリリスが、ここの管理人の古株の男と肩を並べ、手を叩くみたいな早口で進行役。
「作業台は窓の下。光が要りますわ。道具は壁に輪郭を描いて掛け場を固定――紛失防止。
床の段差は板で均して。外套掛けは入り口に! 女性の更衣屏風も、必要になればつくりましょう!」
……この二人、頼りになる。ゼクスは段取りと道筋を引くのが早いし、リリスは“人が動く絵”を落とすのが上手い。
オレはというと――胸の奥で、ひとつ確認したいことがあった。
「マーク。ちょい、隅で話そうぜ」
煤の薄い壁に背を預け、小声。
「さっきの“手帳”――スマホ、だよな。」
マークは一瞬だけ目を泳がせ、首を横に振る。
「“特殊な時計兼メモ帳”。それで通してます」
マークの指先がぴたりと止まる。小さく息を飲んで、周囲を見やり、声を落とした。
「……ボクにはなんの力もありません。姉が出してくれたものです。能力の名前は“限界具現”。前世の世界の“物”を、こっちへ呼び寄せるチカラ。呼び寄せるのに色々条件があるみたいですけど」
「限界具現、ね」
やばすぎるチートじゃねえか。
「電波ってやつは壊れてるそうです。でも中身の内蔵アプリ――辞書や図面、写真、メモは全部生きてる。だからボク、これを“時計兼メモ帳”って言い張って持ち歩いてます。……姉ちゃん、怒るから本当は人前で出しちゃダメなんですけど」
「姉ちゃんは今どこに?」
「ボクらは法国東部の街、セレスティアの生まれです。姉は幼いころにこの能力が露見して……司祭さまが庇ってくれたんですが、やがて大神殿に呼び出され、司祭さまごと南聖騎士団に“異端”として裁かれかけました。今は異端狩りも下火で、姉は王国東部の海上都市ヴェルデンに身を寄せています。アルフォンス・エクス・ヴェルデン侯に保護されているそうです。――だから、姉のことは……できればあまり触れたくないんです」
喉の奥がきゅっと冷えた。ヴェルデン。あの眼鏡女の故郷だ。王国の東部に、前世の“物”を呼ぶやつがいる。味方になれば百人力、敵になれば悪夢。要は、警戒だ。
――ジークとも絡む可能性が高い。
だが、マークが詮索してほしくないというならしない方がいいだろう。
「わかった。姉さんの件は深掘りしない。ここで何を作るつもりだ?」
マークは俺の顔を覗き込むように見て、少しだけ表情を明るくした。
「ここでは魔力で補助して動く双輪車――いわばバイクの前段階。ゆくゆくは自走車。そういう“運ぶもの”を目指します」
そこで、ポーチから包みを取り出す。布を解くと、灯りの少ない工房でも赤黒く艶めく金属が顔を出した。厚み違いの板と細帯。
「玉鋼。オレの村の特産だ。魔法が通りにくい、貴族にとっては粗末な鉄。だから見向きもされねぇ。けど――オレは、これで生き延びてきた。多分、お前の“運ぶもの”にも相性がいい」
ガイアブレードの鍔に板を軽く当て、振り返る。
「ゼクス、悪い。紅蓮の火、弱めでひと舐めしてくれ」
「合図で止めます。……いきます」
ゼクスの指先に灯った小さな炎が、玉鋼の面に触れた瞬間――墨流しみたいな黒い波紋がスッと広がって、音もなく火を呑み込んだ。肘にだけ、ゴウ……と重さが来る。
「……これ、反射じゃない。吸ってますね?」
マークの目が丸くなる。
「そう。玉鋼は“マナの流れ”に親和がある。面で受けて、腹で呑む。磨けば磨くほど、吸い込みが鋭くなる」
オレは胸の鎧をコツンと叩いた。
「剣も鎧も玉鋼だ。こいつがあったから、王国の“魔法こそ正義”面を何度も土に這わせた。――いずれこの“魔を呑む鋼”をかき集め、盾と鎧で固めた反魔法部隊を編成する。」
マークがごくり、と喉を鳴らす。
「“反魔法部隊”…?」
「盾と鎧で固める。建前は守りの装備だが、狙いは別だ。弱い側が強い側をひっくり返すための力にする。魔法の有無や血筋で上下が決まる世界を、玉鋼で水平に戻す。オレは闘技場で勝って権限を掴み、部隊を持つ。帝国で形にして、次は王国も法国も――魔法を鼻にかける連中を、正面から叩き折る」
口にしてみると、自分でも笑えてくる。夢物語だ。
……でも、腹の焔は嘘つかねぇ。
「ただな」オレは続ける。
「お前が“人を傷つける道具は嫌”ってのは尊重する。だから頼みたいのは“防具”だ。魔法を吸い取る盾、魔力を鎮める鎧。で、お前の“運ぶもの”も同時に進めよう。担架、搬送、伝令――守るための道具なら、お前の信条にも合う」
マークは黙って玉鋼の面を撫でた。指紋で曇りが走る。
「……ぼく、太ってるってだけでずっと馬鹿にされてきました。姉は貴族ですけど、特殊な力のせいで魔法は使えない。魔法が使える貴族の“当然”みたいな顔が、ずっと嫌いでした。姉は“限界具現”でそれっぽい現象を出して、魔法が使えるふりをしてきた。でも結局はバレた。異端だの何だのって、刃を向けられて。
だから決めたんです。姉みたいな力を持つだけで裁かれる世の中を変えたい。血や能力で上下が決まるのは、もうたくさん。……この玉鋼で“守る装備”が作れて、それが差別への抑止になるなら――ぼく、やります。」
顔を上げたマークの目が、さっきより大人だ。
「ただ、吸うだけじゃ飽和します。呑みすぎた力を逃がす道が要る。ここに流路を刻んで、背に溜めを作って、吐き口を三つ――」
「三つ?」
「地へ吐く。縁から吐く。芯に貯める。……図、起こします」
マークは“手帳”を誰にも見えない角度でチラッと開き、すぐ閉じて、炭筆で紙に断面図を描き始めた。
「呑魔――仮称《黒呑》」
「いい名だ。気に入った」
ちょうどそこへ、炉の向こうからゼクスが顔を出す。
「話はまとまってきましたね。こちらも段取りを詰めます。――玉鋼は希少鉱じゃない。ザルドフェルン周辺では“黒滓”と呼ばれて捨てられているはずです。まずは鉱山組合と鍛冶ギルドに当たる。仕入れの筋さえ引ければ、加工の流れは組めます」
「意匠と仕立ては、わたくしにお任せを」リリスがすかさず割って入る。
「鎧と揃いで縁取りは銀、胸に団章。盾は差し色に赤を入れて、三段握りで姿勢を切り替えられるように。女性兵向けのサイズ展開も用意します。――見栄えは士気を上げますわ!」
「冷却は蒼氷で補助します。吸った魔力は熱だまりになりますから、蒼氷の術者を常駐させましょう。外注は限定し、機密と模倣防止の誓約を入れた契約書で固めます」
ゼクスは横の用紙に、さらさらと書き足していく。
「……随分、話が早ぇな。本当に回るのか? お前らだって暇じゃねぇ。資金は?」とオレ。
「カミナが闘技場で勝てば、賞金も後援も集まります。父上も『協力せよ』と。初期費用が足りなければ、ゼルファス家で立て替えます。帳簿は透明に、返済計画もこちらで組みます」
ふと見ると、机は紙で埋まっていた。マークは《黒呑》の断面図、オレは鍛冶道具の一覧。ゼクスは玉鋼の調達表、リリスは作業場のレイアウトを間取りに落としていく。
話の合間、マークがぽつり。
「車輪に力を送る“動力箱”の代わりに魔力を直結すると、出力が脈打って操りづらい。誰でも使える道具にするには、玉鋼の特性をきちんと掴んで、受けて・溜めて・均してから渡す“ならし(調律)”が要ります」
「なら、順番だ」オレは頷く。
「まずは簡単な加工で作れる盾と鎧で、玉鋼の性質を実地で掴む。感覚が固まったら、玉鋼で魔力を整える仕組みを組み込んだ“自走車”を目指す。その前段として、担架車や伝令用の小車みたいな搬送装置を試作して――段階を踏む」
「順番、ですね」マークが嬉しそうに復唱する。
「型を決めて部材を共通化します。誰でも同じ手順で作れるよう工程表も作る。そういうの、得意です」
その流れで、ゼクスが真顔でこちらを見る。
「人手は? 奴隷は使わないんですよね」
「解放条項付きで雇う。『一年働けば自由民』『違約金は雇い主持ち』――これで行く。抜け穴は俺とお前で潰す。名目は“働けば自由になる商会”だ」
リリスがぱっと笑って手を打った。
「それ、旗に書きましょう。“働けば自由”――燃えますわ!」
マークが呟いた。
「肝心のこの玉鋼の工房、商会の名前はなににします?」
「そうだな……
黒鉄解放商会ってのはどうだ?」
「めちゃくちゃいいです」
「少し地味ですが許容範囲ですわ」
「名前が決まると背筋が伸びますね」
笑い合って、ふと窓に目をやる。
夕暮れはもう過ぎ、梁は藍に沈み、炉の火だけが橙にゆっくり呼吸していた。
古株の男が咳払い。「坊ちゃん方、話が盛り上がってるところ悪いが俺はもう仕事終わりだ。城下は夜更け、気ぃつけな」
紙束をまとめて立ち上がる。指先は炭と鉄の匂い。胸の中には、みんなで決めた“これからの段取り”と“黒鉄解放商会の名前”。
「じゃ、次は試作の寸法出しからだ」――袖をまくり、机をトンと叩く。
「鉱山筋は今夜のうちに当たります」――ゼクスは図面を束ね、封蝋を押す。
「内装は三案、朝までに図にしますわ」――リリスは腕を回し頷く。
「ぼくは《黒呑》の細部を詰めます」――マークはゴーグルを上げ、炭筆を走らせた。
工房を出ると、夜風が汗の塩をさらっていった。遠く、闘技場の方角で角笛がぼうっと鳴る。屋台の甘い匂いが、遅れて鼻に届く。
明日勝てなきゃ、いま決めた全部が机上の空論だ。黒鉄解放商会も《黒呑》も、ただの落書きで終わる。
だから――勝つ。
練る・纏う・流す・放つ。
細く、速く。煉獄闘気は必要な瞬間に必要な部位へ回す。
赤い外套は旗印、玉鋼は誓いの刃。セリーヌに刻まれた“傷”を忘れない。
ここは実力の都。理屈はいらない。実力で黙らせるだけだ。
闘技場の砂に、オレの“いま”を刻む。弱き者にも自由を――その最初の一勝、オレがもぎ取って見せる。




