四十一、流派と魔法の位
「席はいらねぇ。立ったまま耳を開け」
朝いちばん、稽古場にセリーヌが現れた。翠の外套を肩に無造作に引っかけ、小太刀サイズの木刀を二本、肩口にコツン。声は軽いのに、場の空気がギュッと締まる。
砂床、等間隔に立つ木杭、魔力測定の柱。昨夜までの歓声はもう遠い残響で、いまは風だけが砂の肌理を撫でていた。
――朝っぱらから座学? いや、座ってねぇから立ち学? いや太刀学か。
この世界に来てから身体を動かすのは嫌いじゃなくなったけど、頭を使うのは相変わらずからっきしだ。
「流派も魔法も“位”がある。……段階は分かるな?」
……たぶん。いや、かなりうろ覚えだ。
「だ、だいじょうぶだ」
露骨なため息をひとつ。けどセリーヌは話しはじめる。
「まず“位”。
初級は入門。教わったことを、そのまま出せる段。
中級は一人前。兵の標準。
上級は教えられる側――師範、教官クラスだ」
木刀の切っ先で、砂へスッと線を引く。
「ここまでは努力で行ける。だが、ここから先は“才能”が要る」
もう一本、砂に線。
「特級。流派なら闘気を操る域。魔法なら“自分なり”の術式を編める域。ここから個性が枝分かれしていく。お前は、いまここだろ。
そして超級――闘気も魔法も“思うがまま”。凡人から見りゃ化け物、仙人、将軍……そう呼ばれる連中だ」
一拍おいて、肩で笑う。
「で、さらに上がある。神級。……うちの婆だ」
背筋が自然に伸びる。女帝アマーリエの顔が脳裏をよぎる。
ただの婆さんじゃねぇとは思ってたが、やっぱり“天井の上の生き物”だ。
「婆ちゃんはお前と同じで魔法が使えねぇ。だが三大流派――破剣式・鏡盾式・迅玉式――全部を“究極”まで納めた神人だ。年で衰えた? 笑わせんな。アタシが強くなるほど、婆の天井は遠のく。やろうと思えばダリウスなんざ一瞬で葬るさ」
ゾクリ、と背が震えた。――やっぱ規格外。
視線が俺へ戻る。
「で、カミナ。お前は闘気が溢れすぎてる。普通の闘気は白だが、お前のは赤黒い。暗影に似た性質も混ざる。回復と怪力は強みだ。だが“それだけ”に頼って、技術の研ぎが足りねぇ。そこを磨く。いいな?」
「……ああ」
「闘気は“練る→纏う→流す→放つ”。順番をひっくり返すな。まず芯だ。臍下で圧を作り、それを“細く通す”。雑にぶちまければ泡、細く通せば線になる」
セリーヌが掌を開く。白い気がスッと集まり、砂へトン。
――ぽふ。
砂が小さな輪を描いて沈む。これが“泡”。広がるだけで力は拡散する。
「次。線」
今度は気を糸みたいに細く絞り、掌底で点を打つ。
ズゥッ――蟻地獄みたいに砂が抉れていく。切り口はドリルで削ったみたいに鋭く一直線。
「深く練れば力が増す。深く纏えば力が宿る。深く流せば精度が上がる。必要な分だけ溜め、必要な分だけ抱き、必要なとこに回し、必要な分だけ切り出す――それが一流だ」
俺は頷いた。父さんも、ジークも、同じことを言ってた。
けどあの頃の俺は、ただ力をぶっ放せばいいと思ってた。纏う? 流す? そんな面倒なもん知るか、全力で叩きつければ勝てる――そう信じてた。
……俺は馬鹿だ。今になって、二人の言葉の重さが骨の奥まで沁みる。
腹の底で煉獄闘気が泡立つ。だが、歯の裏で押し戻した。
そうだ。俺はずっと“全開ぶっ放し”。そりゃ隙もデカい。
「闘気については以上だ。
次は魔法……お前が使えねぇのは知ってるが、相手取る側は知っとけ。ゼクス!」
ゼクスが半歩前へ。抑えた声、けど芯は太い。
「では僕が説明します。魔法の発現は血筋がベースです。ただし“伸び方”は努力と適性で変わる。四属性が基本になります。
紅蓮:殲滅・制圧(持続と範囲の管理)。
蒼氷:足止め・威嚇・応急回復。
翠嵐:反射・速度・操作(撹乱・機動)。
剛岩:防御・固定・地形制御(布陣の骨格)。
なお鍛え方次第で役割は裏返る。父上――ヴォルグは蒼氷ですが、攻撃威力は帝国内でも突出しています」
(母さんが死にかけた、あの氷……胸が詰まる)
「基本の他に特別な三属性。ご存知ですか?」
ビシッと手が上がる。リリスだ。
「はい! 雷鳴・聖光・暗影ですわ!」
「姉さん、カミナに振ったやつなんだけど……。
──説明します。
雷鳴は勇者系譜。瞬発・貫通・魔族特効。
聖光は回復・加護・封印、魔族特効。
暗影は魔族の特異――催眠・隠蔽・侵蝕・吸収・消滅……どの属性にも“裏から”刺さる」
リリスが胸を張る。「わたくし、蒼氷だけでなく聖光の才覚もありましてよ!」
「姉さんは父上に褒められたくて蒼氷ばかり鍛えて、聖光をサボってます」
「うるさいですわゼクス! だって魔族、帝国に滅多に出ませんもの!」
セリーヌのこめかみに青筋。
「聖光の回復は貴重だ。リリス、当分は聖光だけ磨け。アタシの前でサボるな」
「えええ!」と嘆くリリス。
ゼクスは鼻で笑って締める。
ゼクスは淡々と続ける。
「魔法は“想像の明確さ”が肝です。僕が扱う炎で例を出すと、温度・色・広がり方・流速・向き・渦の半径まで――頭の中の像にピントを合わせる必要がある。
次に“集中”でその像を乱さない。戦場は騒音と痛みで像がブレやすいから、ここが一番崩れやすい箇所です。詠唱は、その二つを支える“手すり”になります。
呼吸と拍を言葉に合わせ、魔力の流路と術式の結び目を安定させる。特級以上になれば短縮詠唱や無詠唱も可能ですが、土台が弱ければ出力が散って威力も精度も落ちる。
結局は――鮮明な像、切れない集中、正確な詠唱。この三点が基本です」
(……詠唱って、かっこつけじゃなくて“合理”だったのか)と、ちょっと感心してしまう。
ゼクスはそんな俺を見て、口元だけで笑った。
「まあ、おいおい覚えていきましょう」
少し間を置いて、きっぱりと言う。
「……それと、雷鳴魔法を自在に扱える者は今ただ一人。ご存じの通り、あなたの兄――勇者ジークです」
喉の奥がきしむ。いっしょにいた頃は心が踊った。いまは、その名を聞くだけで胸のリズムが途切れる。
(まとめ:炎は喰らい、氷は絡め、風はかわし、土は囲う。聖は繋ぎ、影は奪う、雷は唯一。……問題は空っぽの脳みそに餌(情報)を詰め込むほど、俺の胃袋が空腹を訴えてくるってことだ)
ゼクスが続ける。
「流派は二系統、三系統を収める者も少なくありません。だが魔法は違う。基本は単属性です。なぜなら属性は“混ざりやすい”。二つ以上を抱えると制御が難しく、暴走や劣化を招きます。ゆえに――百人いれば九十九人は単属性に収まります」
「……そんなにか」
魔法って、もっとド派手に混ぜこぜだと思ってた。現実は堅実。
「ただし、ごく稀に“複属性”を操る者がいる。王国騎士団長ダリウスはその典型。紅蓮と翠嵐を併せ持ち、攻防の幅を倍加させていると聞きます。
さらに伝説級――五百年前、雷の勇者レイ=ボルトと共に魔王を討伐した“大賢者リゼリア”。彼女は雷鳴と暗影を除く五属性を極め、勇者と並び立ち、魔族からも畏怖された存在だったと伝わっています。エルフ族の天才……おそらく後にも先にも出ない」
――五属性全部!? 喉がヒュッと鳴る。ジークどころじゃねぇ化け物が昔はいたのか。
気づけば口が動いてた。「魔族って、結局なんなんだ?」
セリーヌが木刀の先で空を指す。風が一段冷たくなる。
「魔族は“不幸と絶望の怨念”から生まれる精神体。戦争、飢え、裏切り、悲しみ……積もり重なって意識を持つ。黒い霧みたいに現れ、弱った心に入り込む。取り憑かれた人間は、やがて理性を失う」
(……人が、魔族に。)
背筋が冷える。
つまるところ怨念が意思になって群れ、人に憑く。祟りの実体化、みたいなものか。
「帝国にも稀に出る。アタシは風で気配が分かるから、見つけりゃ即対処だ。魔族の被害が増えりゃ怨念も増える――雪だるま式に広がる。法国は“信仰”に寄りかかって心が揺れやすいだろうな。だから喰われやすい。
あとは魔王ってのもいたらしいが……昔話じゃ三人だか四人だかで――」
そこで、セリーヌの声がすっと遠のいた。
言葉の輪郭だけが耳に触れて、意味が風に攫われて散っていく
法国、魔王。――あの眼鏡の女。ヴェルデン貴族が言っていた、“法国で魔王が復活する”。
ジークは今、どこで何と闘ってる? まさか、もう――
シュッ、と風が弾かれ、前髪がはねた。セリーヌの指だ。
「おい、聞いてるか。狙いはまず王国だ。目の前の敵に集中しろ。座学はここまで。次は身体で覚えろ」
考えをぐるぐる回して、脳みそがバグる一歩手前だった。迷いがスパッと切れる。
「よし……待ってました! 姉御!」
「いや、セリーヌ様に“姉御”は……」とゼクスとリリスが青ざめる。
セリーヌは眉間に皺――からの、口角だけ上げた。
「フッ……まあいい。そこに立て」
◇
まずは木刀で向かい合う。互いに半歩外した中段。砂床は踏めば音を返す――はず、なのに。
「行くぞ」
つま先で砂を撫でる。次の瞬間、セリーヌが視界からふっと消えた。
「――っ!」
見るより先に“痛み”が来た。
左膝裏をガツンと蹴られたみたいな衝撃。腱が跳ね、脚が折れかける。
踏ん張りざまに木刀を振る――遅い。
痺れが抜ける前に、二撃目が右肋を叩く。肺が震えて、呼吸が一瞬止まった。
「……はや」
反撃の横薙ぎ。コツ、と軽い音――俺の木刀に、蜘蛛の巣みたいな亀裂。
たった一度で、武器が先に悲鳴を上げる。
三合、五合、十合。
セリーヌの木刀が触れるたび、皮膚は裂け、血が噴く。……だが次の瞬間には、赤黒い闘気が焼き針みたいに走って傷が閉じる。
裂けた肉が“ジジジ”と焦げて繋がり、血管が蠢いて戻る。普通なら終わる傷が、“最初から無かった”みたいに消えていく。
「ぐっ……まだだ……!」
喉に血の味。それでも立てる。致命が存在しない身体。
セリーヌの目が、一瞬だけ細くなる。
「……異常な回復力だ。木刀じゃ緊張感が死ぬな」
鞘金具がチリ、と鳴り、二本の真刀が音より先に光る。
薄く纏った翠嵐が刃の輪郭を震わせ、風そのものが“刃で研がれて”いるみたいだ。
「さすがに真剣は!」ゼクスが声を上げ、
「死んじゃいますわ!」リリスも慌てる。
「死なない。こいつの黒い闘気は異常だ。疲れも知らず、傷すら繕う。……なら稽古も“真剣勝負”でなきゃ意味がない」
セリーヌの声が低くなる。
「いいか。傷に慣れると鈍る。闘気の流し方が雑になり、修復任せで危機感も消える。結果、反応も遅れっぱなし――悪いこと尽くしだ」
二人の制止は、理屈で押し切られた。
砂がピッと跳ねる。跳ねた音を耳が拾う前に、切り口だけが肩に残っていた。
「っぐぅ!」
二刀が“挟む”。片方で受けを固定、もう片方で筋肉の流れに逆らって刻む。
煉獄闘気が縫う――が、追いつかない。縮む筋が悲鳴を上げ、熱だけが遅れて走る。
「カミナ。獲物を持て。今度はそっちから来い」
逃げ道はない。背のガイアブレードを抜く。深呼吸ひとつ――腹で闘気を練る。
全身に薄く纏い、足と目へ“細く”回す。シュッ、と駆け出す。いつもより速い――が、次の瞬間。
耳に届く足音はひとつ。なのに刃は二度、風は三度すれ違った。
「っぐ……!」
肘、腱、肋骨。回復が遅れる部位だけを正確に穿たれる。縫い目は荒く、白い閃光みたいな痛みが骨を走る。
喉元で刃が止まる。氷みたいに冷たい峰が皮一枚を押し込む。セリーヌは汗ひとつかかず、口角だけ上げた。
「芯はある。……でも“纏いと流し”が長い。必要な分だけ、早く通せ。
練る、纏う、流す、放つ――“細く、速く”だ」
「は、はい!」
返事の瞬間、脇腹に線。吐息の一拍を狙われた。煉獄闘気が縫うが、針目が荒い。身体中に縫い跡の地図が増えていく。
「……よし、もう一段」
刃先が微振動し、風が帯になって唸る。砂床が扇形に沈む踏み込み。
「がっ……!」
受けきれない。左の刃が俺の剣を杭にして絡め取り、右の刃が肺を裂く。空気が入らない。穴を塞ぐより速く、次の斬撃が来る。
――ここで初めて、“回復では凌げない”と悟った。『どうせ治る』の怠慢、まさかタイマンで精算されるとは。
さらに三合。受ければ絡め取られ、避ければ避けた先に刃が待つ。
最後、左の刀が俺の剣を押さえ、右の峰が喉へコツン。
膝が砂へ落ちた。体じゅう縫い跡だらけ。息の端で泡を噛む。
それでも、心は折れていない。まだ立てる。
セリーヌが、はじめて声を立てて笑った。
「いいね。笑える」
二刀がすべり込むように鞘へ。チン、と高い音。
「カミナ。お前は鍛えりゃ、この大陸で婆のような一番を狙える武人になれる。素材が反則。あとは“修練”だけだ」
言い捨てて肩越しに双子へ。
「闘技場が休みの日は――アタシと模擬試合……いや、“ころ死合い”な。真剣でやれる分、アタシにもいい稽古だ」
……いま、“ころ死合い”って言ったよね? 空耳じゃないよな?
「ちなみに、明日からお前らも」
「えっ」
セリーヌの刀を見て、二人が青くなる。
「……真剣を使うのは、こいつだけだ」
「……で、ですよね……」
「わたくし、聖光の修練がその……」
「姉さん、逃亡は許されません!」
いつもの掛け合いが、砂の血と鉄の匂いを薄めた。
立ち上がると、縫い跡がわずかにズレる。さっきの速さ、さっきの“挟み”。遅れた部位に刻まれた感覚を、皮膚も骨も忘れない。
柄を握り直す。腹で練り、薄く纏い、手足と目に“細く速く”流す。
(足りないのは量じゃない。纏いと流し方だ。――“練る・纏う・流す・放つ”。必要な分だけ、いまこの一合に)
遠くで角笛がぼうっと鳴った。風が屋台の匂いを運んでくる。祭りの残り香みたいに甘く、腹の奥をひねった。だが、その匂いもすぐに砂の熱と鉄の味にかき消される。
――明日、闘技場の砂の上に、俺の“いま”の全部を刻む。実力主義の帝国だ。力だけが証明でき、情けも言い訳も通じない。だが、王国みたいに立場や血筋で誤魔化せないぶん、わかりやすい。
きっとこの国も簡単じゃない。だが、やるしかない。
ここで見せなきゃ――俺の生きる意味も、守りたいものも、全部嘘になる。




