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四十、金と黒の対峙

――特等席のさらに奥、金箔の欄間と磨き上げられた黒大理石が光を返す廊へ、蒼の軍装が先導した。

ヴォルグ・フォン・ゼルファスである。彼に導かれ、カミナ、リリス、ゼクスは衛士の槍列を抜けていく。壁には七軍を象徴する紋章の金工が並び、床のモザイクは闘技場の砂を模して渦を描く。空調の魔道具が微かに唸り、香がごく薄く焚かれていた。


扉番が金の飾り鋲に手をかける。音を立てずに開いた先――「金装の間」。

陽を撥ね返す金糸のタペストリ、玉座に準じる高座、そして円卓。その中央では、ちょうど先の勝者が拝謁を受けていた。


「うむ、見事な戦いであったのう」

低くもよく通る声。金装の衣をまとった老婦人が、瞳だけ若い光で勝者を見つめる。帝国の女帝――アマーリエ=ヴァン=ドラグナ。

横で脚を無作法に組んでいるのは孫のセリーヌ。翠の外套に二本の刀、気怠げな笑みは健在だ。


「蒼氷と剛岩の合わせ、剛岩の席にふさわしい。よく積んだの」

「ま、悪くない。もう少し粗さが抜けりゃ、俺に勝てる日も来るかもな?」

肩に斧を立てて頭を垂れたのは、ガルディオ・バスク。甲冑の留め具に細かく剛岩の砂が張り、呼気はまだ熱い。

「お戯れを……我、なお精進致しまする」


そこへ、ヴォルグに案内された三人が入室する。

最初に気づいたのはセリーヌだった。椅子を軋ませて身を乗り出し、カミナを上から下まで一瞥――口角が上がる。


「おい、お前。……その気、魔族か?」

一拍、室内の空気がきしむ。ガルディオがわずかに斧柄へ手を寄せた。

ゼクスとリリスが同時に一歩進み出る。


「違います。魔族では断じてありません」ゼクスが凛とした声を立てる。

「それに今話題の勇者の弟ですわ。確かに異質な闘気を纏っておりますけれど――」リリスが続ける。

「以前、村でお会いした時からこの力はありましたの。異常な回復と怪力――」


「やめい」

氷の刃のような低声が、双子の言葉を断ち切った。ヴォルグである。

「事実の列挙はよい。場を見よ」


女帝が、ゆっくりと視線をカミナたちへ移す。金の睫毛が小さく瞬き、細い笑みが消えた。


「……で、王国の犬が、我が帝都に何の用じゃ?」

金装の間に置かれた空気が一段、重くなる。近衛の掌が柄に触れ、床の石が冷える錯覚。

だが、カミナは踏み出した。玉鋼の鎧が鳴り、背の大剣が微かに響く。


「俺は王国の犬なんかじゃない」

声は低いが、芯があった。


「王国の貴族の悪政に腹が立った。仕組みを変えてやると『暁の牙』に入った。あいつらは平民のために戦ってた――俺もそう思って戦った。けど、栄皇騎士団とダリウスに叩き潰されて、仲間も……父さんも殺された。復讐を誓った時、この双子と出会ってここに来た」


言葉が、砂を踏むように間合いを詰める。


「理由は二つ。ダリウスを倒すこと。そして、幼い頃からの夢――悪政を正して、弱い者でも立ち上がれる社会を作ることだ。どちらも、帝国の力と組めば現実にできる」


ゼクスが淡々と補足を重ねる。

「カミナは両親と故郷を栄皇騎士団に焼かれました。また王国の勇者――ジークは、中枢に取り込まれた疑いが濃厚です。勇者の雷は脅威。ダリウスと結託されれば、南の城塞バステリアも攻略も難儀する事でしょう」

言外に、王国の国境線の計算が滲む口調だった。


カミナが、最後の一言を押し込む。

「兄の勇者ジーク。あいつが立ち塞がっても、ダリウスを討って、みんなの仇を取る」


――静かになった。

椅子の肘掛けに指を置いていたアマーリエが、その指を一本、二本とゆっくり揃える。次の瞬間、金装の間の重力が増したかのような圧が、全員の肩を叩いた。


「……甘い。甘すぎるわ」

吐息ほどの小さな声。それが稲妻のように空気を裂く。


女帝が立つ。老いた骨には似つかわしくない威圧が、壁の金箔を震わせた。

一歩。高座から降りた踵が、石に乾いた音を刻む。

二歩。近衛が反射的に体を寄せる。

三歩。カミナの真正面で止まった。


「復讐、ね。それと、平等とな?」

薄い唇が、笑わない笑みを作る。

「――力なき者が、我が帝国に“すがる”かぁ?」


突如、雷鳴。

「笑止千万!」

空気が押し潰され、壁が軋み、床が鳴る。

「誇りも矜持も捨ておって、何が勇者の弟ぞ! この帝国はのう、血と鉄の歴史でここまで来た。刃と覚悟で覇を唱えてきた。願いを口にするだけで救われると思うたか?」


近衛の指が白くなるほど柄を握る。ゼクスは無意識に片膝をつき、リリスは喉をごくりと鳴らす。ガルディオですら、無言で唇を噛んだ。


「同盟を口にするなら――まず、示せ。力を、だ」

女帝の言葉は鋼鉄の直線。

「力なき者は王国で沈め。声も名も歴史も、土に還るが定めぞ」


その正面で、カミナの瞳が細くなる。

黒の気――煉獄闘気が、背から薄く立ちのぼった。金の威を焼き払うほどではない。だが引かない火だ。

近衛が数歩、前へ。槍先は微かに揺れ、セリーヌの指がひとたび動けば、いつでも襲いかかる間合い――それでもカミナは動かなかった。揺れもしない。


ひび割れそうな沈黙。

やがて、女帝はふっと肩を抜いた。肩の力を落とすと、口元に小さな笑みが戻る。


「……と、言いたいところじゃがの」

重石が、床からすっと抜ける。みな、小さく呼吸を取り戻した。

「よい目をしておる。復讐――先ほどは切って捨てたが、のう、復讐くらい、帝国の誰もが一度は胸に宿す。ワシもそうじゃ」

金の瞳が、遠い昔を一瞬だけ映す。

「四十年前、ワシは“ゼルファス家”と刺し違える覚悟で帝位を奪った。憎み、憎まれ、殺し合い、その上で座に就いた。血と鉄で以外で動くものも、この世にはある」

視線が戻る。

「血筋だけを見る王国を、この大地に放っておくのは愚の骨頂。のう、セリーヌ?」


「ん。面白ぇじゃん、勇者」

セリーヌが刀の鞘口をコツ、と指で弾く。

「それにコイツ、婆の威圧を物ともしてねぇ。気に入った。アタシが鍛えてやってもいいぜ?」

口調は軽いが、目は狩人のそれだ。風が獲物を見つけたときの、愉悦と熱。


アマーリエは喉の奥で笑い、ゆっくり頷いた。

「よい。ダリウスだけではない。勇者の脅威が真なら、先に手を打つが国の務めよ」

女帝の指が宙を横切り、ひとつの段取りを描く。

「だが――口だけの男に手を貸すほど、帝国は暇ではない。カミナ、まずは闘技場で己の力を示せ。砂の上は嘘を吐かん。砂に刻んだ勝利は、民の目にも映る」

言葉の先が、刃のように冴える。

「お主が示せば、帝国は手を貸そう。時が来れば、ヴォルグ、セリーヌ、リリス、ゼクス、ガルディオ――この五名を“勇者・ダリウス・栄皇騎士団討伐隊”として編成する。王国制圧の先陣、任せよう」


「はっ!」

返礼の声が重なった。帝国式――胸に拳を当て、半歩引いてからの敬礼。

ヴォルグの姿勢は一分の隙もなく、セリーヌは口角を上げたまま、リリスは嬉々として槍を引き、ゼクスは静かに頷く。ガルディオは斧を立て、勝者の礼に続けてもう一度、深く頭を垂れた。


カミナは黒の焔をわずかに収め、正面から一礼する。

「……女帝陛下。そのご決断、深く感謝する」

声は低い。だが、響きは遠く届く。


女帝は顎を引いて受けた。

「よい。――ヴォルグ、段取りを」

「御意」蒼の将は即答する。「闘技場の枠を押さえます。試しの場は、明後日の第一の鐘がよろしい」

「好きにせよ」

セリーヌがカミナへ顎をしゃくる。「明日一番で俺んとこ回れ。足りないもの、全部教えてやる」


場の緊張がほどけはじめると同時に、金装の間へ生活の音が戻る。書記官が走り、近衛が配置を変え、給仕が新たな杯を運ぶ。窓から差す光が金箔を撫で、砂塵の匂いがほのかに蘇る。


退出の折、ガルディオが斧を肩に、カミナへ一瞥を投げた。

「……砂は嘘を吐かない。闘技場で闘うならば、我もいずれ相対する事となるだろう。全力で来い」

「もちろん」

短く返し、扉が閉じる。



廊下へ出ると、闘技場の喧噪が少しだけ近づいた。

リリスが、はぁ~っと長い息を吐く。「わ、わたくし、死ぬかと思いましたわ……。あの圧、心臓に悪いですの」

ゼクスは苦笑して肩を竦める。「帝都へようこそ、というやつですね」

ヴォルグは横を向いたまま、低く言う。「恐れは要らぬ。あの方は、強い者にのみ強い」


カミナは無言だった。胸の内側で、黒の焔が静かに鳴っている。

――砂の上で示せ。

言葉が、脳裏で何度も反響した。


一行が回廊を曲がると、開口部から闘技場の砂が覗く。歓声が波のように押し寄せ、吐き出される。陽が傾き、砂は白から金へ色を変えていた。


「明日はセリーヌ様の稽古が終わったら、武具の調整をしましょう」ゼクスが段取りを刻む。

「それと、闘気の制御。漏れっぱなしは“悪目立ち”です」

「カミナの衣装はわたくしにお任せくださいませ!」リリスが胸を張る。「黒に銀の縁取り、背に布を少し長めに――」

「戦うのはあなたではありませんよ、姉さん」

「うるさいですわ!」


軽口が戻る。だが、足取りはいつもより早い。次の砂へ向かう者の歩き方だ。


金装の間の奥では、女帝と孫が小さな声で言葉を交わしていた。

「婆ちゃん、あいつ、いい。目が折れてねぇ」

「そうじゃの。黒の焔――。砂で育つやもしれん」

「育て甲斐がある」

「……お主は遊ぶなよ?」

「手は抜かねぇさ」



夕刻。帝都の空は、七軍の旗色を模した“七彩の垂れ幕”で彩られていた。金の威、翠の豪、蒼の刃、茶の褐、紅の智、白の武、そして黒の鋼。


闘技場の砂は、夜になれば冷える。冷えた砂は、翌朝にまた熱を帯びる。

帝国という名の大炉は、今日も燃えていた。

明後日の第一の鐘――砂上に立つ”鋼の英雄”を、帝国はすでに待っている。

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