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四、この世界の歪み

朝靄が畦に薄くたなびいていた。

鳥が鳴き、麦が揺れる。――なのに、むっとした草の匂いの奥に、鉄と獣の臭気が混じっていた。


ゴブリンが二十余。どこかで死体でも剥いだのか、錆びた刃と血の染みた革の前掛けでみすぼらしく武装し、村を遠巻きにうかがっている。


僕とジークは丘の陰に身を伏せた。八歳の子どもには不釣り合いな気配の消し方――けれど体が勝手に従う。叩き込まれた通りに。


「俺が全部やってもいいが……練習だ。後方に五、前に十五。指揮が一体。まず前衛を落とす。逃げは任せる」

「了解。いつも通り」


赤ん坊のころの“テレパシー”は封印した。今でも繋げるはずだが、あれは神経を削る。相手を強く想い、意識の底まで潜ってようやく届く。だから今は切り札のまま眠らせておく。


ジークが指先を合わせ、吐息ひとつで気配を沈める。低く、短い言霊。

『――雷よ、拍て。《雷鳴・拍陣》』


白雷が走る。空を裂くのではなく、土を這う。

針のような閃光が畦を縫い、地の底で静かに爆ぜる。音は風に消え、前列が無言のまま崩れ落ちた。焦げた匂いだけが現実を知らせる。


半数を焼かれた群れが怒号を上げ、牙を剥いて突っ込んでくる。土煙。金属と獣の匂い。


「左三! 首、膝、喉の順!」


木刀を構え、丹田に息を落とす。臍の下が熱を帯び、輪郭がわずかに重く、強くなる――闘気が通った合図だ。


一体目。踏み込み――一閃。木刀の腹で側頸を打ち抜く。

二体目。膝を砕き、崩れた胸へ一拍の突き――心臓。

三体目。肩で受け流し、捻って喉を薙ぐ。霧のような血の気配。


四撃。六歩。三体、沈黙。

先端から滴るのは――真っ赤な血だ。まだ温かい飛沫が朝靄に紛れ、土の匂いを濃くする。


「右方、二。逃げた」

「任せろ」


ジークが草陰で指を鳴らす。乾いた拍が地中を駆け、逃げ腰の二体が膝から崩れた。音も閃光も草に隠れる。見た者がいれば、ただ足を滑らせたようにしか見えない。


――この国で庶民が魔法を使えば“異端”か“徴発”。雷は僕たちだけの秘密だ。


潜んでいた残りも順に仕留める。焦げた草、血、鉄の匂いが朝靄に溶けた。

最後の指揮個体が怒声を上げて突進する。正面から受けない。半身でずらし、すれ違いざまに背骨へ一撃。木刀越しに、骨の砕けるいやな手応え。


……静かになった。

指先が少し痺れている。正直、気持ちいい。臍の下の熱が胸へせり上がり、世界がスローモーションになる。中学生の頃に夢見た“コンボ決め放題”――それが今、現実にある。


生き物を殺すことに罪悪感はある。けれど、それ以上に「生き残った」という実感が勝ってしまう。やらねば、やられる。何度も叩き込まれた現実だ。


「クリア。拾える矢と金具は回収。痕は残すな」

「了解」


僕らは手早く足跡を払い、死体を茂みに押しやった。朝露に混じる血が土に滲み、風が冷たくさらっていく。

指先はまだ震えていた。力は制御できるのに、心はそう簡単には慣れない。


痕跡は、僕らの“存在証明”だ。だからこそ消す。

子どもが魔物を討った形跡は、悪い貴族に“異端”の烙印を押させ、徴発の口実になる。村ごとどうされるか分からない。村には――何も起きなかったことにしておく。


遠くで鶏が鳴き、村がいつもの朝を始める。


「かなりいい感じだが、今度また復習な。足運び、二歩ぶん無駄があった」

「了解。……それと、ジーク」

「ん?」

「やっぱり変だよ。いいことしてるのに、コソコソしなきゃいけないなんて。……こういうの、慣れたくない」


ジークは肩で息を整え、口角をわずかに上げた。

「慣れるな。慣れたら鈍る。――違和感はお前の武器だ。だが今はまだ、動く時じゃない。まずは身体を作れ」


僕はうなずき、村を見下ろす丘に立つ。朝靄の光はやわらかいのに、影の色だけが濃い。


――だから、言葉にする。

この世界は、どこか歪んでいる。



アーク王国北方・ミルテ村


丘の上の見晴らし台で、僕とジークはいつもの村を見下ろした。

穏やかな畑、煙の細い朝――けれど、その静けさは理不尽の上に立っている。


「お〜いカミナ、八歳児がその目つきはやべーぞ。……また考察モードか」

「うるさい、ジーク。勇者だったお前がこの世界をどう見てたかは知らないけど、やっぱり僕には納得できない」


言葉にした瞬間、胸の奥でせき止めていたものが、堰を切るみたいにあふれた。


「日本じゃ、どんな家に生まれても“努力しだいで未来は変えられる”って空気があった。

 言い過ぎかもしれないけど、少なくとも子どもの頃は本気でそう信じてた」


細い腕を見下ろし、拳を握る。


「でもこの世界は違う。生まれで人生が決まる。“才能”や“血筋”がすべて。

 どれだけ頑張っても、それだけで塵みたいに扱われる――マジでやってられない」


ジークは肩をすくめたが、茶化しはしない。

「俺の時代も、前には“魔法を使えるやつ”が立った。けど、血筋は二の次だった。理由は簡単、“明確な敵”がいたからだ。魔王とやり合うのに、身分で区切ってる暇はねぇ」


「へぇ……じゃあ、なんでこうなったの」

「俺が死んで、魔王も消えて……残った連中が好き放題やったんだろ。

 敵がいなくなれば、次は内輪揉め。よくある話だ」


丘を下り、村の小道へ入る。湿った土の匂い、露に濡れた畑、鶏の鳴き声。――ここは、僕らの故郷だ。

父さんのガイは元冒険者で道場の師範、母さんのリーナはその支え。道場仲間に囲まれて過ごした八年で、ミルテ村は確かに“居場所”になった。


……それでも、安泰とは言えない。



最初の違和感は、水から始まった。干ばつの夏、井戸の水位が目に見えて下がった。

そこへ王都から“氷術の見習い”が派遣されてきて、得意げに告げる。


「蒼氷の術で水を出してやろう。――ただし、井戸の使用は銅貨五枚だ」


掌に冷気を集め、井戸の口を薄く凍らせては溶かす。氷が融けたぶんだけ水面は“増える”。

監督役の貴族役人は紋章入りの外套をひるがえし、出涸らしみたいな水を「ありがたく思え」と受け取らせた。


(それ、氷を足して水量をごまかしてるだけじゃ……)

『ああ。それに銅貨五枚は強盗価格だ。見習いなら善行として無償――だった時代もある』


銅貨のない家は列から外された。赤子を抱く母親が泣いても、役人は涼しい顔で帳面に「供給済」と記す。

その夜、隣家の牛が衰弱して倒れ、翌朝、家族は泣きながら皮を剥いだ。冬を越すために。



病も、線引きの道具になる――これは後で、エレンという少女の父さん本人から聞いた話だ。


「去年の冬さ。あの子が急に熱を出してな……」

荒れた手を握りしめる仕草のまま、ぽつりぽつりと言葉が落ちる。

「馬も出せないから、俺が走って街まで行った。教会の門を叩いて、司祭さまに頭を下げたよ」


門の前で、司祭は微動だにせず言ったという。

「寄進がないなら“氷華清涼”は使えません。神の奇跡を軽んじるな」

必死に『お金はあとで必ず』と食い下がると、視線だけで値踏みして、

「あなたが“誓約印”を刻める身分なら考えましょう」と、扉を閉めた。


「渡されたのは、乾いた薬草の束だけだった」

父さんは自分の掌を見つめた。

「煎じて飲ませたけど……三日もたなかった。指先が冷たくなっていくんだ。あれが、いちばん堪える」


土葬の日、土は凍っていて、鍬は何度も跳ね返った。

「みんなで交代で掘ったよ。あの子が寒くないようにって、無駄なことを思いながらな」


葬式の空気を思い出すだけで、喉の奥がきゅっと狭くなる。


『……あの時代も似た場面はあった。だが、助ける門は開いていた。今は“門”が閉じている』


ジークの低い声が胸の底で落ち着かない。

門の鍵は、貴族が握っている――そんな比喩が、いやに現実的だった。



巡回騎士団の日――井戸端で何人もが同じように話した“粉屋の家の件”。


その日、騎士団は村はずれの粉屋に立ち寄って「無料で茶を出せ」と命じたらしい。

出された干し菓子を見るなり、金飾りの騎士が机ごとひっくり返す。


「犬の餌を人前に出すな。夜番は……そこの娘でいい」


親父さんは娘を庇って立ち上がった。

指がひと振りされただけで、“風の壁”が足元を払う。膝から崩れ落ちながらも、床に手をついたまま食い下がった。


「待ってください――まだ娘は――」

「黙れ、平民。反逆罪だぞ?」


そのやり取りの最中、従者が銀貨一枚を卓に置いたという。

「栄誉だ」と笑って。


家の者は震え、泣きながら、それを受け取るしかなかった。

その夜、粉屋の灯りは明け方まで消えなかった――悔しげに、人々は口を揃えた。


話を聞き終えたジークが、短く吐き捨てる。

『……“栄誉”って言葉ほど、軽くて重いものはないな』



税の取り立ても、理不尽のまま。

干ばつで畑が焼け、収穫が半分になっても、取り立て帳の数字は減らない。

逆に「不足分の罰金」は上がる。火の魔法を弄ぶ徴税官が、帳面に火花を散らしながら言った。


「干ばつの時こそ納めて国を支えるのだ。理解しろ」


理解? 誰のための国なんだろう。



帰り道、ジークがぼそりと言う。

「……カミナ。お前の目は、前よりずっと“生きる目”になったな」


「生きる目?」

「何かを嫌う目じゃない。見て、噛みしめて、それでも生きるために噛み砕こうとする目。

 俺も、かつてはそういう目をしていた」


褒められているのかどうかは分からない。でも、胸の奥の熱は冷えない。

握った拳を、ゆっくりひらく。


「目標ができた。まだ小さくて無理だけど……」

息を吸い、言葉を押し出す。


「血筋も、力も、魔法も関係ない。誰だって自分の人生を選べる世界。

 この異世界を、日本みたいな――選べる世界に、必ず変えてみせる!」


声にすると、遠くの屋根が朝の光で淡く揺れた。幻じゃない。僕が生きている限り、目を逸らさない現実だ。


ジークが口角を上げる。

「……黄昏れてるが、その目は悪くない。俺も手伝う。

 父さんと母さん、道場のみんな。――最強チート持ちの俺とお前が組めば、なんだってできる」



その決意に背中を押すみたいに、細かな不条理は毎日積み重なる。


――貴族の家にだけ配られる“氷符”で、彼らの肉は腐らない。

――市場では、風魔法で屋台の幌をひっくり返した貴族子弟が「訓練だ」と笑い、破れた幌の代金は誰も払わない。

――道場の木刀は徴税官の気まぐれで“武装隠匿”の印を押され、父さんは三日間、門前で正座させられた。

――夜になると、“夜番”に出された家から、すすり泣きが途切れない。


(これで平和? これで自由?)


『看板と中身が違う国は珍しくない。だが、看板が掲げられている限り、“言葉”は残る。

 理不尽に立ち向かう奴は他にもいる。――仲間を集めろ』


「そうだな。言葉を持ち込んで、根づかせる」


ジークはうなずき、声を落とした。

『忘れるな。“明確な敵”がいない世界で革命を叫ぶと、味方だと思った相手がすぐ“敵”に化ける。

 俺たちはまだ幼い。今は血を流さず変える道を探し続けろ。前だけ見ろ。俺はお前の“ブレーキ”になる』


「分かった。……ありがとう」


朝の空気を胸いっぱいに吸い、村へ向かって歩き出す。

土の道が裸足の足裏にひんやり心地いい。小さな一歩でも、踏み出さなければ世界は変わらない。


「あてにしてるぜ、勇者様」

「任せとけ、相棒」


――この時、僕たち双子は、互いの未来を確かに誓い合った。

魔法を使えない平民の暮らしと、魔法を振るう貴族の理不尽――その境目を、いつか必ずひっくり返すと。

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