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三十九、帝都の闘技場

帝国の首都・グラン=ドラグナ――。


巨大闘技場の外壁は白い陽光を弾き、何十本もの旗槍が風を切ってはためいていた。朝靄はもう消え、空気は早くも熱を帯びている。


今日の目玉は“剛岩七神将継承戦”。

二年ほど前、北方エルフとの小競り合いで“大賢者リゼリア”の大魔法に副団長ごと巻き込まれ、当時の剛岩を担う七神将は命を落とした。その席は今も空席のままだ。

そして遂に――今日、その穴を埋める継承戦が開かれる。

開門の太鼓が鳴るより前に人の波が押し寄せ、屋台の呼び込みと賭場の喧噪が渦を巻いていた。


観客席の最上段、石段の一角。人いきれの隙間で、黒衣の若者が目を丸くしていた。カミナだ。隣には白いドレスに身を包んだ金髪の乙女リリス、その反対に紅のマントを肩に掛けた金髪の青年ゼクス。三人は一般席の端に腰を下ろし、砂色の大舞台を見下ろしている。


「すごい熱気だな……これが帝国の闘技場……」 

カミナの独り言に、ゼクスが静かに応じる。


「規模も運用も、帝国の心臓です。登用、見世物、処刑、外交……すべてがここで“可視化”される」


リリスは得意げに顎を上げた。

「日替わりで模擬戦が組まれますのよ。今日は継承戦。そりゃ燃え上がりますわ」


観客の唸りを割って、角笛が鳴る。階段状の客席は一斉にざわめき、砂を敷いた円形の土俵に視線が集中する。中央に立つ司会役の呼び声が、魔導拡声器を通して澄んだ音で響いた。


『諸君、よく集った! 本日の主役は剛岩! 帝国七軍の一角、岩壁を担う“剛岩騎士団”の継承だ!』


カミナは無意識に背の大剣の柄へ手をやる。視線は戦場に釘付けのまま、耳だけが隣の会話を拾った。

「帝国には七つの軍があります」とゼクスが解説する。

「黄金・紅蓮・蒼氷・翠嵐・剛岩・白闘・黒鋼。軍ごとに役目があり、戦場では混成で編成します」

「属性と役割で、きっちり仕分け……闘技場で闘う……雷電伯爵の漫画みたいだな……」

「らいでいはくしょくのまんが?」リリスが小首を傾げる。

カミナは苦笑して首を振り、視線を戻した。砂上で向かい合う二つの影が、ちょうど入場してくるところだった。


一方は大斧を肩に担いだ巨漢。全身を重厚な鎧で固め、視線は岩のように重い。名は――ガルディオ・バスク。蒼氷団長ヴォルグの直弟子にして、蒼氷と剛岩の魔法を使う筆頭格だと囁きが走る。

もう一方は黒髪の獣人の女剣士。軽装の短鎧で虎のようにしなやかな脚、背には鋼の大包丁に似た広刃。帝都の闘技場で、岩を操る魔法にて“無敗”の二つ名を持つザラ=グリント。その耳が小さく跳ね、土を踏む足取りは野生の静けさを帯びている。


空気が変わった。観客の呼吸が合図のように浅くなる。司会の右手が振り下ろされ――


開幕。


砂が跳ね、大斧が地面を裂く。ガルディオの一歩は重いが、その動きは決して遅くない。

しかし斧が振り下ろされる直前には、すでにザラの姿は横へと消えていた。


ザラの斬撃の猛攻を受けるたび、ガルディオの重厚な甲冑を包む蒼氷の薄膜が砕けるが、すぐに再生する。ザラの魔法が強靭な岩石を飛ばせば、ガルディオの斧は土煙を巻き上げて応じた。


「……見事です」ゼクスの声音がわずかに熱を帯びる。

リリスは肘でカミナの脇をつつき、目を輝かせた。「ね、ね、楽しいでしょう?」


瞬間、観客席のどこかで子どもが歓声を上げるのと、土俵で勝負が動くのとが重なった。

ザラの刃が上へ誘い、斧がわずかに跳ね上がる。空いた胴へ、逆手のけさ切り――と思った次の瞬間、ザラの足元の砂が“隆起”した。剛岩――ガルディオの足裏から練り上げた岩塊が、獣人の踏み込みを一拍だけ奪う。


「――っ!」


遅れた刃を待っていたかのように、ガルディオの肘がわずかに返る。斧柄の中程でザラの手首を払うと、体重を刃に乗せる前に肩で押し潰す。鈍い音。砂が弾ける。観客の悲鳴じみた歓声。


次の一合は刹那だった。縦薙ぎ――否、落雷。ガルディオの斧が振り下ろされるのと、ザラが片膝をつき交わすのはほぼ同時。続いてガルディオの横薙ぎが迫る。だが、ザラも厚く張った剛岩の楯をはる。しかしそれも断末魔を一拍だけ遅らせたに過ぎない。斧刃が楯を割り、軽鎧を抉り、ザラは大きく吹き飛び壁へとめり込んだ。


静寂。遅れて、爆ぜるような大歓声。


ザラの肩に白布がかけられ、担架が駆け込む。ガルディオは斧を立てて短く一礼し、割れんばかりの喝采を浴びた。勝負は一瞬――だが、その一瞬を生むまでの数十合は、観る者全ての胸を焼いた。


最上段の端で、カミナの呼吸が熱を含む。瞳孔がわずかに開き、身体から微かに赤黒い靄が漏れた。煉獄闘気。抑えきれず、皮膚の下から滲み出るそれに、周辺の客が振り返って目を丸くする。

「な、なんだ……あいつ、身体から……」

ざわめき。リリスは得意満面で胸を張った。

「ほらね、カミナはこういうのが好きだと思ってましたの!」

ゼクスは額に手を当てて溜息をひとつ。「……闘気が漏れています。少し落ち着いて」


カミナは短く息を吐き、闘気を沈める。だが瞳の奥の光は消えない。砂の匂い、鉄の味、勝者の立ち姿――すべてが胸の奥の“煉獄”を掻き立てていた。



同じ時刻。闘技場の最上段、中央の特等観覧席。絹を編んだ金装の衣の老婦人が、涼やかな目で砂上を見下ろしていた。

帝国の女帝――アマーリエ=ヴァン=ドラグナ。髪は白く、背筋は伸び、瞳だけが若い。


「……相変わらず賑やかなものじゃのう。皆よう集まっとる」 


「注目もされるさ。継承者争いだからな」

隣で脚を組むのは女帝の孫娘――セリーヌ=ヴァン=ドラグナ。二十代半ば。翠の外套に二本の刀。帝国最年少で“七神将”の席に座る風の剣士は、気怠げな笑みで観衆を見下ろしている。


アマーリエは楽しげに顎を撫でる。「ふむ……そろそろ総仕上げかの。ヴォルグ、お主の部下の力、見せてもらうぞい」


「はっ。必ずや、陛下に恥じぬ試合をご覧に入れます」


背筋を糸のように伸ばし、蒼の軍装の男が静かに頭を垂れた。蒼氷団長――ヴォルグ・フォン・ゼルファス。氷の眼差しは一戦終えた砂にすでに次の戦局を描いている。



決着の角笛が鳴る。セリーヌは短く指を鳴らし、頬にわずかな笑みを浮かべた。

「悪くない。暇つぶしにはなった」

「ほう、珍しく大絶賛ではないか」


「……それより」セリーヌの視線がふっと泳ぎ、客席の遥か上を横切る。「さっきから変な気配が引っかかってる。纏う風でわかる。異質だ。次の暇つぶしに、良さそうだな」


「ほう?」

アマーリエが面白そうに目を細める。セリーヌは顎で示した。最上段の陰――槍の少女と盾の青年に挟まれた、黒衣の大剣の若者。


ヴォルグの目がそちらへ向き、氷の瞳が一瞬だけ溶けた。

「……勇者ではない。弟、か」

女帝は喉の奥で笑う。「報告の“勇者の片割れ”じゃな。……金装の間に連れてきてくれぬか?」

「御意」


ヴォルグが立ち上がる。肩に纏う蒼気が空気を一段冷やし、随行の近衛が影のように従った。



観客席の上段は落ち着かない。勝者の凱旋、敗者の搬出、屋台の売り子の声が交錯し、砂上では次の前座が始まる準備が進む。

そんな雑踏の中、カミナはまだ砂の余熱を瞼の裏に抱えていた。胸の内側で煉獄闘気がくぐもった鼓動を打つ。隣でリリスが肩を寄せ、囁く。


「どう? これが帝国。勝った者だけが立つ舞台」

ゼクスが肩越しに客席の流れを見て、小さく息を呑んだ。「――父上が来ます」


帝国近衛の列が、観客の波を裂いて上段へ上ってくる。先頭の蒼の軍装――ヴォルグ。視線が真っ直ぐに三人へ突き刺さる。


周囲のざわめきは、誰が来たのか気づいた瞬間に色を変えた。「ゼルファスだ」「蒼氷の将軍」「本物がこっちに?」囁きと畏れが連鎖する。


ヴォルグは三歩手前で止まり、形式だけの敬礼を送った。

「遠路ご苦労。――勇者の片割れだな」

名を呼ばれ、カミナの肩が微かに強張る。


ゼクスとリリスが左右で息を合わせ、さりげなく一歩前に出た。

「王国で活躍している勇者ジークの弟、カミナを連れて参りました。ダリウス討伐に向け意気投合し、連れてきた所存であります」

「ダリウスに父親を殺された復讐を誓うものでありますわ」


「前とは纏う雰囲気がまるで違うな。それより女帝陛下がお呼びだ」

ヴォルグの声は氷のように平坦だが、拒否の余地は一片もない。

「ここで立ち話をする場でもない。……来い」

リリスが横目でカミナを見上げる。ゼクスは短く頷いた。カミナは一拍だけ目を閉じ、それから立ち上がる。背の大剣が石段で重い音を立てた。


闘技場は相変わらず喧しく、陽光は砂を白く灼いている。だが、その中心から視線が外れた“上の上”――特等席へ向かう通路は、妙に冷たく、静かだった。


――剛岩の継承は終わったが、カミナの帝都の試練はここからだ。 

金の威、翠の豪、蒼の刃。

やがては紅と白の座を担う双子と共にーー

視線は皆、”黒の焔”を背負う若者へと向かっていた。


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