三十八、国境を越えて
王国側国境検問。
槍を手にした王国の兵士たちが、荷馬車をじろりと睨む。リリスが前に出て対応していた。
オレは背の剣に手をかけ、いつでも斬り合いになるよう身構える。……けど。
「商人一行か」
兵士がリリスから書類を受け取り、鼻を鳴らす。
商人……どう見ても中隊規模の帝国兵に見えるんだが……無理あるだろ。
ゼクスがにっこり笑って、隊長格の兵士に金貨を一枚そっと渡した。
ピカピカに光る金貨。王国兵は当たり前みたいにそれを受け取り――。
「……通れ」
それだけ。信じられないほど、あっさり。
(……は? これでいいのかよ?)
金貨一枚で通れる国境。
焼かれた村の民が泣き叫んでるのに、王国の兵は賄賂ひとつで見逃すのか。
胸の奥がぐつぐつ煮えたぎる。
「……王国は腐ってやがる」
気づけば口から漏れていた。
ゼクスは何も言わずに歩を進め、リリスは顎を上げる。
「王国なんて所詮そんなものですわ。血筋ばかりで、人の価値なんて見ていませんもの」
⸻
帝国側の検問。
砦の前に並んだ兵士たちは、王国兵みたいにねちねちした態度はない。
書類をちらりと確認しただけで――
「ご苦労さまです」
それだけで通行許可が出た。
だが視線は鋭い。
「……あの大剣、ただの飾りじゃねぇな」
「背中から滲む闘気……あれは本物だ」
囁きが耳に刺さる。
ゼクスが静かに言った。
「来る者は拒まない。それが帝国のやり方です」
リリスが顎をしゃくり、冷たく笑う。
「力なき者は奴隷。力ある者は支配者。ただそれだけの掟ですわ」
(……王国よりわかりやすいのは確かだ)
血筋で決めつける王国より、力次第で上に行ける帝国の方がまだマシかもしれない。
でも――胸の奥にはざらついた違和感が残った。
⸻
街道を進むと、岩壁を割って奴らが現れた。
「岩竜蜥蜴だ!」
帝国兵の叫び。四体の巨体が這い出し、咆哮が空気を震わせる。
「僕が前に出る!」
ゼクスが盾を構えて突進を受け止める。鏡盾式――衝撃を寸分違わず流し、巨体を逸らす。
「今ですわ!」
リリスが槍を突き出し、蒼氷の魔力で脚を凍らせる。
(オレも行くしかねぇ!)
ガイアブレードを抜き、一体を薙ぎ払った。首が裂け、巨体が沈む。
だが直後、別のリザードが負傷兵に迫った。
「退けぇッ!」
考えるより早く、オレは負傷兵を突き飛ばす。巨爪が脇腹を抉り、熱い痛みが走った。
「カミナ!」リリスの悲鳴。
だが――赤黒い闘気が迸る。煉獄闘気が肉を繋ぎ、血を押し戻す。数秒で傷は塞がっていた。
「……治った……?」
兵士たちが息を呑む。
「安心しろ! オレはまだ戦える!」
怒鳴って、もう一度大剣を振る。顎を粉砕し、巨体を叩き倒す。
残り二体。
ゼクスの炎が敵を錯乱させ、リリスが脚を凍らせた。
オレは一気に踏み込み、渾身で薙ぎ払う。
「うおおおおッ!」
鱗を裂き、最後の二体が崩れ落ちた。
「すげぇ……」
「味方で良かった……」
「やっぱり只者じゃねぇ」
帝国兵の声が次々と耳に届く。視線は畏怖じゃなく、憧れと賞賛だった。
……でも、胸の奥には妙な熱が残った。
今は手を組んでいる。けど、ついこの前までは村を焼いた連中だ。
嬉しいような、悲しいような――複雑な気持ちだけが居座り続けていた。
⸻
帝国南西――鉱山都市ザルドフェルン。
岩山を削った城壁を抜けた瞬間、鼻を刺す鉄と煤の匂い。
鉱石を積んだ荷馬車、石造りの建物、肉を焼く匂い、鍛冶場の槌音……活気が街を満たしていた。
リリスが胸を張る。
「これが帝国の力の源ですわ!」
けど、路地に入った途端、空気が変わった。
奴隷商人の怒鳴り声。鎖がきしむ音。獣人の少年が膝を抱え、エルフの女が無言で引かれていく。
「……許せねぇ」
ゼクスが吐き捨てるように言う。
「帝国じゃ珍しくもない光景です。見て見ぬふりが生きる知恵ですよ」
リリスは冷たく告げた。
「変えたいのなら……女帝アマーリエ様に挑んで制度を変えるしかありませんわ」
(王国は腐ってる。帝国も同じだ。
ただ――帝国の方がわかりやすい。
平等を作るなら……帝国の力を掴んで、ここからだ)
⸻
夜。帝国兵御用達の宿。
石造りの廊下は質素だが、部屋は広く風呂もある。
食卓に並んだのは肉ばかり。骨付き肉を塩で焼いただけの豪快な料理。
オレは夢中でかぶりついた。
「……うまい」
涙はもう、出なかった。
リリスが胸を張る。
「ふふん! これが帝国兵の食事ですわ! 肉を喰らい、力を養う。それが我らの誇り!」
ゼクスが冷静に突っ込む。
「……姉さん。ただ酪農が盛んで安上がりなだけです」
「だ、だまらっしゃい! 現実的なことは言わなくてよろしい!」
リリスは赤面してさらに肉にかぶりつき、骨を床に落とした。
「ぷっ……ははっ、帝国兵の誇りが転がったな」
オレは思わず笑った。
「ちょっと! 笑うんじゃありませんわ!」
リリスは真っ赤になって抗議し、ゼクスは黙って肉を切り分け続けていた。
――相変わらずのくだらないやり取り。
でも、一カ月も毎日一緒にいれば……同じ空間にいるのが当たり前みたいになっていた。
ーーー
翌朝、ザルドフェルンの宿の窓を開けると、鉄と煤の匂いに混じって――聞き慣れない高い鈴の音がした。
チリン、チリン。ガラガラッ。
何だ? 馬車でもない、鍛冶槌でもない。胸のむず痒さに負けて階下へ降り、表へ出る。
そこでオレは、目を丸くした。
二つの輪。細い金属の骨組み。鎖みたいな線が歯車に噛み合って、足で踏むたびに後ろの輪が回る。革の小さな鞍――いや、サドル? 前には握り棒、そして……また鳴る、澄んだ鈴の音。
「おい、なんだあれ……!」
石畳をすいっと滑っていくのは、背中に鉱石袋を括りつけた少年。その後ろから、パン屋の娘も器用に追い抜いていく。風を切る顔が、やけに楽しそうだ。
「“走輪車”です。俗に、自転車とも」横でゼクスが答える。いつもの落ち着いた声だが、目だけは少し楽しげだ。「法国からきた帝都の学者、マーク・ソーカの発明品。高価ですが、ここ一年で爆発的に流行しました」
リリスが顎を上げて、くいっと髪を払う。
「荷馬車の補助、鍛冶場の伝令、子どもの遊びまで大活躍。――もちろん、わたくしも乗れますわ!」
言うが早いか、露店の兄ちゃんから一台を借りて跨る。
「見てなさいな! まずは優雅に直進、そして華麗な――きゃ、きゃっ、きゃああっ!?」
裾がチェーンに絡まりかけて、危うく植木に突っ込むところをゼクスが背から抱えて止めた。
「姉さん。裾をまとめてくださいと、何度も」
「ち、違いますのよ今のは“風向き”が悪かっただけでしてよ!」
「風ではなく、技術の問題です」
……相変わらずの漫才だ。けど、オレの視線はもう一度、二つの輪に吸い寄せられていた。
(鎖とギアで回転を伝えて、前は操舵……空気を入れた輪で衝撃を逃がす。ベルで存在を知らせる……)
ありえる。理屈は、全部“ありえる”。だが、それをこの世界で最初に形にするのは――普通じゃない。
ふと、貸し出し台の横に小さな真鍮の札が掛かっているのに気づいた。
《SOKA式 二輪踏走機 改二》――刻印が光る。
「マーク・ソーカってどんな奴だ?」オレはつい口にしていた。
ゼクスは淡々と肩をすくめる。
「帝都の学士院付き。年は若いのに、道具と“仕組み”で世の中を動かす天才です。火を安全に運ぶ箱、夜でも読める灯り、計算が速くなる盤……他にも山ほど。名前を知らぬ者は、いまや帝都には少ない」
リリスが得意げに胸を張る。
「おほほ。私、マークとは顔見知りですのよ。帝国の文明は日進月歩、ですの!」
文明、ね。オレは二輪の足元をもう一度見た。最初の一踏みを助ける小さな歯車。錆びないよう油が差され、泥避けまで付いている。誰かが“使うこと”を最初から考えた形。
(……この発想、もしかして……)
胸の奥がぞわりとした。
オレとジークも――転生した直後は、現代知識を武器に発明を連発して、無双してやる未来を夢描いた。
けど、現実は違った。
道具も資材も環境も揃わず、頭の中の知識を形にすることすら叶わなかった。
この世界に“偶然”落ちてくるものじゃない。
これは、誰かの“知っている”形だ。
オレはゆっくり息を吐き、真鍮札の名前をもう一度、心の中でなぞった。
マーク・ソーカ
――転生者か?




