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三十三、救出作戦

「……ダリウス=グレイヴが動いたか」


セリオスの声は低く、やけに遠く響いた。

王国軍務のトップ、栄皇騎士団の団長が自ら動く――それが何を意味するか。オレにも分かる。

簡単に言えば、“最悪”だ。


「父上は無事か? ……とにかく情報を集める。警戒されているはずだ。皆、目立つなよ」


短い指示のあと、セリオスは仲間を的確に散らしていった。

情報係、連絡係、物資。指示は淀みなく飛ぶ。

最後に、オレとガイだけを振り返り、眉を寄せた。


「カミナ、ガイ……すまない。今日はミルテに戻らず、宿で待機してくれ」


待機――胸に刺さる言葉だった。

分かってる。今むやみに動けば足を引っ張るだけ。

頭では分かってるけど、拳が勝手に握られていた。




宿の部屋は、妙に静かだった。外からは人の気配がするのに、ここだけ空気が固まっている。

卓上のランプが揺れて、影が壁を長く伸ばしていた。


「くそっ……ジルヴァン様……」


父さん――ガイが噛み殺した声で呟く。

普段は明るく場を盛り上げるのに、今は歯ぎしりしか聞こえない。オレも同じだ。

剣を磨いても鎧を直しても落ち着かない。玉鋼の刃は十分光ってるのに、無駄に布を当て続けた。


扉を二度、控えめに叩く音。

入ってきたセリオスの顔は、蒼白というより“色が抜けていた”。


「……父上が捕まった」


その一言で、息が詰まった。


「留守の間に、ダリウスが直々にアジトを急襲した。居合わせた父上と仲間たちは、なすすべなく……」


セリオスの声が震えるのを初めて聞いた。あの冷静なやつが、だ。


「父上は――今日、俺たちが討った北の伯爵、エティエンヌ・カーヴェルの相談役。貴族にして元・盾皇騎士団……“見せしめ”には十分だ。もう王都で公開処刑の噂が流れている」


「……ッ!」


気づけば立ち上がっていた。椅子が床を引きずって音を立てる。


「救い出すしかねぇだろ!」


「当たり前だ!」


父さんが机を叩き、吠えた。軽口じゃない。腹の底から出た声だった。

セリオスは目を強く閉じて、深く頷いた。


「やってくれるか……父上を失ったら、“暁の牙”は折れる」




夜明け前。空が灰色に溶け、街の影が眠りと目覚めの狭間に沈む頃。

幹部だけの会議が始まった。油の匂い、鉄の匂い。卓上の地図にランタンの火が揺れ、街道と川が血管のように浮かび上がる。


セリオスが低く、しかし明瞭に言った。


「情報屋の話だ。ダリウス本隊はしばらく北部に駐留する。王国北を治めるラザール=ド=クロイツ侯の領地に滞在し、帝国への備えを整えるらしい」


どよめき。安堵……まではいかないが、空気が少し軽くなる。

王国最強の軍神がいない。それだけで希望が見える。


「父上は明日、王都へ護送される。ダリウス不在の今こそ、望みがある」


セリオスは地図の一点を指で叩いた。

「処刑は王都だ。だが、この途中……“滝の長橋”を通る。峡谷にかかった一本橋。逃げ場はなく、一本道。護送は必ずここを通る。ならば奇襲できる」


その地形が頭に浮かんだ。霧が巻き、音がかき消される。馬の足はすくむ。確かに――奇襲にも殲滅にも向く場所だ。


ガイが鼻を鳴らし、腕を組む。

「……上手ぇ話だ。できすぎてて、耳がむず痒ぇ」


セリオスは一瞬逡巡して、だが頷いた。

「きな臭いのは分かる。だが、座して見過ごす選択はない」


ガイは拳を握り直し、声を絞り出した。

「乗るしかねぇ。ジルヴァン様はオレたちの芯だ」


オレは胸の奥で炎が燃えるのを感じた。怖い。けど、それ以上に――助けたい。

暁の牙の成果がジークの手柄にされたとき、ジルヴァンは笑って言った。

「いずれ真実は語られる時がくるじゃろう」と。


……あの時のことを思い出した。

真実を語るのは、ジルヴァンであってほしい――心からそう願った。


「やる。オレが先頭を切る。橋の頭を叩いて、道を開ける」


「頼む」


セリオスが短く返す。その目は、もういつものリーダーの目だった。冷静で、熱を宿す目。




段取りは速かった。先行班を潜ませ、崖上に弓兵。鏡よけの布で光を殺し、風下に煙幕。撤退路は川沿い。搬送は二列交互。

オレは頷きながら仲間の顔を思い浮かべた。足の速いやつ。器用なやつ。怖がりだけど本番に強いやつ。


「皆の命が最優先。無理だと分かれば、すぐ撤退する」


セリオスの声で締まった。誰も声に出さない。ただ全員が頷いた。


最後にセリオスが笑った。肩の力を抜くための短い笑い。

「いいか、父上に怒られる覚悟はしておけ。“勝手な無茶をするな”ってな」


「言われてみてぇな!」


父さんが笑い返し、場に笑いが広がった。笑って、怖さを誤魔化す。人間は弱いけど、弱いなりに進む。




準備に戻る道すがら、オレは手を開いた。昨日の戦いで切られた腕は、跡形もなく繋がっている。

煉獄闘気が骨を編み、肉を繋ぎ、刃を握らせた。赤黒い光が脈打ち、体の奥から「やれる」と告げる。


空を見上げる。曇天。滝の橋では雨みたいに霧が降るだろう。滑る板、冷たい風。最悪の舞台だ。だからこそ、オレたちの出番だ。


「カミナ」


振り返るとセリオスがいた。目の下に影。眠れなかったんだろう。


「……ありがとうな」


「礼は、助けてから聞く」


思わず笑った。かっこつけすぎたかもしれない。でも、いい。


「生きて帰るぞ」


「当たり前だ。怒鳴る相手がいなくなると困るからな」


セリオスの口元が緩み、すぐに真顔に戻る。その背中を見送って、オレも歩き出す。

剣帯を締め直す。玉鋼の重みが馴染む。刃に映った自分の目は、少し鋭くなっていた。怖いけど、前を向く顔だ。


(待ってろ、ジルヴァンのジジイ。必ず助け出す)



夕刻、出発前の点呼。名を呼べば声が返る。緊張で上ずった声も混じるが、全員が前を向いていた。

父さんがオレの背を叩く。

「やるぞ、カミナ」

「ああ。ぶっ壊す」


足音が揃う。それだけで十分だった。






滝の向こうーー



 峡谷を渡る長橋。その先、深い霧に覆われた林の中。

 静かに息を潜める百名あまりの部隊があった。鎧に刻まれた紋章は――栄皇騎士団。


 兵たちは声ひとつ立てない。馬の鼻息すら押し殺され、ただ鋭い視線だけが霧の向こうを射抜いている。

 その先に、狙うべき“獲物”がやってくると知っているからだ。


 隊列の中央、椅子に腰掛ける男の白手袋が、霧の光を反射した。

 副団長――リュシアン=ド=モルティエ。冷たい碧眼に笑みを宿し、指先で羊皮紙を弄んでいる。


 「……小鼠どもは、必ずここにくる」


 誰にともなく呟く声は、霧に吸い込まれる。

 やがて彼は懐から聖印を取り出し、淡い光をなぞった。神聖に見える所作だが、その口元には嘲るような色しかない。


 「平民には希望などいらん――泥をすすって、貴族のために働き、最後は使い潰される。それが似合いだ。

勇者の片割れとやらも、義賊を気取った連中も……ここで幕を下ろす」


 彼の背後で兵たちが無言で頷いた。剣には紅蓮や蒼氷の魔法が纏わりつき、盾には翠嵐の風が走る。準備は万端。

 あとは“標的”がジルヴァンの護送隊に食いつくのを待つだけ。


 滝の轟音が、耳鳴りのように響いていた。

 霧の奥で待つのは、希望の救出か――それとも絶望の罠か。


滝の橋に霧が満ちる。流れは速く、底は深い。

椅子に座った白手袋の男が、聖光の印をなぞり、冷たく笑んでいた。


「さあ、来い。家畜ども……これが本当の袋の鼠という訳だ」

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