三十三、救出作戦
「……ダリウス=グレイヴが動いたか」
セリオスの声は低く、やけに遠く響いた。
王国軍務のトップ、栄皇騎士団の団長が自ら動く――それが何を意味するか。オレにも分かる。
簡単に言えば、“最悪”だ。
「父上は無事か? ……とにかく情報を集める。警戒されているはずだ。皆、目立つなよ」
短い指示のあと、セリオスは仲間を的確に散らしていった。
情報係、連絡係、物資。指示は淀みなく飛ぶ。
最後に、オレとガイだけを振り返り、眉を寄せた。
「カミナ、ガイ……すまない。今日はミルテに戻らず、宿で待機してくれ」
待機――胸に刺さる言葉だった。
分かってる。今むやみに動けば足を引っ張るだけ。
頭では分かってるけど、拳が勝手に握られていた。
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◇
宿の部屋は、妙に静かだった。外からは人の気配がするのに、ここだけ空気が固まっている。
卓上のランプが揺れて、影が壁を長く伸ばしていた。
「くそっ……ジルヴァン様……」
父さん――ガイが噛み殺した声で呟く。
普段は明るく場を盛り上げるのに、今は歯ぎしりしか聞こえない。オレも同じだ。
剣を磨いても鎧を直しても落ち着かない。玉鋼の刃は十分光ってるのに、無駄に布を当て続けた。
扉を二度、控えめに叩く音。
入ってきたセリオスの顔は、蒼白というより“色が抜けていた”。
「……父上が捕まった」
その一言で、息が詰まった。
「留守の間に、ダリウスが直々にアジトを急襲した。居合わせた父上と仲間たちは、なすすべなく……」
セリオスの声が震えるのを初めて聞いた。あの冷静なやつが、だ。
「父上は――今日、俺たちが討った北の伯爵、エティエンヌ・カーヴェルの相談役。貴族にして元・盾皇騎士団……“見せしめ”には十分だ。もう王都で公開処刑の噂が流れている」
「……ッ!」
気づけば立ち上がっていた。椅子が床を引きずって音を立てる。
「救い出すしかねぇだろ!」
「当たり前だ!」
父さんが机を叩き、吠えた。軽口じゃない。腹の底から出た声だった。
セリオスは目を強く閉じて、深く頷いた。
「やってくれるか……父上を失ったら、“暁の牙”は折れる」
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◇
夜明け前。空が灰色に溶け、街の影が眠りと目覚めの狭間に沈む頃。
幹部だけの会議が始まった。油の匂い、鉄の匂い。卓上の地図にランタンの火が揺れ、街道と川が血管のように浮かび上がる。
セリオスが低く、しかし明瞭に言った。
「情報屋の話だ。ダリウス本隊はしばらく北部に駐留する。王国北を治めるラザール=ド=クロイツ侯の領地に滞在し、帝国への備えを整えるらしい」
どよめき。安堵……まではいかないが、空気が少し軽くなる。
王国最強の軍神がいない。それだけで希望が見える。
「父上は明日、王都へ護送される。ダリウス不在の今こそ、望みがある」
セリオスは地図の一点を指で叩いた。
「処刑は王都だ。だが、この途中……“滝の長橋”を通る。峡谷にかかった一本橋。逃げ場はなく、一本道。護送は必ずここを通る。ならば奇襲できる」
その地形が頭に浮かんだ。霧が巻き、音がかき消される。馬の足はすくむ。確かに――奇襲にも殲滅にも向く場所だ。
ガイが鼻を鳴らし、腕を組む。
「……上手ぇ話だ。できすぎてて、耳がむず痒ぇ」
セリオスは一瞬逡巡して、だが頷いた。
「きな臭いのは分かる。だが、座して見過ごす選択はない」
ガイは拳を握り直し、声を絞り出した。
「乗るしかねぇ。ジルヴァン様はオレたちの芯だ」
オレは胸の奥で炎が燃えるのを感じた。怖い。けど、それ以上に――助けたい。
暁の牙の成果がジークの手柄にされたとき、ジルヴァンは笑って言った。
「いずれ真実は語られる時がくるじゃろう」と。
……あの時のことを思い出した。
真実を語るのは、ジルヴァンであってほしい――心からそう願った。
「やる。オレが先頭を切る。橋の頭を叩いて、道を開ける」
「頼む」
セリオスが短く返す。その目は、もういつものリーダーの目だった。冷静で、熱を宿す目。
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◇
段取りは速かった。先行班を潜ませ、崖上に弓兵。鏡よけの布で光を殺し、風下に煙幕。撤退路は川沿い。搬送は二列交互。
オレは頷きながら仲間の顔を思い浮かべた。足の速いやつ。器用なやつ。怖がりだけど本番に強いやつ。
「皆の命が最優先。無理だと分かれば、すぐ撤退する」
セリオスの声で締まった。誰も声に出さない。ただ全員が頷いた。
最後にセリオスが笑った。肩の力を抜くための短い笑い。
「いいか、父上に怒られる覚悟はしておけ。“勝手な無茶をするな”ってな」
「言われてみてぇな!」
父さんが笑い返し、場に笑いが広がった。笑って、怖さを誤魔化す。人間は弱いけど、弱いなりに進む。
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◇
準備に戻る道すがら、オレは手を開いた。昨日の戦いで切られた腕は、跡形もなく繋がっている。
煉獄闘気が骨を編み、肉を繋ぎ、刃を握らせた。赤黒い光が脈打ち、体の奥から「やれる」と告げる。
空を見上げる。曇天。滝の橋では雨みたいに霧が降るだろう。滑る板、冷たい風。最悪の舞台だ。だからこそ、オレたちの出番だ。
「カミナ」
振り返るとセリオスがいた。目の下に影。眠れなかったんだろう。
「……ありがとうな」
「礼は、助けてから聞く」
思わず笑った。かっこつけすぎたかもしれない。でも、いい。
「生きて帰るぞ」
「当たり前だ。怒鳴る相手がいなくなると困るからな」
セリオスの口元が緩み、すぐに真顔に戻る。その背中を見送って、オレも歩き出す。
剣帯を締め直す。玉鋼の重みが馴染む。刃に映った自分の目は、少し鋭くなっていた。怖いけど、前を向く顔だ。
(待ってろ、ジルヴァンのジジイ。必ず助け出す)
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夕刻、出発前の点呼。名を呼べば声が返る。緊張で上ずった声も混じるが、全員が前を向いていた。
父さんがオレの背を叩く。
「やるぞ、カミナ」
「ああ。ぶっ壊す」
足音が揃う。それだけで十分だった。
滝の向こうーー
峡谷を渡る長橋。その先、深い霧に覆われた林の中。
静かに息を潜める百名あまりの部隊があった。鎧に刻まれた紋章は――栄皇騎士団。
兵たちは声ひとつ立てない。馬の鼻息すら押し殺され、ただ鋭い視線だけが霧の向こうを射抜いている。
その先に、狙うべき“獲物”がやってくると知っているからだ。
隊列の中央、椅子に腰掛ける男の白手袋が、霧の光を反射した。
副団長――リュシアン=ド=モルティエ。冷たい碧眼に笑みを宿し、指先で羊皮紙を弄んでいる。
「……小鼠どもは、必ずここにくる」
誰にともなく呟く声は、霧に吸い込まれる。
やがて彼は懐から聖印を取り出し、淡い光をなぞった。神聖に見える所作だが、その口元には嘲るような色しかない。
「平民には希望などいらん――泥をすすって、貴族のために働き、最後は使い潰される。それが似合いだ。
勇者の片割れとやらも、義賊を気取った連中も……ここで幕を下ろす」
彼の背後で兵たちが無言で頷いた。剣には紅蓮や蒼氷の魔法が纏わりつき、盾には翠嵐の風が走る。準備は万端。
あとは“標的”がジルヴァンの護送隊に食いつくのを待つだけ。
滝の轟音が、耳鳴りのように響いていた。
霧の奥で待つのは、希望の救出か――それとも絶望の罠か。
滝の橋に霧が満ちる。流れは速く、底は深い。
椅子に座った白手袋の男が、聖光の印をなぞり、冷たく笑んでいた。
「さあ、来い。家畜ども……これが本当の袋の鼠という訳だ」




