二十八、聖騎士との死闘
広場から中を覗くと、未完成の教会の骨組みの奥――祭壇の前に三段の足場が組まれていた。
一番下には白装束の男たちが並び、低い声で唸るように歌っている。
その上の段には女たちが声を重ね、空気を震わせていた。
最上段の中央には、黒衣をまとったディディエ。蛇みたいな目で俺たちを睨み、口の端だけが笑っている。
頭上の梁から吊るされた鐘が「カーン」と鳴るたび、祈りと歌声が絡み合って――西聖騎士団の身体から放たれる魔力が膨れ上がっていくのが目に見えてわかる。
(民を触媒にした信仰バフ……嫌なやり口だな)
背でエリシアの声が鋭く跳ねた。
「――バルド! 鐘の共鳴を崩します! ローレン、非殺で群衆を!」
「了解!」
(対策が早ぇ……さすがエリシア)
俺はエリシアをみて頷くと、三人は迷いなく動き出した。
バルドがメイスと大楯を構えて前に躍り出る。ローレンは氷の詠唱に入り、エリシアは風をまとって軽やかに駆け、三人は颯爽と裏手へと回り込んでいった。
ディディエが唇を吊り上げる。
「さあ、準備は整いました! 西聖騎士団の皆さん、異端者たちに天罰を!」
次の瞬間、強化を受けた八人の聖騎士が一斉詠唱。
火・氷・風・土――四属性を重ねた術式が前面を塗り潰す。
(正面で受けたら終わりだ)
「下がるぞ!俺たちは広場で迎え打つ!」
広場に出て西聖騎士団たちを待ち構える。
聖騎士たちが骨組みの教会から飛び出し、石畳を踏んだ瞬間。
空気がぐわりと震えた。
詠唱の残響が絡み合い、四つの属性が混ざり合って一つの渦を成す。
火は灼熱へと燃え広がり、氷は白蛇のように絡みつき、風がそれを巻き上げ、土が礎を打ち鳴らす。
――四つ巴の魔力が“螺旋”になって収束していく。
(やば……っ!これ、ただの合唱魔法じゃねぇ!)
赤・白・碧・褐。四色の帯が絡み合い、巨大な槍みたいに尖ってこちらへ伸びてきた。
迎え撃とうと雷鳴を刃に込めようとした刹那――
横から張り裂けるような声が響いた。
「鏡よ、岩鉄に座して万象を等しく映せ――返して砕け、《金剛鏡》!」
ドガァン!
地面を突き破って、三メートル級の巨大な鏡盾がせり上がる。
一瞬で広場の空気が変わった。
突っ込んできた多重魔法――火と氷と風と土が絡み合った渦――が、その鏡面にぶつかり、光と音を爆ぜ散らす。
次の瞬間、角度を変えた反射光が稲妻みたいに跳ね返り、撃った本人の肩口へそのまま突き刺さった。
聖騎士のひとりが、呻き声もなく沈む。
(な、なんだ今の……!)
眩しさと衝撃に目を細めながらも、脳裏に言葉が浮かぶ。
――これが、二つ名《金剛鏡》。
ただの防御じゃない、相手の全力を逆流させる必殺の盾。
鏡に反射された魔力の残滓がまだ宙を漂っている。その光の中で、聖騎士のリーダー格が吠えた。
「まずは《金剛鏡》のカタリナを討て!」
号令一閃。前三人が矢のように飛び出し、後方の四人は詠唱を重ねながら魔力を束ねる。
分断攻撃――前衛の圧と後衛の追撃。次は防ぎ切れない。
(やばい、次は正面突破しかねぇ!)
「天よ轟け、我が刃にて万雷を束ねよ――《雷帝轟閃刃》!」
雷鳴が走り、横一文字の閃光が床を裂いた。
正面の一人が鎧ごと痺れて崩れ落ちる。
けれど、残り二人は間合いを外しながらカタリナを狙う。
槍と剣が同時に叩きつけられ、鈍い衝撃が広場を揺らす。
盾がきしみ、足元の石畳がぱきぱきと亀裂を走らせた。
――それでも、カタリナは踏ん張った。
最小角度で衝撃を流し、崩れず、退かず、ただ真っ直ぐに前を守り切る。
(……上手い。伊達に《金剛鏡》じゃねぇ)
「グラトス! 分断、炎壁!」
「承知――《炎壁》!!」
紅蓮の壁が立ち上がり、後衛の視線と詠唱を裂く。
一瞬だけ、圧が途切れた。
その隙を逃さず、二人を相手取っていたカタリナの隣にマルセルが飛び込む。
「……失礼。大地よ沈め――《土崩》!」
足場がぐらりと沈み、敵の踏み込みが“指一本”遅れる。
その刹那、カタリナの刃がすぱっと芯を断ち切った。
鎧ごと崩れ落ちる騎士。
「やるじゃねぇか!」
思わず声をかけた瞬間だった。
後衛の火槍が炎壁を抉り、灼熱の矢がマルセルを直撃。
「ぐあっ!」
爆ぜる火花と共に、マルセルは横へ弾き飛ばされた。
後衛四人の詠唱が重なり、火槍・氷弾・風刃・土槌――四色の奔流が炎壁に殺到した。
轟音と熱風で、広場全体が震える。
グラトスは顔面に汗を浮かべ、必死に両腕を掲げる。
「――燃えよ、護れ、揺らぐな! 《炎壁》ぇぇっ!」
紅蓮の壁がさらに厚みを増す。だが、四属性の圧に押され、火の帳がじりじりと削られていく。
(もう持たねぇ……! このままじゃグラトスごと呑まれる!)
俺は踏み込み、雷鳴を剣に収束させた。
「天を裂き、雷霆を我が刃に。万象を貫き、悪しき魂を灰燼と帰せ――《雷帝聖裁》!」
雷鳴が落ち、稲妻が炎壁の中心を貫く。
グラトスの炎と絡み合い、巨大な轟閃となって四重の術式を食い破った。
「――っぐ!」
余波の衝撃で胸が押し潰される。肺が焼けるみたいに痛い。
(くそっ……やっぱり強化された四人分の重ね掛けはえぐい!)
――最初の十分は、ただの地獄の準備運動だった。
カタリナは《金剛鏡》を掲げ、魔法を受け流し、角度を変えて弾き返す。受けるたびに鏡面がきしみ、ひびが走りそうになるが、彼女は眉一つ動かさず立ち続けていた。
グラトスは《炎弾》をばらまき、《炎壁》を継ぎ足して前線をつなぐ。火力はあるが動きが鈍い。だから押し返すというより、必死に線を保つので精一杯だ。肩で息をし、顔から汗が滴っている。
マルセルは酔ってるくせに意外と動ける。《土崩》で相手の足を崩し、槍で隙を突く。だが動きの端々にふらつきが残っている。
(……やっぱりコイツ、酒さえ抜けりゃ相当やれるな)
俺は雷鳴を刃に乗せて前を削り、空いた瞬間に《癒光》を流して仲間をつなぐ。だが敵も同じだ。蒼氷の光で倒れた奴がすぐに立ち上がる。
斬っては起き、撃っては癒し――削り合い……消耗戦に。
口の奥が焼けつくみたいに乾き、息を吸うたびに胸が痛む。
「鐘はまだか? エリシアたちは……」
隙間の合間に、骨組みの教会の中へと目を走らせる。
視界の端、白装束の信徒たちは氷の檻に閉じ込められ、端へ追いやられていた。
三段の台座の上――その一部がまるで刃物で切り抜かれたみたいに、削ぎ落とされている。
だが鐘はまだ残っていた。ディディエの影がそこへ伸び、黒い鎖となって梁と鐘を“接着”している。
エリシアの風が一閃し、バルドのメイスが轟音を立て、ローレンの氷がきらめいては鎖を削ぎ落とす。
だが同時に、影の鎖は三人をも締め上げようと襲いかかっていた。
風刃と氷壁でかろうじて押し留めてはいるが……見ているだけで息が詰まる。
(あっちもギリギリか……。援護は期待できねぇ。――こっちで決めるしかない!)
◆
半刻が過ぎた。白装束の合唱は汗と涙で声が掠れている。
それでもディディエは影を鐘に這わせ、無理やり音を響かせて術式を底上げし続けていた。
(しぶてぇ……あれを止めない限り、こっちの削りが追いつかねぇ)
俺たちの消耗も隠せなくなってきた。
グラトスは膝をついて炎壁を維持するのがやっと、マルセルも腰の瓶を口に含むと咽せて血混じりの唾を吐いて後退していった。
たまに口つけてる瓶ワインじゃねえだろうな……
残って動けるのは、もう俺とカタリナだけ。
「ジーク、後ろは私が持つ。前を頼む」
カタリナの唇は切れ、血が顎を伝っている。それでも目の光は一歩も揺らがない。
「……任せろ」
腕が鉛みたいに重い。それでも剣を振り抜いた。
「――《雷帝轟閃刃》!」
雷光が横一線に奔り、一人を鎧ごと痺れ落とす。
だが、息をつく暇もない。倒したはずの奴らは、蒼氷の回復に光を浴びてすぐ立ち上がる。
(マジかよ……減らねぇ……!)
横合いから突き。反射的に身を捩った瞬間、背後で硬い衝撃音。
カタリナの《大地盾》が受け止めていた。
「大地よ裂け、我が盾と共に敵を刻め――《剛岩連牙斬》!」
路面を噛み上げる岩の牙が敵の体勢を崩す。
俺はその隙を逃さず、切っ先だけを最短距離で突き込んだ。
「天雷よ穿て――《雷帝穿閃》!」
雷槍が貫き、神経が焼け、敵が膝から崩れる。二人目、沈黙。
(あと五……!)
指先は痺れ、肺は焼けるみたいに熱い。
呼吸を一つ置くだけで贅沢に思える。
それでも剣を離すわけにはいかない。
◆
「ガシャーン!」
鐘が割れた。合唱団の祈りをしていた群衆もぐしゃりと崩れ、聖騎士たちの魔力が目に見えて鈍る。
エリシアの翠嵐が最後の線を断ち切ったようだ。ローレンが雄叫びをあげている。
直後、影の鎖が三人にのしかかる。風刃と氷壁で無理やり押し止める――バルドの膝が笑っているのが遠目にもわかる。
(今しかねぇ! ここが正念場だ!)
「祈りは解けた! 押し切るぞ!」
俺は雷を纏い直し、カタリナと肩を並べた。
二人の足取りはもう重い。けど、今度は敵も息が荒い。盾と雷刃が並び、火花を散らしながら押し返す。
鏡面が閃く。真正面の突きが角度で流され――そこを俺が突く。
「――《雷帝穿閃》!」
雷槍が胸板を貫き、三人まとめて吹き飛ばす。
(よし、残り二……!)
一人は怯み、足が止まる。もう一人はなお剣を構え、突っ込んでくる。
「鏡よ、岩鉄に座して万象を等しく映せ――《金剛鏡》!」
カタリナの盾が閃き、渾身の突きを反射。顎が跳ね、武器が宙を舞う。
最後に残ったのは蒼氷の術者。仲間を必死に回復しようと、後退しながら詠唱に入る。
(させるかよ……!)
俺は雷を手に収束させ、一気に踏み込んだ。
「雷よ綯い合わせ、敵を縛せよ――《雷縄・天縛》!」
稲光の縄が獲物を絡め取り、痙攣の中で詠唱が途切れる。
術者は呻き声を残し、膝から崩れ落ちた。
……静寂。
石畳に倒れた八人を見下ろし、肺の底から大きく息が漏れる。
(長ぇ……ほんと、長ぇ戦いだった……!)
◆
顔を上げる。教会の方も決着間際だ。
ディディエの足元に氷の杭が交差し、バルドのメイスが掌を砕いて詠唱を止める。
エリシアは肩で息をしながら、ディディエから出る影の縫い目へ風刃を差し込み続け――最後、ローレンの氷の杭で両腕を縫い付け、三人で組み伏せた。
ローレンがバルドに肩を貸しつつ、こちらへ手を振る。
(……よく耐えた。よく勝った)
◆
「仕上げだ」
壇上に上がり、ディディエの胸に掌を当てる。まずは縫い止め――
「聖なる鎖よ、影を縛れ――《逐影》」
鎖光が皮膚の下で絡みつき、憑依の“取っ手”を掴む。続けざまに剥ぎ取る。
「光よ、闇を裂きて祓え――《光祓》」
淡い光が広がり、影の膜がべりべりと剥がれる。
口から黒い人影が吐き出され、空中でぐにゃりと固まり、歪んだ顔が俺とカタリナを見て嗤った。
『……勇者の再臨、ここまで力を取り戻しているとは。……無念……』
次の瞬間、風に千切れて消える。
ディディエの肩ががくりと落ち、濁っていた目にゆっくりと焦点が戻り、深い眠りへ落ちていった。
背後では西聖騎士団が呻きながら意識を取り戻す。虚ろな目は消え、残ったのは痛みと混乱だけ。
イザベルの兵が現場を固め、白装束の信徒たちは毛布にくるまれていく。
気づけば陽は傾き、砂時計は二度は裏返っていた――一刻どころか、それ以上の死闘だった。
ふらつきながらもこちらに歩いてきたエリシアが、唇の端をぐいと持ち上げる。
「……長い一日でしたね。これでフェリシアは、当面は安泰です」
「エリシアが最初に動かなきゃ、無理だった」
そう言うと、彼女は一瞬だけ目を伏せ、すぐに小さく笑った。
「ジーク様が鐘を最初に狙うのが正解でしたね。ですが、結果は果たせました。……勇者の参謀として、ぎりぎり合格ですかね……」
その顔は疲労で蒼白なのに、笑みだけは晴れやかで――今まで見たことのないくらい柔らかかった。
思わず胸の奥が熱くなる。
(……これが、こいつのデレってやつか)
グラトスは息を整え、胸を張る。
「某、さすがに腹も限界です……勝利の夕飯は格別でしょうな!」
(デブなんだから食べ過ぎんなよ……)
三騎士は、ぐったりと骨組みの教会にもたれかかっていた。
マルセルは顔中血だらけのまま、ワインの瓶をゴクリ。
ローレンは氷魔法で冷やした葡萄を一粒、ぱくり。
バルドは腕を組んで眉を吊り上げる。
「……お前ら、今どこからそれ出した?」
沈黙。
「戦闘中、絶対飲んでただろ!」
「し、信じるかどうかは任せるが……これは“戦術的ワイン”だ」
「葡萄はいいだろ……俺の氷魔法は保存用。つまり“戦略物資”」
「俺のは……景品だ。酒場で」
「死闘の最中に景品持ち込むな!」
バルドがメイスを振り上げると、二人がビクリと肩をすくめた。
そこへグラトスがずいと割り込み、胸を張る。
「はっはっは! 良いではないか! 戦場で酒と葡萄! 浪漫でありますぞ! むしろ某も欲しい! この腹の虫はもう臨戦態勢でありますぞ!」
「臨戦態勢って飯の話ですか!」
バルドがメイスを落とし、手をひらひらさせる。
「……俺にも分けろ」
一瞬の沈黙の後――
「「「「はっはっはっ!」」」」
三騎士とグラトスは、死闘の直後とは思えないくらい、腹を抱えて笑っていた。
ただの酔っぱらい仲間みたいに。
◆
カタリナは《大地盾》を解き、俺と目が合うと短く頷いた。
「……あの八人、強化込みであり得ない程、厄介だった。伊達に勇者を名乗るだけあるわね。……あなたがいたから勝てた」
「いや、みんなでやったから勝てたんだ」
言いながら、俺は空を仰いだ。
戦いの熱気がまだ皮膚に残っているのに、雲の隙間から差す光はやけに涼しく見えた。
胸のざわめきも、不思議と少しずつ静まっていく。
(……よかった。今回も、守れた)




