二十七、母君の決断と魔族の司祭
フェリシアの城門をくぐると、鼻に広がるのは麦と土の匂いだった。
街の内側まで畑が食い込み、用水路はきっちり手入れされ、白壁の小礼拝堂がぽつぽつ。法国が近い証拠だ。祈りの鐘は響いているのに、笑い声はどこか薄い。
「……ここが王国の胃袋、か」
口に出したつもりはないが、隣のグラトスがやたら元気に応じる。
「某の胃袋も鳴っておりますぞ!」
鎧の鳩尾あたりから“グゥゥゥ”と見事な音。
(……おい、王族が街の第一印象を腹の虫で飾るな)
後方で控える三騎士は、イザベルの館の前に停めた馬車の前で留守番。「見張り兼待機」という名目だが、聞こえてくる声はどう考えても漫才だ。
ローレン「……今、我らが急に駆け出したら“敵襲!”って叫ばれますかね?」
マルセル「叫ばれる前に私が転びますな……ぐびっ」
バルド「やめろ。冗談でも処刑されるぞ」
(はい、安定のサブギャグ。……頼むから捕まるなよ)
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イザベル=ド=フェリシア侯の館は、“領主の城”というより“でかい納屋”の延長だった。磨かれた床、収穫祭の飾り、壁には麦束。噂どおり、領民に“母君”と慕われるのも納得だ。
広間に案内されると、彼女は立って待っていた。袖をまくった腕に土の色。領主であり、畑の人でもある。
「……勇者ジーク様ですね。遠路ようこそ」
疲れは隠せないのに、笑おうとしてくれる。そういう笑顔は、妙に胸に来る。
「こちらが王子グラトス殿下、政務官エリシア、そして――」
「カタリナ。南聖騎士団の、生き残りよ」
イザベルの目が一瞬だけ強張り、すぐに深く会釈した。
「……私の街は今、あなた方の助けを必要としています」
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語られた事情は最悪だった。
法国からの直命。拒めば異教徒認定で街ごと粛清。
豊作祈願の習慣を利用して、司祭ディディエが「大教会建設こそ神意」と信徒を動員。人手は工事に吸われ、畑は痩せ、粥は薄くなる。
(信仰で縄を撚り、腹で締める……最悪のやり口だ)
イザベルは苦笑し、視線を伏せる。
「“母君”などと呼ばれていますが、私は母として何ひとつ守れていません。止めれば異端、許せば畑が死ぬ。……判断が怖いのです」
その時、エリシアが俺の袖を小突き、小声で囁く。
「……今が説得のチャンスかと」
(ほんと、タイミング職人だな)
俺は半歩、前に出た。
「イザベル侯。信仰は、人を立ち上がらせる力だ。俺も、祈りに救われたことがある。けど――」
まっすぐに言い切る。
「信仰で腹は満たせない。飯を失えば祈りは消える。畑が倒れれば、この街だけじゃなく王国全体が飢える。……神がそんな未来を望むって、本気で言えるか?」
握りしめたハンカチが皺だらけになっていく。
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グラトスがすかさず胸を張った。
「勇者殿のお言葉、まこと至極! フェリシアは王国の穀倉! ここが痩せれば暴動、税は枯渇、国は瓦解! 某、腹はもうくくっておりますぞ!」
(さっきまで腹が鳴ってたけどな)
エリシアは王国に提出された建設資料を広げ、冷静に数字で畳みかける。
「工区に割かれる人手は約三千。収穫期に戻さねば、来季の種籾すら失われます。教会は拠り所。だからこそ“守るために止める”のが最善です」
カタリナは最後に刃を置いた。
「法国は魔族に呑まれかけてる。信仰につけ込まれ、派閥は違うけど、南聖騎士団ですら“異端”で斬られた。……信仰は大事。でも餌にはさせない。畑が死ねば、祈りの言葉も腐る」
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広間に、カタリナの悲しい声だけが残った。
イザベルは唇を噛み、肩を震わせ――涙をこぼす。
「……ごめんなさい。結論を出せない領主でした。正しい言葉も間違いの言葉も刃のように突き刺さる日々。……でも今、あなた方の言葉は刃じゃなくて、差し伸べる手でした」
涙で濡れた顔を上げ、真っ直ぐに俺を見た。
「勇者様。領主の名の元、工事を止め、民を畑に戻して。……私が“母君”でいられるのは、民が笑っている時だけです」
「任せろ。工事は止める。人を畑に戻す。……瘴気の根がここにあるなら、そこまで切り開く」
俺の言葉に、イザベルは胸に手を当て、深く礼をした。
「……どうか、子どもたちの食卓を守って。女神の加護があらん事を……」
「祈りは預かった。結果で返す」
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館を出ると、工事現場の方角からざわめきが広がってきた。集会でもしてるのか?――向こうも俺たちに気づいて動いていそうだ。
「行こう」
街路の先には、まだ完成していない巨大な教会の骨組みが空へ突き出していた。
梁と支柱だけで組まれた内部には、祭壇の前に三段の足場が築かれており、白装束の群衆が虚ろな目をして立っている。
壇上には黒衣の司祭ディディエ。
聖光魔法で視界を澄ますと、魔族が憑いた時の独特な瘴気が身体の輪郭にまとわりついているのが見えた。
蛇みたいな目でこちらを射抜き、手を掲げると、ヤジの大合唱が巻き起こる。
「偽りの勇者は帰れ!」
「異端者ども、神の前から去れ!」
ディディエの口元が歪む。
「やはり、異端者“金剛鏡のカタリナ”もいましたねえ。――神殿騎士団の皆さん!」
白い影が八つ、音もなく前に出た。紋章は西聖騎士団。足取りは熟練、眼差しは虚ろ。
(ディディエは憑依。こいつらは……暗影系の強力な催眠、あるいは洗脳の術だな)
カタリナが一歩前に出て、低く響く声を放つ。
「みんな。西聖騎士団は首都を護る精鋭、かなりの手練よ。注意して。……前衛は私が張る、盾は任せなさい」
すぐにエリシアが頷き、俺を一瞥して言葉を重ねる。
「周囲の制御はこちらに。敵を近づけないよう、必ず捌いてみせます」
グラトスは胸を張り、マントをばさり。
「某もカタリナ殿と共に紅蓮を盾といたしますぞ! 勇者殿、どうぞ遠慮なく――勇者の裁きを叩き込まれよ!」
三騎士も声を揃えて敬礼した。
バルドが、メイスを掲げて一歩前へ。
「勇者殿、攻撃の切り込みは拙者に。翠風を刃と変え、必ず道を開きます」
ローレンはポールアックスを構え、落ち着いた声で。
「治療と補助は私が担います。氷の礫で牽制し、回復で戦線を維持いたします」
マルセルは槍を軽く回し、わずかに笑み。
「敵の足元は私に。迅玉の速攻と剛岩の撹乱で、狙いを定めて撃ち抜きましょう」
……頼りになりそうだ。
全員の声がそろった瞬間、背筋に冷たい緊張と、同時に熱い期待が走る。
俺は深く息を吸い、剣の柄を握った。
「さあ――始めようか」




