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二十六、法国の惨状

追手を振り切った俺たちは、山間の小さな村に身を寄せた。

藁葺きの屋根と段々畑。見慣れた田舎の風景――のはずなのに、戸口に立つ誰の顔にも笑みがない。目の下の影だけがやたら濃い。


「ここなら、ひとまず身を隠せますね」

エリシアが最短で周囲を見回し、人目の少ない宿を選ぶ。俺たちは無言で腰を落ち着けた。


――薄い粥が七椀。湯気は立つのに、匂いがしない。


盆を支える女将の手が、かすかに震えていた。

「……すまないね。フェリシアの工事に人を取られてね。畑もろくに世話できなくて……」


「昨日も親父が連れていかれたんだ。工事現場に……」

脇から顔を出した子どもが、当たり前みたいな声で言う。

スプーンを持つ指が止まる。(やっぱり、周辺の村はこうなるよな)


エリシアが席を詰め、向かいの女に視線を向ける。金の髪、狩り鳥みたいな緑の瞳。

肩と腕は要所だけ鋼で固め、上半身は鎧ではなく黒い戦闘用ブラトップ、そのわずかな布地の下で形の整った谷間が大胆に覗く。脚は実戦装甲――守るところは守り、見せるところは容赦なく見せる。立つだけで空気が引き締まるタイプ。


思わず、カタリナの胸に目がいった。

……いや、仕方ないだろ。視界に飛び込んでくるんだから。あんな格好で近くにいたら、男として見ない方が失礼だ。


――で、比較対象を隣にとる俺の目。エリシアの方へ。

こちらは翠色の軽装、貴族らしいきっちりとした仕立て。胸元は当然、堅牢にガード。清楚でお上品、控えめ……うん。まな板の上に置かれた高級和菓子のような安心感。


その瞬間、眼鏡を直したエリシアの鋭い視線が突き刺さった。

「……何か?」


「いや、な、なんでもないです」

思わず姿勢を正す俺。完全に挙動不審だ。


(……くそ、俺は冷静なクールキャラだろ。なにやってんだよ)


咳払いで誤魔化すと、エリシアはすぐにカタリナに視線を戻し、声を落ち着かせて問いかけた。


「……久しぶりね、カタリナ」

声は低い。笑っていない。


「あれは、法国の騎士団?どうして追われてたの?」

エリシアの口調は硬い。けど、視線の奥にわずかな焦り――いや、心配……いやいや、ない。たぶん。ツンは健在だ。


カタリナは机の縁を握り、息を一つだけ吐いた。

「――法国の西、首都アストラル。国の中心が魔族に呑まれた。大神殿の法王も枢機卿も、西聖騎士団も、まとめて」


部屋の温度が一段下がる。

「そして……私が所属していた南聖騎士団は、西に潰された。団長だった父も、団員も、“異端”として処刑。生き残ったのは、私だけ」


グラトスが拳を震わせた。

「なんたる非道! 神の名を騙り忠義の騎士を――」


「続けるわ」

カタリナの声は揺れない。

「アストラルは今、瘴気に覆われて崩れかけてる。街も、祈りの場所も。……魔王の復活も、時間の問題。北と東の聖騎士団が境を必死に押さえてるけど、いつまで持つかは誰にもわからない」


(法国の“心臓”がやられてる……)

胃の奥が冷え、目の前の粥が急に重く見えた。


エリシアが小さく頷き、俺へ視線を寄越す。

「ジーク様。王国フェリシアの巨大教会も、ただの建築ではありません。農業都市の“心臓”を握り、人まで“資材”にして、信仰を名目に瘴気の導線を作る……檻です」


葡萄騎士ローレンが手を挙げる。

「フェリシアは法国に近いぶん、礼拝する人も多いです。村人の話を聞いたら、工事参りを断った家は“異端”だって……畑は荒れる一方だとか」


「美味いワインが……飲めなくなる……」

ワイン騎士マルセルがつぶやく。

ビシッ、とメイス騎士バルドが無言で肘鉄。こういう時だけキレがいい。


(王国の胃袋を握って締め上げる。ほんと、やり口が汚ねぇ)

視線を上げると、カタリナがまっすぐ俺を見ていた。揺れない光。逃げ場のない問い。


「あなたが“勇者”なら――お願い。フェリシアを止めて。その先で、法国も。……私たちの力だけじゃ、足りない」


短い言葉なのに、刃みたいに重い。

胸のどこかで、別の声が響く。カミナと交わした、馬鹿みたいに正面からの約束だ。


――世界を変える。


俺は息を吸い、喉の熱ごと飲み込んだ。

「……わかった。法国の件は俺が必ずなんとかする。まずはフェリシアの大教会建築だ。必ず止める」


口にして、腑に落ちる。

これを成し遂げれば、勇者としての評価は上がる。ロイドも発言力を得る。俺とカミナが掲げた“表からの改革”は、もう一歩現実に近づく。


そしてもし、背後に魔族がいるなら――その糸を手繰れば、魔王の影に届く。レイを救う道にも、必ず繋がる。


だから俺は剣を握る。

もう目を逸らさない。今度こそ、真正面から叩き折る。


カタリナが「ありがと」とだけ言って、俯き加減に席を立つ。目元が少し赤い。

……普段はもっとオラオラしてる女だって、エリシアが馬車でぼそっと漏らしてた。今日はさすがに、ね。


エリシアは咳払い一つ。

「はい、明朝は予定通り、フェリシア侯――イザベル様のもとへ行きます。……道は私が案内しますので」

(旧友の涙に“心配してないわよ”って顔で段取り全部握るの、いつものツンのやつだな)


地図を広げるエリシアの横で、グラトスは黙って鎧の留め具を締め直す。三騎士も顔を引き締め、持ち場の確認に入った。

外は風のない夜。けれど、遠くで木が軋むような、瘴気が擦れる嫌な音がした。


(大丈夫だ。やるべきことは、はっきりしてる)

俺は立ち上がり、鞘の重さを確かめる。

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