十六、二つの使命
ジルヴァンが深く息を吐き、ゆっくりと口を開いた。
「要するにじゃ……王国を変えるには、表と裏から同時に攻めるのがよいということじゃろうな。ワシとロイドでは未だ力不足じゃ……」
酒場二階の薄暗い部屋。
ランプの炎が小さく揺れ、ジルヴァンの皺だらけの横顔を照らし出している。
「敵はただの軍勢ではない。嘘や嫉妬、強欲にまみれた有象無象の貴族どもじゃ。一方から攻めてもすぐに逃げ隠れ、牙を研いでまた平民を食い物にする。……ゆえに、二方向から責めねばならん」
低い声が響く。
俺は無意識に拳を握っていた。頭では理解できる。けど――先程の魔王の事が気にかかる。心が追いつかない。
横でカミナは腕を組み、むすっとした顔。けれど膝の上で足が落ち着きなく揺れている。
「今の王は知らぬが、ダリウスは優秀じゃ。……だが、奴は八方美人な気質がある。役立つ者にしか情けをかけんし、平民には興味すら示さん」
その名前が出た瞬間、ガイの眉がわずかに動いた。昔馴染みでもあるのか……それとも、別の感情か。
「奴の指揮下の術皇騎士団も、今や無能貴族の吹き溜まり。腐敗が日に日に増しておる。もしロイドまで失脚すれば……王国は内から崩れ、帝国や法国に呑まれる定めじゃろう」
ジルヴァンの言葉に、エリシアが小さく眼鏡の位置を直した。表情は変わらない。でも、その仕草が妙に神経質に見える。
そこでジルヴァンは言葉を切り、しばし沈黙した。
俺は息をのむ。隣のカミナも、珍しく黙っている。
「……だが、ロイドにジークがついた場合……話は変わる。子供のころから誰もが読む“勇者伝説”がある。宰相ロイドの智略と勇者ジークの武勇が並び立てば、平民の活力も上がり、王国の貴族どもも引き締まろう」
胸がズキリとした。勇者――そう呼ばれるたびに、責任の重さが胃にのしかかる。
ジルヴァンは短く間を置き、静かに頷いた。
「……話が逸れたかな。ジーク。お主はロイドを助け、勇者として表で王国を動かせ。
カミナ……お主はワシらと共に戦い、裏から腐敗を断て。お主は磨けば光る。いずれ勇者に肩を並べるやもしれん」
一瞬、カミナの顔が暗くなる。すぐに口を尖らせて「僕も行きたい」とでも言いたそうに眉間に皺を寄せた。
「ジークとは離れるが、目指すものは同じじゃ。永遠に別れるわけではない。休みもある。会いたければ会えばよい。……どうじゃ?」
ジルヴァンの問い。
静まり返った部屋に、下の階の酒場のざわめきだけがかすかに聞こえていた。
⸻
俺は、決めた。
「……俺、王都に行くよ。エリシア」
言葉にしてしまった瞬間、胸の奥がズキンと痛んだ。
けど、もう迷いはなかった。
エリシアは静かに頷く。
「……承知しました。では、王都でお待ちしております、ジーク様」
その声は冷ややかで理知的。けれど、ほんの僅かに安堵の色が混じっていた。
「ふんっ! ジークがいなくたって僕はやれる!」
隣でカミナが腕を組み、ニヤリと笑う。
勢いのまま、拳を突き上げて立ち上がった。
「じゃあ決まりだな、ジーク! 僕は暁の牙でどんどん強くなって、いつかお前を超えてやる!
この国から平民を立ち上がらせて、仕組みごとひっくり返すんだ!
お前は勇者として表でやれ! 僕は裏からコツコツ変えてやる! 今はどんぐりでもいい、でも絶対にいつか認めさせてやるからな! そこのヴェルデン貴族にもな!!」
指差されたエリシアは、眉をわずかに動かした。
けれど取り乱すことなく、冷静に返す。
「……はい。共に王国を立て直しましょう」
その冷静さに、カミナはぐっと歯を食いしばった。悔しそうに拳を握る弟を、俺は横目で見た。
――でも俺には見える。
エリシアの完璧な仮面の奥で、揺らぐ表情を。
カミナの真っ直ぐすぎる勢いに、気圧されているのだ。
(……この二人、どうやら相性は最悪みたいだな)
ジルヴァンが目を細め、ゆっくりと笑った。
「よかろう。表と裏……両の矛と盾で、この王国を変えてみせるのじゃ」
酒場のランプが揺らめき、薄暗い部屋の中で俺たち二人の影を壁に映し出していた。
まるで、新しい道を歩み出す俺とカミナを照らすように――。




