十二、闘気を刃に
サルテ村・防衛任務。
近隣の村々が、狼の被害に遭っているという。
その中でも、次に狙われる可能性が高いと判断されたのが、川沿いのサルテ村だった。
俺たちは防衛任務として、ここに入っている。
村へ到着し、俺たちが《暁の牙》だと知れ渡った瞬間――村人たちの空気が、目に見えて変わった。
肩から力が抜ける。
張り詰めていた緊張が、ふっとほどける。
派手な歓迎はない。だが、炊き出しの鍋を覗く視線が増え、子どもたちが遠慮なく近づいてくる。
(この反応、覚えがある)
この人たちは、過去に一度は助けられている。
そうでなければ、こんな無防備な距離感にはならない。《暁の牙》の活動で救われた村は、ひとつやふたつじゃない。その積み重ねが、言葉のない信頼になって返ってくる。
悪くない。
同時に――気が抜けない理由でもある。
今日で、この村に泊まるのは三日目。
だが、まだ狼の魔物は姿を見せていない。
(遅いな)
正直、最初は軽く考えていた。
狼程度なら、俺とカミナの二人で十分だ。夜襲だろうが数が多かろうが、対処できる。
だが途中で入ってきた報告が、その認識を修正させた。
近隣の村が、壊滅的な被害を受けている。
家畜だけじゃない。人も、家も、畑も焼き尽くされている。
“狼”にしては、やりすぎだ。
(……ただの獣じゃない)
それに、こういうときでも王国騎士団の動きは遅い。
到着する頃には、被害は出切っているだろう。いつものことだ。
⸻
夜。
俺たちはサルテ村の外周を巡回していた。
川の流れは穏やかで、月明かりが水面に細く揺れている。風は弱い。そのせいか、虫の声が妙に少ない。
――静かすぎる。
月を見上げたセリオスが、息を吐くように言った。
「被害状況から考えて……魔獣だろうな」
俺は木の幹に背を預け、目を閉じたまま返す。
「魔獣か。ってことは、魔族がこの辺りにいる可能性も高いな」
口にしながら、内心で舌打ちした。
魔族が絡むと、面倒の段階が一つ上がる。
するとカミナが、首を傾げる。
「なあ。魔獣って、普通の獣と何が違うんだ? 強い魔物、って認識でいいのか?」
装備を整えていたリサが、顔も上げずに答えた。
「簡単に言えば、魔法を使う獣。狼型なら……たぶん、ヘルハウンドの群れね」
その一言で、場の空気が重くなる。
(まあ、知らないよな)
俺は補足する。
「魔獣は、魔族に指揮されていることが多い。力のある獣に魔力を与えて、そこから派生していく」
ガイが、呆然とした顔で俺を見る。
「……お前、いつの間にそんな知識を?」
(あ、やべ)
誤魔化す言葉を探した、その瞬間。
リサが弾かれたように立ち上がった。弓を取り、視線は川上の闇へ。
「――来るわ」
空気が一気に冷えた。
闇の中で、赤い光がいくつも瞬く。
魔力を帯びた獣の瞳。数は三十体前後。
ヘルハウンド。
炎を吐く魔獣だ。放置すれば、村は確実に焼ける。
翠嵐魔法のセリオスと、三式上級のガイがいれば、群れ自体は問題ない。
だが岩場の奥――そこだけ、魔力の密度が異常に高い。
(指揮役、いるな)
即断する。
「父さん! 俺とカミナで中央突破して、長を狩る! セリオスたちは村の防衛を頼む!」
ガイは一瞬だけ顔を歪め、それから諦めたように笑った。
「ああ! お前は言い出したら聞かねえからな! 任せろ!」
セリオスがリサと目配せし、頷く。
「油断するなよ、ジーク、カミナ!」
カミナは自信満々だ。
「任せとけ! ジークと僕に勝てない敵なんていないぜ!」
……根拠は薄いが、勢いだけは本物だ。
俺は雷鳴魔法を解放する。
「我に宿し雷は刃となして、地を引き裂かん!――《ボルテック》!」
紫電が夜を裂き、一直線に群れを貫いた。五体ほどがまとめて倒れる。
派手だ。
少しやりすぎたかもしれない。
ガイは呆れ、セリオスとリサは目を見開き、カミナはその様子を見て嬉しそうに笑った。
俺はそんなカミナに指示を飛ばす。
「行くぞ。後方の岩場に何かいる。お前が前衛だ。特訓の続き、任せるぞ」
「おらああああ!!」
赤黒い闘気を爆発させ、カミナが突っ込む。背中が一瞬で闇に溶けた。
――本当に、前しか見てねえな。
でも、それでいい。
いや、それがいい。
闘気を纏ったカミナが正面から群れに突っ込む。炎を吐こうとした個体の顎を、闘気ごと叩き潰し、横薙ぎ。骨の砕ける鈍音。火花と血が夜に散る。
……相変わらず力任せ。
だが、以前より無駄が減っている。
「いいぞ、そのまま押せ!」
俺は後方から雷撃を散らし、死角を潰す。統率を失った群れの動きが、目に見えて乱れていく。
――やはり、いる。
岩場の奥。そこだけ空気が重い。
「……出てこい」
現れたのは、巨大な狼だった。
黒灰色の毛並み。額に歪な魔力結晶。蒼白い双眼。
ただのヘルハウンドの長じゃない。
上位魔族が使役する魔獣――ケルベロス。
そう理解した瞬間には、もう遅かった。
「カミナ! 後ろだ!」
叫んだ、その直後。地面が爆ぜた。
ケルベロスが地を蹴る。
速い――いや、速さの質が違う。これまで相手にしてきた魔獣とは、完全に別物だ。
ヘルハウンドの牙をかわした、その“隙”を、まるで最初から狙っていたかのように。
前足、ただの一撃。
闘気を纏った衝撃が叩きつけられ、カミナの体が空中へ跳ね上がる。岩を砕き、地面を抉りながら転がるその姿を見て、俺は歯を食いしばった。
「《雷縄・天縛》!」
紫電が脚を絡め、一瞬だけ動きを止める。
その隙に、カミナが立ち上がる。口元に血。
それでも、笑っている。
「……燃えるな……!」
赤黒い闘気が傷を塞ぎ、焼けた肉が音を立てて再生していく。
「いいかカミナ!」
俺は叫ぶ。
「あいつが長だ! 真正面から叩き潰すな! 何度も練習した技――《裂鋼閃》を使え! 闘気を“刃”にしろ! 斬るんじゃない、飛ばせ!!」
ケルベロスが咆哮する。三つの首が同時に吠え、乱れかけていた群れが再び統率を取り戻す。
……やっぱりな。指揮能力持ち。ただの魔獣じゃない。
俺は雷を纏い、一歩前に出かけて――止まる。
ここは、俺の出番じゃない。
(修行相手としては、少し上等すぎるが……こいつを倒せば、カミナは一段上に行く)
三つの首。それぞれ異なる魔力を帯び、吐息だけで空気が焼け、凍り、歪む。全身を覆う外皮は、魔力を何層にも圧縮した装甲。
普通に斬れば弾かれる。
力任せに殴っても、衝撃は殺される。
――だからこそ。
カミナが、深く息を吸った。
玉鋼の剣を構え直す。
その刃に、赤黒い闘気がまとわりつく。
だが、いつものように全身へ噴き出していく感じじゃない。
闘気が剣身へ吸い寄せられ、さらに細く、薄く、研がれていく。
「……闘気を、刃に」
呟きは、ほとんど独り言だった。
だが次の瞬間、空気が張る。
圧縮された闘気が、刃の外側にもう一枚の刃を作った。
「――《裂鋼閃》!!」
振り下ろした剣先から、赤黒い斬撃が飛ぶ。
ただの斬撃波じゃない。押し潰すような圧が乗っていた。
ケルベロスの右首に直撃。
外皮が裂けるより先に、魔力装甲が内側から軋み、次の瞬間には爆ぜた。
――ギャァン!!
「効くぞ、カミナ! 今の感覚、忘れるな!!」
ケルベロスが怒り狂い、炎を吐く。
火柱が三方向から噛みつくように迫り、熱で頬が焼けた。
だが、カミナは退かない。
さっきの感覚を逃すまいとするみたいに、歯を食いしばり、もう一度、刃へ闘気を絞り込む。
一撃目より速い。
迷いがない。
「――《裂鋼閃》!!」
横薙ぎ。
赤黒い斬撃が扇みたいに広がり、迫る炎を真ん中から叩き割る。そのまま左の首へ食い込み、骨ごと大きく弾き飛ばした。
カミナの口元が獣みたいに歪む。
もう掴んでいる。あとは押し切るだけだ。
残る中央の首が、魔力を一点へ集めて突っ込んでくる。
一撃必殺。真正面から噛み砕く気だ。
「最後だ!」
カミナが踏み込む。
足が地面を抉り、膝、腰、肩、腕、剣先までが一本になる。
闘気が極限まで細く、鋭く、重く圧縮されていくのが、離れていても分かった。
「おおおおおおッ!!」
振り下ろし。
いや、もう“落とした”と言うべきか。
線になった斬撃が中央の首を根元から割り裂き、そのまま額の魔力結晶まで一直線に叩き砕いた。
巨体が、糸の切れた人形みたいに崩れ落ちる。
それでようやく、夜が静かになった。
……静寂。
「……やったな」
俺は、ようやくそれだけを口にした。
カミナは肩で息をしながら、剣を地面に突き立てる。血と煤にまみれた顔で、それでも――いつも通りの笑顔だった。
「こんくらい……楽勝だぜ?」
楽勝なわけがない。
だが確かに――カミナは闘気を“飛ばす”感覚を掴み、一段上の領域へ踏み込んだ。
俺はそう、確信していた。
⸻
戻ると、群れは殲滅されていた。
村人たちは、カミナが倒したケルベロスの残骸を見て凍りつく。魔力で硬化していた外皮が、引き裂かれ、叩き割られ、原形を留めていない。
誰かが呟く。
「……人が、やったのか……?」
その夜、村で振る舞われた酒の席で、俺は思う。
――ケルベロスがいるなら、きっと魔族は潜んでいる。あれを見て、何を思うだろうな。
ケルベロスの惨状を見たら、きっとこう言うだろう。
「ありえない」と。
そして噂が広がる。《暁の牙》には――魔導騎士でも魔導士でもない。魔力に纏われた魔獣を、力だけで引き裂く“何か”がいる、と。




