十三、漆黒の鎧と漆黒の……
今日は暁の牙の活動で、隣村の復興を手伝った。
朝、谷あいを渡る風は冷たかったけど、村に入った瞬間に鼻を刺すのは煤と焦げた木の匂いだった。
家々の壁は焼け落ち、梁は黒くひしゃげ、畑は荒く踏みにじられて赤土がむき出しになっている。帝国の小隊にやられた、と年寄りが言った。兵糧目当てで、火をつけて、去っただけだと。
潰れた門柱を抱えながら、白髪の老人が「この柱は親父が立てたんだがなぁ」と笑ってみせる。笑ってはいるけれど、目尻の皺の奥に溜まった湿気は隠せない。
瓦礫の山から茶碗を二つ掘り出した男の子が、泥をぬぐって「まだ使える?」と母親に見せる。母親は頷いて頭を撫でた。手は震えているのに、声はやけに明るい。
胸が痛んだ。……けど彼らは手を止めない。泣きながらも、笑いながらも、残ったものを集め、失ったものの代わりを作り、家を直して畑を耕す。
俺たちの炊き出しの列でも、器を受け取るときには必ず「ありがとう」と笑顔を添えるのだ。
(……強いな。俺なんかより、よっぽど凄い)
大鍋の番は、いつのまにかカミナが奪っていた。丸太みたいな腕で柄杓を回し、鍋底から野菜と豆をすくい上げる。
塩気は薄いが、熬った骨の旨味がしっかり残っていて、湯気のむこうに腹ぺこの子らの目がきらきらと光る。
「はい、そっちはおかわり列ね! 年寄り優先な!」
「その柱、俺が持つ。おっちゃんは足、危ないって!」
カミナは梁を肩に軽々と担ぐと、別の家の前でへたり込んでいた男を片腕でぐいと立たせた。通りすがりの女の子が泥だらけのぬいぐるみを握って泣いていると、片膝をついて目線を合わせ、器用に藁縄で腕を縫い直してやる。
笑うと目が三日月になるあの顔――強者にはすぐ噛みつくくせに、弱者には迷いなく手を貸す。ほんと、わかりやすい。
「よっしゃ! まだまだ働くぜー!」
汁物を一気に飲み干したカミナが口の端を拭って吠えると、周りの空気まで一段明るくなる。馬鹿正直で、眩しいくらいだ。こういうときのカミナは、誰よりも頼もしい。
◇
日が傾き、焚き火が点々と灯り始めるころ、ようやく片付けに区切りがついた。村の外れに借りた納屋へ戻ると、カミナが「ちょっと工房に寄ってくる」と言う。気になって、俺も後を追った。
鍛冶場は、最初に見たときは本当に粗末な小屋だった。雨漏りする屋根、割れた水桶、煤で真っ黒な土間。
あれから五年ちょっと――今、目の前にあるのは、立派な工房だ。土台は石積み、梁は太く、炉が三つ。風箱は足踏みで二連、煙突には火花止め。壁際には整然と並ぶ道具――タガネ、ヤスリ、鋸、そして見慣れない治具。
村人が交代で包丁や農具を作りに来るほどに“運用”されている。炭焼き小屋まで新設され、川上の段々には木炭用の薪が積み上げられていた。
材料の玉鋼は、こないだ俺たちが見つけた鉱脈から出た原鉱を精錬したもの。砂鉄の匂いは、なぜか安心する。
(……ラノベ知識で鍛冶ができるって、冗談かと思ったけどな)
火を入れた炉が、ふうふうと息をするように明滅する。カミナは黙々と槌を振るっていた。普段の馬鹿笑いが嘘みたいに、目が鋭い。赤熱した玉鋼を取り出し、折り返し、叩き、また折って、叩く。火花が散るたびに工房の影が跳ね、金床に響く音が腹の底まで届く。
カン、カン、カン――。一定のリズム。時々、わざとズラす。金属の“気”が変わる瞬間、槌音はほんの少し澄む。カミナはそれを逃さない。水に落とすときの音、油に沈めるときの匂い。焼き入れと焼き戻しの温度を、目でも肌でも感じ取っている。
(……別人みたいだ。こいつ、本気で“鍛冶師”なんだな)
壁のフックには、試作の小札やチェインの切れ端がぶら下がっていた。二年間、何度も割れ、何度も歪み、何度もやり直した痕跡。
炉の隅に置かれた黒焦げの胸板には、斜めに走る大きな亀裂と、白いチョークで「原因:焼き戻し不足」と書かれている。失敗を“展示”して隠さないあたり、カミナらしい。
今、仕上げているのは、その集大成――鎧だ。構造は複合。外装は玉鋼のラミネート、小札を連ねつつ要所は一枚板。
内側には薄い繊維層と細かい金の網目を挟み、魔力を散逸させる仕掛けが組み込まれている。肩の旋回部は干渉しないよう削り込み、腰は可動を優先して分割。
見た目だけなら王国の宮廷鍛冶に出しても通るだろう。けど、それを村の鍛冶屋で、人の手で作っているという事実が、たまらなくいい。
「……できたぜ、ジーク!」
火花と煙の向こうから、カミナが顔を上げた。額の汗が煤で黒く縁取られて、歯を見せて笑う。子どみたいな笑顔だが、目の底に宿る光は職人のそれ。
「これが……俺の新しい鎧だ!」
作業台の上で、鎧が姿を現した。炉の炎に照らされる漆黒――ただ黒いんじゃない。深い。まるで夜の底をすくって鋳固めたみたいだ。光を飲み込むのに、輪郭では鋭く跳ね返す。矛盾した輝き。表面には木目肌のような紋様がわずかに走っている。何層にも折り重ねた玉鋼の肌が、静かに呼吸しているみたいだ。
胸甲から肩当てへ続く曲線は流れるようで、刃が逃げる角度が計算されている。腹部は板の重ね合わせで屈曲を妨げない。縁には金色の唐草が細く刻まれ、装飾と補強を兼ねる。紫紺のマントを軽くかけると、工房の灯りだけで“場”が変わった。英雄は、こういうものを着るべきだ――そう思わせる品格がある。
俺は試しに、指先に魔力を集めて小さな火花を作り、そっと胸板に触れさせてみた。パチリ、と乾いた音がして、火花は鎧の表層で霧散する。魔力の導流が外へ逃がされる感触。玉鋼特有の“流し”と、内部の細工が効いている。
(……魔法など届かぬ……か。やるな)
「すげぇだろ?」とカミナが胸を張る。煤と汗にまみれた顔に、自信と、安堵と、ちょっとの照れが混ざっている。ここまで来るのに、何度も何度も折れかけて、折れなかったことを俺は知っている。
(カミナは化ける。この鎧を着て、あとは闘気の制御さえ安定すれば……もしかしたら、俺すら……)
誇らしい。けれど、胸のどこかで小さな焦りが鳴った。弟に置いていかれる焦りではない。隣に並ぶべき速度で、自分も加速しなきゃ、という種類の焦りだ。羨望に似ている。健全な嫉妬ってやつだ。
カミナは深呼吸を一つ。胸甲を両手で掲げ――
――次の瞬間。
「ぎゃあああああッ!! ご、ゴ○ブリィィィ!!」
鎧を掲げた“英雄”は、完成したばかりの鎧を放り投げ、椅子ごとひっくり返った。
(……やっぱり、俺の勘違いかな……)
炉の炎がゆらめき、漆黒の鎧とゴ○ブリの騒ぎが工房に交差していた。
炉がチロリ、鎧がキラリ、Gがカサリ。
……この夜いちばん役立ったのは、打刀でも闘気でもなく、箒だった。




