十、平穏の裏に眠る牙(ジーク視点)
注意 ここからジーク視点で物語が進みます。
――帝国との闘いから、一晩が明けた。
淡い朝陽が、まだ煙の残る村の屋根や瓦礫をやわらかく照らす。
焦げた地面、折れた柵、半分崩れた家々――戦いの爪痕はそこかしこに残っている。
それでも、確かに“生きている”空気があった。
水桶の音、釘を打つ小気味よい響き、鼻の奥を刺す炭の匂い。
朝の湯気と灰が混じった匂いは、妙に人を落ち着かせた。
⸻
朝
俺とカミナは焦げた木材を運びながら、黙々と撤去作業を続けていた。
周囲では村人たちが疲れた顔でありながら、手際よく再建に取り組んでいる。
空気はまだ重い。けど、確かに前へ進もうとする力があった。
横で木材を抱えたカミナが、ニヤッと口角を上げる。
「しかしジーク、昨日の暴れ具合は……ちょっとカッコよかったぞ!」
「ちょっとってなんだよ。もっと褒め称えてくれていいんだぞ」
俺が胸を張ると、カミナは肩をすくめて小さくため息をついた。
「……ま、確かに凄かったよ。マジで勇者すぎた」
(お、素直に言いやがったな。へっへっへ)
思わず口元がゆるむ。
――が、そこでカミナが視線をそらし、悔しそうに唇を尖らせた。
「……スマホのAIだったくせに」
ボソッとこぼしたその一言で、俺の額にピキッと血管が浮いた。
「かー、AIだったくせにだと!? そのAIに中学んとき好きな子にSNSで告白して、“既読スルーされたぁぁ”って泣きついてきたのは誰だよ!」
「うぐっ!」
カミナが木材を落としそうになって、顔を真っ赤にする。
「ちょ、やめろっ! あれは……青春の傷だ! 黒歴史は掘り返すなぁぁ!」
「はっ! 俺だってAIになったのは予想外だ! バカにされる筋合いはねえ!」
「そもそもジークの性格そのものが、ひねくれてるだろ!」
「お前の当時の中二病よりマシだ!」
「ぐぬぬ……!」
――くだらない。くだらなすぎる。
でも昨日まで命がけで戦ってたカミナと、こうして口喧嘩できるのが――信じられないくらい嬉しかった。
⸻
昼
軽く飯をかき込み、カミナの鍛冶場で村の道具を片っ端から直していると――
「ジーク兄ちゃん、カミナ兄ちゃん、これ直せる?」
煤で真っ黒になった手で、村のガキが真ん中からぱっくり割れた鍬の刃を抱えてきた。
縁は欠け、背も少し歪んでる。二つの破片を必死に合わせるように抱え込んでいた。
「ジーク、継ぎ目を仮止めできるか?」
「やってみる。――お前ら、目つぶっとけ。火花が跳ぶ」
俺は鍬の割れ口をぴたりと合わせ、指先に細い紫電を灯す。
ばち、ぱち――雷が糸みたいに割れ目をなぞる。
鉄が一瞬だけ白くまぶしく脈打ち、オゾンと焼けた鉄の匂いが鼻を刺した。
「うわっ……! すげぇ……!」
ガキが指の隙間からのぞき、目を丸くする。
――もう、魔法を隠す気はなかった。
昨日、村を焼こうとした帝国兵を相手に、本気で“雷”を振るった。
見られたって構わない。この力は誰かを傷つけるためじゃない。守るために使うって決めている。
「固定はできた。後は頼むぞ、カミナ」
「おうよ」
カミナは炭床に火を入れ、ふいごで柔らかい赤まで温度を上げる。
割れ目に少量の玉鋼の粉を振り、小槌で「トントン、チン」と継ぎ目をなじませる。
叩くたびに歪みが抜け、刃の背にまっすぐが戻っていく。
「……よし。今だ」
カミナが水桶へ半身だけジュッと入れ、すぐに引き上げる。焼き戻しで粘りを残すためだ。
仕上げに砥石で刃を撫でると、欠けは影みたいに薄れ、断面の波紋が一本の筋に繋がった。
「試すか」
外に出て、鍬先を土に入れる。
ざくり。乾いた音。抵抗もなく土が割れた。
少年の顔がぱっと明るくなる。
「すげぇ……! これで父ちゃん、明日から畑、またできる!」
周りで見ていた鍛冶職人の親父が、煤のついた腕を組んでうなった。
「……ジークが雷で縫って、カミナが鋼で生かす、か。これが昨日、帝国を追い返した兄弟の連携ってわけだな」
その場の若い衆が、笑い混じりに囁く。
「雷で村を守ったジークと、玉鋼で村を立て直したカミナ……“勇者と英雄”だな、もう」
「そんな大したもんじゃねえよ」
カミナが耳の後ろをかき、少し照れた声で返す。
俺も肩をすくめた。
「うちの教育がスパルタだったからなぁ」
鍛冶場の親父が感心して肩を揺らす。
「ガイは腕が立つのは知ってたが、リーナさんの剣には驚いたわ。……でもよ、村に来たときからガイはずっとリーナさんの尻に敷かれてたろ? ――理由、ようやくわかった気がしたぜ」
カミナが笑って言う。
「父さんに聞かれたら“俺は尻に敷かれてなんかねえ”ってムキになるだろうけどな」
「事実だけどな!」
すかさず突っ込むと、
「わっはっは!」
と笑いが一気に広がった。
(やれやれ、噂の立ち上がりは早ぇな)
壊れた日常を一つ直すたび、村の息が少しずつ戻ってくる――その手応えが、掌に残っていた。
⸻
午後
午後は家の復旧。
丸太を担いだカミナが、人力クレーンみたいに動き回る。スタミナ馬鹿め。こいつは本当に一日中止まらない。
「そこ、もう一段高く!――よし、止めるぞ!」
「はいよ!」
木が軋み、麻縄がきしむ。俺は柱を支えながら、周りをぐるりと見回した。
「――そういえば、父さんは?」
「そういえば朝から見かけねえな」
カミナが丸太を降ろし、額の汗をぬぐう。
父さんなら、こういう時こそ先頭で汗をかくタイプだ。けど今日は――。
「道場に“客人”が来てるらしいぜ」
通りかかった飯屋の主人が言う。
「朝方、黒い外套の男……老人だがガッシリしたのが来てた」
(こんな時に客人、ね)
胸の奥がざらりと波立つ。だが今は手を止められない。
縄を締め直し、楔の角度を確かめ、作業に戻る。
……さすがに息が上がってきたので、井戸端でひと休みした。
手を洗っていると、腕に包帯を巻いた少女と、心配そうな母親がおずおずと近づいてくる。
昨日、瓦礫の下敷きになって怪我をした子だ。
「ジークさん……ちょっと、これ……」
包帯を解くと、擦過傷が赤く腫れている。深くはないが、動かせば痛むだろう。
「少し冷たくなる。じっとしてろ」
掌をかざし、ほんの小さな真言を息にのせる。
聖光の糸を薄くほどき、傷口をなぞる。
白い光がふわりと灯り、腫れがすうと引いた。
「――痛くない」
少女の目に驚きが走り、すぐ笑顔に変わる。
その背で母親が涙ぐんで、何度も頭を下げた。
「ありがとう。ありがとう……」
「礼は娘さんの笑顔で釣り合ってます。お母さんの涙のおかわりは不要ですよ」
冗談を挟むと、母親も涙を拭いて笑った。
⸻
夕方
作業がひと段落するころには、炊き出しの匂いが広場を満たしていた。
リーナが柄杓を手に、列に並ぶ子どもたちへ声をかける。
「はい、熱いから気をつけて」
俺たちもその後ろに並ぶ。
「母さん、僕は大盛りで!」
「カミナ、だいぶ働いてたものね。……ご苦労さま」
どさっと山が盛られる。
「おっしゃあ、ありがと母さん!」
続いて俺の番だ。器を差し出すと、リーナが当然の顔で言う。
「はい、ジーク。ご苦労さま。カミナと同じく――大盛り二杯分ね」
「いや、俺はそんなに食え――」
リーナの目がすっと細くなる。
「……食えます」
器から立つ湯気が、麦と芋とほぐし肉の匂いを鼻に押し上げた。
乾いた喉に、スープの塩気がやけに優しい。
隣でカミナが嬉しそうにかき込む音がして、俺も黙ってもう一口運んだ。
――やっぱり、母の味は格別だ。
⸻
夜
日が落ち、焚き火が灯る。
子どもが火の周りで歌い、年寄りが昔話を始めた。
火の粉が夜空に舞い、星の手前で消える。
ふと視線を向けると、リーナが額の汗を拭いながら軽やかに立ち働いていた。
温かく優しい――だけど曲がったことは大嫌いで、怒ると怖い――いつもの母だ。
「なあ母さん。昨日のあれ……鏡盾式で戦ってたよな?」
カミナが言うと、リーナは笑って肩をすくめる。
「さあ、どうかしら?」
「俺も聞いた。帝国兵も母さんにビビってたらしいじゃん」
リーナは少し照れくさそうに笑った。
「昔ね、冒険者の金ランクまでいったのよ。……だいぶナマっちゃったけどね」
「……え? マジ? 親父と一緒じゃねぇか!」
(やっぱ只者じゃねぇと思ってた)
驚くカミナに、リーナはおかしそうに肩をすくめる。
「ほら、小さい頃、あなたに剣の手ほどきしてあげようとしたこともあったのよ」
「え? そんなことあったっけ?」
「その時のカミナったら、“母さん、女の人が棒切れなんて持つもんじゃないよ。女は男の財布の紐を持つもんだ”――ってね。あんまり真剣な顔して言うから、力抜けちゃって……それで剣はもういいかって」
「うわあああああ!! 何も聞こえない!!」
顔を真っ赤にして耳を押さえるカミナ。
俺は腹を抱えて笑い転げた。焚き火がぱち、と弾け、笑い声に混じって夜が柔らかく揺れる。
やがて片付けがひと段落した頃、リーナがふと真剣な顔になった。
「ねえ、二人とも」
声の調子が変わる。俺とカミナは自然と姿勢を正した。
「私とお父さんがこの村に来る前……少しだけ、冒険者と並行して別のことをしていたの。王国の悪徳貴族に抵抗する地下組織――《暁の牙》っていうんだけど……」
その名を聞いた瞬間、空気がぴたりと止まる。
焚き火のはぜる音だけが、やけに大きく耳に届いた。
「正義のために立ち上がった。でも……必ずしも綺麗事だけじゃなかった」
リーナは少し寂しそうに笑う。
火が揺れて、母の横顔に濃い影が落ちた。
「このことは、この後、お父さんと一緒に話するわ。……いいかしら?」
「……わかった」
胸の奥に、ざわりと不安が広がる。
笑いに包まれていた空気が、一気に張り詰めた。
――《暁の牙》。
触れたら、もう戻れない何かが待っている気がした。
次回から革命の物語が始まります。




