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汝、花を愛せよ

作者: 西風 隼

母の日、という習慣があるよね。

4月だったか、5月だったか、とにかく春先の特定の日に母にあたる人に花やら贈り物をする習慣がある日だ。

ぼくは(敢えて、ぼくと自分を呼ぶが)、いくら記憶をほじくり返しても母に花を贈るような洒脱な真似をした覚えはなかった。だからかもしれない。

いや、正確には贈ったのかもしれないし、それを母が喜んだのかもしれないなとは思う。

だが、この世界(サンテネリ)へ来てからというもの、女性に理由もなく贈り物をしたことがあっただろうか。


いやいや待ってほしい、ぼくが「王さま」をやっていた頃、おおよそぼくという人間に相応しくない飛び抜けて優秀かつ見目麗しい姫君たちが侍っていた頃に贈り物はした、と思う。

だがあれは感謝、あるいは、その後機嫌伺いみたいなもので……理由なく、無為の行いとはかけ離れたものだった。

贈り物を選び、渡す、その行為自体を恥ずべきものだとは一切思わないよ。

だけど、そうだな。こうして玉座を打ち捨てて街を歩いてふと脚を止め、「この花は(ブラウネさん)に似合うかもしれない、喜ぶかもと思って買い求めたことはあっただろうか。


ああ、そうだとも。()()()はね、自由に街を歩いたりしない。買い物はいつも商人が出向いてきて、「こちらはいかがでございますか」「では、それを」と進んでしまうものなのだ。

デパートだと、外商、なんて言ったりするよね。

本当のお金持ちはデパートにでかけたりしない。デパートがでかけてくるんだから。

王さまだって同じ。街をウロウロ歩いたりして困ったことになると(実際、ぼくは過去に困ったことになった)本当に責任を取らされるのは家来のみなさんだったりするからね。


まあ、それは良いとして、目の前に並べられた花たちを見て、ついにぼくは街を歩いて花を買い求めることができるのだ、としみじみ思うことができたのだ。

じゃあ、何を?というので詰まってしまっている。

あの世界(日本)でだって、この世界(サンテネリ)でだって、花の何たるかを僕は知らないのだ。


「何かお困りですか?」


花のよりどりみどりなその前でうんうん唸っていたぼくのことを見咎めたのか、いやそういうことは無いだろう。厚手の前掛け(エプロン)を着けた青年が声をかけてくれた。


「ああ、いや、その、プレゼントを」

「そうですか、恋人ですかね。なんだか楽しそうだから。そしたら香りの良くて、見栄えして、こういう花束なんかどうですか、旦那」


旦那、旦那だって。

陛下、としか呼ばれたことのないぼくを、旦那。(そういえば、()()()、と呼ばれたこともあったかな)


「あ、ああ、いいね」


少し亡としてしまったかな。その、政治から解き放たれて、ぼくは考え事をすることが多くなってしまった。

歳のせいではないと思う。


"()()()()()()()()()()()()()()


そう、つぶやいたぼくの顔を、亡霊でもみたような表情でその青年は見つめていた。

何か、しただろうか。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「え」


ぼくがその()()を聞き逃したりするだろうか。

梅雨、梅雨だって?

サンテネリというこの世界へ越してきてからというもの、()()なんて言葉とは無縁だった。

サンテネリにあったのは、”霞の季節”という、軽い雨が繰り返す雨季だけだったのだから。


”もしかして、日本語を"


知っているのですか、と続けようとして、青年が答える。


”ああ、まんつ話すことは無いと思ってらったのにな”


その、若さのあふれる青年から出てきた懐かしい言葉。

歌うような、フランス語のような美しいサンテネリ語とは離れた、土の匂いと、雪の匂いのする言葉。

日本語とまた巡り会えるということがあるなんて。


「貴方も死んでサンテネリに来たのですか」


いつの間にか、身に染み付いたサンテネリ語に戻っている。ぼくも気づいていないうちに。


「そうです」

「それは……その、大変でしたね」


青年も死を抱いて、また生を歩むことになってしまったのだ。このサンテネリで。王に生まれれば王の道を、平民に生まれれば平民の道を歩まねばならない。


「気がついたときは少年でね。仕事を覚えるのも入口だったから、大変ではなかったですよ」

「それでも、その、日本とはだいぶ違ってたでしょう」

「どうかな」


青年が思案する。その表情はおおよそ青年という若い者とはかけ離れた老成した落ち着きが見える。有る意味では全てを諦めたような。


「でも、国のために働くのは、どこにいても同じだから」

「あ」


彼は違うんだ。

何がだろうか、なによりも違うのは()()()()()()()が、だ。


"もしかして、戦争で?”


彼は苦笑いをすると、小さく頷いた。

それ以上、何かを話すことは彼の人生に土足で踏み入るような気がして、ぼくは黙ってしまった。

彼はニコリと笑うと、花の山に相対した。


「青い花は無いですけど、そうだな、プラネジョンを入れてみましょうか」

「プラネジョン?」


ぼくが聞くと彼はにやり、と笑い。


”あじさいみたいなもんよ”


ぼくも、なんだか悪い笑いを浮かべてしまう。

ああ、そうか、彼もぼくも、嬉しくている、何か悪いことをしているような、この異世界の言葉に帰ってこられて。


すっかり青と、薄い黄色の花々で形作られた花束を持って、ぼくは帰る。

小さい我が家、ではないが、城ではない仮住まいへと。

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