最初の絶望
ーー1度目の人生。
悲惨な現実を受け入れるには、私はあまりにも弱かった。
どうして人は、変わってしまうのだろうか。
それとも、変わったのではなくあれが本性だったのだろうか。
私が変えてしまったんだろうか。
どうして愛はこんなにも残酷なのだろうか。
アレクとセレナは6歳の頃に出会い、幼いセレナは初めて顔を合わせたアレクに、淡い恋心を抱いた。
一目惚れだった。そして、あれは人生最大の過ちだったーー。
当時まだ子供だった彼は、皇太子らしく誇り高く、そしてとても優しかった。
セレナは幼いながらも恋を知り、アレクをどんどん好きになっていった。
それから二人は共に過ごし、セレナの10歳の誕生日パーティーで正式に婚約したのだった。
皇室とエヴァレット公爵家はこの婚約を重視し、婚約後すぐに、セレナには皇后となるための教育が課せられた。
礼儀作法、政治、外交、帝国の歴史——すべてを学びながら、彼女は皇太子妃としての自覚を持つようになった。
そうして、幼いながらも二人の関係は穏やかに育まれていった。
アレク18歳、セレナが16歳になった時、国民たちの盛大な祝福もとで、華々しい結婚式を挙げた。
婚礼の儀には、国内外の要人が集まり、祝福の言葉が贈られた。
「これからは君が僕のすべてだ。今までと同じように、これからもずっと隣にいてくれ」
アレクのその言葉に、彼女は幸福を感じた。
彼がそばにいる限り、どんな困難があっても乗り越えられると思った。
だが、幸せな結婚生活は長くは続かなかった。
即位を控え、彼に課せられる責務は増していった。
アレクは結婚当初、公務の合間にもセレナを気遣っていた。
セレナもまた彼の気持ちに応えようと、彼の傍らで良き皇后として日々努力していた。
しかし、月日が経つにつれ、アレクの態度は徐々に変わっていった。
*
最初の亀裂は、世継ぎ問題だった。
結婚から4年が経ってもセレナは懐妊せず、周囲の貴族たちは陰で彼女を「役立たずの皇后」と嘲笑い始めた。
そして誰よりもセレナを苦しめたのは、他ならぬアレクだった。
結婚5年目の時、アレクは宮殿に愛人を迎え入れるようになった。
アレクは公務を理由にセレナの元に行かなくなり、代わりに愛人となった女性たちと過ごす時間が増えていった。
セレナはそれでもアレクを愛していた。
そして、いつかきっと自分の元に戻ってくると信じていた。
だが、そんなことはなく、セレナは王宮での立場が徐々に揺らいでいるのを肌で感じていた。
さらなる決定打となったのは、ある夜の出来事だった。
あれこそが、セレナにとって悪夢の始まりだったーー。
*
結婚7年目を迎えた、ある夜のことだった。
アレクは酒に酔った勢いで、セレナを罵倒しながら抱いた。
「こうなったのも全て、お前がいつまでも子を成せないせいだ!......今のお前は俺にとって何の役にも立たない女だ!役立たずのお前は、黙って俺に抱かれていればいいんだよ!」
それは、彼が最も口にしてはいけない言葉だった。
その日セレナは、アレクに叩かれて身体中が傷だらけになった。
(痛い…痛い…苦しい…誰か…、誰でもいいから…こんな人生は夢だ、全部夢だ、だから大丈夫だって言って!)
彼の視線には愛情の欠片もなく、ただ苛立ちと冷笑だけが浮かんでいた。
一度やってしまえば、二度目は簡単だとよく言うが、本当にその通りだと思う。
それからのアレクは、些細なことでセレナに怒声を浴びせるようになり、無理やり抱き、手を上げる回数も増えていった。
殴られたあざや傷よりも、過去の幸せが戻ってこないとわかってしまったことの方が、ずっと痛かった。
痛くて痛くて、もうこれ以上辛いことはないと思っていた。
*
それから時は流れ、セレナは26歳になった。結婚してから10年の月日が経った。
あの夜から、セレナはアレクの都合のいい時に抱かれ、暴力を受け、罵声を浴びせられる日々が続いていた。3年だ、3年も耐えた。
彼女が信じた愛はもうどこにもなかった。
なぜアレクは、愛人がいながらも自分に執着するのかーーセレナにはわからなかった。
そして美しかった愛は、すでに後悔と憎悪に満ちていた。
結局、愛人たちとの間にも子供はできなかった。
つまりは、アレクの方に問題があったようだ。
そのことはセレナをさらに惨めにさせ、追い詰めた。
*
兄レオナード・エヴァレットは幼い頃から、セレナにとって特別な存在だった。
セレナは結婚してから連絡を取っていなかった兄に、結婚10年目にして初めて助けを求めた。
しかし、セレナが全てを話し助けを求めた時、セレナの予想とは裏腹に、兄はとても冷淡だった。
「お兄様、私もう限界なの…。家に帰りたいわ....助けて....」
「お前が皇后という立場である以上、全てのことに責任が伴うんだ。簡単に捨てられる地位じゃないんだぞ。お前の将来のためにも、エヴァレット家のためにも、耐えるんだセレナ。きっと苦しいのは今だけだ」
(お兄様は一体何を言っているの…?)
心の支えであったはずの兄の言葉に、すでに限界を迎えていたはずのセレナの心は、砕け散ってしまった。
心が砕ける音などしないと思っていたが、私には《バキッ》という音が、はっきりと聞こえた気がした。
ーーレオンに助けを求めたその日の夜、宮廷の広間では宴が開かれていた。
アレクは愛人たちと共に楽しげに笑い、セレナの存在など最初からなかったかのように振る舞っていた。
セレナはその光景を静かに見つめながら、最後の決断をしていた。
王宮のテラスに立ち、セレナはゆっくりとアレクを見つめた。
彼もまた、彼女の存在に気付き、怪訝そうな顔をした。
「セレナ……何をしている?」
その声に、彼女は初めて微笑んだ。
皇后になってから初めて、心から笑うことができた瞬間だった。
誰かが言っていた。
《死は、あたかも最悪であるかのように言われるが、実は神からもたらされた、最大の祝福なのかもしれない》と。
私はその時やっとその言葉の意味を理解した。
(あぁーー今、私すごく幸せだ)
「来世があるのなら、私は二度とあなたの妻にはならないわ.....。あの世でもあなたを恨み続けます。きっとあなたもこれから不幸になるわ…楽しみね、アレク」
彼女はそっと、足を踏み出した。
「ーーセレナ!!!!!!!」
アレクの叫び声が聞こえた。
重力に引かれ、彼女の体はゆっくりと落ちていく。
宙を舞うセレナの視界に、アレクの悲痛な顔が映った。
(…なんて顔してるのよ)
セレナは意識が途切れるその瞬間まで笑っていた。
アレクの悲痛な顔を最後に見られてよかったと思った。
誰にも邪魔されることのない、美しい死だった。
やっと死ねるのだから多くのことは望まない。
ただもしも神というものがいるのなら、ここよりはマシなところへ連れていってほしい。
ーーこうして、セレナは26歳の生涯を終えた。