まるで皇后ね
(……なによ、その顔)
胸の奥が、ひどく落ち着かない。
さっきまでレベッカと向かい合っていたせいで張り詰めていた心が、今度は別の意味で乱される。
「もう下ろして」
ようやく絞り出した声は、思ったよりも弱かった。
「嫌だ」
「どうしてよ」
「疲れているんだろう?」
「それとこれとは別問題だわ」
セレナが睨んでも、叩いても、ユリウスは動じない。
むしろ、腕の中の彼女が少しでも暴れないように、抱える手にそっと力を込める。
乱暴さはなく、ただ、逃がさないという意志だけがある。
「奥様」
グレイが一歩先で扉を開けながら、落ち着いた声で言った。
「奥様。仕立て屋のいる応接室まではもう少しありますので、どうかユリウス様の思ままにさせてはいただけないでしょうか?」
「グレイまで……」
「ユリウス様のこんな顔を見るのは久方ぶりでございまして……」
さらりと言って、老執事はまた視線を逸らした。
「グレイは大袈裟だな」
ユリウスはまた微笑んだ。
セレナは恨めしげにグレイの背を見たが、当の本人はまったく意に介さない。
そうこうしているうちに、応接室の前についた。
「よし、ここでいいだろう」
ユリウスはまるで割れ物に触れるかのように、そっとセレナを下ろした。
「……どうもありがとう」
セレナは少し不貞腐れた顔でいった。
***
応接室に入ると、そこにはすでに数人の仕立て屋と侍女たちが待っていた。
仕立て屋の後ろには、色とりどりのドレスが何十ーーいや、百着はある。
一斉に頭を下げた仕立て屋たちが、次の瞬間、わずかに目を見開いた。
「旦那様、奥様」
年配の女性が代表して一礼する。
「本日はお時間を頂き、ありがとうございます」
「妻は疲れているので、無理をさせたくない。手短に頼む」
ユリウスの声は、もう普段通りに戻っていた。
年配の仕立て屋は心得たように頷く。
「かしこまりました。では、こちらにすでに仕立てたものをご用意しておりますので、お気に召したものがございましたら、お申し付けください。それからーー」
布地が次々に広げられる。
深い紺。
柔らかな灰青。
銀糸の入った白。
薔薇色に近い淡紅。
どれも高価で、美しい。
「こちらは新しく入った最高級の布地になります。新しく仕立てるものは、こちらの生地からお選びくださいませ」
だがセレナは、それらを眺めながら静かに言った。
「地味なものでいいわ」
その場の空気が、ほんのわずかに止まる。
仕立て屋たちは困ったように顔を見合わせた。
ミレイユもまた、小さく目を伏せる。
「できるだけ目立たない色がいいの。飾りも最小限でお願い」
セレナは淡々と続ける。
「余計な注目は集めたくないから」
言葉にした瞬間、自分の本音がはっきりと形になった気がした。
目立たず、静かに、ただ生き延びればいい。
そう思っていたのに。
「駄目だ」
ユリウスの低く、はっきりとした声が落ちた。
「……どうして?」
「君には、君の好きなものを着て欲しいからだ」
まっすぐな眼差しだった。
あまりにも迷いがなくて、セレナは思わず言葉に詰まる。
正直なところ、一回目の人生で皇后として生きていた頃は、いつも派手なドレスばかり着ていた。
色鮮やかなドレスを着ていると、気持ちまで明るくなるような気がして好きだった。
「……あなたには分からないわ」
「わからないから、君が本当にいいと思うものを選ぶんだ。いいね」
「……」
「俺は別に、君を飾り立てたいわけじゃない」
一拍置いて、ユリウスは言う。
「ただ、自分の心に素直にいて欲しいだけだ」
静かな言葉だった。
だが、その中にある意志は強かった。
(……ずるい)
「……わかったわよ」
ようやく、そう返した。
すると、ユリウスの表情がほんの少しだけ緩む。
そして、再びセレナが生地に目を落とした時、一枚の生地が、目に留まった。
深い藍に、ほんの少しだけ灰を混ぜたような色。
夜明け前の空のような、静かな色。
「……これ」
思わず指先が伸びる。
年配の仕立て屋が目を細めた。
「さすが奥様!お目が高うございますね。こちらは北方の絹でございまして、大変貴重なものです」
ユリウスがその布を見た。
それから、セレナの横顔を見る。
「この色、君によく似合うな」
あまりにも自然にそう言われて、セレナはまた胸の奥を掻き乱された。
「……そう?ならこの生地でお願いするわ」
セレナはそれだけ答えた。
「では、後ろにある仕立て済みのものは全ていただこう。セレナに合うに仕立て直してくれ」
ユリウスは淡々といった。
「はい旦那様!ありがとうございます!」
仕立て屋たちは大喜びだ。
セレナは驚いて、「そんなにたくさんどこに来ていくのよ!いらないわ、無駄遣いよ」と言った。
「無駄遣いなものか。君は侯爵夫人なんだぞ?このくらい当然だ」
二人のやりとりに周囲は微笑ましそうにしている。
「まるで皇后にでもなった気分だわ」
セレナは大きなため息をつく。
「……皇后なんかにさせるものか」
ユリウスは誰にも聞こえないくらいの声でつぶやいた。
「え?何か言った?」
セレナにも聞こえておらず、聞き返したが、ユリウスはそのまま黙り込んだのだった。




