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君は愛しのメランコリア  作者: 桔梗


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朝の訓練場

ーーアーデルハイト侯爵邸・訓練場


乾いた剣戟の音が、朝の空気を裂いた。

鋼と鋼が打ち合わされるたび、鈍い振動が腕に返ってくる。

ユリウスは一歩踏み込み、相手の剣筋を外し、そのまま流れるように刃を滑らせた。


「そこまで」


対峙していた騎士が息を切らしながら剣を下ろした。


「参りました」


周囲に控えていた騎士たちから、小さなどよめきが起きる。


「……やっぱり、別格だな」

「さすが我らが主人ですね!」

「そりゃあ“帝国の英雄”だからな」

「旦那様、容赦がなさすぎるだろ……」

「新婚早々、朝からこれだぞ」


囁き声が、あえて聞こえる距離で交わされる。

ユリウスは何も言わず、手にした剣を鞘に収めた。


「……で、英雄殿は」


軽い声が割り込む。


「新婚生活の方はいかがで?」


振り返ると、エドガーが腕を組んで立っていた。

周囲の騎士たちの空気が一瞬で変わる。


(……来たな)


ユリウスは内心で小さく息を吐いた。


「どう、とはなんだ」


「またまた〜とぼけないでくださいよ〜」


エドガーがニヤついている。


「ついに奥様を迎えたわけですから。屋敷の空気も、随分と柔らかくなりましたしね」


周囲の騎士たちが、ちらちらとこちらを窺っているのが分かる。

明らかに聞きたがっている。


(本当に……分かりやすい連中だ)


ユリウスはわずかに目を細めた。


「変わったのは、当然だろう」


「ほう?」


「この家には、長い間女主人がいなかったのだから」


淡々とした口調で言う。


だが、その言葉に、場の空気がほんの少しだけ引き締まった。

騎士たちは皆、その事情を知っている。


母を幼くして亡くし、父と二人で過ごしてきたこと。

そして三年前、その父さえも失ったことを。


エドガーは一瞬だけ視線を伏せ、それからすぐに軽い笑みに戻った。


「それで? 奥様とはうまくいっておられるんですか?」


「問題はない」


「“問題はない”ですか」


わざとらしく繰り返す。


「それはつまり、うまくいっているのか、それとも――」


「エドガー」


ユリウスが低く名前を呼ぶ。

それだけで、エドガーは口を閉じた。


だが、その目には明らかに面白がっている色が浮かんでいる。

代わりに、別の騎士が遠慮がちに口を開いた。


「……その、侯爵様」


「なんだ」


「ご結婚、おめでとうございます」


少しぎこちない言い方だったが、真剣な声音だった。

それをきっかけに、周囲の騎士たちが一斉に頭を下げる。


「おめでとうございます!」

「奥様、とてもお美しい方だと伺っております!」

「羨ましい限りです!」


口々に祝福の言葉が飛ぶ。

ユリウスは一瞬、言葉を失った。


「……ありがとう」


短く、それだけを返した。

騎士たちは満足したように顔を上げる。


エドガーの口元に、にやりと笑みが浮かぶ。


「今朝は機嫌がよろしいようで」


その一言に、周囲の兵たちが目を丸くした。


「え、今ので!?」

「機嫌いいのか、あれで!?」

「俺たちには全然わからねえ……」


ざわざわとした空気が広がる。


ユリウスは眉一つ動かさなかったが、木剣を握る手にわずかな力が入った。


「無駄口を叩く暇があるなら、お前たちも剣を取れ」


「ほら出た」

「やっぱり怖えよ旦那様」


小声でそんなことを言い合う兵たちの中に、赤い瞳の青年――カイラスもいた。

彼は他の者ほど表情を崩さなかったが、口元にはほんのわずかに笑みが浮かんでいる。


ユリウスはそれを見逃さなかった。


「カイラス」


「はい」


「お前もだ」


「承知いたしました」


カイラスはすぐに一歩前へ出る。


エドガーが横から楽しそうに言った。


「ほどほどになさってくださいませ、旦那様。奥様に“朝から護衛騎士を半殺しにしていた”などと伝わったら、さすがに印象が悪うございますよ〜」


ユリウスが初めて、ほんの少しだけ嫌そうな顔をした。


「……お前は本当に余計なことしか言わないな」


周りの騎士たちが一斉に笑う。


ユリウスは小さく息を吐いた。


(……まったく)


まるで飢えた獣のように、人の色恋の気配に群がってくる。

しかも、相手が自分だからなおさら面白がっているのだろう。


「侯爵様」


カイラスが一歩前へ出る。


若いながらも、立ち姿に隙がない。

赤い瞳は真っ直ぐで、余計な感情をあまり表に出さない男だ。

彼の生い立ちを考えれば、それも仕方のないことだろう。


「来い」


ユリウスが短く答えると、訓練場の空気が再び引き締まった。


二人は向かい合う。


木剣を構える音。

朝の光を浴びた砂が、足元でわずかに舞う。


カイラスは動かなかった。


先に仕掛けてくるタイプではない。

相手の呼吸を見て、隙を待つ。


(随分と慎重だな)


セレナの護衛を任せる男として、軽率でないことは重要だった。

だからこそ、騎士の中で一番忠誠心が強く、冷静な判断ができるカイラスをセレナの護衛にしたのだ。


次の瞬間、カイラスが踏み込んだ。

速いーー鋭さと、迷いのない剣筋だ。

だが、真正面から過ぎる。


ユリウスは最小限の動きで受け流し、そのまま懐へ入る。

木剣同士がぶつかり、甲高い音が響いた。


「っ……!」


カイラスが歯を食いしばる。


そのまま押し返されると思ったのか、すぐに足を引いて体勢を立て直した。

判断は早い。


だが、その一瞬の迷いに、ユリウスは容赦なく踏み込む。

打ち合いの音がしばらく続き、周囲の騎士たちが、いつの間にか口を閉ざして見入っていた。


「……っ!」


カイラスの木剣が跳ね上がり、次の瞬間には喉元へユリウスの切っ先が突きつけられていた。

カイラスは数秒そのまま止まり、やがて深く息を吐いて剣を下ろした。


「……参りました」


「悪くなかったぞ」


ユリウスも木剣を下ろす。


「だが、お前は防ぐことを優先しすぎる。守るべき相手がいるなら、それでもいい。だが、守るだけでは足りない場面もある」


カイラスは目を伏せたまま答えた。


「肝に銘じます」


セレナのそばに置くなら、こういう男の方がいい。

無駄に喋らず、余計な感情を出さず、しかし肝心なところで退かない。


「侯爵様」


一人の騎士が、おずおずと口を開く。


「今のは、どうして最後に右へ流されたんです?」


「左へ弾くと思っただろう?」


「は、はい」


「だからだ」


短く答えると、騎士たちは「なるほど……」と感心したように頷き合う。


「次だ」


ユリウスは短く告げる。


「全員、訓練に戻れ」


「はっ」


騎士たちが散り、再び訓練場に剣戟の音が戻る。

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