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君は愛しのメランコリア  作者: 桔梗


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希望は罪

なぜ、何も言わなかったのかといえば、自分には、温もりはなくとも一応家族がいたわけで、

ユリウスの気持ちを理解できると言うことができないからだ。


だが、頭の中で一つの疑問が浮かぶ。


(つまり……)


この屋敷は長い間、父親と息子、二人だけだったのだ。

そして三年前、その父親も亡くなった。


残ったのは――ユリウスただ一人。


セレナはふと、昼間の玄関ホールの静けさを思い出した。

あの静けさは、最初からそこにあったのではない。

きっと、長い時間をかけて染み込んだものだったのだ。


「……」


セレナは視線を落とした。


ユリウスは何事もなかったかのように食事を続けている。


「……そういえば」


ユリウスの声に、セレナが顔を上げる。

ユリウスは少しだけ困ったように笑った。


「君の部屋はどうだった?」


一拍置いて、続ける。


「気に入った?」


セレナは少し驚いた。


(……そんなことを気にする人なのね)


彼は帝国の英雄で、アーデルハイト侯爵だ。

妻の部屋一つの感想など、気にするような立場ではないはずなのにーー。


セレナはそっとナイフを置いた。


「ええ」


少し考えてから答える。


「とても落ち着くいい部屋だったわ」


窓の外に揺れていたコスモスを思い出す。


「窓から見える庭の花も、とても綺麗だった」


ユリウスの表情が、わずかに緩む。


「それはよかった」


本当に安心したような声だった。


「だけど――もちろん夫婦の寝室は別に用意してあるからな」


セレナは少しだけ目を瞬かせた。

ユリウスは穏やかに続ける。


「あとで、ミレイユに案内してもらうといい」


その言い方は、どこまでも自然だった。


「ええ。わかったわ」


「これから先、君と一緒に眠りにつくことができると思うと、本当に幸せだよ」


ユリウスは優しく微笑む。

ユリウスの表情や言動に驚いたのか、使用人たちは顔を見合わせていた。


(なんだか、気恥ずかしいわ……)


「……ええ、私もよ」


結婚した以上、同じ寝室で過ごすのは当然だ。

それを覚悟していなかったわけではない。


けれど――


(これ以上はダメよ)


心の奥で、小さく呟く。


ユリウスは優しい。それはよく分かっている。

だが、安心してはいけない。私はこの感覚を知っている。

それは――希望だ。


そして希望は、必ず裏切られる。

それがどんな結末を招くのか、もう嫌と言うほど知っている。


一回目の人生で、それを知った。

二回目の人生では、もっと深く知った。


愛してしまえば、その分だけ――必ず失うことになる。

いや、下手をしたら、倍になって心に大きな傷跡を残す。

だからもう、望まないと決めたのだ。


愛は裏切る。

誓いは壊れる。

幸せは、長く続かない。


それなら最初から期待しなければいい。

そうすれば、失うものもない。


生ぬるい不幸でいい。

穏やかで、退屈で、何も起こらない人生でいい。

それが一番安全なのだ。


それなのに、どうしてーーこの男は、素知らぬ顔で、人の心を揺らすことを言うのだろう。


「セレナ」


ふいに名前を呼ばれ、セレナは顔を上げる。

ユリウスが心配そうにこちらを見ていた。


「まだ疲れているだろう」


穏やかな声だった。


「今日はもう休むといい。明日、起きたら君に紹介したい者たちがいる」


「紹介したい人?」


「あぁ。君の護衛騎士と、それから、俺の兄のような人だ」


「わかったわ」


セレナの返事を聞くと、ユリウスは静かに立ち上がる。


「ミレイユ」


扉のそばに控えていた侍女が一歩前に出た。


「はい、ユリウス様」


「セレナを寝室へ連れて行ってくれ。それから、セレナがよく眠れるようなお茶を出すように」


「かしこまりました」


ミレイユは丁寧に頭を下げる。

セレナも立ち上がった。


そのとき、ふと壁の肖像画が目に入る。

若い夫婦と、小さな少年。

幼くあどけないユリウスが、母の隣で笑っている。


(……)


その微笑みは、今の彼とはどこか少し違って見えた。

いや、今のと言うより、出会った頃の彼とも違う。


もっと、子どもらしく無邪気でーー。

もっと温かいようなーー。


セレナはすぐに視線を外した。


(……私には、関係ないわ)


これは、自分とは関係のない過去だ。


彼がどんな人生を送ってきたのか。

母を失い、父親とどんなふうに過ごしてきたのか。

そんなことを考える必要はない。


考えてしまえば――余計な感情が生まれてしまう。


「奥様」


ミレイユがそっと声をかけた。


「こちらへ」


セレナは小さく頷く。

そして食堂を後にした。


廊下は一際静かだった。

夜の屋敷は、昼間よりさらに静まり返っている。

足音だけが、長い廊下に響いていた。


(……本当に静かね)


この屋敷は、本当に静かだ。

けれどその静けさは、冷たいものではない。


むしろーー長い時間をかけて、少しずつ積み重なった温かな何か。

そして、人生に疲れ切ったセレナにとって、この静寂は心から安心できるものだった。

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