転生したら猫でした
タオ王国には、五人の大神官がいる。
彼らは千年の昔、厳しい修行の末に癒しの力を会得した。その力を、峻厳な山地ばかりの国で苦労をして暮らしていた民たちに惜しげもなく使った。
だが、大神官たちとて出自は人に過ぎない。寿命がくれば、肉の器は天意を全うする。ごく当たり前の自然の摂理の前には勝てない。
しかしながら、彼らの癒しの力は、その魂と共に新たな肉体に宿るようになった。そのため、タオ王国では、大神官が亡くなってから一年以内に生まれた赤子が集められ、新たな大神官の選定の儀が行われる。
輪廻転生によって、生まれ変わった大神官たちは、以前の生の記憶の断片を持っている。血縁や性別に関係なく転生をするが、本質的には同じ人間。そのように考えられている。
不思議なことに、大神官たちは必ずタオ王国に住むタオ族の子として生まれてくる。千年間変わらぬその摂理が、十年前に破られた。
御年108歳の大往生を遂げた大神官ルーシャオの生まれ変わりが誕生しなかったのだ。
慣例通り集められた赤子は、誰一人とて癒しの力を持たなかった。ごく稀にそのような事態は発生したが、その場合でも五歳くらいまでに前世の記憶を思い出したり、癒しの力を発現したりするのだが、それもなかった。
大神官の癒しの力は、近隣諸国にも分け与えられている。多額の金銭と引き換えだが。おかげで、タオ王国は耕作地に適さない土地ばかりであっても、裕福な国になった。
それ故に、大神官が一人欠けることは由々しき事態であった。もしかしたら、今後も大神官が生まれぬ可能性もあるのだ。
国中が血眼で探しても、ルーシャオは見つからない。
当然だ。
今生のルーシャオは、猫の器に宿って生まれてきたのだから。
「ルーシャオ様は、どちらにいらっしゃるんでしょうね」
若い女がお腹を撫でながら、隣にいる母親を見上げた。
ここは、タオ王国の貧民街だ。千年の間に国は富んだが、その富は王族や一部の貴族に集中している。大神官たちを保護の名目で、神殿に囲い込み、近隣諸国から訪う貴人たちの治癒の謝礼を独占しているからだ。
「そうねえ。ルーシャオ様は、私たちのような者にも等しく癒しの力を使ってくださったから、案外、お近くにいらっしゃるかも知れないわ」
ルーシャオは、己の癒やしの力が特権階級のものになることをよしとしなかった。貧民街にも積極的に訪い、その力を振るった。
(ほとんど覚えていないが、俺はこの土地で生きる人々のために癒やしの力を得た……)
窓辺で丸くなりながらルーシャオは、母娘を見つめる。薄っすらとした前世の記憶で、二十年近く前に会ったことがあるような気がするが、どういった経緯だったのかは思い出せない。
転生を続けていることは理解しているが、全ての記憶を持っている訳ではない。霧の中に断片が浮かんでいる程度で、古い記憶ほど、数は少ない。
「ルーシャオ様にお会い出来たら、御礼を申し上げたいわ。ルーシャオ様に救われたから、この子が生まれるのだと……」
「ああ、そうだね。医者にもかかれない私たちのために、癒やしの力で病を治してくださった。感謝しても、しきれないよ」
母娘の笑顔に、ルーシャオは嬉しくなった。
(そうだ。俺は、この笑顔を見たかったのだ……)
千年前に癒やしの力で初めて人を癒した時、不治の病に冒されていた少年が笑ってくれたことだけは、幾度生まれ変わっても、鮮明に覚えている。
「にゃあ」
母娘に答えてやりたいが、猫になったルーシャオには人の言葉は喋れない。それどころか、癒やしの力も使うことが出来なくなっていた。力そのものが消えたというよりも、使うための出口が人と猫では異なるためだろう。
「まあ、マオもルーシャオ様にお会いしたいの?」
マオ、とは今生のルーシャオの名だ。貧民街の地域猫に過ぎないが、彼らは貧しい暮らしの中でも、猫を大事にしていた。猫が神殿に仕え、魂の声を聞くとされる神聖な獣だからだろう。タオ王国では、猫を手厚く保護している。この地に古くからあるタオ猫の血統なら尚更だ。
「にゃあ」
俺がルーシャオだけど、と笑う。
「ふふっ、ルーシャオ様を見つけたら、教えてちょうだいね。魂の声を聞ける猫なら、きっと見つけられるもの」
母親の大きな手で頭を撫でられ、ルーシャオはごろごろと喉を鳴らす。
「あ、動いた。この子もルーシャオ様に感謝しているのね」
娘が笑いながら呟いた時、ルーシャオは気づいた。よく知った気配がすることに。
(ミンファ……お前はそこにいるのだな……。お前は、また人の子として生まれるのか)
五人の大神官の一人であるミンファ。彼女は一年前に御年120歳で身罷った。大神官は総じて長生きだが、彼女は毎回大神官一の長命だ。おそらく、最初のミンファがそうだったからだろう。
ルーシャオは立ち上がり、窓から道へと降り立つ。ゆっくりと歩き出せば、たちまち人々が集まってくる。餌をもらったり、撫でられたりしていれば、皆が笑顔になっていく。
(猫とはすごいものだな)
猫の癒やしの力の前には、大神官の癒しの力など足元にも及ばぬ。
(ああ、そうか。前の俺は、最期にこう思ったのだ。多くの人々を分け隔てなく癒したい、と)
その結果が、猫の器だったのだろう。それも、血統書付きの立派な猫ではなく、市井に住む名もなき雑種だ。最初の輪廻転生からそうであるように、タオ王国に住むタオ族に生まれた。雑種ではあるが、猫のタオ族であるタオ猫の血を引いている。
「マオ」
「マオ、こっちにおいで」
「マオ、抱っこしようね」
人々の笑顔の花を見ながら、ルーシャオは満ち足りていた。これこそが千年の長きにわたり、ルーシャオが望んでいたものだった。
猫の身体で十歳は相当な歳だ。あとどのくらいこうしていられるかは分からない。だが、生命が絶えるその瞬間まで、人々の笑顔を願い続けようと思った。
また来世もそうであったらいい。大神官などではなく、多くの人々の心を癒す存在になれるのなら……。
そして、どうか次は全てを忘れ去りたい。大神官ルーシャオの名は、もう必要ないのだ。
ただのマオとして生きることを決め、ルーシャオは「にゃあ」と決意の声を上げた。
それに応じてくれる人々の笑顔に、マオは尻尾を振り、もう一度鳴いた。