Red nightmares
疲れている時や、体調を悪くすれば、妙なものを視界は捉えだす。
例えそれが元は現実にあるものでも、形を歪ませ、あるいは突如として非現実的な物体に感じさせる事も――――。
私が私自身の今の心境から客観的に分析して、正気である内にこれを書いている。
妄想に駆られた症状が、長引くのを防ぐ為――――それも僅かな望みだが、引いてくれる事を願って。
私は今思えば、頻繁に夢を見る体質だった。
ある観客席に座り、スタジアムのような場所で何らかの劇を見ていた時、遠くから鷲が飛んできて自分の思った通りに右腕に止まり、左側へと飛びだって行く夢や穏やかな田舎の家の縁側で、秋のそよ風を浴びつつ一面が光輝く稲に覆われた畑を眺める夢。
その夢では両肩に居る穏やかな表情をした兄や父の姿を見ながら、「平和だな」と呟いて覚めた事が記憶にある。
そういった夢は吉兆とされているが、吉兆の夢を見続ける日に限って、精神的に不安定で、何をするにも鬱屈とした気持ちでいる事が多かった。
それがいよいよ、脳が警鐘を鳴らし始めたのか、昨日ある不気味な夢を見た。
視点はどこからか見据えたカメラの画面のように私の顔面を捉えており、黒い筈の瞳が真っ赤に、それも火傷後のように中央の瞳孔から広がるように赤く腫れていたのだ。
夢の中の私は特にもがき苦しむ様子も無く、正面に居る母が何かを取り上げて怒鳴っていた。
夢が覚めたのは日曜日の午後二時頃。
枕元に置いてあったスマホからなる着信音によって目覚めさせられ、手に取ったスマホに表示された時計で時間を知った。
発信先は、私の古くからの友人だ。
正直言って、後味の悪い夢からのあの生々しさから逃避したい気持ちでいっぱいだったので、ありがたいと感じながら寝ぼけた頭で他愛もない会話を進めていた。
しかし、眠気というものは喋っている内にもまだ粘り強く頭の中に残るもので、眠気を理由にすぐに切ってしまった。
再び起きた時間は午前一時。
眠り過ぎたのだろうかと思いながら、重く痛む頭を前へと上げ、共に敷布団に置いていた背中を曲げる。
微かに感じる背中の違和感は、身近にあるスマホや本を寝ている内に誤って敷いてしまっていたのか、寝違えたのだろうと考え、私は気怠い身体をその場から立ち上がらせた。
寝起きの頭、身体というのは思い通りに動かないもので、眼にしている物でさえも想定している物とは違った物に映る。
平らな部屋の床、廊下や居間の絨毯が歪んでいるように感じ、斜めに傾いていたり、壁が迫ってきているようにも見え、感じる。
見慣れ暮らす家の中は不気味な環境と化していたのだが、その時は眠気もあってそのせいにして飲み物を冷蔵庫から持ってこようと千鳥足で台所へと向かう。
視界の役割と言うのは偉大なもので、正常な物を捉えて居ればこそ、私達は物体や空間、色といった物を認知できる。
それが今狂っているせいで、踏みなれている筈の床さえも、足元が不安定で、体の重心があちらこちらへと気まぐれに分散しているように感じ、とうとう転びかけて壁へと寄りかかってしまった。
低血糖、貧血、立ち眩みのせいだろう――――というのも、私は食がもとより細くやせ型で、食事も不規則なタイミングで摂りがちの生活を送っている。
その為、体調不良はしょっちゅうの事だった。
しばらく、体調が回復するまでの間こうして壁に寄りかかっていよう。
そう決めて、私は目が覚めながら、再び活動を開始できる時期を伺っていると、何か妙な感覚がした。
寝違えた所が悪かったのか、眠り過ぎたのが祟ってか、またしても違和感を覚えた背中が重くなり、あまりの不快感に私はその場で跪いてしまった。
床に着いた膝が痺れ、段々と楽になっていくどころか、重くなっていく気さえしてくる頭。
脳が状況の理解を拒むように、思考は徐々に奪われていく。
それと共に、眠気が瞼を閉ざしていくその寸前。
一瞬奇怪な、その正体が何ともつかないような“物体”が見えた。
汚泥の塊、排水溝に詰まったヘドロを寄せ集め、それを幼児が力ない手で団子状にしようとしたかのような形状――のようにも見えるが、そもそもそんなものが有りえる筈がない。
深く、それについて考察する理性すら無く私はこの物体の前で、こと切れるように眠ってしまった。
――――次に意識が回復し、眼に飛び込んできたのは、真っ赤な空間。
どこを向けども、赤ばかりが広がる。
否、もはや自身が動けているのかすら解らない。
空間の中に居るのか、それとも目に赤が張り付いているのか。
思うに、これはまた不思議な夢だと思う事にして、その場で眼を瞑った。
次に目覚める時は、きっと記憶を辿るに、目が覚めた時には私の体は廊下に居るのだろう。
私の顔に迎えるのは朝日か夕陽か、両親の顔か。
さておき、さっさと目覚めたいものだ。
瞼を開けた時の状況は、私が思ったよりも静かだった。
両親が心配して私を揺さぶるか、家の壁にある窓を覗きこみ、体感で時間を察して飛び起きるはめになるかと思っていたのに。
そこで早々に学校の準備をするなり、休みの連絡を入れるなりする事になるかと思っていたのにも関わらず、私の想定を裏切り、目の前に広がってきたのはいやに白い天井。
天井は右側から白光し、眼前の薄手の、シアン色のカーテンはそよ風を伴って存在を主張する。
左側を見ると、同様のカーテンに覆われ、白い柵と、その奥にはガートル台が置かれていた。
試しに左手をまず動かしてみれば、皮膚を伝って独特の清涼感と管が布団から私の細い腕と共に露わになる。
なるほど、どうやら私が気絶している内、両親が病院に連絡してくれたらしい。
あれは、何らかの不調による眩暈と気絶だったのだろうか。
だとしたら、あの気怠さと違和感は納得だ。
けれども、気になる事がある。
あの奇妙な物体は何だったのだろうか。
思えば、その後に見えた夢の内容も覚えているのも気がかりだ。
あの一面の赤。
気持ちが悪い程の赤。
背中を起こし、体勢を整えようとしたが、背中が動かない。
患者を安静な体制で居させるための、ベルトでもされているのだろうか、それにしては特有の拘束感が無い。
こういう場合は、ナースコールを押しておくに限る。
ナースコールは基本、患者の手元か枕許にあるものだ、探せばあるはず。
僅かに動ける首を左右に動かし、あるいは前に倒して、ナースコールを探すと、右手付近の柵にそれは絡まっていた。
ボタンを押して、しばらくすると、奥から扉の開く音がした。
一体、私はどうしていたのか。
大方貧血で倒れていたのを搬送された、とでも言われるのだろうと思っていた時。
目の前のカーテンが、開いた。
誰が来るのかと思えば、そこには看護師の姿は無かった。
通院している子どものいたずらだろうか。
よくある事だ。
ため息が漏れ出て、左側を向くと――――ガートル台にさがっていた点滴のパックが、毒々しい色に変わっているのに気が付いた。
つい先程まで透明な色だったのにも関わらず、ペンキそのものを入れたような、濃いピンク色になっている。
突然の出来事に、私は点滴を引き抜こうと右手で管に触れた刹那。
「大丈夫ですか?」
女の人の声がした。
はっとして、声の方へ向くと、空いたカーテンから茶髪の看護婦さんが心配そうな顔を覗かせていた。
左側を見てみれば、そこには何の変哲もない透明感のある液体の詰まったパックがさがって、私の左腕に管を通して中身を注ぎ続けている。
また夢か。
冷や汗を滴らせていた額を、今度は冷や汗を止めて歪ませる。
夢を見るのはまだいいが、何故こんな目に。
看護婦が言うには、私は両親に救急車を呼ばれ、搬送されてここに居るらしい。
曰く搬送された時には、頭を強く打ったらしく、頭蓋骨にひびが入っており、植物人間の状態にあった、と。
私はその時の期間については問わず、ふと窓際に置かれている台の上にある写真立てを覗きこんだ。
それに映っていたものに、思わず目を丸くして写真を両手でつかんだ。
写真に写っている、何らかの劇場の席で、鷹が腕に止まっている私だった。
「あら、気になる?」
「これって、いつ撮ったんですか?」
「鷹匠のショーで、お父さんが撮ったんだって」
その隣にある写真も、見た事の無い畑が一面に映っており、私は仰天した。
これは私の夢じゃあなかったのか。
「それも、あなたと旅行先で撮ったんだって。覚えてない?」
私が植物人間状態にある時、これらの記憶を脳内で反芻していたのか。
だとしたら、納得がいった。
これまで見て来たものは、夢――――それも、これまで記憶していた物を再現していたのだ。
だから、家が歪んでいたり、変な物が見えたりしていたのか。
それにしても、赤い空間は何だったのだろう。
私はそう思いながら、眠気に襲われ、その場で欠伸と共に一瞬目を閉じた。
目を再び開けると、また――――赤が広がってきた。
嘘。
私はまた目を瞑ってみるが、今度は何度目を開けても赤色が消えない。
何度も瞬きをしつつ、暴れてみても赤は全く消える様子が無かった。
「お母さん! お父さん!」
叫んでも、声は届かない。
途方に暮れて、泣きだしていると、また視界が変わる。
視界が変わった時、見えてきたのは医師と思しき男の顔。
「……君、眼が覚めたか」
左右を見ると、私の両腕を抑える両親の姿があった。
状況が掴めず、熱い顔のままで医師に問う。
「どういうこと、なんですか? これは、夢なんですか? それとも、また現実? どれが現実なんですか」
医師は、告げた。
「残念ながら、君には区別がつかないだろう。君は後頭部と脊髄を打った時から、ずっと夢を見続けていたのだから」
後頭部と脊髄を打った時?
それは一体いつなのだろう。
少なくとも、私の感覚は既に狂ってしまっている。
今度こそ、私は聞いた。
「それって、いつからなんです……?」
荒れた声で聞くと、医師はため息を吐きつつ、答えて返す。
その時の様子は、申し訳なさそうで、右隣りの母は涙ぐんでいた。
「君が五歳の時からだよ」
「じゃあ、私の“現実”は全て、夢……?」
「誠に申し訳ない……そしてこれからも、夢……いや、幻覚は続くだろう」
私の奇妙な出来事の連続についての話は、これで終わりだ。
今後も、また悪夢を見続けるのかと思うと、正気では居られなくなる。
既に正気ではないのかもしれないし、こうして書いている事自体も夢や幻なのかもしれない。
正直、私は疲れた。
両親が私の為に苦しまないように、眼を傷つけて、眼を見えなくしてしまおう。
そうすれば、幻を見る事は無くなる筈。
今片手に、果物ナイフを持っている。
さ、もう終わりだ。
ワタシノナカ二、アカガアッタ。
お久しぶりです。
今年(2023年)に入って、始めての投稿が怪奇小説となりました。
また何卒宜しくお願い致します。