09.素敵すぎる婚約者
「アディ、ニール」
「チャール兄様」
少し気まずいかも……なんて思っていたら、ちょうどチャール兄様に呼ばれたのでそちらを向く。すると、チャール兄様が婚約者のエリー様とこちらに歩いてくる姿が見えた。
「こんにちは、アデリナ様、ニール様」
「こんにちは、エリー様」
エリー様は輝くような赤い髪と淡い桃色の瞳を持つ美しい方。年齢は私の一つ上だけど、とても大人っぽく見える。
父譲りの金髪と碧眼がとてもよく似合う、見目麗しい王太子と評判のチャール兄様と並んでいても、本当によくお似合いだ。
「お二人はご婚約されたのだとか。おめでとうございます」
「ええ、ありが――」
「そうなのです、ありがとうございます!」
エリー様の言葉にお辞儀をして答えようと思ったら、私の声に被せるようにニールが食い気味で大きく頷いた。
それと同時に、なぜか手を握られる。
「ふふ、二人は前から仲がよかったものね。婚約が成立してよかったわ」
「ええ、本当にその通りです!」
「……」
前から仲がよかった? そうだったかしら?
どう見ても、ニールは護衛の仕事のために私と一緒にいてくれただけだったと思うけど……。まぁいいか。
「よかったですね、アデリナ様。ニール様に愛されて、幸せですね」
「は、はい……」
「それでは、お二人とも今夜のパーティー、ゆっくり楽しんでいらしてくださいね」
「ありがとうございます」
にこり、と淑やかに微笑んで次の方へ挨拶をしにいくエリー様とチャール兄様の背中を見送って、私はこの握られた手をどうしようかと頭を悩ませた。
「そうだわ、ニール。私何か飲み物をもらってくるから、貴方はここで待っていて」
「俺も一緒に行きます」
「ううん、一人で大丈夫。一人で行きたいの。だから待っていて?」
「……わかりました」
渋々頷くと、ニールはようやく私の手を離してくれた。
ニールから離れて深く息を吐き、飲み物をもらうため、彼から距離を取る。
手を握られるのが嫌なわけではない。だけど、ドキドキしてしまうし、汗をかいて恥ずかしいのだ。
慣れない。ニールが婚約者だということが、未だに慣れない……!
「……」
ちらりとニールを振り返ると、彼はじっとこちらを見ていて目が合った。
思わずさっと逸らしてしまったけど、なんだか見張られているようで落ち着かない。
もちろん、ニールに求婚されたことも嫌ではなかった。
むしろ、どちらかと言えば嬉しかった。
一時の感情で婚約を受け入れてしまったわけではなく、今でも彼の妻になる気はちゃんとある。
だけど……。
遠くからちらりと彼の姿を捉えても、やっぱり彼は目立つし格好いい。
今まで護衛として側にいた、あんなに完璧なニールが急に私を愛してると言ってくることに、未だに戸惑っているのだ。
「あ……」
そんなことを考えながら飲み物をもらおうとしていたら、ニールに近づいていく女性の姿が見えた。
ここからでは何を話しているのかまではわからないけれど、三、四人の令嬢がニールの周りを囲んだ途端、それに続くように他の令嬢もニールに近づいていった。
ニールの周りはあっという間に女性たちで溢れる。
「……さすがね」
今日は護衛ではないし、一人になった途端、彼と話をしたい令嬢たちがチャンスとばかりに群がっているのだろう。
彼は私の婚約者なのに……!
一瞬胸の奥がもやっとしたけれど、ここで偉そうにするから反感を買うのよね。
私は改心したのよ。これからは大人しく生きていくと決めたのだから、こんなことで怒っては駄目。
ニールと離れたのは私の意思でだし、これは私にとってもゆっくりするチャンスなのではないかと、そのまま静かに庭へ足を向けた。
『――そうよ、あの王女のせいで私までお父様に叱られたんだから!』
庭に出ようと廊下を歩いていたら、曲がり角の手前で〝王女〟という言葉が私の耳に届いてぴたりと足を止めた。
『でもあれはイルゼが悪いのよ。王女様を陥れようとしたのは事実だし……』
『それはそうだけど……、でもそもそもあの王女が傲慢で偉そうなのも事実だし。聖女であるイルゼをまったく敬っていなかったじゃない?』
『まぁ……王女様だしね』
この国に、王女は私一人だ。だから、私のことを言っているということはわかる。
『とにかく、王女と聖女の自分勝手な行いに私まで巻き込まないでほしいわ!』
場所をわきまえずに(隠れているつもりなのだろうけど)、私や聖女の文句を言っているのはイルゼと親しかった子爵令嬢、リリーだ。
あのとき、イルゼがわざと階段から落ちることを企んでいたと、ぽろっとしゃべってしまった子。
巻き込んでしまったのは悪かったけど、しゃべったのは自分なんだし、父に怒られたのは自業自得でしょう。むしろ怒られただけで済んでよかったと思うべきだ。
『っていうか見た? 今日のアデリナ王女。早速ニール様にエスコートされてきたわよね。今までヘクター様には一度もエスコートされていなかったのに、これ見よがしにニール様を自慢しているのよ!』
『ヘクター様にエスコートされていなかったのは、ヘクター様がイルゼをエスコートしていたからじゃなかった?』
『どうしてニール様はあんな王女に求婚なんてしたのかしら。もしかして王女に弱みでも握られているのかしらね!』
『リリー、そんなこと言うものではないわ』
リリーは相当機嫌が悪いらしい。
興奮して、可愛く巻いている桃色の髪を大きく揺らしながら、だんだん声が大きくなっていくのを彼女の友人が宥めている。
私だって、どうしてニールが急に私に求婚してくれたのか聞きたいわよ。
『だってそうでしょう? ニール様は今まで王女にも誰にも興味を示していなかったのに、急に王女を愛してるなんて……おかしいわよ!』
そうね、それは確かにおかしいと思うわ。
『きっと婚約破棄されて王女があまりに惨めだったからよ。かわいそうなニール様! 私があの方を慰めてあげようかしら!』
『ちょっとリリー、なにを言っているのよ』
本当に、なにを言っているのだろうか。
いくら友人同士の内輪の会話だったとしても、言っていいことと悪いことがある。
相手は王女の婚約者だ。
しかも、その王女にしっかり聞こえているわよ?
「あの我儘王女に比べたら私のほうがいいに決まっているわ。きっとニール様を振り回すに決まっているんだから――」
「リリー!!」
「――え?」
こっちを向いていた友人の顔が青くなる。
「へぇ、私より貴女のほうがニールに相応しいというのかしら?」
さすがにこれ以上黙っていられなくなった私は、彼女たちの前に姿を見せた。




