WEB小説の面白さが理解出来ない
最近の悩みはもっぱらコレ。タイトルの通りWEB小説の面白さが理解出来ない。自分自身ネットに作った物語を投稿している身としては理解したいのだが、どうにも上手く行かない。
そもそも私はお笑いが好きで、コントや漫才を作ってみたいというところから発展し、短編小説を書く趣味が生まれた。とくに「確かにそういう人いるわなぁ」とか「その状況ならそう思うよな」みたいな日常をよく観察しているから生まれているネタが好きだったので、短編小説のジャンルも近しいものになった。
自分の得意なもので、なおかつ好きなものに注力していたのである程度反応は良かった。我ながら完成度が高いなと思った短編には実際評価が高くついたし、ときたま日間のランキングだけでも上位に食い込んだりしていた。出版社に提出してみたら、「様々な工夫があって読み応えがある」みたいなコメントをもらった(自費出版をプロデュースする会社だったので忖度の有無も否めないが)。
しかし私はある時気づいた。ネットに短編小説を投稿しているだけでは金にならない、と。いや別に金のためにやっている訳では無かったのだが、色んな人が読んでくれて感想をもらってちやほやされて金も稼げる、そういう状態になりたかったのだ。そして、短編小説ではそれが無理なのだ。世間をどれだけ見渡しても短編小説のみで生活している作家はいない。私のリサーチ不足かもしれないが、書店の本棚を見渡してもすぐに見つからないとなると、最早同義だ。確に短編がヒットした作家もいるかもしれないが、それも長編で有名になってから。つまり短編を読んでもらうためには、代表的長編が一つや二つ必要なのだ。
そんな訳で、私は長編を作ろうと決めた。これにより、先述の悩みの沼に足を踏み入れる羽目になったのだ。
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①何故自己紹介しているのか分からない
とりあえず何本か長編を作ろうとしたのだが、どれだけ頑張っても1万〜3万のあたりで完結してしまう。そこで私は、参考のために何十何百話とストーリーが続いている連載作を読みに行った。物語の冒頭数行を読み、そこで私はある文にものすごく嫌な気分になった。それは、登場人物の名前が出てくる一文だ。例えば主人公の名前が「田中太郎」の場合、『俺こと田中太郎は、登校中〜』みたいな一文がある。何故一人称視点で物語が進んでいるのに主人公は自分で自分の名前を心の中で読み上げているのだろうか。実際の生活の中でそんな瞬間は無いし、なのでコレはとんでもなく違和感がある一文だ(正直私は異物感がありすぎてこの一文を気持ち悪く感じる)。
確かに、そんな部分を批判されたら一人称で書けない、と思われるかもしれないがそんな事は無い。そもそも主人公の名前が出てこない話はあるし、外部から主人公の名前を開示するパターンもある。『「田中太郎くん、今すぐ職員室に来なさい」と、校内アナウンスで俺の名前が呼ばれた』とか。それを、なんの工夫もなく先ほどのような自己紹介もどきを挟んでしまうのは、私にとっていただけない。他にも私の好きな小説『刑務所のリタ・ヘイワース』(映画「ショーシャンクの空に」の原作)では、レッドの視点から「昔、こんな囚人がいたんだけどさ〜」なんて思い出話を聞かせてくれるかのような形式にとれるので、多少の説明口調でも違和感を感じたりしない。
他にも『隣に住む幼馴染、山田花子は〜』というのもギリギリアウトだ。毎日会っている知り合いのプロフィールを、改めて心の中でそんな一文を読み上げている意味が分からない。主人公以外の名前ならもっと上手く出すタイミングはあるはずだし、幼馴染というワードを使うぐらいなら『そういえば小学3年生の頃〜』とか過去のエピソードを出せば昔からの知り合いなんだなと伝わるはずだ。
このようなリアリティのないモノローグには違和感を感じるし、それに何も感じずに没入できる読者がいるのも理解できない。
②それは本当にワクワクしているのか
私は現実世界を基準とした短編ばかり書いていたので、ゼロから世界観を構築していくのがすごく苦手だった。なので今度はファンタジーを読むことにした。さて、第一話。ページを開くとその世界観専門の用語が大量に飛び交い、覚えにくい人物名が大量に出てきて、その世界の中にある国について説明され…。単純についていけない。そしてコメント欄を見ると、「これから壮大な物語が続いていくと確信し、ワクワクしています!」と書いてあった。その感想、とても信じ難い。
私はハリーポッターシリーズを全部見ているし、ドラクエ、進撃の巨人、とある魔術の禁書目録、他にもデルトラクエストなんかにハマっていた。ファンタジーそのものにアレルギーがある訳ではない。加えて、先述のWEB小説同様それぞれの作品には例外なく、世界観の説明が挟まる。しかしそれらには違和感がない。挟まるべき瞬間に挟まっている。
一番分かりやすいのはハリーポッターだ。何も知らない主人公ハリーが、先に魔法を知っているハグリットやロン、ハーマイオニーに質問し、世界観が段々と広がっていく。自分が一番ワクワクしたのは、炎のゴブレットで他の魔法学校の存在が明かされた瞬間だ。よくよく考えたらイギリス以外にも魔法学校があるのは世界観的にも当然だが、そこで物語内での世界の広さを実感した。私はあの時のワクワクをよく覚えている。
ドラクエなんかのゲームでも同じだ。やはり「え、ここも進めるの? この扉入れるの? こっちに道あったの?」の瞬間が一番楽しいと私は思う。これまで触れてきた世界の広さという一線があって、それを越えた瞬間こそワクワクするのに。それをいきなり第一話で「この物語はこんなに世界が広いんです!」なんて提示されてもなぁ…と感じてしまう。
週刊少年ジャンプの漫画でも、多くがこのような途中から世界が広がるという手法をとっているのではないだろうか。トリコの『グルメ界』、HUNTER×HUNTERの『暗黒大陸』、Dr.ストーンでは『北米編』、僕のヒーローアカデミアなんかでは『海外のヒーロー登場』。自分たち自身でも何にワクワクしているのかなんとなく理解しているのに、WEB小説の第一話で、「これからの物語にワクワク!」…その感想は本当だろうか?
③その隠れ良スキル、主人公しか目を向けてないのおかしくないか
WEB小説の設定で、「ハズレだと思ってた能力がめっちゃ強かった!」的なモノがある。確かにこれは一昔前のエンタメ作品でも多く使われている切り口だ。主人公の機転、工夫で強敵を撃破していく様まさに痛快だ。しかし一つ大きな疑問がある。そんな汎用性の高い能力を何故誰も目をつけないのだろうか。ダンジョンがどうこう、というWEB小説で『どんな敵からも100%逃げられる』というスキルがあったとする。ダンジョンの奥には宝物があり、それに魔物が住み着いている。貴重な宝物がある場合はそれに比例して魔物も屈強になる。これだけの条件が揃っていれば、『どんな敵からも100%逃げられる』スキルが弱いとは全く思えない。魔物からは逃げまくってとりあえず宝物を集めれば良いのだから。ゲームでも「よくよく考えたらこれめっちゃ便利だよな」という技やアイテム、スキルに気づいた経験があるはずだ。それも、ネットの情報を見ずに。だったらファンタジー世界のダンジョンであろうと現実世界に現れたダンジョンであろうと、そこで本領を発揮するものに主人公しか目を付けないのは、いくらなんでも無理がある。
このような、工夫次第で最強みたいな設定で一番好きなのは、マーベル映画に登場する百発百中の弓矢使い『ホークアイ』だ。確かに狙ったものを外さない技術は隠れスキル感も無いが、周りが雷を扱ったり鋼鉄のアーマーを着たり、そういう能力で戦っているのに彼だけは生身でかつ弓矢。能力の格差をものすごく感じる。実際視聴者も、「弓矢でよく戦ってるよなコイツ」と思っている。それでも弓矢そのものにギミックを仕込んだり、何を狙うかで他のキャラクターに肉薄しているのだ。立体駐車場の近くで戦う際、既に崩壊しかけていたところに支柱へ狙いを定め、立体駐車場から大量の車を降らせて攻撃したシーンもある。正に、機転や工夫を感じる。
ここでWEB小説の設定に戻ると、その能力には何故か主人公しか目をつけておらず、その能力を普通に使役し、その能力のおかげで周りから評価を受けている。機転も工夫も感じない。確かにそういう設定を楽しむのは分かるのだが、私が理解出来ないのは、何故読まれ続けるのかである。この手の設定は、「次はどんなやり方で強敵を倒すんだ?」の期待感がキモだと思っているのだが、他の皆は違うのだろうか…。
④主人公の特別扱いが当たり前になっている
私が思うに、どんな物語でも主人公は2パターンに分かれると思う。平凡か非凡か、この2パターン。前者である平凡な主人公は、運悪く何かに巻き込まれたり個性的な面々に巻き込まれたり、その人の視点で物語が進む。私の好きな映画を例に出してしまうのだが、『コラテラル』は平凡なタクシードライバーが何も知らずに冷酷な殺し屋を客として乗せてしまい、そこから最悪な夜が始まるというストーリーだ。これは主人公が銃で撃たれたら簡単に死亡してしまう平凡な人間だからこそ成立する。
こちらの、主人公が平凡パターンのWEB小説は面白いと感じる作品もある。『コラテラル』のようなサスペンス系でなくても、平凡な主人公が周囲にツッコミを入れていくコメディーとして物語が成立し、違和感なく楽しめる。
対し問題は後者のパターンだ。WEB小説の主人公は運よく、偶然に、特別な人間となっている場合が殆どである。偶然変な設定のVtuberに選ばれたりゲームの世界の中で制作者から呼び出されたり。あるいは周囲が特別扱いしていたりもする。これは別に、主人公がいきなり特殊能力を持っているのがおかしいという話をしているのではなく、力を手に入れている理由又は代償が無いという部分がいただけないのだ。
例えばアイシールド21では毎日パシリとして走らされ、そのおかげで走るのが速くなった。弱虫ペダルでは毎日千葉県から秋葉原まで自転車で通っていたので坂道に強くなった。強い理由にはこれまでの修練がある。さらにそこから色んな弱点が露見して、それも克服していく。すごく説得力がある。
他にもドラゴンクエストⅣは両親が特別な存在で、だからこそ特別な力を持っていたのだが自分の育った村を魔物たちに焼き払われてしまう。野球漫画『砂の栄冠』では1000万円を手にしたせいでとんでもない苦悩や悩みを抱えてしまう。彼らはそれなりの代償を払っているのだ。そして皆、その逆境を乗り越えていく。
こやって見ていると、「非凡だから主人公」ではなく「主人公に非凡が備わった」のが殆どだ。たとえその非凡性を持ち合わせていなくとも、彼ら彼女らならある程度の逆境を乗り越えていたかもしれない。逆に「運よく能力を手にしたから主人公になった」と読み取れる場合、私からすれば自分が有利になった途端マウントを取る子供と同じとしか思えない。
スパイダーマンは運よく蜘蛛に刺されてスパイダーマンになったのではない。ベンおじさんの「大いなる力には大いなる責任が伴う」という教えがあり、さらにベンおじさんを失ったからこそスパイダーマンになれたのだ。
⑤惚れていくのにも段階があるのでは?
もっと理解出来ないのは、ラブコメである。夜な夜なアルバイトを頑張る姿をクラスのマドンナが見かけて、それだけで気に入られているストーリー展開があった。私はその構成を全く理解出来なかった。もし仮に、主人公の印象がなんの取り柄もないヤンキーだったとして、そのアルバイトが実は妹の学費を稼ぐために頑張っており、なおかつマドンナ側もそういう真面目な人がタイプであれば成立するだろう。しかし別にそんな描写も示唆も説明も無い。それに、夜な夜なアルバイトを頑張る姿を見かけた際の人間の心をきちんと考えた時に、本当にそこで好意を持つだろうか。まずは「へえ、案外真面目なところあるんだなぁ」と評価の変化が最初なはずだ。となれば物語の流れとしては「主人公を見直す」→「気になる」→「好きになる」のステップがある。それをすっ飛ばして、いきなりヒロインが赤面するのは如何なものだろうか。
見直すというパターンの他に、主人公がちゃんとカッコいい場合もある。学園コメディー漫画の『コミさんはコミュ症です』では登場する只野君は本来ツッコミ役なのだが、とんでもなく気遣いの出来る。内面にもちゃんと惚れ込む理由があるのだ。
⑥何故同じジャンルがウケ続けるのか?
私の中で一番理解し難いのは、これだ。同じような内容が評価を受け続けているのか全く分からない。異世界、異世界、異世界、ざまぁ、ざまぁ、ざまぁ、悪役令嬢、悪役令嬢、悪役令嬢…。その一個一個の作品が高い評価を得るのは分かる。しかしそれに追随した同系統の作品は何故飽きずに読まれている。どんなエンタメ作品でも、流行り廃りはあるのに。
例えば漫才でも、途中から見ても面白い事が重要視されたり、伏線回収が流行ったり、一つの話題を突き詰める内容にしたり、一個一個のボケの羅列だけで勝負したり、色んな変化があった。やはり同じパターンでは飽きられるのが目に見えており、だからこそ新しいものを求め続けた。そして新しいものを求め続けるエンタメには、「これがやりたい!」「これを見せたい!」みたいな強い意志をビンビンに感じるのだ。
確かに一つの見事なストーリー構成を目の当たりにして、憧れて真似たくなる気持ちもすごく分かる。というかどんな物事でも真似から始まる訳で。しかしそこから、模倣に過ぎなかった創作から、いつしかオリジナリティが勝手に生まれ、自分だけのモノを作りたくならないのだろうか。読者も、新しいモノを求めていないのだろうか。
面白い面白くないを抜きにして、とにかく同じジャンルがウケ続けている理由がわからない。
⑦学びが欲しい
⑥は、理解し難い事を書いたのだが、今度は一番強く想っている事だ。
私が一番言いたいのは、読んでいる我々を学ばせて欲しい。もっと作り手のメッセージとか想いとか考えとか意見とか主義とか主張を物語に乗せてこちらに叩き付けて欲しい。
異世界転生モノで私が不思議に思うのは、何故最後現実世界に戻ってこないのか、だ。どんなに苦しい現実でも異世界から帰ってきた主人公からすればまた別のものに見えてくるかもしれない。異世界での思い出が、現実に戻ってきた時に心の支えになるかもしれない。そういう主人公の成長に感化されて、我々も同じように成長出来るのではないだろうか。現実以外の場所に居続けて、楽しい事ばかりやっていく物語なんて何が面白いのだろう。小学校が楽しいからといってずっと小学生として留年し続ける訳にはいかないのと同じように、今いる場所を離れ、旅立ち、変化していかなければならない。ずっとご飯を作ってくれていた母親も、綺麗な家に住まわせてくれた父も、きっと先に死ぬ。我々は強くなることを強いられているのだ。だからこそ現実に戻ってきて、主人公の成長を私は見てみたいと思っている。
別に「冒険の中で主人公が成長するストーリー」だけを求めている訳ではない。母からの歪んだ愛が子供の感覚を狂わせたとか、中学生のイタズラで人が死んで取り返しがつかなくなるとか。とにかくなんでも良い。怒りでも喜びでも悲しみでも憐れみでも悲しみでも切なさでも儚さでも、もっと自分の内側にあるモノを曝け出した内容に、私は触れていきたい。
…まぁ、コメディとなると、そういうメッセージ性は不純物になるので省略するべきだったりするのだが。
ちなみに私はコメディをよく書く。
最後に
ここまで読んで頂いた人は思うだろう。「じゃあお前が書いてみたらどうなんだ?」その通りです。はい。
これだけ具体的に分析しているのでさぞかしクオリティの高いものを作れるはずだ。しかしそうもいかない。なんせやる気が出ないのだ。私は書きたいと思ったモノしか書けない。異世界転生とかざまぁとか考えてみたのだが、そもそもそれらに興味をそそられないので、模倣する気にもならない。冒頭にも書いたのだが、私は日常のあるあるからアイデアを絞り出す。そんな人間にファンタジーは無理だ。まぁ自分なりに頑張ってもみるけど。
という訳で、私が疑問を呈し世のWEB小説に対して出した意見を元に、誰か話を作ってください。WEB小説発の、世界的ヒット作が生まれる事を願っております。