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断罪現場に居合わせた私 短編集

断罪された悪役令嬢は隣国でも悪役であり続けるべく奮闘する

作者: 藍生蕗


「評判が悪いよなあ、お前のお姫様」


 その言葉に私のこめかみにピシリと青筋が浮かびます。


「高飛車で、我儘で、口が悪くて気位も高くて高慢ちきで? とにかく性格が悪いって凄い噂だよ……トリア?」


 晴れ晴れとした青空の元、向かいで優雅に紅茶を飲んでいる幼なじみを私は睨みつけます。相っ変わらず性格の歪んだ野郎です。しかもいくつか同意語の言葉が並んでますし、そもそも気位が高いのは褒め言葉でしょうに。多分。


 私がお仕えする主人、フィラデラ様は隣国の公爵令嬢です。私は隣国でお祖父様の命令の元、彼女を影から護衛する役目をしておりました。

 ですがひと月程前にあの国でトラブルがあり、それからフィラデラ様は私の母国、サウキス皇国へと留学にやってきたのです。


「だから婚約破棄なんてされるんだよなー」


 悪ノリが過ぎるその言葉に私は持っていたカップを中身ごと向いににぶん投げました。


「何するんだよ!」


「チッ!」


 私の行動を察し、フィラデラ様を好き放題言っていた相手────セレストは、綺麗な動作でお茶攻撃を躱しつつ憤慨します。


「フィラデラ様を侮辱するような事を言うからですよ!」


「本当の事だろう! お前だって気持ち悪いって言われてたじゃないか!」


「ええ……」


 その言葉に私は頬に手を当て思いを馳せます。


 私はフィラデラ様が元の婚約者(クソ王子)と婚約破棄をされた後に改めて挨拶をしに行きました。ずっと隠れて護衛をしていましたが、どうやらあの騒動でバレてしまったので。


 その際ずっと陰からフィラデラ様を観察……ではなく護衛していた事をお伝えしたところ、心底不快な顔で「気持ち悪いわ」と言われ、私の心はこの方に一生お仕えしようと囚われてしまったのです。


「意味が分からん」


 私のうっとりとした顔に呆れ、セレストがぼやくのが聞こえます。まあセレストは変わってますからね。


「フィラデラ様は少し口下手なだけです」


「少し……」


「まあ、あとはちょーっと感情的? 情熱的? なところもあるかもしれませんが……」


「お前にだけは言われたく無いだろうよ」


 ……もしかして馬鹿って言ってます?

 自覚はあれど、言われる相手によってはムカつきますよ。


「ふうん、でも……お前がそう言うって事は、悪い相手じゃ無いって事か?」


「ちょっと!」


 不穏な発言に私はセレストを睨みます。

 セレストは女受けする嘘くさい笑みを浮かべ、綺麗な所作でケーキを口に運び出しました。


「別に、ただちょっと面白そうかな、と思っただけ」


「フィラデラ様に余計なちょっかいをかけないでよ!?」


 フィラデラ様はまだご傷心の身。この国ではゆっくり過ごして貰いたいのです!


「しないよ、向こうが何もしてこないならな」


 そう言ってうっそりと笑うこいつは信用出来ません。今ここでヤキでも入れておきましょうか────


「殿下」


「ん? ああ」


 私の殺気に気付いたのか、護衛の一人がセレストに声を掛けます。その様を横目で見ながら私も自分に用意されたケーキをぱくつきます。


「悪いなトリア、そろそろ時間だ。また学園でな」


 会いたくありません。


「近づかないで下さい、あなた目立つから面倒臭いので」


「はは、それもそうか。じゃあまたコッソリ呼び出すよ」


 それも本意では無いのですが、隠密を基本としたい私にはそちらの方がまだマシです。


 セレストの退席を意に介さずケーキにフォークを刺していれば、護衛たちから不快感が露わにされますが、無視します。そもそも彼の都合に付き合ってるのはこっちの方です。


 セレストはサウキス皇国の皇太子で次期皇帝です。ですがここは宗教国家。私もまたルファスカ・リウスを称えるエンゼレール教団の最高指導者を祖父に持つ、サーディーン家の一員なのですから。


 ……お祖父様あれから昇進したんです。私という急所を抱えておきながら教団トップに就いたお祖父様に、凄い凄いと父や兄たちが一様に喜んでおりました。

 何か言い方酷く無いですか? まあいいですが……


 ともかくそんな事情もあり、王家とは対等にいなければなりません。呼び出された身で(へりくだ)るのは宜しくなく、また、一応公式の場ではもう少し礼を尽くすので、こんな場くらい多少の融通は許して欲しいものです。


「殿下……」


 フォークに刺したケーキを口に運ぶ前に、私は背中を向けるセレストに声を掛けます。


「……フィラデラ様はですね、本当は優しいんですよ」


 ぽつりと零した私の発言に、セレストは振り向き様に少しだけ驚いた顔をして、苦笑を返します。


「そうか、分かった」


 セレストは学園で生徒会長をしています。

 隣国から転校して来たフィラデラ様について、学生たちが悪感情を抱いている事を知ったのでしょう。それで気になったので私に調書を取りに来た……といったところでしょうか。


 自国のここでは私も少なからず名が知れているので、フィラデラ様を表立って庇いにくいのです。きっと我が家の家名にこの国の人間は掌を返したようにフィラデラ様に擦り寄って行く事でしょう。

 それはフィラデラ様をとても傷つけると思うのです。折角あの国で受けた傷を少しでも癒やして貰いたいと願ってこの国に来て頂いたのに。


「でもさ、トリア」


 振り向いたセレストは腕を組み、ちょっと悪戯っぽく笑っています。


「フィラデラ嬢って美人だよなあ?」


「は? ああああ!? 何言い出すのよ! ちょっと! 変なちょっかいをかけないでよ?!」


 声を荒げる私を綺麗に無視してセレストは後ろ手に手を振り去って行きました。

 鳥がぴちちと声を立てて庭木からこちらを見ています。


 ────皇家の庭。こんなところに呼び出されてまでフィラデラ様について不穏な話を聞かされるとはっ。

 澄んだ青空をキッと睨み付け、私はケーキの最後の一口を思い切り頬張ったのでした。


 フィラデラ様に変なちょっかいをかけるようなら、幼馴染だろうと皇太子だろうと、容赦はしませんからね!




 ◇




 皇城内の回廊を進み、皇太子の執務室に向かって歩いていく。在学中は皇太子の執務は軽減されているものの、皆無では無い。生徒会の業務と皇太子の執務の間に馬鹿の相手をして一息ついたが、結局仕事が増えた気がする。


(全く、こっちは他国の不穏分子やら自国の漏洩やらで日々頭が痛いってのに……)


 幼馴染(ばか)が後援に回っていなければ、取り立てて気にも留めなかった存在────隣国の公爵令嬢フィラデラ・イーステン。

 かの令嬢が学園でいじめにあっていると生徒会室で話に登った。

 他国からの留学生を蔑ろにしているなど、放置出来ない話である。


 で、幼馴染であり、何故か彼女の護衛気取りでストーカーばりに張り付いているトリアを呼び出し、話を聞く事にしたのだ。


 あいつ馬鹿だけど人を見る目はあるからな。変な相手に引っかかる事は無いだろう。けど、なあ……


 そもそも側近に調べさせたフィラデラは評判が悪かった。

 他の学生たちを見下して公爵家の名を振りかざしては好き勝手振る舞う生意気な女、だそうだ。

 けれど流石にそれを聞いて、おかしいだろうと突っ込まずにはいられない。


 所詮他国の令嬢が出来る事など、取るに足らないものでしかないからだ。国としての規模もサウキス国の方が圧倒しているし、公爵令嬢とは言え、この国では侮られてもおかしくない存在だ。振り(かざ)す権力など、どこにもない。

 

(まあそれでも噂は無視出来ない、か)


 しかし学園がかりでのいじめと言われれば、浮かぶのは高位貴族の子女たちだ。彼らならその辺りを理解し、くだらない真似はしないだろうに。


 と、いう事は噂が限りなく真実に近く、フィラデラがどうしようも無い、という事か? そこまで考えて、結局トリアを呼び出す事にした。


 馬鹿(トリア)はフィラデラの味方だ。身内贔屓かもしれないが、俺は結局その他の反対意見を押し切って、付き合いの長いトリアを信じ、楽観視する。


(多分、学園生活に於いてお互いに齟齬でもあったんだろ)


 そうして今、下らない断罪現場に巻き込まれているのは間違いなく不可抗力だ。────と、俺は軽く覚える眩暈をやり過ごし、自身の窮状を嘆いていた。




「貴方がこちらのアイリース嬢を階段から突き落としたのはここにいる皆さんが見ていましたのよ!」


「……存じ上げませんわ」


 大勢の令嬢に囲まれても踏ん反り────毅然とした姿勢は立派だが、もうちょっと空気を読めばいいのに……などと、どうでもいいお節介が頭に浮かぶ。


 昼時間に食堂で始まった寸劇は、多くの生徒の衆目の元、始まった。……というか俺が着いた時には既に始まっていた。


「何やってんだこいつら……?」


 貴重な昼休みに、喧嘩なら他所でやれよ。

 っていうかこうして見ると一番令嬢らしいのはフィラデラに見えるから不思議だ。しおらしさが皆無なので太々(ふてぶて)しく見えるのが損な役回り……と言ったところか。


 対する令嬢はアイリースとか言ったか。

 ヴィン男爵家の令嬢で、男子に人気で可憐な女性────と記憶している。

 ただまあ、怯えながら友人たちに支えられて、何とかこの場に立ってます! と言う姿には見ていて微妙な感じしかしないが……俺今腹減ってるし。嫌なら出てくるなよ、俺の貴重な飯の時間!


 ていうか階段から突き落とされたなら保健室で手当を受けるだろうし、そんな事故があれば、生徒会に報告があっても良さそうだが、そんなんあったか?


 くるりと後ろを振り返れば、学友で同じく生徒会員のアンジェロが肩を竦めてみせた。だよなあ、知らないよなあ……というか、こいつら何てこんなところでいちゃもんつけ始めてくれちゃってるんだ? 意味が分からん。


「あなたが高位貴族の令息たちに色目を使って擦り寄っている事も、こちらは知っているんですよ!」


 びしりとフィラデラに人差し指を突き付ける令嬢に思わず目を剥く。

 何だと?!

 俺は皇太子だぞ! 何故そんな美味しそうな話が俺のところには来ないんだ! タイプでは無いが美人に擦り寄られれば悪い気はしない。羨ましい……


 憤慨しながら再度後ろを振り返れば、同じく生徒会員で、公爵令息のフォートが首を傾げていた。


 良かった、俺だけでは無かったみたいだ。

 ……高位貴族と言っても普通にモテないぞ。人気があるのとモテるのとでは意味が違うんだ。大体学園内でも護衛はいるし、身分による隔たりを越えてくるような節操なしは社交界で嫌われる。それを親から学んでいる人間は、安易に俺たちになんて近づかない。


「ありえませんわ……」


 ちょっと怒りを見せた声でフィラデラが答えれば、アイリースがヒッと泣きそうな声を上げた。

 そしてこちらに視線を向け、あっと言った顔をしてみせるのだが、いやお前さっきから、こっちをチラチラ見てたし気付いていただろう……なんだこいつ……


 アイリースの演技に釣られ、食堂の視線が一身にこちらに向く。仕方がないので溜息を呑み込み、皇太子の外面で笑顔を見せた。


「あー、皆。一体どうしたん……」


 けれどそこで言葉が止まる。

 たまたま目に入った食堂の窓際の一番端のカーテンの中に、トリアがいた。

 奥歯をギリギリ噛み締めて、フィラデラを取り囲む令嬢たちを射殺さんばかりに睨み付けている……ではないか。

 たらり、と冷や汗がこめかみを流れた。


 ……これは、俺が失敗すればここにいる令嬢たちはトリアに殺される。あいつは馬鹿だが頭がおかしいから、絶対訳の分からない理屈を掲げて実行するに違いない。


「セレスト、どうかしましたか?」


 怪訝な顔でフォートが聞いてくるので急いで取り繕う。


「ななななんでもない! それよりこれは何の騒ぎだ!? よし、皇太子の私が解決してやろう! こんな大掛かりな場だからな、この名を使わせて貰おう! 私の決定に逆らうなよー!?」


「えっ? セレスト頭大丈夫か?」


 心配顔でアンジェロが聞いてくる。


 言うな! 俺だって自分の挙動がおかしい事くらい分かってる! でも仕方が無いだろう! これで馬鹿は殺気を二割引っ込めたんだから!

 自分自身に言い訳をして羞恥を抑え込み、何とか気持ちを落ち着つかせる。


「さあ、騒ぎの原因は何だ? 話を聞かせて貰おうか?」


「……」


「……」


「……」


 ん?


 反応が無い、ただの屍のようだ。


「ど、どうした?」


 先を促せば令嬢たちは気まずそうに顔を見合わせ仕方なさそうに口を開いた。


「いえ、あのー。アイリースさんがフィラデラさんに階段から突き落とされたんです」


「ああ……で?」


「それだけっていうか……それだけです」


「……」


 え? 何だこいつら、何がしたいんだ?

 普通こういう場では証拠とか証人を用意して断罪相手を追い詰めるものなんじゃないのか? 勢いだけでこの場に乗り込んで来たのか……? 阿保か……?


「医師の診断書は有るんですか? それとも行かれたのは保健室ですか?」


 フォートが口を出してきた。苛立ちを隠せない口調に、こいつも相当腹が減っていると推測する。


「いえ、病院には行かずに……耐えました」


 両手を組んで健気さを訴えるアイリースにフォートは首を傾げる。


「それは凄いですね……鈍感なんでしょうか」


 やっぱ腹減ってるなコイツ。アイリース嬢が引き攣ってるぞ。


「そうじゃありません! アイリースさんは階段の下の方から落ちたので軽症だったんです!」


「下の方?」


 痺れを切らして叫びだす他の令嬢の訴えをつい反芻する。

 まあ、確かにそれなら大怪我とはならないだろう、が……突き落とされた事実が本当なら充分怖かっただろうに。何故この令嬢はこんなに目をキラキラさせてその話が出来るのだろう。


 同じように考えたのか、アンジェロは難しい顔でフィラデラに顔を向けた。


「……と、言っているが、フィラデラ嬢の弁明は?」


「まあ……概ね、そうですかしら」


 長い髪をふあさっと掻き上げ、フィラデラは綺麗な所作で同意する。この様子はとても断罪されてる者には見えない……が、


「待て待て待て! フォークは止めろ! ナイフも駄目だ!」


「は? セレスト!? お前何言ってるんだ!?」


「なんでも無い!」


 思わず奥歯を噛み締める。馬鹿のせいでこっちまで気狂(きちが)い扱いを受ける羽目に……! 俺、皇太子なのに!


「ぶつかったのは事実です。が、謝りましてよ? ついでに、アイリース嬢が・・・・・・・)わたくしにぶつかってきた後に手を着いた壁で滑って転んで床に転がった、が正解ですわね」


「……」


「階段の一段目でしたわ」


 はははは……

 なんだそれ、皇太子の威厳なんていらない、ただイチャモンつけられているだけじゃないか。わざわざ名乗りをあげたのに! 俺カッコ悪! それもこれもあの馬鹿のせいだ!


 恨みを込めてトリアを睨めば、何故か両手を胸の前で組み涙を流して感動している。ちょっと待て! なんだその、「良く言えました! 頑張りましたねフィラデラ様!」みたいな顔は!? 意味が分からん!


「さっきから何をチラチラ見てるんだ? ────ああ、トリア嬢か……」


 得心顔で頷くフォートに場の空気が凍った。

 ……折角人が穏便に解決しようとしてたのに、このアホ。

 ジト目で睨めば肩を竦めて仕方がないだろうアピールされる。


 トリアはこの国では恐れられている存在だ。

 サンディーン家の前で何かやらかせば目をつけられるのは子供でも知っているこの国の縮図。対抗人員は双頭の龍の片割れぐらいだが、あいつは今この国にいないし、残念ながら人の為に動くような奴じゃない。


「アイリース嬢……フィラデラ嬢はこう言っているが、間違いは無いか?」


「ま、間違いなひでっ……す」


 トリアに怯えた風に泣き顔をつくり、縋るようにこちらに距離を詰めてくる。


(……俺、この手の女にこないだ騙されたばっかなんだよな……)


 高位貴族に興味があるのはどっちなんだか……げんなりと肩を落とす。


「馬鹿馬鹿しい、一体何の為にこんな騒ぎを……っ馬鹿トリア!」


 膨れ上がる殺気に急いでトリアを振り返る。

 物凄い勢いで突っ込んでくる馬鹿に向かって怒鳴るのと、アンジェロとフォートが俺の頭を押さえて床に叩きつけるのはほぼ同時だった。

 

 体勢が崩れる中、何でこんなに俺は「馬鹿」ばっかり言ってるのかと、自分で自分の悪態に毒突くのと、舌打ちをするアイリースの袖口から小刀が滑り出るのはほほ同時だった。


 しまった!


 フィラデラを取り巻いていた令嬢たちが彼女に向かって刃物を向け一気に距離を詰める。

 状況を察した生徒たちから、けたたましい悲鳴が上がった。


「アンジェロ! フォート! フィラデラ嬢を!」


 他国から預かっている令嬢を学園内での殺傷事件に巻き込むなど、場所を言い訳にして済まされる問題では無い。こんな事がどんな醜聞となって国外へ飛んでいくか。

 だが俺を守る為に一手遅れた二人はフィラデラの護衛には間に合わない。二人に抑えられ床に伏せている俺も同様だ。────が、とても人間の動きとは思えない動きでぶっ飛んできたトリアがアイリースを横に吹き飛ばした後、急カーブを描いて切り返し、フィラデラ嬢に刃物を突きつけていた令嬢たちも纏めてぶっ飛ばしていた。……本当あいつの身体の構造どうなってるんだ……?


 間に合わないかと思ったが、フィラデラ嬢は自身も護身術を身に付けていたようで、何とか対応出来ていたようだ。ホッと安堵の息が漏れる。


 それにしても、ザッという効果音と共にとフィラデラの前に立ち塞がるトリアははどう見ても彼女の護衛────いや騎士の如く油断がなく、そして冷たい眼差しで床に転がる令嬢たちを見下ろす様は……鬼神?


 食堂内の震撼が音となり聞こえてくるようだ。

 こいつの怒りのバロメーター、相変わらずよく分からん。まあでもフィラデラ嬢が無事で良かった。


 自国の皇太子の俺が無傷でフィラデラ嬢に怪我でも負わせていたらと思うとゾッとする。しかしフィラデラは先程とさして変わらぬ様子で腕を組み、可愛げの欠片もない体で仁王立ちしたままだ。


「……」


 凄えなこいつ。怖いとか無事で良かったとか、そういう感情は無いんだろうか……

 

 フィラデラは相変わらずツンと顎を反らして立っていたが、ちらりと俺を振り返って口元を釣り上げてみせた。


「殿下、お怪我はございませんか?」


「……」


 ────ちょっと待て、何この状況。まるでフィラデラが収めたみたいに見えないか? こっちは護衛の為とは言え床に這いつくばり、片やフィラデラは騒動のあったど真ん中で余裕の笑みを見せ平然と立っている。


 ……お前、断罪されてたんじゃないのかよ。


 待て、待て待て待て……

 側近の話じゃあ確かコイツ性格悪いんだった。いやそんな。だからってありえるか? そんなこと……


 コツリ、と足音を立てて近づいてくるフィラデラに警戒心が走る。そんな俺の心境を知ってかアンジェロとフォートがフィラデラ嬢を牽制するように彼女の前に立ちはだかった。二人の手が離れた事で俺も遅ればせがら立ち上がる。


「元はと言えば今回の騒動はわたくしの不徳が招いたもの。不届き者の狙いがこんなところにあったとは露知らず、殿下まで巻き込んでしまい誠に遺憾でございますわ」


 ……笑顔が怖い。元々キツめの顔立ちなせいか、笑うと魔女に見えるのだが、俺の目がおかしいのだろうか。


(恐らくこの女……)


 コイツがこの国で受け入れられないのは、自身の性格にも起因している、ようだ。けれどコイツはそれを自覚した上で一芝居打ちやがった。

 学園内に愚か者が紛れ込んでいる事を、何かのきっかけで知ったのだろう。


 トリアが自分に傾倒しているから、自身に実害は限りなく無いと考えた。しかもトリアなら暗殺だろうとテロが起ころうと、被害を最小限に収め対処してしまうのも想定の範囲内として。


 それを理解した上で俺を公然で助け、学園内の自身の評判を覆そうとしたのか? 下手すれば自分だって怪我じゃ済まなかったんだぞ? ……何なんだこいつ、馬鹿じゃ無いのか?


 だがしかし、俺はこの国の皇太子だ。こいつの放つ妙な威圧感に飲まれてばかりはいられない。既に警備が駆けつけ令嬢たちを拘束していく中、俺は護衛兼学友二人に手を振りフィラデラから警戒を解くよう意思を示した。

 フィラデラ嬢と少し距離をとり、いつもの仮面を貼り皇太子を演じる。


「私は大丈夫だ。フィラデラ嬢こそ大丈夫か?」


「あら、ご心配下さりありがとうございます。大丈夫ですわ、わたくしにはトリアがいますもの」


 フィラデラはしゃらりん、という効果音でもしそうな凛とした仕草で髪を後ろに払う。

 その様子にトリアは令嬢たちをどこからか取り出したロープで縛り上げながら感激しているが、そうじゃないだろう。お前はこの宗教国家の守護神、サンディーンの名を持つ家の人間なんだぞ! 


「……そ、うか。怪我が無くて何より、だな」


「ご心配痛み入ります」


 きらりと煌めく視線にたじろぐ。

 ……多分こいつ、トリアを懐柔して俺の権力を狙ってやがる。しかも色仕掛けじゃない。力でねじ伏せに来てやがった。

 ほっそい腕で自身じゃ何も出来なさそうな癖に、企んでるのは恫喝か? 脅迫か? 確かにこの件に際しては問題はサウキス国側にある。だが俺は皇太子だぞ。例えこちらに非があったとしても、そんなものに屈する訳にはいかない。


 負けじとフィラデラと向き合い一歩も引かない姿勢を取れば、早速フィラデラは小声で脅迫を口にする。


「……殿下、トリアはわたくしが言えば貴方に嫁し、一生傍に張り付いて見張ってくれると思いますの」


 ────ぶっ!


 良かった実際には吹いていない。……じゃなくて!

 なんって事を言い出すんだこの女! 止めてくれ、あれが女に見えた事なんて一度も無いぞ! そもそもあいつには面倒くさい婚約者がいる……けれどトリアなら何を言い出すか分からないから頼むから本当に止めてくれお願いします!


 俺は眉間に指先を添えて低く唸った。フィラデラの規格外な脅迫に、もう既に屈しそうだ。


「何が望みだ……」


 くすりと溢れる声が確信犯の自供に聞こえる。


「そうですわね、わたくし出来れば在学中は静かに過ごしたいですわ。あちらでは毎日騒がしくてうんざり。こちらに来ても皆さん本当に親切で(・・・)、流石に疲れてしまいましたのよ」


 ちっと舌打ちが出る。どうせ絡まれてしおらしく沈んでいるような女じゃ無かったのだろう。それで人間関係が悪化したのなら、自分で何とかするべきだとは思うが……くそっ。


 馬鹿面をした幼馴染を睨みつけてからフィラデラに向き直る。何とか口元だけ笑みの形を作り、一息ついて、


「生徒会で面倒を見よう」


 諦めてこれしか思い浮かばない対抗策を吐き出した。


「まあ!? 宜しいのですか!? わたくしなんぞを格式高い生徒会の一員に招いていただけるなんて! 本当に嬉しい、こちらに来てなかなか友達も出来ず心細く思っていたのです。ありがとうございます! 殿下は寛大でいらっしゃるんですね!」


「ああ……こちらこそ、よろしく頼む……」


 俺たちのやりとりが周囲にどう写ったのかはしらないが、留学してきた隣国の令嬢が事故に巻き込まれた。その主犯格たちからいじめを受けていた彼女を皇太子が手を差し伸べ助けようとしているように見えて、いるか? サンディーンが仕える令嬢なのだから当然だ、という視線のように感じるのは気のせいだろうか。皇太子の威厳が欠片もない……


 脱力しながら返事を返せば、アンジェロから「セレストの女の趣味は変わってるよなー」とぼやかれた。


 趣味じゃねーよ! 俺はもっと天使のような愛らしい女性が好みなんだ! いつか絶対見つけ出して幸せな結婚をしてやるからな!


 ちらりと視線を向ければ思った通り。フィラデラはもう俺に何の興味も無さそうにそっぽを向いて、連行されていく令嬢たちを見送っている。可愛くねえ……


 これから当面こいつの面倒(トリア付き)を見なければならないかと思うと、どれ程の面倒事に付き合わされるのかと項垂れる。

 頭の中を馬と鹿が盛大に喚き散らして去っていく様子が駆け巡っていた。

 



 ◇




「────セレストですか? あいつ、取り繕ってるだけで中身は単純なんですよ。女性にモテないから、よく変な女に引っ掛かってるらしくて、皇后陛下が心配してますもん」


 お気に入りのケーキをテーブルに並べればトリアはこちらの質問にホイホイ答えた。


(……全く、素直なのはいいのだけれど、考え無しは良く無いわ。これからきちんと躾けていかないとね)


 わたくしフィラデラ・イーステンは季節の果物が盛り込まれたフルーツケーキを幸せそうに頬張るトリアを眺めながら思案に暮れた。


 わたくしは自国でトラブルがあり、隣国へ留学という名目の元、逃げてきた。理由は婚約者の浮気だ。

 あれを受けてわたくしは将来神に使える巫女となろうと決意し、その為にこの宗教国家への留学を決めたのだ。もう男はこりごり、だ。


 たった一人の男に失望したくらいで、とも思うが、そのたった一人が男というものの性分や本性をほぼほぼ教えてくれた。男なんて概ねあんなもんだろう。

 次行ってみようと思うより、あんなもの自分の人生から切り捨てて生きていく方が気持ちが楽だ。


 さて、そんな訳で、折角母国のしがらみを捨ててきたのだ、どうせなら学園生活は穏やかに過ごしたい。けれどここではわたくしは弱者として扱われ、いじめの標的にされてしまった。


 あの方たちはわたくしの、「自国では公爵令嬢」という肩書きが気に入らないらしい。そしてここでは末端なのだから、もっと殊勝な態度で過ごせという圧が凄かった。解せない……


 本当にここは宗教国家なのだろうか。自由と平等を掲げる学園の規律にも違反しているし、「隣人へ慈愛を以て」というルファスカの教えにも反している。


 こうしてわたくしはこの国で絶対的に成り上がり、この者たちの思い上がりや勘違いを片っ端から改善すべく立ち上がろうと思い立った。

 これはルファスカの教えを全うすべしという学園生活における目標にもなり、将来教団に就職するにあたっての重要な活動となるに違いない。


(さて、その為には権力が必要よね……)


 トリアはは少し違う。

 確かにこの国ではトリアの家は強い力を持っているけれど、だからこそその力は特定の条件下でしか振るえないように法律化されている。


 それにルファスカの巫女になるに当たって、トリアに阿るのはわたくしのプライドが許さない。何故ならあの子はわたくしを慕っている。そんな子をわたくしの都合に巻き込むのは本意ではない。


 べ、別にあの子を慮っているわけでは無くってよ! 嫌われたくないとかそんな事も思ってないし、お友達になりたいとか全然そんなんじゃないんだから!


 ────わたくしは公爵令嬢。高位貴族とは孤高なものなのよ!


 ……それはともかく、前述した通りトリアを取っ掛かりに出来ないとなると、目を向けるべきその他の人材は限られて来る。


 対等な関係がいい。

 そう考えた時、真っ先に浮かんだのがこの国の皇太子だったのだ。

 その為にはまず皇太子の目に留まらなくては。


 そうしてわたくしの取った行動は、人から思い切り非難される事。傍若無人を振る舞えば、きっと皇太子の耳にも届くだろう。悪事千里を走ると言うくらいだ。間違いない。


 わたくしの悪評が皇太子の耳に入ればこっちのもの。一応皇太子の人柄などもトリアから聞き取りをし、馬鹿だと聞いて安心する。女にモテないとき聞いて好感度も少し上がった。作戦を遂行しよう。


 トリアの忠誠心をチラつかせ、問題児(わたくし)を監視をせねばならない。と、皇太子に思い込ませるつもりでいた。そうして無理矢理生徒会に入り、まずは学園内を掌握すべく動こうかと思っていたのだけれど……流石にこの辺りは一筋縄では行かなかった。


 何故ならわたくしの馬鹿な行動を利用せんと、よからぬ輩を呼び寄せてしまったのだ。確かに学園内は常に警備が厳重とはいかない。邪魔なので排除を試みようとしたのだが、どうやら奴らのターゲットがわたくしと知り、これを活かさない手は無いと考えたのだ。


 皇太子の目の前で隣国からの客人であるわたくしを害せば、例え彼に非がなくとも悪評が立つ。噂とはそういうものだ。かと言って皇太子を直接害せば一族郎党斬首となろう。確かに良い案だ────トリアの存在が無ければ。


 実はトリアは今国内にいない事になっている。

 わたくしの護衛を任されサウキス国を出ていたが、わたくしと共に帰ってきた。けれど何故かトリアは気配を消し学園生活に紛れ込み、自身の存在を隠しながら日常を過ごしていた。


 何故そんな事をしているのかと訝しんだが……馬鹿だから、らしい。

 ボロを出さないように誰からも認知されないように過ごすのが彼女の処世術なのだとか……あとはバレるまで大人しくしていろと親に言われたとかなんとか……なんだか不憫な気がするが、それは一旦脇に置いておく。


 とにかく不埒者たちの動向は放置する事にする。皇太子殿下を害する計画だったら賛同出来ないが、自分の行動の責任を自分で取るだけなのだから問題は無い筈だ。


 そうしてわたくしに率先して嫌がらせをする者たちの裏を取り、彼女たちがあの場で舞台に上がって来るように仕向けてやった。御膳立てまでしてあげたのだから上手くやれと内心拳を握り下手な演技に乗じる。


 そして結果はまあ────上手く行った、と言っていいだろう。わたくしが生徒会に入れる事を周囲にも皇太子にも納得させたのだから。




「おいっ」


 低い声に振り返れば、こちらの仕込みに上手い事乗ってくれた皇太子が睨みつけている。


「何でしょうか殿下?」


 胡散臭い笑顔ならわたくしも得意だ。にこりと笑い返せばセレスト殿下は心底嫌そうに顔を顰めてくれた。


「もう二度とするな」


(あら嫌だ怒らせちゃったかしら)


 つい笑みが溢れそうになる。まあ仕方が無い。下手をすれば無関係の学生に怪我人が出たかもしれないし、食堂なので食器類も何点か割れていた。後片付けも大変だろう。


「何を考えているか何となく分かるが……」


 そう言ってセレスト殿下はわたくしの手をぎりっと握りしめ、真剣な目で告げてきた。


「二度と、自分を傷つけるような真似はするなよ? 馬鹿者が」


「……は?」


 言ってる意味が分からない。


「自分を大事に出来ない奴は生徒会にはいらん」


 ああそういう事ですか。

 わたくしは得心顔で頷きます。


「ええ、分かりましたわ、殿下」


「全然分かっていない」


 ぎりりとわたくしの手を握り締める力が強まります。何かしら? 痛いんですけど。


「震えている……」


「……」


 ……ああ……まあ、多少は……怖かったですけどね。

 ですがこれくらい。

 馬鹿王子の婚約者やってる時はしょっちゅう絡まれたり脅されたり妬まれたり突き飛ばされたり────人からの悪意には慣れている。けれど恐怖だって時間が経てば鎮まるものだという事もその時に学んだ。


「可愛げのない……」


 知っていてよ、いつでも誰からもそう言われてきましたからね。だからもう可愛らしさや庇護されるべくか弱さもわたくしには必要ない。だから権力、それをわたくしは欲している。


「愛らしさが欲しいのなら他を当たって下さいな。わたくしが欲しいのは自分一人で立ち生きていける権力。その為に今のところあなたが必要なのですから我慢して下さいませ。それにお互い様ですわ。床に這いつくばる皇太子殿下、滑稽でしてよ」


 ふふふと笑って見せればセレスト殿下は口元を引き攣らせた。


「不敬な上に遠慮のない奴だ……全く俺の周りにはどうしてこう訳の分からん奴ばっかり集まるんだ?」


「引き寄せ体質って奴じゃ無いか? 大変だな、その磁力が切れるまで。フィラデラ嬢、俺はアンジェロ。セレストの護衛もやってるが生徒会の一員だ。これから仲良くしてくれ」


 ぶくくと笑うアンジェロがフィラデラに手を差し伸べて握手を求めるも、フィラデラはツンと顎を上げ、そっぽを向く。


「わたくし、殿方と友好的に接するつもりはありませんの」


「……セレストはいいのか」


「この方はわたくしの踏み台……目指す権力の象徴なので」


「今誤魔化した言葉がお前の本音だろう!」


 とは言え今後もこの狙いやすそうなこの問題児が目をつけられる可能性は低くは無いだろう。こうして前例を作ってしまった今、手近に置き、保護の名目で監視を行えば学園内の秩序も保たれる筈、だ。ああ、だが……


「セレスト、理想の女性との出会いが遠のきますね」


 気の毒そうにフォートがつげる。


「全くだ! 学園で素敵な出会いや恋が出来ると喜び勇んで入学してきたのに何も無い! 近くにいるのは物騒な幼馴染と権力に傾倒した高飛車な留学生だけ! 俺の青春どこ行った!」


「セレストの幼馴染なんてなりたくてなった訳じゃないよー」


「青春こじらせた恋愛脳、重症ですわね」


「皇太子に青春なんて無いぞセレスト、働け」


「義務で結婚して子作りして一瞬で禿げ散らかって下さい」


「どいつもこいつも悪意しか無いな?! 俺に何か恨みでもあるのか??」


 叫べば皆息を揃えて背中を向け、思い出したように片付けをすべく歩き出す。

 何でこいつらもう気が合ってるんだ!? 置いてかれた感半端ない。


「働けー、セレストー」


「うるっさい! 分かってるよ!」


 促すアンジェロに毒づき付きを返し、まずは駆けつけてきた近衞騎士や学園関係者へと、どう説明するべきかと頭を悩ませた。







 ────余話────


 


 数年後、フィラデラは敬虔なる女性信者としてエンゼレール教団の上位五本の指に入るまで出世する。

 彼女はかの教団で唯一の子持ちの女性司祭となるのだが、それが誰の子なのかは、今のところはまだ誰にも分からない。





 ◇ おしまい ◇


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